2月4日北京冬季オリンピックが始まった。
種目はスキー、スケートを始め、最近ではスノボ、カーリング、ボブスレーなどかなり増えてきた。
スケートが得意だとは以前書いたが、スピードスケート男子500メ―トルの速さは1位が34秒台だ。
私が全盛期の頃の400メートルが約60秒だったので、約2倍のスピードだ。
陸上の男子100メートルが9秒台だとして、私の全盛期の高校3年生時は50メートル6.9秒だった。単純に2倍してもボルトは私の2倍以上ではない。従っていかにスケート選手が速いかが分かる。
スキーについて書こう。
スキーは高校2年生の冬に担任から「長野県出身者だから将来恥ずかしくないように、スキーとスケート教室を行う」と言われた。(我々の高校は修学旅行は無かったので、その代わりでもある。)
私はスキーを選び、親父の木製の重いスキー板を借り、霧ヶ峰スキー場に行った。
なだらかで滑りやすかった。ボーゲンを習い、斜滑降、直滑降でも滑ってみた。
その後、大学生になった時に当時、飯田市大平に小さなスキー場があり滑った事もあった。
就職して会社でバス一台チャーターしてスキーに行く事になり、私が総務だったので幹事を引き受けた。当時は木曜日が定休日だったので、水曜日の仕事が終わってからバスに乗り1泊した。
行先は先輩が知っていた栃木県の現日光市の「鶏頂山スキー場」だった。(2000年に閉鎖)
道案内はもちろん先輩だった。私は先輩のスキー板を借り、初心者コースを滑った。
同僚は奥さんも連れて中級コースを滑っていたので、誘われて滑ったがコブが多く、転んでばかりいた。そのうちに前の人に突っ込んでスキー板の先を壊してしまった。
リフトに乗った時だった。山の途中でリフトが止まってしばらく動かなくなってしまった。何分待っただろうか。不安になってきたところ、アナウンスがあって「これから救助します」と言われた。
私はちょうど柱と柱の間で、しかも山の中腹だったから、救出はほとんど最後に近かった。遠くに別のスキー場が見えた。
救出時にロープに引っ掛けた長い竹ざおは、それも汚れた竹ざおで伝わって降りたが、泥まみれになってしまった。
私はスキーウエアと言うより、親父がスケート場で着ていた黒く薄っぺらい「アノラック」だったので、先輩から「炭焼き小屋の親父見たいなカッコしやがって」と言われて悔しかった。
その後は「ハイカラ」なスキーウエアを購入した。
帰りのバスは疲れもあり、眠かったが目の前に雪が迫る現象が思い出され、それどころではなかった。
その後は1回もスキーはしてない。と言っても結婚して家内と冬休みにスキーに行く予定だったが、ある事情でキャンセルしたのだった。
しかしスキーウエアはスケートでよく着たので無駄ではなかった。
種目はスキー、スケートを始め、最近ではスノボ、カーリング、ボブスレーなどかなり増えてきた。
スケートが得意だとは以前書いたが、スピードスケート男子500メ―トルの速さは1位が34秒台だ。
私が全盛期の頃の400メートルが約60秒だったので、約2倍のスピードだ。
陸上の男子100メートルが9秒台だとして、私の全盛期の高校3年生時は50メートル6.9秒だった。単純に2倍してもボルトは私の2倍以上ではない。従っていかにスケート選手が速いかが分かる。
スキーについて書こう。
スキーは高校2年生の冬に担任から「長野県出身者だから将来恥ずかしくないように、スキーとスケート教室を行う」と言われた。(我々の高校は修学旅行は無かったので、その代わりでもある。)
私はスキーを選び、親父の木製の重いスキー板を借り、霧ヶ峰スキー場に行った。
なだらかで滑りやすかった。ボーゲンを習い、斜滑降、直滑降でも滑ってみた。
その後、大学生になった時に当時、飯田市大平に小さなスキー場があり滑った事もあった。
就職して会社でバス一台チャーターしてスキーに行く事になり、私が総務だったので幹事を引き受けた。当時は木曜日が定休日だったので、水曜日の仕事が終わってからバスに乗り1泊した。
行先は先輩が知っていた栃木県の現日光市の「鶏頂山スキー場」だった。(2000年に閉鎖)
道案内はもちろん先輩だった。私は先輩のスキー板を借り、初心者コースを滑った。
同僚は奥さんも連れて中級コースを滑っていたので、誘われて滑ったがコブが多く、転んでばかりいた。そのうちに前の人に突っ込んでスキー板の先を壊してしまった。
リフトに乗った時だった。山の途中でリフトが止まってしばらく動かなくなってしまった。何分待っただろうか。不安になってきたところ、アナウンスがあって「これから救助します」と言われた。
私はちょうど柱と柱の間で、しかも山の中腹だったから、救出はほとんど最後に近かった。遠くに別のスキー場が見えた。
救出時にロープに引っ掛けた長い竹ざおは、それも汚れた竹ざおで伝わって降りたが、泥まみれになってしまった。
私はスキーウエアと言うより、親父がスケート場で着ていた黒く薄っぺらい「アノラック」だったので、先輩から「炭焼き小屋の親父見たいなカッコしやがって」と言われて悔しかった。
その後は「ハイカラ」なスキーウエアを購入した。
帰りのバスは疲れもあり、眠かったが目の前に雪が迫る現象が思い出され、それどころではなかった。
その後は1回もスキーはしてない。と言っても結婚して家内と冬休みにスキーに行く予定だったが、ある事情でキャンセルしたのだった。
しかしスキーウエアはスケートでよく着たので無駄ではなかった。