風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

天空の郷、吊り橋三昧(本宮・湯の峰)1-3

2013-02-09 | 近畿(奈良・和歌山)
1-2からの続きです。

○ 熊野本宮
○ 神門の檜皮ぶき工事見学
○ 鳥石はどこ?
○ 大斎原(おおゆのはら)
○ 湯の峰温泉
○ あずまや荘

------------------------------------------

○ 熊野本宮

ここから熊野本宮を参拝します。迫力のある狛犬が、入口を守っています。



透き通った手水舎の水。



参拝したことがある私はわかっていましたが、初めて訪れたpinoは、長い石段を見て「うわあ~」と根をあげています。
神倉神社がハードでしたからね。写真は上からの光景です。



励ましながら上りきった先には、神殿に至る神門が・・・。
ん?あれ?
幌に覆われています。
「出雲参りした時もこうだったよ。ついてなーい」と肩を落とすpino。
私は、ベルリンのブランデンブルク門が修理中だったときのがっかり感を思い出しました。



それでも、門のむこうの神殿は、通常のままだったため、つつがなくお参りできました。



今回は、すばらしい神社ばかり参拝できて、ビリビリしすぎてどうにかなってしまいそう。
pinoは、ここでこそとおみくじを引いていました。
気になるお告げは「恋愛と勉強以外はよかった・・・」う、うーん、グッドラック。

○ 神門の檜皮ぶき工事見学

参道で「神門の檜皮(ひわだ)ぶき工事見学」の受付をしていたため、参加してみることに。
檜皮葺が好きなので、興味シンシン。



ヘルメットをかぶって、屋根周りに設けた足場を上っていくと、4人の職人さんが一心不乱に作業をしていました。
和歌山県文化財センター担当の方が解説してくれます。
今回のふき替え工事は約半世紀ぶりとなり、すでに社殿は昨年完成済みだとか。
老朽化にともない、屋根を確認してみたところ、樹皮の間に台風や大水害によるおびただしい泥が埋まっていたそうです。



職人は、1、2センチずつずらして重ねたヒノキの樹皮を、竹のくぎで固定していきます。
4人のスピードが合わないと、作業がまとまって進まないため、全員の息の合わせ方が大事。
1人が1日に仕上げられるのは1.5畳分でしかない、緻密な作業を目の当たりにして、感動しました。
仕上がった箇所を見て、その精緻さにまた感動。
どんなに時代が進んでも、人の手でしか成し得ない伝統技術はあるのですね。
二人で「職人ってかっこいい!」「すてきー!」と、手に職をもつ人のいなせさにポーッとしていました。



私たちと同じタイミングで、巫女さんたちもヘルメットをかぶり、続々と門の上に上がって見学していたので、「おや?関係者は事前に見ているわけではないのかしら」と思ったら、どうやらこの一般公開は、9、10日の二日間だけ行われたよう。
私たち、逆にとてもラッキーだったのね!シーズンオフに来ると、こういう珍しいこともあります。
ブランデンブルク門も工事見学やってたら、上に登れたのになぁ。(木製じゃなく砂岩製だけど)



巨大お守りにびっくり。ど、どこにつければいいの?

○ 鳥石はどこ?

前に熊野三社巡りをした時、母親に「鳥石(からすいし)は見た?」と聞かれました。
「神武天皇の道案内をした八咫鳥(ヤタガラス)が、案内役を終えてうずくまったのが、石になっている」のだそうです。
その時は見ていなかったので、今回は探してみたいところ。

でも、巫女さんに聞いても神主さんに聞いても「わかりませんね。うちではないです」と言われました。
う~ん、気になるわ。これは母に確認するしかありません。
ケータイが繋がらなかったので、久しぶりに公衆電話から家に電話をかけて聞いてみたら、「本宮じゃなくて、大社だったはずよ」と言われました。
本宮と大社って、言葉のイメージがまぎらわしいんですよね。
「今回、那智大社には行かないの?」
ええ、行きません。時間に余裕がなかったので「玉置神社に行くか、那智大社に行くか?」と聞かれて、迷わず玉置神社を選びました。
那智の滝はとても好きで、すごく行きたいのですが、玉置に行けるチャンスはそうそうないと思ったので。
そんなわけで、鳥石は今回お預けです。

紀伊から母親に、質問の電話をかける私を、pinoはおもしろそうに眺めていました。

○ 大斎原(おおゆのはら)

熊野本宮大社旧社地。初めて訪れます。
高さ34m、横42mの日本一高い大鳥居が建っていると聞いてはいましたが、実際に行ってみると本当に巨大で驚きました。



神が舞い降りたという大斎原は、熊野川・音無川・岩田川の合流点となっています。
ただその地形が災いして、明治22年の台風で流されてしまい、現在の本宮後に移転しました。



ここも澄んだパワーに満ちています。
そんな書き方をしていますが、私は霊感は全くなく、お化けや霊を見たことはありません。
特に宗教がかってもいません。ただ、気のエネルギーを感じるだけです。

大鳥居を抜けて、大斎原の中洲から、河原へと向かいました。
その昔、参拝者はは歩いて川を渡り、冷たい水で身を清めて、神域を訪れたそうです。
水に触れてみました。とても澄んでいますが、結構流れは速く、足を取られそうな気も。
普段ならしゃがみこんで河原を楽しむpinoですが、今回はiPhoneを落としたショックで、あまり水際には近寄りませんでした。



大斎原を前に浮かれる私(謎)。


○ 湯の峰温泉

それから、本日の宿、湯の峰温泉へと向かいます。
ここはぜひ来てみたかった場所。
1800年前に開湯された、日本最古の温泉です。
つまり2世紀、弥生時代ですよ!?
そんなに長い間、よく温泉が尽きないものです。



温泉街は小ぢんまりとしており、湯の谷川をはさんで立つ十数件の宿のみ。
それでも古めかしい情緒たっぷりでした。



通りを散策すると、辺りにはほのかに硫黄の香りが漂っています。
湯の谷川のあちこちから湯気があがっており、本当に温泉街なんだなあと実感。
「湯筒」では、ゴポゴポ湧出する豊かな熱湯で、地元の人や湯治客が卵や野菜を茹でていました。



岩風呂「つぼ湯」は世界遺産登録された世界初の温泉浴場。予約制で、入っている人がいました。
『小栗判官と照手姫伝説』の小栗判官が傷ついた身体を癒し、治癒させたというくすり湯です。





温泉街の中心にある東光寺にお参りしたかったのですが、もう夕方で閉まっていました。
ご本尊の薬師如来は、なんと湯の花の化石でできているそうなので、拝見したかったのですが。



○ 湯の峰民宿あずまや荘

民宿というよりも湯治場といった風情の宿。まずここのお風呂に入ります。
ここは本館である旅館あずまや荘のお風呂にも入られますが、宿の御主人は「うちの方がお湯は濃い」と言われていました。
「お湯からあがったらこれを」と、温泉水を渡されます。pinoは口に合うようで、ゴクゴク飲んでいましたが、私は硫黄の香りが気になって、あまり飲めませんでした。



夕食は、名だたる料亭で修行をしたという料理人の手による、おいしい御前でした。
温泉で炊いたという、温泉ご飯が出ます。初めて食べました。
鹿肉のタタキが出て、マタギ、いえジビエ気分になります。
さっき玉置山で見かけた鹿さんをちらっと思い出しました(…)。
ここの宿では、料理が一番心に残りました。



食後、今度は本館のお湯に入りに行きました。
浴衣でカラコロと木下駄の音を響かせながら、温泉街を歩くなんて、湯治風でなんとも風情がありますが、今は真冬。それどころではなく、とにかく寒い~~。



ガタガタ震えながら旅館に着き、温泉に入ってあたたまって、ほっと一息つきました。
旅館のお風呂は広くて落ち着きます。
くすり湯にもつかりました。



ほかほかに温まったので、帰りはもう寒くありません。
空には満点の星。うっとりと眺めながら、宿に戻りました。
初日から、実に盛りだくさんだった1日。1時前に就寝しました。

天空の郷、吊り橋三昧(玉置山・本宮)1-2

2013-02-09 | 近畿(奈良・和歌山)
1-1からの続きです。

○ 雷の滝
○ 玉置神社への山道
○ [世界遺産] 玉置神社
○ 道の駅「奥熊野古道 ほんぐう」
○ 八大竜王社
○ 十津川村
○ 道の駅ほんぐう

------------------------------------------

○ 雷の滝

国道169号線沿いの小森ダム付近に、落差20mの直瀑がありました。
「雷(いかづち)の滝」という案内板が立っています。絵になる滝、そして名前ですね。



それから、対向車が来たら通れないほど狭く長い田戸隧道を通って、今来た道を戻っていきます。





途中、R169が通行止めになっている箇所を見つけて、pinoのテンションが上がりました。そういえばあなたは廃道好き…。



ところどころで、山肌から滝が流れているのを見かけます。まさに自然の美。





ただ、それを詠じる余裕をもたせない、道の過酷さ。
助手席にいても、息詰まるような道のりです。

○ 玉置神社への山道

途中でR169をそれて、またもや山を登って行きました。
目指すは熊野三山の奥の宮、玉置神社です。
玉置山の標高1000m付近にある、山の奥深いお宮。

玉置川沿いに、どんどん上っていきます。
玉置神社はたまきじんじゃ、ですが、玉置川はたまいがわ、と読みます。
間違えそう。

玉置口から細い山道になり、なおも上って行きます。
ここに至るまでもかなり過酷でしたが、とにかくリミット超えしてしまったようで、なにかと記憶が飛んでいます。
写真もあまり残していませんし。
くねくねとした細い道を上っているところで、いきなり目の前のカーブに、急ハンドルを切りながら軽自動車が飛び出て来ました。
私たちの車を認めてかろうじてブレーキをきかせましたが、センターラインを大幅に超えており、突然の登場に、肝を冷やします。
運転しているのはおじいさん。助手席はおばあさん。こわい~~。
当のおじいさんは、ことの危険さがあまりわかっていない様子でしたが、運転手のpinoは完全にフリーズしていました。

駐車場が見つからず、神社の位置も分からなくなって、迷走し始めますが、迷っているうちに小さな看板を見つけました。
あまり大きな表示がないようです。
さらにぐぐっと標高が高くなったところには、こんな道が待っていました。



雪道ー!アイスバーンだったらどうしよう!
今までさんざん緊張してきましたが、ここに最高のピンチが待っていました。
(無理ならここで諦めるしかないかな)と思いましたが、行けそうだったので、そろそろと車を進めます。
雪装備を一切していない、軽自動車で!
向こう見ずにもほどがありますぜ!



pinoが雪道に慣れている人で、助かりました。
といっても、「こんな運転、したことない!」と悲鳴を上げていましたが。
この坂道をしのぎ切ったところに、駐車場はありました。
見渡す限り遠くまで連なっていく山々を見渡して、ほっと一息。晴れている日でよかったです。



「あれ、あそこに・・・」とpinoが指す方を見てみると、そこには鹿がいました。
北海道のようです。本格的な山の上まで来たんだと、動物からも実感できます。



○ [世界遺産] 玉置神社



広々とした駐車場に車を止めて、大鳥居をくぐります。
参道というより、林道のような道をしばらく歩いていきます。
あれ、すぐにお社があるわけではないのかしら?



途中で、道は二手に分かれます。左は身体の悪い方と書いてあり、見るからに左の方が楽そうな道ですが、誘惑に打ち克って、右の参道を通ることに。
どんどん下に下っていくので、「つまりは降りた分、また上がるっていうことよね?」と不安になります。



澄んだ高山の空気に満ち満ちており、次第に神聖な場所へといざなわれていく感じ。
なんというか、自然の揺らぎない力を感じます。木々も神も静かにしっかりと息づいている、まさにパワースポット。



参道の途中に、天然記念物の「枕状溶岩」がありました。
深い海の底から噴き出した玄武岩質マグマが固まったものが隆起して、今の玉置山が創られたそうです。
そもそもの山の成りたちからして、深遠広大です。



15分ほど歩き、すっかり辺りの神秘的な空気になじんだ頃、本殿が目の前に現れました。
日本最古の神社。荘厳な雰囲気に、声も出ません。
満ち足りた、揺るがぬ空気を感じます。
静謐な心になっておかないと、鳥居をくぐり、参拝することができないほどのオーラに満ちています。



ここも熊野三社と同じく、神武天皇ゆかりの神社。
東征のとき、この地で兵を休め、「十種神宝」の玉を置いて、武運を祈願されたことが、「玉置」の名前の由来となっているそうです。
これほどの山に登ったなんて、やっぱり神武天皇はタダモノではありませんね。



本殿後ろには、天然記念物の巨大な杉の木が何本もありました。
神代杉・常立杉・磐余杉・大杉など、樹齢3000年の御神木ばかり。
3000年って・・・途方もない長さですね。中国四千年の歴史に迫る勢いです。
神木ですが、おさわりOKの杉もありました。



心身ともに澄みきった、おごそかな気持ちになれました。
なんというか、身体じゅうがビリビリくる感じ。
宗教的意味というよりも、自然の深い霊気が織りなす聖域だと、肌で感じました。
うまく言葉になりませんが、すばらしい体験ができました。



龍の手水舎には水が張られておらず、柄杓には「奉 吹石一恵」と書かれていました。
かの女優さんもここを参拝したようです。
そういえば彼女は奈良県出身でした。

不思議体験で、皮膚感覚がわからなくなっていましたが、温度計は氷点下を指していました。



社務所そばの水道とその後ろの池は、ほとんど氷っていました。



暖かいお茶をいただいてから、帰ろうとしたら、荷物を抱えて社務所に向かう郵便局の人とすれ違いました。
こんな山奥までスリップの危険を冒して!すごいわー!
十津川村は、日本一郵便局員の数が多い場所でもあるそうです。みんな運転のプロなんでしょうね。



○ 道の駅「奥熊野古道 ほんぐう」

自然による清冽な浄化体験を経て、どこかぽーっとしながら駐車場へと戻る私たち。
鳥居を抜けたところで、はっと感覚を取り戻したのか「おなかがすいた」と言いだすpino。
そうは言っても、食べる場所はありません。
またそろそろと雪道を通り抜け、くねくねと下へ降りて行きます。



途中に「野菊街道」という表示がありました。
まあ、可憐だわ。民さんは、野菊のような人だ。僕は野菊が…
呟く私に返事をするどころではなく、pinoは激しい道の運転に集中しています。

○ 八大竜王社

林道を下っていく途中、折立橋のところで美しい滝を目にしました。



祠もあります。滝の名前はわかりませんでしたが、祠は八大竜王姫松明神でした。
洞穴の奥にあるような、神秘的な滝です。もちろん滝があるからこそ、竜王姫が祀られているのでしょう。
玉置神社帰りで、かなり感覚が麻痺していますが、ここでもぐいぐいと引き寄せられるようなパワーを感じました。

○ 十津川村

車は十津川村に入ります。でも今夜の宿はここではないため、素通り。
吊り橋がいくつもあって、テンションが上がります。
いよいよやってきました、吊り橋天国に!











キャッキャッと橋の写真を撮りまくる私を「明日通るから・・・」とクールになだめる、空腹でテンションが低くなっているpino。
明日通るわー!!

でも、はしゃいでばかりはいられません。
ここ十津川は、本当に細道でカーブが延々と続く、ドライバー泣かせの場所。
カーブミラーを良く見ていないと、うっかり事故につながりそう。
路肩が崩れそうになっている場所もあり、気が引き締まります。

○ 道の駅ほんぐう

道の駅に着き、ここでようやく遅い昼食タイム。うどん・めはり寿司セットにしました。



めはり寿司は、正直あんまりおいしくないと聞いていましたが、食べてみるとちゃんとおいしかったです。
ヘルシーですしね。それぞれ、違う高菜が入っていました。

1-3に続きます。

天空の郷、吊り橋三昧(新宮・瀞峡・北山村)1-1

2013-02-09 | 近畿(奈良・和歌山)
○ prologue
○ 南紀勝浦線
○ 早朝の新宮
○ [世界遺産] 神倉神社
○ [世界遺産] 熊野速玉大社
○ 川原屋横丁
○ R168ドライブ
○ 瀞峡(どろきょう)
○ 飛び地の北山村
○ 橋上の朝食
------------------------------------------

○ prologue

吊り橋好きとして、十津川村にある日本一長い鉄線の吊り橋を渡ってみたいと、ずっと気になっていました。
十津川は、奈良県の最南端に位置する、日本でいちばん広い村です。
日本の秘境としても名高い場所で、知れば知るほど行きたい気持ちが募りますが、2011年9月の台風12号で、村全体が甚大な被害を受けていたため、しばらく待ちの姿勢でいました。

去年の秋に、知人で奈良出身のイベントプロデューサー、テリー植田さんの企画した『十津川ナイト』に「日本一長い路線バス・奈良交通の八木新宮線に乗ってみたい!」という路線バス好きのpinoと一緒に参加し、そこで知り合った十津川村役場のマツミさんに、いろいろな情報を教えてもらって、ますます行きたい気持ちが膨れ上がりました。
復興もかなり進んだということで、春を待たずに出発することに。

はじめは八木新宮線に乗ってみたいと思っていましたが(特に相方が)、一日3本しかないし、いろいろと村を巡ってみたいため、レンタカーにしました。

それにしても十津川村って、知る人ぞ知るといった場所。
周りに聞いて回りましたが、旅行に行ったという人は、ほとんどいません。
子供の頃、家族旅行で行ったことがあるという人は、奈良(しかも南の橿原神宮)の人。

奈良のガイドブックを見ても、市内や西の京、斑鳩や飛鳥ばかりで、十津川はまず載っていません。
むむむ。思ったよりも情報収集が大変でしたが、秘境はそうでなくっちゃいけませんね。
奈良のアンテナショップ、まほろば館でも質問してみましたが、やっぱり頼りになったのは、十津川のマツミンさん。
いろいろと教えていただき、資料も揃えることができました。
どうもありがとうございます!





ただ、そのマツミンさんは、私たちの旅行中、なんと東京のまほろば館でイベントをするとのこと。
完全なすれ違いです。うーん、ちょっと心細さも感じながら、それでも出発の準備を進めました。

○ 南紀勝浦線

まず考えたのは十津川までのアクセス。
結構大変です。新宮行きの夜行バスが一番便利だろうということで、横浜からそれで行くことにしました。

当日、横浜へ向かう電車が乗客トラブルで遅れ、夜行バスに乗り遅れそうになって、大ピンチ。
バスの事務所に電話したら「うちは高速バスじゃなくて路線バスなので、停車場に待っていられないんですよ」と言われました。
えっ、路線バスだったの?高速バスとの違いってなにかしら?
そんなことを考えている暇はありません。今は頭よりも脚を動かさなくちゃ。
既に乗り込んでいたpinoのフォローもあり、駅からメロスダッシュしてなんとか間に合いましたが、(もし間に合わず、発車してしまっていたらどうしよう。もう風になって飛んでいくしか…千の風に~♪←いいから走れ)という緊張がなかなかほぐれず、足柄SAに着くまで心臓バクバクで寝付かれませんでした。
pinoにも心配をかけてしまったわ。散々延々注意されましたが、仕方がありません。

○ 早朝の新宮

朝の光がバスに差し込んできました。いい天気になりそう。
バスは尾鷲を過ぎ、七里御浜を通っていきます。
美しい浜辺が続くと聞いていましたが、反対側だったので、カーテンに隠れてよく見えず、残念。
pinoは、山側を眺めて(山並みがずっと続いていて、熊野はすごい)と稜線に見とれていたそうです。
今回の旅は、奈良メインでちょこっと和歌山なので、山がちの旅となります。
だからこそ、ちょっとでも海を見ておきたかったのにー。



新宮に着きました。パームツリーが生えているのに、外は寒い!あわててダウンを羽織ります。
すると、目の前を八木新宮線が通って行きました。これから長い道を通って、五條へと向かう長距離バス。
私たちは、レンタカーに乗り換えました。
車はPino。(←相方の名前の由来)
細いくねくね道が多いという十津川。軽じゃないと私には運転は無理そうです。

ただ、タイヤは普通のもの。
今回の旅行にあたり、奈良に詳しい人や車に詳しい人に相談してみたところ、誰もに「あの辺りは山の中なので、スタッドレスもしくはチェーン装備で行くように」と言われました。
でも、レンタカー会社では、スタッドレスタイヤの準備がないとのこと!(常夏?の和歌山だから?)
こわい~。
マツミンさんに「道路はまず凍らないので、大丈夫でしょう」と太鼓判を押してもらったため、信じてそのまま行くことにします。
マツミンさん、頼りにしてます~。でもそんなあなたは今は遠い東京の空の下ね。

村にはコンビニがないと聞いて、道中の食べ物に困らないよう、まずはイオンで朝食用のパンや夜のお酒を購入。
朝8時から開いているというのがすごいです。地方ってそういうものなのかしら?

○ [世界遺産] 神倉神社

向かったのは、神倉神社。熊野速玉大社の摂社で、ここが「元宮」、速玉大社が「新宮」とされているとのこと。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」のひとつです。
ここの石段は、すごいとは聞いていましたが、実際に入口に立ってみて、言葉を失います。
まるで人の侵入を阻むかのような、急勾配の積み石段。こ、これを上っていくの・・・?



でも、登らないとお参りできません。歩き始めました。
不規則な段差の石段が、体力の消耗を早めます。
それに夜行バスから降りたばかりの私たち。まだ食事前のため、空きっ腹で過酷さもひとしおです。
石段の横には柵もなく、断崖絶壁となっており、のぞき込んだら落ちそう。



聞きしに勝る激しい石段をヒーヒー言いながら上っていくと、途中の踊り場にいた地元の人に笑いながら「どこから来たの?」と聞かれました。
「あと三分の二くらいだから、頑張ってね」・・・ひー、まだ半分も行ってなかったのね!
でも、上の方は段も緩やかになっていたので、538段をなんとか上りきることができました。



鎮座していたのは、巨大なゴトビキ岩。
これはすごい。一見の価値があります。
ゴトビキ岩なんて、神代の神聖な言葉なのかなと思っていたけれど、ヒキガエルという意味だそうです。あれー。
岩に触れて、パワーをもらいました。今回は、きっといい旅になることでしょう。



すばらしい体験をすることができました。
岩からは、新宮市内とその向こうに広がる海が一望できます。



でも帰りの石段もやっぱりこわい!
下りの方が、前のめりになるからこわいんですよね。無事に下界に降りられて、ほっとしました。
道路から神社を見上げて、あらためてびっくり。あーんな高いところまで石段を登ったんだわ。



○ [世界遺産] 熊野速玉大社

次に向かったのが、速玉大社。
数年前に訪れた時と変わらぬ、静けさが漂っており、落ち着きます。
朱塗りが色鮮やか。
まだ朝早めだったので、境内は閑散としていましたが、おそらくこの連休中、大勢の参拝客が訪れることでしょう。



私は龍の手水舎が好きですが、ここの龍は、なんだか想像の象にも似ていました。
りゅう~さん、りゅう~さん、お~ハナが長いのね♪
でもカッコイイです。



狛犬はカワイイ感じ。
pinoが「口が開いている方が雄で、閉じている方が雌」と言いだしたので、「え? ちょっと待たれよ」と、ことの真義を正してしまいました。



境内の梛(なぎ)の大樹は、日本最大のナギで国の天然記念物。
見ているだけで生命力をもらえる感じ。
「さわりたーい」と手を伸ばしても届かないところを、pinoに笑われました。
神木なので、おさわり禁止のようです。



○ 川原屋横丁

そばにある川原屋横丁は、古い家並みが復活した川原家5軒が並ぶ小さな商店街です。
江戸時代、熊野河畔に建てられた折り畳み家屋の仮設小屋で、台風などの大水がありそうなときには、店をたたみ、その部材を持って避難したんだとか。
10時前だったせいか、お店は1軒しか開いていません。



たくさん並べられたみかんに交じって「じゃばら」がありました。
じゃばらとは、和歌山県の飛び地、北山村名産のかんきつ類。
ひとつ500円くらいする、高級種です。



それを眺めていたら、お店の人がじゃばらの説明をしてくれました。
ドリンクも売られており、じゃばらジュースに並んで「徐福茶」も売られています。

徐福といったら、秦の始皇帝に命じられて、不老不死の薬を探して日本に流れ着いたとされる人。
もしやこのお茶は、彼が探しだした不老不死茶「天台烏薬」(てんだいうやく)かしら?
するとお店の人は「茶葉はすぐそこで栽培してるのよ」と3mほど先にある植え木の所に連れて行ってくれました。
「へえ、これですか」
と言っている間に、お店のおばさんは手ごろな大きさにポキッと枝を折ったので、慌てます。
「これあげるわー」



はあ、と受け取っているうちに、おばさんは別の木にも手を伸ばしています。
「これはナギの木。新宮さんにもあったでしょう」
小さい可憐な木だったので「まだ若いんですね」と言ったら、「これで10年よ」とのこと。
推定樹齢1000年の新宮のナギの大樹を見たあとなので、どうしても若木に思えてしまいます。



「これは葉っぱが縦にちぎれないから、永遠の愛のお守りになっているの」と、はっぱをもらいます。
受け取っているうちに、またもや手ごろな長さの枝をポキッと折っているおばさん。
再び慌てる私に「これもあげるわー」と手渡してくれました。



あれこれいただき、いろいろと教えてもらったので、ここでじゃばらサイダーと徐福茶を購入。
ちなみに「じゃばら」は「蛇腹」じゃなくて「除払」と書くそうです。
字が違うだけで、ぜんぜんイメージが違ってきますね。



○ R168ドライブ

そろそろ新宮を後にします。
冬だけどかき氷の有名なお店もチェックしていましたが、「かき氷は食べない」というpinoに却下されました。
新宮と五條を結ぶR168沿いに車を走らせます。
吉野熊野国立公園の熊野川沿いにひた走り、町を抜けるとすぐに山の中に入った感じ。
道中、すてきな橋があったり、滝がちょこちょこあったりして、ゴキゲンです。







しばらく行ったところに、道の駅「瀞峡街道 熊野川」を見つけたので、休憩のために止まりました。
えっ、でもここ、道の駅…?
何もありません。建物すらないなんて…。
「シーズンオフだからやっていないのかな」と話しましたが、どうやら台風12号による大水害で施設が流れてしまったそうです。
目の前を日の光を受けながらキラキラと穏やかに流れて行く熊野川が、牙をむいて襲いかかってきたんですね。
すさまじい自然の猛威を感じます。



自然が気持ちよく、川原におりてみました。
澄んだ川の水に触れて、その冷たさを確かめていたら、隣で「うわ!」と叫び声が。
pinoがiPhoneを落としてしまい、てんやわんや。
台風でなくても、自然は時に人にダメージを与えるものです…。



ショックで放心状態のpinoを助手席にして、ここからは私がハンドルを握りました。



○ 瀞峡(どろきょう)

国道の快適なドライブを楽しんで…はいられません。
進むたびに、どんどん道は狭くなっていきます。
カーブも多いし。集中を切れさせるわけにはいきません。



途中で、R169に変わりました。ますます道は過酷になっていきます。
ここまで来るのに道はすっかり山の中に入り、そしてずいぶん細くなっています。
もう道幅は、1台分しかありません。
なのに、どういうわけか、反対側からやってくるダンプカーが多いのです。
「トレーラーの通行禁止」という表示はありますが、「この先ダンプ多し」という表示もあります。
どういうこと?
と考えているうちにも、どんどん大型トラックがやってきて、すれ違うのに場所を探すのに必死。
こわごわやり過ごします。

運転に全く自信のない私。ハンドルを握るのも久しぶりです。
そんな私に命を預けているpinoも、気が気ではない様子。
緊張した空気の中、必死に山道を越えて行きました。

そのうち、奈良県に入りました。「うわあ、十津川村に入ったー!」と私。
竹筒地区です。「またすぐ出るけどね」とpino。
R311との分岐後は、蟻越峠に向けての登りになっていきます。
国道とは思えない道の険しさ!
ヘアピンカーブがたくさんあって、泣きが入ります。
まさに人呼んで“紀伊半島のチベット”!



この辺りは瀞峡と言われる景勝地。美しい渓谷が続きますが、のぞくとすぐにハンドルに響くため、「落ちるから見ちゃだめ」とpinoに言われます。
ちらちら見える絶景が、運転する身にとっては恐怖を誘います。きゃあ。
まさに激狭道。いろいろひどくて、逐一書き連ねたいところですが、恐怖の中で集中していたので、かなり記憶が飛んでいます。
今度は三重に入りました。

○ 飛び地の北山村

三重からすぐに和歌山になります。
長さ2㎞以上もある瀞峡トンネルを走り抜けると、この先は長く車両通行不能区間が続いた区間。
長さ1389mの東野トンネル、長さ306mの有蔵トンネル、長さ734mの小松トンネルと、これでもかと言うばかりにトンネルが続きます。
普段なら「トンネルは暗いし、距離感がつかめなくなるから苦手」と思うところですが、外の道があまりにひどい狭クネルートのため、まっすぐなトンネルがとってもありがたく感じます。

山の中の鬱蒼とした林から抜け、突然視界が広くなったと思ったら、そこは到着地の北山村でした。
飛び地の聖地と言われる、全国でここだけ、日本で唯一の飛び地の自治体です。
面積48.21km²、総人口466人!(2012.12段階)



離れ小島のようですが、別に三重や奈良が嫌いというわけではなく、もともとこの地域は林業が盛んで、木材を下流の新宮まで川に流していたため、新宮との結びつきが強く、住民投票で和歌山県であることを望んだそうです。飛び地村であるがゆえに周辺と合併することもなく存在しているというのも、なんだか不思議。
ロシアのカリーニングラードという都市を学んでから、飛び地という場所の存在を知りましたが、実際に飛び地を訪れたのはこれが初めてです。
もちろん、県境の町ということになります。
さっき買ったじゃばらサイダーの原産地ですね。

「道の駅おくとろ」でひと休み。
ここも、まったくひと気がありませんでしたが、隣はオートキャンプ場やバンガローがある、広い敷地の「おくとろ公園」でした。



まさに秘境。過酷な奥瀞道路に今度は私がすっかり放心状態になったため、運転はpinoに変わります。

○ 橋上の朝食

マネの『草上の昼食』風にしてみました。
旧道が好きなpinoは、運転しながらいつも旧道を探しています。
田戸橋のバス停のところから、少し横にそれる旧道を見つけて、行ってみることにしました。



工事中の時間が書かれた看板を見つけ、あと数分だったので、静かに待ちます。
まるで車は通りませんでしたが、うっかりダンプカーとはちあわせしたくありませんからね。



葛野大橋の横にある田戸橋に行ってみました。



完全に、車は通りません。メインの大橋の方も、車は通らず。
これは、葛野大橋から見た田戸橋です。



こちらは、田戸橋から見た葛野大橋。



近景はこんなにモダンです。



そこで、田戸橋の真ん中で、車を止めてみました。



外に出て、下をのぞき込みます。く~っ、谷底までの落差がすごくて引き込まれそう!



こわいですが、気持ちいい!



ここで朝食にしました。
橋の真上で車を止め、窓を開けてパンを食べました。うーん、気持ちがいい!
新橋を眺めながら、旧橋の真ん中で食事をするなんて、なんという贅沢!!こんなこと、初めてです。
素敵な体験ができました。

1-2に続きます。

2. 2011秋-京都(奈良、山科)-2

2011-11-24 | 近畿(奈良・和歌山)

東大寺参道で昼食をとった後、歩いて興福寺に行きました。
法相宗の大本山とのことですが、法相宗を全く知らないことに気づいて、(大本山に来ていながら~)と心の中で青ざめました。



五重塔がサマになっています。その隣は東金堂。
一番大きな中金堂は、すっぽりと幌に覆われてしまっていました。 なんと、昨日法要を済ませ、再建が始まったとのことです。
バッドタイミングすぎ~。 完成は8年後だとか。ずいぶん先ですね。

 

北円堂、南円堂は、小ぢんまりとした中国風の八角形のかわいいお堂でした。
東金堂にも入りました。本尊が薬師如来像で、両脇に日光・月光菩薩像が鎮座しています。
四天王像(国宝)の目がまん丸で、あまりにつぶらでいたいけな瞳だったので、3人で「キュート!」「これじゃあ怖くないね」と笑いました。
彼らが抑え込んでいる邪鬼も、やっぱり同じ、あどけない丸い黒目をしていて、なんだかほのぼのしました。

それから国宝館に入りました。 昨年上野で開催された興福寺展を観に行き、そこで阿修羅像などの乾漆八部衆像や乾漆十大弟子像には会っています。
前にもここを訪れたことはありますが、新築されてからは初めて。 照明の当て方など、ぐっと本格的になっており、今までの国宝館とは雲泥の差がありました。
阿修羅像ももちろん素敵ですが、私はガルーダ頭の迦楼羅(かるら)像の方がお気に入り。

 

それから三重塔に行きました。敷地内に五重塔と三重塔があるなんて、贅沢です。
どことなく品のある優雅な感じが、すてきでした。

手水舎の竜の角に、誰かの落し物と思われる髪飾りがかかっていました。
「竜美です♪」うーん、顔は怖いけど、なんかかわいい!

 

それから猿沢池まで下がって、池ごしに五重塔を眺めました。
ここからの景色のために、庭師たちは常に計算して木の枝を伐採しているんだそうな。 完成された遠景というわけですね。



「もちいどのセンター街」に入りました。ここ、「もいちど(もういちど)のセンター街」だとずっと思っていました。
「センター街アゲインって名前がおもしろい!どうして?」と奈良に詳しい人に聞いたら、「センター街があって、さらに続くからじゃない?」と言われたのをうのみにしていたんですが、冗談だったのか、彼も勘違いしていたのか、どっちかしら?
地名が餅飯殿(もちいどの)だからですね!



岡本太郎作の巨大な手がありました。横浜元町の、ダニエル家具店の前にある巨大な椅子を思い出します。
座ってみたくてたまりませんでしたが、どうやら許されていなさそうなので、諦めました。

奈良駅周辺の散策を済ませ、京都へ戻りました。
まだ日が高いので、阪急から地下鉄に乗りついで、毘沙門堂に行くことにします。
山科の毘沙門堂は、遠いイメージがあって、行ったことがありませんでしたが、今年の「そうだ 京都、行こう。」の秋の場所なので、親もチェックしていました。  

ガイドブックにも載っていないため、山科駅に下りてから、駅員さんに道を聞いて向かいました。
一本道にさしかかると、歩道の両側から、ものすごい数の人が歩いてきます。何社ものツアー客のようです。
また、すれ違うのも大変な細い車道は、車でごったがえしています。
大型バスが入れないほど細い道のため、何台ものマイクロバスやタクシーに乗り換えて向かうツアー客が多いとわかりました。 人気ぶりに圧倒されます。



すてきなイメージCMで流れたら、誰だって行ってみたくなりますよね。
以前、光明寺が採り上げられた時も、郊外の静かな場所に観光バスが大挙して、すさまじい混雑になっていました。
ここも激混み必至。人の波に圧倒されながらも黙々と向かいました。

歩くこと10分強、長い石段を上ってお堂の前に着きました。
ただ、今年はどうも紅葉がまだピークを迎えていません。
青々としているもみじも残っており、CMのように真っ赤な世界ではありませんでした。
「CM上の演出があります」と但し書きされているので、実際以上の映像になっているんでしょう。 お坊さんの説明は、面白くて楽しいものでした。



名前の通り毘沙門天をお祭りしている場所ですが、戦いの神様だとばかり思っていた毘沙門様は、実はけっこうお金持ちだということ。
朝昼晩と、お金を燃やしていたんだそうです。 毘沙門天とお金の話が結びつかずにびっくりしました。イメージが変わっちゃったわ。



角度によって動いて見えるふすま絵も、数点紹介してくれました。
夕暮れが近づき、私たちが最後の説明ツアーだと聞いていましたが、その後も駆け込みの参拝者が大勢見えたようで、別のお坊さんが追加で説明をしていました。
お寺の人たちも「こんなに賑わったことは今までない」と、面食らっているご様子でした。



ほかの場所よりは、紅葉は鮮やかで美しいのですが、やっぱりあの一面赤い世界になったCMがすごすぎたので、ちょっと残念感はあります。
「あのCMの石段はここだね」「落ち紅葉はないね~」と言っていたら、よその人たちも「ここを見るために、普段より高いツアー料金を払ってきたのに~」とブツブツ言っていました。
まあ、CMの中の京都は夢の国ですから。それにお寺に罪はありません!



お寺をあとにし、山科駅に戻った頃には、もう夜になっていました。
それから京都駅に戻り、宿へ向かいます。 私のリクエストで、MKタクシーに乗りました。
噂通り、きちんと帽子をとって挨拶してくれ、ドアを開け閉めてくれる、丁寧なタクシーでした。

この日の宿泊は、智積院の宿坊です。前から気になっていた、評判のいい宿坊です。
夕食は、精進料理でした。 



部屋は普通の旅館とほぼ変わらず、浴衣もタオルもありますが、一番の違いは、いろいろな時間制約があるという所です。
門限が22時で22時半には全館消灯、早朝には朝のお勤めに参加しなくてはなりません。
大変ですが、非日常的でワクワクしますね。22時半に、眠りにつきました。