風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

巡礼してみた一人旅・2-2(奈良)

2014-05-05 | 近畿(奈良・和歌山)
○ 飛鳥駅から明日香村へ
○ 第七番札所 岡寺
○ 明日香ウォーキング
○ 尺土の火事
○ 第五番札所 葛井寺
○ 第九番札所 興福寺 南円堂
○ 気分はメロス
○ 流れてない流れ橋
○ ニナとジュリ

2日目その1からの続きです。

○ 飛鳥駅から明日香村へ

帰りのバスがやってきたので乗り込むと、運転手は行きと同じ人でした。
さきほど行きのバスで一緒だった三名の姿はありません。「時間が合わなかったらタクシーを使おう」と言っていたので、車で次のお寺に向かったのかもしれません。
今度は一組のご夫婦がいました。
「間に合うかな」としきりに電車とバスへの乗り継ぎを気にしています。
壷坂山駅からとなりの飛鳥駅に行き、そこからバスで岡寺へ。
それって私と一緒のルートだわ。ということでこのお二人も巡礼者だと判明。
奈良は、お寺が固まっているため、ルートがだいたい重なるようです。

予定通り飛鳥駅に到着し、やってきたバスに乗り込みました。
本当はかめバスに乗りたかったのですが、やってきたのは奈良交通。
ルートに違いはありませんが、かめバスという名前に引かれました。
亀石からとったのでしょうけれど、速いイメージがない名前をあえてつけるってー。

明日香村をうねうねと通っていくバス。石舞台には、遠足中の小学生たちがたくさんいました。
岡寺のバス停は道が工事中だそうで、治田神社前で降りるようアナウンスがあったので、そこで降ります。
でも、先ほどのご夫婦は降りませんでした。あれ?いいのかな?
バスを降りてからお寺までは、急な坂を登ります。
ヒーヒーでしたが、私のほかに降りたご年配の母子もかなり坂に難儀をしており、どんどん距離が離れていきました。

○ 第七番札所 岡寺

普段、ご朱印を頂くときには、なるべくつり銭がでないように気を配っています。
コインが足りないときには、拝観入口でお札を出して調整していますが、岡寺の入口でお坊さんに「ぴったりの拝観料を出してください」と言われました。
ちょっと緊張してお財布をさぐり、(なんとかちょうどありそう)とほっとしながら五円玉を2枚出すと「あ、それならお釣りを出すから」と言われました。
「このお金は回していくもんやからね。五円玉を嫌う人もいるからね」
巡礼中は修行の身。これまでもいろいろなお寺ルールの洗礼を浴びています。



飛鳥地方を訪れるのは3度目くらいですが、岡寺は初めて。
ほのぼのとした飛鳥寺とはまた違う、静かな威容に満ちた伽藍です。
鐘は自由につけたので、ありがたく突かせてもらいました。



西国霊場のお寺独特の、古いすり減ってほこりをかぶったお堂の雰囲気が好き。
人の手でつるつるに磨き上げられた柱や手すりが歴史を物語っています。
ここのご本尊は、如意輪観音だそうですが、上半身しか見えないため、それとはわかりませんでした。
でも近くからよく拝観できました。



せっかく観音めぐりをしているわけなので、やっぱり御顔を拝見できるのがいいですね。
ここの聖獣は龍。しゃくなげのきれいなお寺でした。
また訪れたいお寺です。今度はぴったりの拝観料を準備して!



○ 明日香ウォーキング

さて、ここからが問題です。昨日同様、バスは2時間来ません。
でも昨日よりは駅までの距離が短いため、歩くことにしました。
バスがないのはわかっていたため、レンタサイクルにしようかとも直前まで悩みましたが、強風でなかなか進まない様子を見て、やめておいてよかったと思いました。
暑い日で、じりじりとアスファルトが照り返します。
風が強すぎて、帽子も日傘も使えません。
黄色や白い帽子の小学生の遠足をあちこちで見かけましたが、日陰がないため、炎天下の下、車道わきで休憩を取っているグループがたくさんいました。

橘寺の横を通っていきます。聖徳太子が生まれた場所です。



明日香のセブンイレブンは、こんなに景観に配慮しています。一見わかりませんでした。



方角に迷いながら45分歩き、ようやく駅舎が見えてきました。
各駅のみなので、何本か電車が通り過ぎます。
やってきた電車も小学生の遠足の子たちでいっぱいでした。5月は遠足シーズン?
ここから大阪方面へ向かいます。

○ 尺土の火事

尺土駅(尺取虫みたい)に着いて電車のドアが開くと、ホームはもくもく煙で充満していました。
野焼きかな?それにしても煙いわ~と思いましたが、周りの子供たちは「火事だ、火事だ!」と騒いでいます。
(まさかぁ~)と思いましたが、電車が動き始めたら、ホームすぐそばの建物から黒い煙が出ていました。
赤い炎は出ていませんでしたが、本当に火事だったようで、Twitter上でも騒然としていました。
消防車は向かっているのかな?と心配しているうちに電車は進み、煙はだんだん遠くなります。

藤井寺駅に着きました。
かつて近鉄の球場があった場所ですね。
駅前のアーケード商店街の中をバイクが駆け抜けていくのを見て驚きました。
駐車禁止の看板の横には、堂々と自転車が止まっています。
そこで「そうか、もうここは大阪なんだった!」と実感。浪速は、ほかとは違うスタミナパワーを感じます。

○ 第五番札所 葛井寺



駅名になっている葛井寺に着きました。
これで(ふじいでら)と読むんですね。(くずいでら)かと思っていました。



昨日からずっと、簡単にはたどり着けないお寺ばかり訪れているので、駅からの近さがありがたいです。
駅側からの入り口から入りましたが、正式な正面の仁王門から出ました。



緑に囲まれた近くの辛国神社にも参拝しました。狛犬が二対いました。



ここまでの道は、飛鳥の徒歩45分をのぞけば順調でしたが、ここからが大変でした。
橿原神宮前駅に戻って近鉄奈良に向かいますが、接続が悪くて普通電車しか来なくなり、西大寺駅までずっと各駅停車に乗っていくことに。
途中、再び尺度駅を通ったので、火事がどうなったのか気にして外を見ましたが、1時間ほどの間に煙はすっかり収まっていました。
藤井寺駅を出たのは3時45分だったのに、西大寺に着いたときはもう5時近く。
いつもは速い電車でサーッと通り過ぎていますが、ゆっくり動くと、奈良の中心・西の京・飛鳥はやっぱり距離があるものだなあと感じまます。
時間的に、そろそろこの日の巡礼も終わりに近づいています。

○ 第九番札所 興福寺 南円堂

近鉄奈良に着き、最後に興福寺の南円堂を参拝しました。ここを訪れるのは、数年前に両親と来て以来です。
あの時、ご朱印をドライヤーで豪快に乾かす人を見て、家族みんなで目を見張りましたが、今では私にとって見慣れた光景。
ご朱印帳ではなく、掛け軸やおいずるの布に書かれたご朱印を乾かしているのです。



去年訪れた成相寺で散華をいただきましたが、今回はどのお寺でももらえません。
(あれ?)と思っていたら、その散華はお寺ではなくJRの企画だったらしく、3月で終わったようです。
でも、南円堂の方に「散華をあげましょう」と、大きなサイズのものを頂きました。わーい。


 
興福寺には小学生ではなく、修学旅行生グループがたくさんいました。
飛鳥地方とは、対象年齢が違うようです。奈良は幅広い年代向けなんですね。



もう阿修羅のいる宝物殿はしまっていましたが、すぐには立ち去らずに、境内を散策しました。
ここの建物のゆるぎない安定感は、いつ見ても安心します。
法隆寺で感じる感覚と一緒で好きなのです。



五重塔だけでなく、目立たないところにひっそりと立っている三重塔(でも国宝)。
南円堂の向かいにひっそりと立っている、改修中の北円堂。



この日の巡礼はこれで終了。
でもまだやりたいことが残っています。
「流れ橋」に行きたいのです。

○ 気分はメロス

橋好き橋子の私は、もう何年も前から京都の上津屋橋(流れ橋)のことをチェックしていました。
(渡ってみたい)とかねがね思っていましたが、私が京都に行くたびにこの橋は流されてしまって、通れなかったのです。
いつも秋に行くので、台風で流された後なんですが、流れ橋といっても、流れすぎじゃないー!?

でも今はまだ(?)流されていないとわかりました。
いったん流れてしまうと、復旧までに半年くらいかかるこの橋。
再び渡れなくなる前に行っておきたいわ!

京都方面への普通電車に乗り、久津川駅で降りました。
観光客は降りない、住宅街が広がる中を、駅前の地図で方角確認をしてから、川の方へとひたすら歩いていきます。
思ったよりも距離があるようで、途中で道を聞くと「流れ橋?ここからずいぶんあるわよ!」と驚かれました。
アクセス不便な場所にあるのです。
それでも行かねばなりません。しかも暗くなる前に!
気分は『走れメロス』。沈む太陽よりも十倍速く走っています。気分はね!

○ 流れてない流れ橋

「大通り沿いは危険だから」と、土地の人ならではの農道ルートを教えてもらって土手へと向かいました。
電車の中にいたときには真っ赤に見えていた夕日が、もう沈んでいます。
辺りに残っているのは、その残照。
この明るさが消えたら夜になり、見えなくなるので、心ははやります。
だって流れ橋には手すりも欄干もありません。暗くなったら落ちてしまいそう。



せっせと歩いて堤防に出て、橋のたもとに出たときには7時になっていました。
わあ、とうとう念願の流れ橋に来れたわ。メロス感激!



薄暗くなりつつあるので、急いで渡りました。
かなり長い橋で、岸から岸まで渡りきるのに5分かかりました。



Uターンして戻る時には、もう暗くなりかかっています。
写真を撮っても、すべてが影になりつつあり、かなり気をつけて渡りました。



私が往復する間にすれ違ったバイクと自転車は、どちらも降りて引いていました。
模範的!というより、本気で危ないからでしょう。
ああ、数年越しの念願が叶ってよかったわ~。



満足して、見えづらくなってきた堤防と農道を駅まで戻ります。
広々とした田んぼの真ん中なので、物騒ではありませんが、ひとけがなくて寂しいので、音楽を聴きながら。
この日のプランはもう終わりなので、急がなくていいんですが、テンポのいい音楽が流れると、つい早歩きになるものです。

○ ニナとジュリ



京都の町屋が好きなので、築100年の町屋を改装した宿に泊まっています。
夜は、宿で知り合ったオランダのニナとフランスのジュリと話をして過ごしました。
ジュリは「枝豆がおいしい!毎日食べたい!」と言っていました。
ニナは「日本のミルクティーの缶がおいしい」とお気に入り。
「日本のペットボトルや缶は、種類がすごく多くて選べない」と言われます。
GREEN SHOWER(グリーンシャワー)という、発売されたての発泡炭酸水のペットボトルを買ったジュリ、「これはなんの味?」と首をひねっていました。
飲ませてもらった私たちも、「マスカット?青リンゴ?」と悩みます。
日本語表記でも「リフレッシュできるさわやかな味」としか書かれていないので、訳してあげることもできず、「・・・ミステリアスな味だね。以上!」で終わりました。



「明日はニジョジョ(二条城)に行こうと思うんだけど、どう思う?」と聞くジュリ。
「まあまあかな。それよりイナリにしたら?あそこはいいよ!」と勧めるニナ。
今日行ってきたんだそう。伏見稲荷神社のことでした。
私も「ニジョジョよりヒメジキャッソーの方がいいよ」と話をかく乱させます。
「でも今工事中でしょ?」
来日外国人は、日本の観光に詳しーい。
結局ジュリはイナリに行くことにしたようです。
こうして2日目の夜はゆっくりと更けていきました。

3日目に続きます。

巡礼してみた一人旅・2-1(奈良)

2014-05-05 | 近畿(奈良・和歌山)
○ 第八番札所 長谷寺
○ 鎌倉 vs 奈良
○ 番外札所 法起院
○ 第六番札所 壷坂寺
○ 魅惑の暴悪大笑面
○ 大仏ワンダーランド

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1日目からの続きです。
旅行2日目は、7時前に京都から奈良に向かって出発しました。
早起きしましたが、移動時間がかかります。
通勤ラッシュにもまれて、この日最初の長谷寺駅に着いた時には、9時近くになっていました。

○ 第八番札所 長谷寺

有名な長谷寺ですが、最寄り駅に降りたのはは私だけでした。
まだ早い時間だからでしょうか。
人の流れができていなかったので、道路標識を頼りに進んでいったら、いつの間にか車道に出て、間違えて違う山に登ってしまいました。
いらん登山しちゃったわー。
歩行者用参道を通っていったら、山を越える必要はなかったんですが。





朝のお寺って静かでいいですね。9時すぎているとはいっても、人も少なくて空気が澄み切っています。
ゆっくりと深呼吸したくなる場所。
鎌倉の長谷寺は、今まで数え切れないくらい参拝していますが、奈良の長谷寺はこれがはじめてです。



仁王門から本堂まで続く、小さな段差の木の登廊を一歩一歩登っていきます。
歴史の重みが感じられる、すばらしいアプローチです。



前に友人の、ここでの見返り写真を見せてもらい、(いい構図)と思ったので、自分も誰かに一枚撮ってもらいたいな~と思いましたが、あいにく前にも後ろにも誰もいません。
わーん、さびしい一人旅。
いいんだもーん、階段参道を独り占めできたから。(まけおしみ)



登廊は、延々と続いています。登ったところに更に階段。
ここのお坊さんは、相当足が鍛えられますね。
両脇には、牡丹が咲き始めていました。





長い登廊を登りきったところに観音堂がありました。
観音堂の前に広がるのは、鎌倉にはない、長谷の舞台。風が吹き抜けるさわやかな空間でした。







観音様は、やはり巨大でした。
鎌倉の長谷観音は、全身が見えますが、奈良の長谷観音は、足元が見えません。
地下に下がって観音様の足に触れることもできるようになっています。

○ 鎌倉 vs 奈良



広い境内には季節の花が咲き乱れ、とてもきれい。
鎌倉と奈良の観音様同士は、とてもよく似ています。



いろいろと似ているお寺なのだから、東西の長谷寺どうし、もっと仲良くすればいいのにと思います。
でも、奈良側は「ご本尊は開基者が奈良の長谷寺の観音像と同じ木で彫ったもの」とする鎌倉側の由来を認めていないんだそう。
う~ん。まあ、私も本当のことはわかりませんが。

帰り道の地名には「初瀬(はせ)」と書かれていました。
長谷と初瀬、どちらがもともとの名前なのかしら。
すがすがしい気持ちになれるお寺でした。

○ 番外札所 法起院

長谷寺の近くにある法起院にも参拝しました。
ここは番外札所。西国33のお寺リストには入っていないものの、重要な場所だということです。



西国33箇所巡礼の開基、徳道上人の霊廟があるお寺。
徳道上人は、閻魔大王から託宣されて西国三十三所の観音霊場を作ったそうです。
えっ、西国霊場は閻魔大王のお告げでできたもの?私たちはえんま様の希望どおりに巡っているの?
びっくりだわ~。でもこれで、舌を抜かれずにすむかも!



小さい境内ながら、参拝客が何人も訪れていました。

長谷寺駅に戻って電車に乗ります。
桜井駅に向かう途中の車窓から、大鳥居が見えました。
去年あの下をくぐって参拝した、大神神社の鳥居です。本当に大きいんだなあと遠くから眺めて実感。
この辺りが卑弥呼のお墓だという説があるんだなあと思いながら、電車にゆられていきました。

○ 第六番札所 壷坂寺

電車を乗り継いで、壷坂山駅で降りました。
そこから壷坂寺行きのバスに乗ります。本数が少ないため、発車時間に気をつけました。
乗客は私を含めて4人。バスの中の会話ですぐに、3人とも西国巡礼者だとわかります。
私もそうですが、一人年代が違ったし、話に加わらずに静かにしていたため、ほかの3人には巡礼中だと思われなかったようです。

年輩の男性は埼玉出身で、女性二名は西京都からやってきた人たち。
西国話で盛り上がっています。
男性は、百観音巡礼中で「もう八割がた周った」そうです。
女性たちは「坂東も秩父も遠くて百観音巡りは大変だから、西国巡りだけにする」と言っていました。

バスは急な山道をどんどん登っていき、終点の壷坂寺に着きました。



巨大仏がどーんと座って、出迎えてくれます。
聞きしに勝る仏像テーマパーク。東武ワールドスクエアを思い出しました。
まずは、立像と坐像。立ってるバージョンと座ってるバージョンが横並びになっている光景なんて、初めて見ます。



○ 魅惑の暴悪大笑面

寄進者からの仏像もいくつかありました。
これは、十一面観音座像の背後の頭部。
十一の面をもつ観音様のことですが、実は私、かねがね一番後ろの顔が気になっていました。
「大笑面」もしくは「暴悪大笑面」といわれています。
悪をあざけって大笑いしている、悪魔的で強烈なお顔なんだとか。
観音様が悪魔的に大笑い?どんな表情なのか気になりますよね。
でも十一面観音像は、立像が多いため、お堂の中にあるものは後ろに回りこめないし、外にある像は背が高くて、頭の後ろの顔の表情まで見えず、ずっと表情をつかめずにいました。
ここで念願の暴悪大笑面を拝顔できました!ありがたや~



なんだか「ペコちゃん焼き」に似ているなあという感想・・・(こらっ)

西国霊場に選ばれた由緒正しい古刹でありながら、境内にトンデモ系(?)が共存している不思議さに圧倒されます。
こちらの、アンコールワットのようなレリーフには「藤原京 聖なるラインの終着地」とかかれていました。
???
あ、五七五踏んでる・・・。(そこ?)



いろいろなパビリオン、じゃなくて仏閣があり、目が泳ぎますが、まずは一番奥にある観音堂の参拝から。
中に入ると、ほかに人はおらず、一人でご本尊の観音様と向き合いました。
(アフリカンなお顔立ち)と思ったほど、浅黒くエキゾチックな風貌でした。
仏像を見てアフリカっぽいと思ったのは、これが初めて。
この観音様は、目の病気と厄除けに効くのだそうです。



○ 大仏ワンダーランド

それからゆっくりと境内散策。
まずは先ほどの坐像大仏の後ろ側に周ります。
大仏を少し上から見下ろせるなんて。姿勢がいいですね。



少し離れた場所には、広々とした敷地にゆったりと鎮座する、涅槃仏と20mの立像がありました。
う~~ん、シュール!
「偉大なるふて寝」といった感じです。(失礼!)



ほかに誰かいたら、「なにこれ~、アハハ」と一緒に笑い飛ばせるんですが、仏像と私しかいない空間なので、なんともいえません。
人のように見えるのも、仏像です。場の雰囲気に飲み込まれそう。
いやー、怪しさムンムンのびっくり仰天な光景でした。

前側に回り込むと、背後にそびえ立つ立像の存在感が一気に増します。
どちらもありがたい仏像には違いないのですが、この位置関係を見て、
「カツオ~!掃除をサボってないでさっさと起きなさーい!」とどやしつけるサザエさんを連想した、庶民な私。



仏教伝来時には、人々はそれまで見たこともない不思議な大きな仏像を見て、びっくりしたことでしょう。
飛鳥時代の人たちも、私のような感覚だったのかもしれません。

涅槃仏と握手をしてみました。こんなに手の大きさが違います。
巨大さがお分かりいただけるでしょうか。



涅槃仏のお顔。とても安らかなお顔をされているので、いい夢を見てスヤスヤ・・・じゃなくて、平安極楽浄土に行かれているんだなとわかります。



この巨大仏群は、お寺のお茶目な思いつきではなく、インドから寄贈された由縁あるものだとのこと。
お寺は、あくまでまじめなスタンスのよう。
奇をてらっているわけではないと、頭ではわかるんですが、目の前のどどーんとした存在感の、たくさんの新しい大仏たちを見ると、トンデモ系マニアにも有名なお寺だというのもうなずけます。
ハッ、もしかすると、行きのバスの同乗者たちに、私はそっちの部類だと思われたのかも!

大仏はまだまだあります。
なんでしょう、この圧迫感は。ギュッと集まってひしめき合ってる感じ。
ブッダの両脇を守っているのは、勢至菩薩と普賢菩薩。
背後の壁は、ジャングルの中のアジャンタ・エローラ寺院のよう。
中国とインドがミックスされた、濃厚な仏教空間です。



あまりに仏像が多いため、境内大石像スタンプラリーも行われていました。
これがそのパンフレット。「ぼさ~っ像」なんて、これはお寺もわかっていますね(笑)!



新旧入り混じったワンダーランドに、驚きながら心が浮き立ちます。
つい大仏にばかり目が吸い寄せられますが、境内のそこかしこに美しい花々が咲き乱れており、どこもきれいできちんと行き届いていました。
渋みばしった古いお寺ばかりを静かに巡るものと思っていましたが、巡礼先がこんなに楽しいお寺だったなんて、うれしい誤算です。



2日目その2に続きます。

南海電車で高野山 index

2013-07-08 | 近畿(奈良・和歌山)
◆ 南海で高野山 1-(1)←日記へ

週末を使って高野山へ行って参りました。
和歌山の山の中で、行くまでのアクセスが大変だというイメージがありますが、南海を乗り継いでいけば、割とスムーズに行けることが判明。
前半は、電車を乗り継いでひたすら辿り着くまでの記録です。



◆ 南海で高野山 1-(2)

高野山に着いてから、二人の僧侶に寺院を案内して頂きました。
下界とは違う荘厳な雰囲気に圧倒されます。
精進料理講座では、みんなで力を合わせて胡麻豆腐を練り上げました。
翌日食べるのが楽しみ~♪



◆ 南海で高野山 2-(1)

山の朝は早く、寝ぼけ眼で勤行に参加。
奥の院で森林セラピーしてから、前日作ったプルプルの胡麻豆腐をいただきました。
マイ数珠も作りました!これでヴァンパイアも怖くない!(違うか)



◆ 南海で高野山 2-(2)

お坊さんと名残を惜しみつつ、下山の途につきます。
日常世界に戻っていくごとに、少しずつ気温が上がって行きました。
下界は暑かった・・・
今回の旅で、南海の特急を全制覇できました!




南海電車で高野山 2-(2)

2013-07-07 | 近畿(奈良・和歌山)

2日目その1からの続きです。

◆ 高野山駅着 

宿坊で荷物を受け取り、宿の人とお坊さんたちに別れを告げて、バスに乗り込みました。
藪僧侶、永崎僧侶、お世話になりました。
高野山ビギナーの私たちに合わせて、優しく柔らかく応対してくださる、まさに宗教者の鏡のようなお二方でした。



昨日来た道を戻って、ケーブルカーに乗り込みます。
またもや一番前にかぶりつき。ああ、幸せ~。

この写真だと、上がっていくのか下っていくのか、わかりませんね。
下っていくのです。



今回は子供たちもいなかったので、場所を譲ることもなく、出発です。
発車から到着までの5分間の行程を、動画に撮りました。ぜいたく!
これでいつでも高野山気分!

高野山ケーブル(高野山~極楽橋)下り 2013.7.7

◆ 特急こうや

極楽橋駅まで降りると、気温が上がったなと感じます。
それから「特急こうや12号」に乗り込みました。
行きの「特急りんかん」とは、車体が変わります。
ホームで「こうや」を激写していた人につられて、私も撮ってみました。
新しい車両でしょうか。撮っている人たちはみんな、子供ようにキラキラした目をしています。



下山して、wi-fiがつながるようになりました。
日本橋の奈良まほろば館の社長と知り合いで、私と一日違いで高野山を訪れると聞いていましたが、メールをチェックしたところ、彼も到着後、藪僧侶に案内をしてもらっていると判明。
偶然にびっくりしました。藪僧侶は、私たちを見送ったあと、今度は社長応対をしていたんですね。
今年5月にまほろば館で講義を行ったご縁のようですが、休む暇がありませんね。それも修行のうちでしょうか!?
東京と高野山は、遠いようで近いんだなあと感じます。

アンケートを書こうとしても、揺れてなかなか文字が書けず、線路が蛇行しているんだなとわかります。
天空と同じ線路ですからね。クネクネ道が延々続くということは、昨日先頭車両から眺めて知っています。
そのうち、心地よい揺れに誘われて、眠ってしまいました。

◆ 特急ラピート

帰りは、九度山に寄らないため、途中下車もなく、あっという間になんば駅に到着。
そこからは、「特急ラピート67号」に乗りました。
昨日、乗りそこねたこの電車。
カッコイイですよね~。濃紺のガンダムみたいで。
大興奮です。かぶりつきで、バシバシ写真を撮りました。

正面顔。ホーム上部が、波波ー。



ガードも、波波ー。



斜めからも、かっこいい!



横顔もナーイス!

 



しかも今回は、最高級のスペシャルシート車両!
一列三席のゆったり仕様です。



窓は丸くてオシャレ。鏡もドアの嵌めこみガラスも、円形で、柔らかい印象です。
いいなあ。関東でもこういうデザイン性の高い電車が走っていれば楽しいのに。



座席はのびのびゆったり。テーブルも丸い感じでした。



途中、大阪にできたばかりの、高いビルが見えました。
アッコさんに「あのビルの名前、なんだっけ?アベノミクスじゃなくて、アベノサーカス?」と聞きましたが、二人とも出てきません。
正解は、あべのサカスでした。
浜っ子としては、ランドマークの記録が抜かされて悲しいわ。



電車はすぐ横を通り過ぎました。下から見上げると日本一納得の、空にも届く高さでした。



サザンプレミアム、りんかん、こうや、そしてラピートと、今回の旅で南海の特急全てに乗ることができました!
すごいわ!鉄子カンゲキ!
南海さん、どうもありがとうございます。

ラピートは、海の上を通って、関空へと近づいて行きました。
ベイブリッジみたいな橋が見えます。あれは何ブリッジかしら?
やっぱり橋が気になる私、鉄橋に視界が阻まれる中、行きも帰りも何度もトライして、ようやく撮影できました。


 
◆ スターフライヤー

快適なラピートはあっという間に空港に到着します。
ああ、このまま東京まで連れて行って貰いたいくらい!
関空に七夕飾りがあったので、「パイロットになりたい」とかほのぼのしたことが書いてあるのかなと思って見てみたら
「二度と飛行機に乗り遅れませんように」と書いてありました。
切実だわ!私も一度やりおったことがある(しかもヨーロッパ便!)ので、気持ちはよくわかりますが。

聖地からシャバに降りてきたので、お肉も解禁!Qとばかりに、551蓬莱の豚まんを食べようとしましたが、空港のレストランにはなかったので、残念。
帰りはスターフライヤー。初めて乗ります。
黒を基調としたシックな機内は、ビジネスマンが喜びそう。
シートは革張りで、ゆったりとしていました。


ドリンクがフタ付きで出てくるのもいいし、避難誘導ビデオがニンジャなのも面白かったです。
快適なフライトでした。

到着後に「東京はただ今26度です」とアナウンスが入り「夕方なのに?」と驚きましたが、実際に外に出ると、もわっと熱気がたちこめていました。
知らない間に関東地方は梅雨明け宣言していたんですね。
高野山から下ってきた身には、驚きの暑さ。
また山の上に戻りたくなりました。

◆ epilogue

一泊二日の高野山の旅。移動が大変でしたが、きちんと調べていけば、スムーズに行けるとわかりました。
首都圏から高野山に行く時には、一泊だと少し慌ただしいので、二泊くらいできればゆったり周れそうですね。
世界遺産の仏教の聖地、高野山。
ミシュランで紹介されたためか、外国人観光客の姿を多く見かけました。

平成27年に開かれる「高野山開創1200年記念大法会」に向けて、もうすでにカウントダウンは始まっているよう。
その時に、新しく生まれ変わった中門を見てみたいです。
まずは、9月に東京で開催される高野山カフェに参加したいわ。
非日常感たっぷりの場所で歴史と仏教に触れることのできた、印象深い旅でした。


南海電車で高野山 2-(1)

2013-07-07 | 近畿(奈良・和歌山)
◆ 朝のお勤め
◆ 精進料理と芭蕉堂
◆ 大師教会での受戒
◆ 奥の院参道
◆ 御生身供(弘法大師のお食事)
◆ 燈籠堂
◆ 空海先生に読経
◆ 休憩所の福助茶釜
◆ さんぼうで昼食
◆ 山内フリータイム
◆ カフェで念珠つくり
◆ お坊さんドライブ
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1日目からの続きです。

◆ 朝のお勤め

朝6時に起床。みんなすぐには起きられず、布団の中でモゾモゾしていますが、部屋の外が騒がしくなってきたので、頑張って起き上がりました。
板張りの廊下の曲がり角に修行僧と南海の方々が立って「お早うございます」と爽やかに挨拶をしてくれます。
私たちは、半分しか開いていない目で挨拶をしながら、塗香を手にすりこみ、勤行に参加しました。



大勢の僧侶が朗々とお経を読み上げ、参加者は順々にお焼香します。

その後で、光明心殿に案内され、仏舎利を見せて頂きました。
仏舎利とはお釈迦様のお骨のこと。ネパールのシャカ族の元より招来した本当の仏舎利だそうです。
白く輝く御骨を、畏まって拝観しました。
周りをぐるりと取り囲むようにマニ車があり、ブッダゆかりの聖地の土が埋められている上を歩きながら、みんなでカラカラ鳴らして回ります。
自分が持っている簡易式のマニ車以外、中を開けてみたことがありりませんでしたが、ここでは中身が見えるようになったものが飾られていました。
本当に分厚い経典が入っていました。

部屋に戻る道すがら、古めかしい狛犬を発見。
その隣には南極の石もありました。



以前は、小堀遠州作の庭園のある「天徳院」に宿泊しました。
大勢の修行僧を抱えた大きな宿坊で、まだ寒かったため、部屋にはこたつが入っていました。
どちらも甲乙つけがたい感じ。高野山のどの宿坊もそれぞれに特徴があるものですね。

◆ 精進料理と芭蕉堂

勤行の後は朝食です。精進料理は目に鮮やか。
ヘルシーなロハス食をいただきます。
体にいいものばかりで作られているため、するりとおなかに入りました。
なんといっても美味しいのは豆腐。お味噌汁もだしがよくて、みんな口々に「目が覚めるわ~」と言いました。



食後に、庭を散策しました。昨日の到着時にはもう締まっていた祠の扉が開いています。
芭蕉堂がありました。ここには、虚子を始め、多くの俳人が訪れているそうです。
堂内には、歌をしたためるように、筆と句帳が置かれていました。



ああ、来る前からわかっていれば、ひねってきたのに。
この場で一句思いつけるようなセンスが無いのが悲しいわ。
大勢の人が歌を残していくようで、堂内には分厚い過去帳が綴じられて、塔のようになって置いてありました。

◆ 大師教会での受戒

宿から歩いて大師教会へと向かいます。
どうも「教会」というと、キリスト教のチャーチを連想してしますが、宗教の「教」ですから、仏教だっていいわけなんですね。
「赤地蔵ですって」「弁天橋がきれい」と、アッコさんとあちこちで足を止めながら(子供の帰り道のように真っすぐ歩けない)、教会の中に入りました。





これから、ここで受戒を受けます。
ところで「受戒」ってなんでしょう?
チャールトン・ヘストンの『十戒』しか思い出せません。(またもやキリスト教)



「私達、ここで真言宗信徒になるのかしら」とアッコさん。
えー、家族に相談していないのにー。
空海先生の弟子になれるのなら、それでもいいのですが!

受戒という名前の重さに緊張しましたが、どうも「仏様から戒を授与され、自分や他の人のために生きることを誓う儀式」なんだそうです。
授戒堂に通され、大勢の信者の方々に混じって座ると、後ろの扉を何重も閉められ、中は真っ暗になりました。
その中を、澄んだ鐘の音を響かせながら、ゆっくりと阿闍梨が登場し、私達にお言葉をくださいました。
阿闍梨様が目の前に!阿闍梨餅はよく食べますが(え)、本物の阿闍梨にお目にかかる機会は滅多にありません。

ほかの参加者は、グループで高野山に訪れた真言宗グループや結願のお遍路さんグループなどでした。
真言宗自体が密教ですが、この体験は暗闇の中で行われるため、かなり神秘的で秘密の儀式めいています。
本当に目の前の仏様との縁を結び、仏様と約束をした気になりました。

最後に「菩薩十善戒」のお授け印をいただきました。
「人は誰しも、秘められた仏性を持っており、このたびそのことを自覚されたため、これでみなさんも仏になったということです」と説明して頂きました。
えっ、私が仏様にですか?つまりアイアム即身仏?うそ~。
うろたえてしまいました。
まあ、そうした気持ちで日々過ごしていれば、道に背くことはないということなのでしょう。
「戒」と聞くと、なんだか構えてしまいますが、「良い心を育てていく」ということにつながるようです。

◆ 奥の院参道

受戒を済ませて気持ちも新たに、奥の院へと向かいました。
一の橋から歩き始めます。ここから奥の院までは2キロの道。
森林セラピールートとしても最近では注目されていますが、とても蚊が多いということで、めいめいに虫よけベールをたっぷりかけました。
(受戒を受けた直後なのに、煩悩はやっぱり尽きない...)



橋を渡るともうそこは別世界。
凛とした気に満ちていて、聖地に足を踏み入れたと実感します。
ここから奥の院まで、数えきれないほどのお墓が並んでいますが、杉の巨木の木立に囲まれ、時代を経て苔むしたお墓は、それ自体が芸術的。



お地蔵様がたくさんいるので、ほっこりします。
参加者に地蔵好きの人がおり、激写しまくっていました。



橋をわたってすぐのところに、伊達政宗のお墓がありました。
前に見た時には、もっと中にあったような気もしますが。行き方が違ったのかしら。
五輪塔の前に石鳥居が立っているというスタイルは、ほかのお墓でもよく見かけます。
神仏習合時代の名残だそうです。



一番高い場所にあるという、2代将軍徳川秀忠夫人崇源院(お江の方)のお墓をお参りしました。
息子が建立したそうです。五輪塔は10mもある巨大な石で、一番石といわれます。
墓石は高野山では取れず、瀬戸内海周辺で切り出され、海から海抜千mの山上まで運んでくるのは、途方もなく大変なこと。
昔の武将などのお墓を立てるまでには、数年間かかったそうです。



明智光秀のお墓は、何度変えても墓石が割れてしまうのだそう。
たしかに、真ん中にヒビが入っていました。
なぜでしょう。光秀は仏教に熱心だったはずなのに。
信長の墓石が割れるっていうのならわかるけどー。
光秀びいきの私としては、どうにも腑に落ちず、せめて自分にできることとして、お祈りを捧げてきました。



化粧地蔵の艶やかさに目を引かれます。
私もメイクしてあげたいなと思いましたが、私よりもはるかにフルメイクだったので、それ以上加えることはしませんでした。
(それより自分の顔をきちんとこさえなさい)とお地蔵さんに言われそうでしたし・・・。



仲良し地蔵もいました。双体道祖神のようですが、お地蔵様でした。

浄土宗開祖、法然聖人のお墓もありました。



こちらは市川團十郎のお墓。代々のものでしょうか。



南海創業者、松本重太郎氏のお墓もありました。
「西の松本、東の渋沢」と呼ばれながら、数寄者としても名を残し、事業を広げすぎて失敗するなど、なかなかドラマチックな一生を送った人のようです。

休日だったので、参拝客が大勢います。
お地蔵様を眺めていたら、ご年配のグループがダーッとやってきて、ひとつの袋から小銭を出してお賽銭を入れ、別の袋からお菓子を取り出してお供えしていました。
それを大勢で行うので、みるみるうちにお地蔵さんの周りは供物でいっぱいになりました。
旋風のようで、唖然として見守ります。
「道端のお坊さんのお賽銭は、お寺が管理しているんですか?」とお坊さんに聞いたら、「そうです。雨が降ると流れてしまったりするので」という答えでした。
ついでに、手が届かない大きな鳥居の上にいくつも乗っている石を指さして、「あれはどんなふうに皆さんのせているんでしょうか?」と聞きましたが、それはご存知無いようで、「脚立を持ってきているんでしょうかねえ」と言われました。
そこまでするのねー。

◆ 御生身供(弘法大師のお食事)

御廟の橋のたもとに着きました。ここから先は、撮影禁止、帽子も禁止です。
日傘もたたみました。



お辞儀をして、橋を渡りかけた所で、黄色い袈裟を着た僧侶が3名、こちらに向かってやってくるのが見えました。
御生身供(おしょうじんぐ)です。
毎朝6時と10時の2回行われるこの儀式。たまたま見られることができてラッキー。
「写真を撮りたいな」とアッコさん。「なら橋を戻りましょう」と永崎僧侶。

渡った橋を、また戻り、カメラを構えました。
白布で口を覆った3名の維那(いな)という仕侍僧が、目の前を通り過ぎて行きました。
白木の櫃を運んでいます。あの中に、空海先生の食事が入っているんですね。
早足で、あっという間でした。





「普段の食事は4品です。自分も作っていました」と永崎僧侶。
「でも、お正月などの特別な時には料理の数が増えるんです」と教えてくれました。
「ああ、刑務所と一緒ですね」と言ってから(例えが悪かったなあ)と反省しました。

御供所で作られたお食事は、嘗試(あじみ)地蔵にお味見してもらい、それから弘法大師御廟へと運ばれます。
「あじみ地蔵がNG出したことってありますか?」と聞いたら、「ええ、時々顔色が悪かったり、渋い顔したりしますよ」と。
ノリのいいお坊さんです。

◆ 燈籠堂

再び一礼をして、御廟の橋を渡ります。
高野山は寒いくらいかと思っていましたが、この日は日差しが強く、暑い日。
日傘も帽子もないとつらい~。でも空海先生に敬意を表して、我慢します。

燈籠堂では、加持祈祷が行われていました。
おりしもちょうど七夕の日。アッコさんと参詣帳にしたためてきました。

◆ 空海先生に読経

燈籠堂の裏側には、弘法大師御廟があります。
ここでお祈りすれば、お大師様は必ず応えて下さるとのこと。
特に今は、食事直後なので、ご機嫌麗しそう。お願いするなら今でしょう。
なーんて想像が消え去るほど、多くの人々が、お線香やろうそくをつけて熱心に祈りを捧げており、場の雰囲気に圧倒されていたところ、隣に立っていた人が、お経を唱え始めました。
ハッとして、般若心経を取り出し、アッコさんと「一緒に読もう」と声を上げて読みました。
はんにゃはらみた~
空海先生の御前で、読経ができるなんて、感無量です。いい体験ができました。

その隣にある一切経堂は、石田三成が1599年、関ヶ原の戦いの前に建てたお堂(重要文化財)だそうです。
たしかに、彼の名前が堂に掲げられていました。

 当輪蔵造営同
 一切経奉納之
 近江国坂田郡
 石田冶部少輔
 藤原朝臣三成
 慈悲母菩提也

光秀同様、三成びいきの私は、嬉しくなりました。大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)ー!
彼を徹底的に悪人扱いした徳川の力を持ってしても、奥之院のこの建物は潰せなかったんですね。
すばらしいわ、高野山。

アッコさんは、昨日入手した檜の御朱印帳に、さっそく御朱印をいただいていました。

◆ 休憩所の福助茶釜

参拝後、休憩所でお茶をいただきました。



水場にいた藪僧侶に「この茶釜は福助さんのですよ」と教えて頂きました。
よく見ると、たしかに福助がついています!まあかわいい。



その後、企業の墓所を通り、こちらの福助さんにもご挨拶をして来ました。



◆ さんぼうで昼食

昨日、胡麻豆腐を作ったさんぼうさんにあがり、昼食をいただきます。
一晩寝かせた胡麻豆腐が、器に盛られて登場しました。





うわあ、プルンプルン。
おいしいです!!ブランマンジェのようで、大満足の味でした。



◆ 山内フリータイム

昼食後はフリータイム。みんなで洋風のおしゃれなKasakuni cafeに入りました。



先に向かっていた永崎僧侶が、カフェの前で手招きをしてくれ、カフェとお坊さんとのギャップに楽しくなりました。
和の世界といったイメージの高野山にも、レトロモダンなお店があるんですね。



ケーキセットを頼みます。なんだか洋のものを食べるのは久しぶり。
(といってもたった1日ですが)



吹き抜けの、開放感のある内装で、他の場所とは違ってお茶をする若者率が高かったです。

◆ カフェで念珠つくり

お茶をしてから、希望者5名で、念珠つくりに挑戦しました。
今回は光木阿字館の先生に来ていただき、カフェの別室を借りて始めます。



はじめに、先生の読経を聞き、精神を落ち着けてから、作業開始。
まずは、母珠になる高野山奥の院の杉の玉をヤスリで磨きます。



ヤスリは青・黄・橙の三種類。
「過去・現在・未来に置き換えて、念入りに磨いてください」と言われると、磨く手に力も入ります。
「ヤスリがなんだか効きませーん」「過去が磨けない~」「そりゃムリだー」とか言いながら、ひたすら磨きました。
磨けば磨くほど、球形が歪んできたり、つまみそこねて、何処かへ転がっていってしまったり。

三種類のヤスリが、デビアス・ダイヤモンドの「私の過去、現在、未来が輝くトリロジー」みたいだと思いましたが、そう話しても誰もわかってくれた人はいなさそうでした。(しょんぼり)
そんなふうにダイヤモンド、いえ木の珠を磨き上げて、次には祈りを込めながら数珠の珠を紐に通していきます。
紐はさまざまな色がある中から、直感で選びました。



形の同じ珠を入れ終わると、今度は真ん中にある磨いた珠に、飾りをつけます。
自分の干支の守り本尊の梵字が書かれた守り札が、めいめいに配られました。

手を動かしながら、一人の男性参加者に「チュートリアルの徳井に似てますね」と女性が話しかけました。
干支が酉と聞いて、みんな「徳井さん、あ、違った、鳥居さん」と話し出します。
ひとしきり話題が盛り上がってから「あれ、お名前は鳥居さんでしたっけ?」と聞くと、「いえ、タカハシです」と言われました。
違ったあ。
もうその頃には、私たちは「徳井さん」か「鳥居さん」としか思えなくなっていました。

またトリロジーのやすりで角を削って丸みを出し、紐に通します。
最後に、組紐をして、丈夫に編みこんでいきますが、これがなかなか大変で、何度も失敗しては、先生や永崎僧侶に助けてもらいました。
最後に、梵字の裏側にバーナーで自分の名前を手彫りしました。
ようやく完成~!
世界にたった一つの、私だけのお数珠です。



単に紐を通すだけかと思っていましたが、なかなかの作業でした。
苦労をしただけに、感激もひとしお。
みんな、達成感と充実感でニコニコになりました。

要所要所で、先生と一緒に精神を統一させながら、きれいな心で願いを込めて作ったお数珠。
聖地・高野山で作った数珠は、とっても効力がありそう。
大切に使っていきたいと思います。

◆ お坊さんドライブ

数珠作りにかなり時間がかかってしまったので、集合時間ぎりぎりになってしまいました。
永崎僧侶の車で宿坊まで送っていただきます。
大きな車の運転席に袈裟姿で座る僧侶。なんだか不思議な光景だわ。
黒い車に黒い袈裟がお似合いでした。(そういう話?)
よく見ると、反対車線を走ってくる車のドライバーはお坊さん率が高かったです。

学生時代に巫女をしていた時には、正装をした神主さんの運転で、近くの祠に祝詞を上げに行っていました。
そのことを懐かしく思い出します。
神主さんとお坊さんの運転に乗せてもらえたなんて、果報者です。

2日目その2に続きます。