○ 朝風呂
○ 海岸ドライブ
○ 岩首談義所
○ 養老の滝
○ 棚田見学
○ 昼食は佐渡グルメ
○ 認証米農家と田んぼ
○ 両津郷土資料館
○ 佐渡から帰る
○ epilogue
1日目からの続きです。
○ 朝風呂
この日は朝からあいにくの雨。
部屋の目の前に加茂湖が広がります。湖に浮かんでいるのは、牡蠣筏です。


朝風呂に入り、朝食をいただきます。
トビウオのつみれ汁が出ました。トビウオを食べるのは、これが初めて。
ジェットフォイルに乗ってトビウオを食べて、自分も水の上をヒラヒラ飛べそうな気持ちになってきます。
隣室の二人は、昨日10時に寝たとのこと。
「えっ、私2時ですよ」と驚きました。
「食事の後、することなかったから」と二人。
私は10時過ぎまでゆっくりお茶を飲み、おなかが落ち着いてから再び温泉に入り、12時くらいに部屋に戻り、それから日記を書き、いただいた膨大な資料を読んでいたら、普通に2時になったんですが…。
4時間も睡眠時間が違うなんて。車の中で寝てしまわないといいけれど。
○ 海岸ドライブ
まずは南東海岸部の岩首という集落に向かいます。
1時間のドライブ。佐渡は結構大きな島なんですね。
そういえばここは沖縄の次に面積の広い島でした。
途中、大きな工事用キャタピラ車が、公道を横切って行きました。
人が進行方向にタイヤを置き、その上を車が通って行きます。
「あ~、キャタピラはゴムをつけないと違反なのに」とアンボさんが言い、私はそういうものかとまじまじと観察しました。
キャタピラ自体、縁がない車で、私にとってCaterpillarといったら、いも虫になるので、イメージが違いすぎます。
確かにあの戦車についているような、ベルトコンベアみたいなもの(名前がわからない)では、アスファルト道路に穴があいてしまいそうですね。
のんびりしている島の光景でした。
「ここは国道350号で、唯一海中を通る国道航路でもあるんですよ」と観光協会のダイヤさんが教えてくれました。
なんと!なぜ?それどんな車が通るんですか?
この前参加した「酷道ナイト」でも紹介されませんでした!(あっ酷い道じゃないからか)
佐渡は東京23区の1.4倍の面積で、人口は6万3千人。
まったく人混みがなく、暮らしやすそうですが、「バスは1日3本。朝昼晩!」と聞いて、車がないと生きていくのは無理ね~と思いました。
清水寺、長谷寺といった、有名な名前のお寺もありますが、清水寺はせいすいじ、長谷寺はちょうこくじと、ほかとは違う読みになっているのも不思議。
雨模様ながら、海岸線を通っていくので快適。
海の向こうには本州が見えました。なかでもくっきりと見える山の稜線があり、弥彦だそうです。
○ 岩首談義所
岩首は、67戸、人口140人余りの小さな集落でした。
載っていない佐渡の地図もあるほどです。

旧岩首小学校の木造廃校舎を利用した地域の交流施設(談義所)の中を見せてもらいました。
木造校舎はすごく味があります。親が小学生の頃にタイムスリップした感じです。
ミシミシいう木張りの廊下を歩いていくと、たくさんの手作り竹灯籠がありました。
荒廃した竹林の再生にも乗り出しているそうです。

校舎の前には百年桜もありました。古い校舎の横で咲き誇る大桜。さぞ絵になることでしょう。
トキの写真もたくさん飾られていました。「本物が見られないからって、みんなこの写真を撮っていくんだよ」と言われ、私も撮ってみたら「環境庁に頼めばもらえるのに」と二人に笑われました。
環境庁の画像です。パネルを撮影したため、反射しています。

○ 養老の滝
養老の滝に連れて行ってもらう途中に、金鉱を掘った穴の横を通りました。中は真っ暗で、今は蝙蝠の巣になっているそう。
滝の看板のある道路近くには、砂防ダムがあり、それもなかなか立派なので、養老の滝と勘違いして帰る人が多いとのこと。
いやでも砂防ダムはコンクリですから!
実際には、そこから歩いて少し奥へと入って言った場所にあります。
滝の高さは29m。修験道の修行の場所ということで、確かに凛とした空気が張り詰めていました。


○ 棚田見学
車はどんどん坂を上っていき、標高300mにある学生たちが作ったという展望小屋「空のまめらか家」から棚田と集落を見渡しました。
「まめらかや?」とは「お元気ですか?」という意味だそうです。
登っている時にはよくわかりませんでしたが、上からだと棚田の全貌がよくわかります。
晴れた日には、本州の新潟市の建物まで見えるとのことです。

そもそも佐渡は、金銀山の開発でゴールドラッシュとなり、人々が急増してお米がどんどん必要になったため、平地だけでなく傾斜を使って新田開発が行われるようになったとのこと。
棚田と金山は強い結びつきがあったんですね。
過疎と高齢化、日本人の食生活の変化による減反などで、一旦は半数近く減少したものの、今また努力により増え始めているとのことです。

2011年に日本で初めて、佐渡がFAOに世界農業遺産(GIAHS)として認定されました。
トキと共生を目指す佐渡の里山の農業システムが評価されたのです。

そこで、日本各地から視察団がやってきているとのこと。
先日、姨捨の棚田の収穫風景を見てきたばかりですが、棚田のある姨捨や阿蘇からも見学に来たそうです。
田んぼを手放す人も多いため、後継者問題があると聞いて、姨捨の棚田のオーナー制度の話をしてみました。
あそこはいったん市が買い取っているそうで、こことはシステムが違うようです。
棚田の景観を維持していくために、棚田米のブランド化なども考えられているそうです。
一番美しいのは、田植えが済んで水を張った4~5月とのこと。
まさに「田毎の月」の頃ですね。きれいでしょうね。
○ 昼食は佐渡グルメ
昼食は、町の長三郎というお店で。
前日もここで、みなさん佐渡グルメの「ブリカツ丼」を食べたそうです。
「今日頼んだら?」と言ってもらいましたが、お店はお寿司屋さん。
やっぱりここまで来たら、佐渡のお寿司も食べてみたいものです。
ダイヤさんは、佐渡のブリカツ丼宣伝隊長のようですので、申し訳ないと思いながらも、ブリカツ丼はまたの機会にして、みんなと同じく「寿司とラーメンセット」にしました。
・・・ん?寿司とラーメン?
これまた和中折衷の、すごい取り合わせですね。見たことありません。
そもそも、お寿司屋さんでラーメンを出すって、アリなんですね~。
でも、かなり人気のようで、ほかのテーブルからもこのメニューの注文がよく聞こえました。

出てきた料理にびっくり。お寿司もラーメンも、普通に一人前という感じ。
満腹になる前にお寿司から食べようかしら。でもラーメンものびちゃうし・・・。
など、食べる順番を悩んでしまいました。
お寿司はとっても美味しかったです。ラーメンも食べやすいあっさり味でした。
ここは人気のお店のようで、大盛況。
佐渡でいちばん大勢の人を見た場所でした。
○ 認証米農家と田んぼ
それから、昨日NPOの方に説明を受けた、認証米の生産現場へと行きました。
「朱鷺と暮らす郷米」という認証米を作っている農家のツチヤさんです。
トキの里山として定住させたいというところから、トキのえさ場にもなるように、1.5haの田んぼを10年間整備しているとのこと。
放鳥して5年のうち、ヒナは8羽集まったそうです。
ビオトープや江について説明してもらいました。
このビオトープという言葉、知っているつもりでいましたが、話を聞くと私の考えていたものとは少し違いました。
ぶどう畑とか、ブドウに関係するものかと思っていたのです。おそらくフランス語でぶどうがvigne(ヴィーニュ)、ぶどう畑がvignoble(ヴィノーブル)だからでしょう。
あとはショスタコーヴィチの『ピオネールは木を植える』を、思い出します。
まあ、あのオラトリオは彼が緑化事業をテーマに作ったものだそうなので、当たらずとも遠からずなんですが。
ビオトープとは、生き物が住める水や草木がある田んぼのこと。
江とは、田んぼ内の小川や深みといった水路のこと。

認証米農家は、放鳥されたトキが田んぼでドジョウやカエルを捕れるように「農薬・化学肥料を5割以上削減」「農薬は除草剤のみ」「冬季に水をためる」といった、生き物と共生する農法を守っています。
「今日は雨だから、トキもいないね」と車の中で話していましたが、ツチヤさんは「さっきトキが飛んできたよ」と言っていました。
もうトキのねぐらも知っているそうで、まさに共存生活を送られているんだなあと感じます。
すべての田んぼを、鋤で起こしているとのこと。大変な苦労があることを、目で見て実感しました。
納屋に案内していただくと、何台もの農耕機があり、見たこともないような大型コンバインにびっくり仰天。
これで攻撃されたら、勝ち目はありません。←!?


佐渡の認証米は、手間暇かけて、トキにも人にもとことん優しい作り方をしていることがわかりました。
通販もしているとのことで、今度お取り寄せしてみようと思います。
○ 両津郷土資料館
最後に、両津郷土資料館へと向かいました。
今まで一度も本州とつながったことがない佐渡島は、独特の文化が発展しています。
佐渡人形芝居の文弥人形やのろま人形(狂言的)が展示されていました。
ダイヤさんは、学芸会で披露したことがあるそうです。
世界無形文化遺産の能は、もともと、農民が神社へ奉納した神事として広まったものだそう。
佐渡には能舞台が33あり、それは全国の3分の1にもなる多さです。
島の能を盛んにした世阿弥ですが、彼のお墓はここにはないのだとか。
生前中に配流を解かれて、京都へと戻っていったそうです。
ところで世阿弥が佐渡に流されたのは71歳だったとのこと。
そこから7年間佐渡に滞在したそうですが、そんな高齢だったとはビックリです。
おじいさんを寒い場所に島流しにするなんて、時の将軍(6代将軍義教)は無慈悲ですね!
3人の早乙女が、周りながら外へ外へと植えていく「車植え」という苗植え法が紹介されていました。
初めて見る植え方です。まるでストーンサークルを作っているよう。
もっと言うなら、「早乙女」とは人の名字だと思っており、「田植え日に苗を植える女性」という意味さえ知りませんでした。
私は、農業についてほとんど知らないんだなあとつくづく思います。

金山で大勢の人が働いたことで、米が消費されて佐渡の稲作が進み、人が増えたことで能や人形芝居といった伝統芸能も発展したわけですね。
全ての地域産業が結びついていることに気付きます。
やはりそれは、ここが金の島だったからこそです。
「佐渡おけさって、女性が踊るイメージが強いですが、女性だけなんですか?」と聞いたら、「そうでもないですよ」とのこと。
もともとは、島に着いた猟師に、玄人女性が「一緒に踊りましょうよ、こんな風に、さあ」と誘う踊りだったんだとか。
それはびっくり!阿波踊りに似ているけれど、もっとゆっくりしたお上品な踊りだと思っていたのに!
今回、たらい舟に乗れなかったのが少し心残りの私。
佐渡でも、小木という港でしか行われていないようです。
なぜかと聞いたら、小木では入り江が入り組んでいて船が入れないため、小さなたらい船を使って磯の生物を取るからだとか。
バランスを取るのが難しそうなので、「ひっくり返りませんか?」と聞いたら、「聞いたことないなぁ」と観光協会の人たちで顔を見合わせました。
転覆したためしがないのなら、安心!いつか一寸法師ごっこをしてみたいです。
○ 佐渡から帰る
両津港で、観光協会の人たちとお別れしました。
いろいろお世話になりました~!
佐渡島はいろいろと魅力に富んだ場所だというのが、今回の旅でよくわかりました。
個人的に気になる吊り橋は特にないとのことですが、おもしろい地層が島中に見られ、ジオパークとしてもいろいろ魅力に富んでいて、興味シンシン。
また、島には掛け流しの源泉が8つあるそうな。
これは知りませんでした。もっと温泉をアピールしてもよさそうです。
新潟は50Hz、佐渡は60Hzと電力が違うことにもビックリしました。
電力も分け合えないなんて、かなり新潟から独立していますね。
以前は、新潟から佐渡に引っ越ししたら電気製品を買い替えなくてはならず、不便だったことでしょう。

両津港で、おけさ柿の自動販売機を見つけました。
前日夜に食べたおけさ柿。種がなくて、甘くておい~しかったです。
渋抜きをした渋柿なんだとか。
もちろん買いましたよ!うふふ~。

また、佐渡のすかし百合の球根が売られていたので、百合好きの母のお土産にしました。
観光協会の方からは、無名異焼の器をいただきました。
金山山中の土で作ったもので、使い込むほどに光沢が出るそうです。

行きは孤独な行程でしたが、帰りのジェットフォイルでは寝て、新幹線ではアンボさんとおしゃべりをして、楽しく帰途に着きました。
帰りの新幹線では、華やかな舞妓さんたちが前の席にいました。
『雪国』の世界だわ。

○ epilogue
今回は、環境省や市、NPOや農業従事者の方々から説明をしてもらい、トキの野生復帰に向けて、島全体が努力をしていることがよくわかりました。
行くまでは、寒い孤高の離れ島というイメージが強かった佐渡島ですが、実際に訪れてみると、土地も文化も食も豊かでのどかな、暮らしやすそうな島でした。
日本の原風景が残っている佐渡島。またぜひ訪れたいです。
○ 海岸ドライブ
○ 岩首談義所
○ 養老の滝
○ 棚田見学
○ 昼食は佐渡グルメ
○ 認証米農家と田んぼ
○ 両津郷土資料館
○ 佐渡から帰る
○ epilogue
1日目からの続きです。
○ 朝風呂
この日は朝からあいにくの雨。
部屋の目の前に加茂湖が広がります。湖に浮かんでいるのは、牡蠣筏です。


朝風呂に入り、朝食をいただきます。
トビウオのつみれ汁が出ました。トビウオを食べるのは、これが初めて。
ジェットフォイルに乗ってトビウオを食べて、自分も水の上をヒラヒラ飛べそうな気持ちになってきます。
隣室の二人は、昨日10時に寝たとのこと。
「えっ、私2時ですよ」と驚きました。
「食事の後、することなかったから」と二人。
私は10時過ぎまでゆっくりお茶を飲み、おなかが落ち着いてから再び温泉に入り、12時くらいに部屋に戻り、それから日記を書き、いただいた膨大な資料を読んでいたら、普通に2時になったんですが…。
4時間も睡眠時間が違うなんて。車の中で寝てしまわないといいけれど。
○ 海岸ドライブ
まずは南東海岸部の岩首という集落に向かいます。
1時間のドライブ。佐渡は結構大きな島なんですね。
そういえばここは沖縄の次に面積の広い島でした。
途中、大きな工事用キャタピラ車が、公道を横切って行きました。
人が進行方向にタイヤを置き、その上を車が通って行きます。
「あ~、キャタピラはゴムをつけないと違反なのに」とアンボさんが言い、私はそういうものかとまじまじと観察しました。
キャタピラ自体、縁がない車で、私にとってCaterpillarといったら、いも虫になるので、イメージが違いすぎます。
確かにあの戦車についているような、ベルトコンベアみたいなもの(名前がわからない)では、アスファルト道路に穴があいてしまいそうですね。
のんびりしている島の光景でした。
「ここは国道350号で、唯一海中を通る国道航路でもあるんですよ」と観光協会のダイヤさんが教えてくれました。
なんと!なぜ?それどんな車が通るんですか?
この前参加した「酷道ナイト」でも紹介されませんでした!(あっ酷い道じゃないからか)
佐渡は東京23区の1.4倍の面積で、人口は6万3千人。
まったく人混みがなく、暮らしやすそうですが、「バスは1日3本。朝昼晩!」と聞いて、車がないと生きていくのは無理ね~と思いました。
清水寺、長谷寺といった、有名な名前のお寺もありますが、清水寺はせいすいじ、長谷寺はちょうこくじと、ほかとは違う読みになっているのも不思議。
雨模様ながら、海岸線を通っていくので快適。
海の向こうには本州が見えました。なかでもくっきりと見える山の稜線があり、弥彦だそうです。
○ 岩首談義所
岩首は、67戸、人口140人余りの小さな集落でした。
載っていない佐渡の地図もあるほどです。

旧岩首小学校の木造廃校舎を利用した地域の交流施設(談義所)の中を見せてもらいました。
木造校舎はすごく味があります。親が小学生の頃にタイムスリップした感じです。
ミシミシいう木張りの廊下を歩いていくと、たくさんの手作り竹灯籠がありました。
荒廃した竹林の再生にも乗り出しているそうです。

校舎の前には百年桜もありました。古い校舎の横で咲き誇る大桜。さぞ絵になることでしょう。
トキの写真もたくさん飾られていました。「本物が見られないからって、みんなこの写真を撮っていくんだよ」と言われ、私も撮ってみたら「環境庁に頼めばもらえるのに」と二人に笑われました。
環境庁の画像です。パネルを撮影したため、反射しています。

○ 養老の滝
養老の滝に連れて行ってもらう途中に、金鉱を掘った穴の横を通りました。中は真っ暗で、今は蝙蝠の巣になっているそう。
滝の看板のある道路近くには、砂防ダムがあり、それもなかなか立派なので、養老の滝と勘違いして帰る人が多いとのこと。
いやでも砂防ダムはコンクリですから!
実際には、そこから歩いて少し奥へと入って言った場所にあります。
滝の高さは29m。修験道の修行の場所ということで、確かに凛とした空気が張り詰めていました。


○ 棚田見学
車はどんどん坂を上っていき、標高300mにある学生たちが作ったという展望小屋「空のまめらか家」から棚田と集落を見渡しました。
「まめらかや?」とは「お元気ですか?」という意味だそうです。
登っている時にはよくわかりませんでしたが、上からだと棚田の全貌がよくわかります。
晴れた日には、本州の新潟市の建物まで見えるとのことです。

そもそも佐渡は、金銀山の開発でゴールドラッシュとなり、人々が急増してお米がどんどん必要になったため、平地だけでなく傾斜を使って新田開発が行われるようになったとのこと。
棚田と金山は強い結びつきがあったんですね。
過疎と高齢化、日本人の食生活の変化による減反などで、一旦は半数近く減少したものの、今また努力により増え始めているとのことです。

2011年に日本で初めて、佐渡がFAOに世界農業遺産(GIAHS)として認定されました。
トキと共生を目指す佐渡の里山の農業システムが評価されたのです。

そこで、日本各地から視察団がやってきているとのこと。
先日、姨捨の棚田の収穫風景を見てきたばかりですが、棚田のある姨捨や阿蘇からも見学に来たそうです。
田んぼを手放す人も多いため、後継者問題があると聞いて、姨捨の棚田のオーナー制度の話をしてみました。
あそこはいったん市が買い取っているそうで、こことはシステムが違うようです。
棚田の景観を維持していくために、棚田米のブランド化なども考えられているそうです。
一番美しいのは、田植えが済んで水を張った4~5月とのこと。
まさに「田毎の月」の頃ですね。きれいでしょうね。
○ 昼食は佐渡グルメ
昼食は、町の長三郎というお店で。
前日もここで、みなさん佐渡グルメの「ブリカツ丼」を食べたそうです。
「今日頼んだら?」と言ってもらいましたが、お店はお寿司屋さん。
やっぱりここまで来たら、佐渡のお寿司も食べてみたいものです。
ダイヤさんは、佐渡のブリカツ丼宣伝隊長のようですので、申し訳ないと思いながらも、ブリカツ丼はまたの機会にして、みんなと同じく「寿司とラーメンセット」にしました。
・・・ん?寿司とラーメン?
これまた和中折衷の、すごい取り合わせですね。見たことありません。
そもそも、お寿司屋さんでラーメンを出すって、アリなんですね~。
でも、かなり人気のようで、ほかのテーブルからもこのメニューの注文がよく聞こえました。

出てきた料理にびっくり。お寿司もラーメンも、普通に一人前という感じ。
満腹になる前にお寿司から食べようかしら。でもラーメンものびちゃうし・・・。
など、食べる順番を悩んでしまいました。
お寿司はとっても美味しかったです。ラーメンも食べやすいあっさり味でした。
ここは人気のお店のようで、大盛況。
佐渡でいちばん大勢の人を見た場所でした。
○ 認証米農家と田んぼ
それから、昨日NPOの方に説明を受けた、認証米の生産現場へと行きました。
「朱鷺と暮らす郷米」という認証米を作っている農家のツチヤさんです。
トキの里山として定住させたいというところから、トキのえさ場にもなるように、1.5haの田んぼを10年間整備しているとのこと。
放鳥して5年のうち、ヒナは8羽集まったそうです。
ビオトープや江について説明してもらいました。
このビオトープという言葉、知っているつもりでいましたが、話を聞くと私の考えていたものとは少し違いました。
ぶどう畑とか、ブドウに関係するものかと思っていたのです。おそらくフランス語でぶどうがvigne(ヴィーニュ)、ぶどう畑がvignoble(ヴィノーブル)だからでしょう。
あとはショスタコーヴィチの『ピオネールは木を植える』を、思い出します。
まあ、あのオラトリオは彼が緑化事業をテーマに作ったものだそうなので、当たらずとも遠からずなんですが。
ビオトープとは、生き物が住める水や草木がある田んぼのこと。
江とは、田んぼ内の小川や深みといった水路のこと。

認証米農家は、放鳥されたトキが田んぼでドジョウやカエルを捕れるように「農薬・化学肥料を5割以上削減」「農薬は除草剤のみ」「冬季に水をためる」といった、生き物と共生する農法を守っています。
「今日は雨だから、トキもいないね」と車の中で話していましたが、ツチヤさんは「さっきトキが飛んできたよ」と言っていました。
もうトキのねぐらも知っているそうで、まさに共存生活を送られているんだなあと感じます。
すべての田んぼを、鋤で起こしているとのこと。大変な苦労があることを、目で見て実感しました。
納屋に案内していただくと、何台もの農耕機があり、見たこともないような大型コンバインにびっくり仰天。
これで攻撃されたら、勝ち目はありません。←!?


佐渡の認証米は、手間暇かけて、トキにも人にもとことん優しい作り方をしていることがわかりました。
通販もしているとのことで、今度お取り寄せしてみようと思います。

○ 両津郷土資料館
最後に、両津郷土資料館へと向かいました。
今まで一度も本州とつながったことがない佐渡島は、独特の文化が発展しています。
佐渡人形芝居の文弥人形やのろま人形(狂言的)が展示されていました。
ダイヤさんは、学芸会で披露したことがあるそうです。
世界無形文化遺産の能は、もともと、農民が神社へ奉納した神事として広まったものだそう。
佐渡には能舞台が33あり、それは全国の3分の1にもなる多さです。
島の能を盛んにした世阿弥ですが、彼のお墓はここにはないのだとか。
生前中に配流を解かれて、京都へと戻っていったそうです。
ところで世阿弥が佐渡に流されたのは71歳だったとのこと。
そこから7年間佐渡に滞在したそうですが、そんな高齢だったとはビックリです。
おじいさんを寒い場所に島流しにするなんて、時の将軍(6代将軍義教)は無慈悲ですね!
3人の早乙女が、周りながら外へ外へと植えていく「車植え」という苗植え法が紹介されていました。
初めて見る植え方です。まるでストーンサークルを作っているよう。
もっと言うなら、「早乙女」とは人の名字だと思っており、「田植え日に苗を植える女性」という意味さえ知りませんでした。
私は、農業についてほとんど知らないんだなあとつくづく思います。

金山で大勢の人が働いたことで、米が消費されて佐渡の稲作が進み、人が増えたことで能や人形芝居といった伝統芸能も発展したわけですね。
全ての地域産業が結びついていることに気付きます。
やはりそれは、ここが金の島だったからこそです。
「佐渡おけさって、女性が踊るイメージが強いですが、女性だけなんですか?」と聞いたら、「そうでもないですよ」とのこと。
もともとは、島に着いた猟師に、玄人女性が「一緒に踊りましょうよ、こんな風に、さあ」と誘う踊りだったんだとか。
それはびっくり!阿波踊りに似ているけれど、もっとゆっくりしたお上品な踊りだと思っていたのに!
今回、たらい舟に乗れなかったのが少し心残りの私。
佐渡でも、小木という港でしか行われていないようです。
なぜかと聞いたら、小木では入り江が入り組んでいて船が入れないため、小さなたらい船を使って磯の生物を取るからだとか。
バランスを取るのが難しそうなので、「ひっくり返りませんか?」と聞いたら、「聞いたことないなぁ」と観光協会の人たちで顔を見合わせました。
転覆したためしがないのなら、安心!いつか一寸法師ごっこをしてみたいです。
○ 佐渡から帰る
両津港で、観光協会の人たちとお別れしました。
いろいろお世話になりました~!
佐渡島はいろいろと魅力に富んだ場所だというのが、今回の旅でよくわかりました。
個人的に気になる吊り橋は特にないとのことですが、おもしろい地層が島中に見られ、ジオパークとしてもいろいろ魅力に富んでいて、興味シンシン。
また、島には掛け流しの源泉が8つあるそうな。
これは知りませんでした。もっと温泉をアピールしてもよさそうです。
新潟は50Hz、佐渡は60Hzと電力が違うことにもビックリしました。
電力も分け合えないなんて、かなり新潟から独立していますね。
以前は、新潟から佐渡に引っ越ししたら電気製品を買い替えなくてはならず、不便だったことでしょう。

両津港で、おけさ柿の自動販売機を見つけました。
前日夜に食べたおけさ柿。種がなくて、甘くておい~しかったです。
渋抜きをした渋柿なんだとか。
もちろん買いましたよ!うふふ~。

また、佐渡のすかし百合の球根が売られていたので、百合好きの母のお土産にしました。
観光協会の方からは、無名異焼の器をいただきました。
金山山中の土で作ったもので、使い込むほどに光沢が出るそうです。

行きは孤独な行程でしたが、帰りのジェットフォイルでは寝て、新幹線ではアンボさんとおしゃべりをして、楽しく帰途に着きました。
帰りの新幹線では、華やかな舞妓さんたちが前の席にいました。
『雪国』の世界だわ。

○ epilogue
今回は、環境省や市、NPOや農業従事者の方々から説明をしてもらい、トキの野生復帰に向けて、島全体が努力をしていることがよくわかりました。
行くまでは、寒い孤高の離れ島というイメージが強かった佐渡島ですが、実際に訪れてみると、土地も文化も食も豊かでのどかな、暮らしやすそうな島でした。
日本の原風景が残っている佐渡島。またぜひ訪れたいです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます