4日目からの続きです。
● 雪の夜
昨晩は、外の寒さを避けて日が落ちた頃からホテルの部屋にこもり、うたたねしながらゆっくり過ごしたので、夜になってもなかなか眠くなりません。
音もなく降り積もっていく窓の外の雪を、2時半ごろまで眺めていました。
翌朝起きてカーテンを開けると、夜の間に積もった雪は減り、土が見えていました。途中から雨に変わって溶けたようです。

前の日より遅い時間に朝食を取りに行きましたが、この日もアーミーの人たちが数人いました。
彼らがなぜここにいるのかは、相変わらず謎のまま。
防衛大学のように、外出時には制服必須なんでしょうか?それとも慰安旅行中?

バルト諸国に来てから、アジア人を見る機会はほとんどありません。
たまに小柄な黒髪の人を見かけて(あの人そうかな?)と思っても、中央アジア出身ぽい顔つきの人ばかり。
中国人は世界中にいるだろうと思っていましたが、住んでいる人も観光客も見かけません。
こんなに華僑の影が薄い場所があるなんて!
そしてアフリカ人に至っては、全く見かけません。
つまりヨーロッパか中央アジア風の人ばかりです。
まだまだ観光客が少ない地域なんでしょうね。
● 朝のカジノ
夜は部屋に引きこもっていたため、ホテルにカジノがあったことを忘れていました。
「せっかくだし、ちょっと見てみよう」と、カジノの階まで行ってみます。
エレベーターが開いても、すぐに逃げられるように(?)降りずにそこから首だけ出して、一瞬だけ覗いてみました。
入り口の前に黒服さんもバニーちゃんも立っておらず、フロア自体がとても静かでした。朝だから、お休み時間なのかしら。
外国でカジノに入ったことがあるというモコ。
「おもしろいよ。ドリンクとか無料で飲ませてもらえるよ」
そうなんだ~。私の知らない世界です。

● リガ中央駅時計塔
チェックアウトをして外に出ると、雪はもうすっかり雨に変わっていました。
駅の前を通りかかると、建物に「STACIJA」「BOK...(キリル文字)」「TERMINAL」と書いています。
ターミナルはわかりますが、ほかはさっぱり。
ラトヴィア語とロシア語で「駅」という意味なのかな?

部屋からまっすぐ見えていた、リガ中央駅の高さ43mの時計塔も、これで見納め。
昨日、上まで上ろうと試みたけれど、レストランバー専用のエレベーターしかなくて断念したタワーです。
でも、私たちのホテルの部屋からの見晴らしと、そんなに変わらなかったかも。

● 国際バスターミナル
向かったのは、鉄道駅を越えたところにあるリガ・インターナショナル・バスターミナル。
乗り場が多岐に渡っている大きな建物です。
中央駅と中央市場に隣接しています。

中央市場
ベンチに座って、バスが来るのをしばし待ちます。
キオスクとは万国共通の名前だと思っていましたが、ここではそれ以外の文字が書かれており、さっぱりわかりません。

これから10時発のバスに乗って、リガから145キロ離れたシャウレイという町に向かいます。
隣の乗り場に、同じ10時発のタリン行きLUXバスが停まりました。
タリンからリガに来るときに乗ってきた、贅沢な国際路線です。
その時に外観を取り損ねてしまったので、ここで撮影。

● カリーニングラード行き
電光掲示板を見ると、シャウレイは私たちが乗るバスの終点ではなく、カリーニングラード行きになるみたい。
カリーニングラードは、ロシアの飛び地で、哲学者カントがその生涯を過ごした町。
飛び地好きとしては、地名を聞いて、ひそかにテンションが上ります。
ロシアより西にあるということしか知りませんでしたが、リトアニアの向こうにあるんですね。

タリンから乗ってきた便もこれから乗る便もLUXバスなので、今回も同じような大型豪華バスで行くものとばかり思っていたら、そばで待っていた人々がわっと小さなバスに押し寄せました。
えっ、これ?まさかね?うそ!?
マイクロバスレベルの小さな車体を見て呆然と立ちすくみますが、どうやらこれみたい。
しかも座席は自由、つまり早い者勝ち。トランクに荷物を預けてから行列に並んだら、まったく勝手がわからないために最後の方になり、席はもう数個しか残っていません。
モコと離れて、座ることになりました。
なんてことでしょう。みんなの迫力に気圧されて、弾き飛ばされそう。
ご年配の方が多く、皆さん男女ともに大柄でどっしりとした体型です。

私は、黒づくめの服を着たおばあさんの隣に座りました。
おばあちゃんは私のふた回りほど大きく、腕は私の座席の方に余裕で越境しています。
日本では、私よりもかさがあるおばあちゃんって、なかなかいませんが。
30人定員のバスが乗客で満席になり、運転席の横にも乗客2人が乗り込みました。
この路線はすぐに埋まるから早目の予約が必要だと聞いており、、日本で予約は済ませていましたが、こういう状態だからか~と納得。
運ちゃんはダニエル・クレイグのようないかついイケメン。英語はしゃべりません。
一番後ろの席になったモコは、腕っ節の強そうなメンズにはさまれて、小さく座っています。
(大丈夫かな~、つぶされないかな~)と心配しましたが、後で「イケメンに挟まれてラッキー!」と喜んでいました。
ええと、彼らはイケメンなのかなー?好みの違いが。

● ロシア語が飛び交う
通路向こうの男性はロシア語の新聞を読んでいます。みんなが喋っているのはラトヴィア語ではなくロシア語だと、なんとなくわかります。
ロシアの飛び地のカリーニングラードに行く人達だから、乗客はみんなロシア人なのかしら。
初日のモスクワ空港での災難を思い出しました。
今回の旅では、行きと帰りの経由の時にしかロシアは関係しないからと、ほとんどロシアのことは考えずにきましたが、ロシアの呪縛からは逃れられず、予定よりも長い滞在となりました。
そしてここではロシア人たちがみっちり詰まったバスに揺られています。
ダニエル・クレイグ風運ちゃんは、顔に似合わずひょうきんな感じのラジオ音楽をガンガンかけています。
小さな子供は、かん高く響くおもちゃのラジオを付けています。
それに乗客たちがひっきりなしに喋り続けるロシア語会話が飛び交い、バスの中はいろいろな声が混ざり合って、カオス。
カリーニングラードまでは結構な距離があります。国を2つ超えていくようなところなのに、こんなミニバスで行くなんてびっくり。
シャウレイにはすぐには到着しないため、揺られながら眠っていきたいところですが、大柄の人々が密接しすぎているため、日本に比べてバスの中の人の密度が高くて、とても安心して眠れません。
うっかりもたれかかって、おばあちゃんに怒られたくないしし。

● なぞの停車数回
時々バスが停まり、人々が立ち上がります。
ここ?着いたのかな?でも時計を見るとまだ時間になっていません。
人が降りていったと思ったら、また戻ってきました。タンジェリンのようなフルーツを買っていました。
単に休憩タイムだったみたい。
外を見ても、いまどのあたりなのかわかりません。
ちなみに「ISSUE DE SECOURS」というのは、バスの窓についている文字で「非常時の際には(ここから逃げて)」という意味。
この旅の途中で唯一目にしたフランス語です。
AUTOOSTAという表示があり、あとで調べてみたら、バスターミナルという意味でした。
さらに1時間バスは走り、また途中で停まりました。ふたたびみんなが降り始めます。
後ろの席で「シャウレイうんぬん」と話していた女性がおり、きっと同じ場所で降りる人だと思ったので、ここかと聞きましたが「ニエット」と答えが帰ってきました。
まだなんだー。じゃあここはどこ?
となりのおばあちゃんも、バスの外に出ていきます。目的地に着いて、降りたのかな。
私には黙って降りちゃうのね。
席にストールが置いたままになっていたので、忘れ物だと思って、追いかけて渡そうとしたら「いいのよ」と身振りで伝えられました。
置いていっていいのかな、ゴミにするのかなと思っていると、モコが「ここもトイレ休憩みたいだよ」と教えてくれました。
「なあんだ、じゃあ私たちもちょっと降りてみようか」と、みんなの後をついて行くと、たしかにトイレがありました。
なかなか試される感じの、ハードボイルドなトイレでした。
バルト諸国ではまちなかのトイレは有料なので、無料のところは推して知るべしといったところです。
最後の方に並んだため、バスに戻ったのも最後になり、置いていかれたらどうしようと慌てましたが、ひとりも減ることがなくバスは再び出発。
この環境に少しずつ慣れてきて、ウトウトしていたところに、とつぜん上からハードケースのカバンがドスンと降ってきました。
これがとても重くて、工具でも詰まっているんじゃないかと思うくらい。
私の頭に当たったので、ありえないほどの痛みに、呆然としました。
これ以上馬鹿になったらどうしてくれるのーー?
でも、だれの荷物かわからず、全く謝られる気配もありません。
(うそでしょう。基本的人権が尊重されてないわ)と固まっていたら、隣のおばあちゃんが、しわくちゃの顔の奥で気遣わしげに私を見つめ、そっと手を握ってくれました。
励ましてくれたのね、ありがとう、おばあちゃん。
気持ちを込めて、手を握り返しました。
● リトアニア・シャウレイ着
そのうちに都会っぽい場所に近づいてきました。
今度こそシャウレイに着いたようです。
なかなかハードな2時間半のバス旅だったなあ。
いつの間にか、リトアニアに入国していましたが、パスポートチェックは無し。
バルト三国間はいいんでしょうか。
隣のおばあちゃんと手を振りあって、お別れしました。

ここで一旦、スーツケースを預けますが、大きなバス乗り場なのに、ロッカーがありません。
画像左のドアを入ったところにある一時預かりコーナーに委ねます。
荷物はひとつ一律86セント。1ユーロしません。
ここからは、町のバスに乗り換えて、ドマンタイという場所に行きます。
でもどうすればいいんだろう?
チケット売り場の前で立ち尽くしていたら、お上品なカーディガンを着たマダムが近づいてきて、英語で「どうしたの?」と聞いてくれました。
ここのガイドさんのようで、私たちが乗るバスの発着ゲートを教えてもらいました。

リトアニア第4番目の都市、シャウレイはけっこう大きな街。
この日も外は4度。吐く息が真っ白です。

いまにもバラバラに分解しそうなオンボロのバスがやってきました。
あれっと思いましたが、気がついてみると、どのバスも不安になるほど古いものばかり。
日本では考えられません。
タリン‐リガ間のバスはとても近未来的だったので、あまりの落差に並べてみたくなりました。

● 町バスに乗り換えて
いよいよヨニシュキス行きのバスがやってきました。おそらくこれです。
降りるバス停名のほかに、バスの終着駅もわかっていないと乗れません。
バスがドアを開けると、人がわらわらと押し寄せてきました。運ちゃんに降りる停留所名を言って、切符を切ってもらうシステムです。

日本よりもバスの天井が高いのは、やはり平均身長に合わせてのことでしょう。
モコがつま先立ちして手を伸ばしても、天井のブザーには届きません。

バスは走りだし、町の中を通っていきます。
街並みは割と整っていて、栄えているなあと思います。

でもこのバスターミナルは町の中心から外れたところにあるため、町の様子は車窓から楽しむのみ。
すてきな教会の前も、通り過ぎていきます。

バスでは放送がかからず、次のバス停の紹介もありません。
降りる場所に何か目印があるのかも、わかりません。
つまりは人に教えてもらわないと、全く手がかりがないという状態です。
そろそろじゃないかと二人でざわざわしていたら、前の席のおばあさんが気配を察してくれて「ドマンタイはまだよ」と教えてくれました。
● おにぎり注意?
気になったのが、画像のピンクの注意書き。
「あれ、なんだと思う?」
「おにぎりが飛んでくるから、気をつけろってことかな?」
ほかの場所でも何度となく見かけましたが、分かりませんでした。

● ドマンタイ到着
20分ほど乗り、バスの乗客に「次だよ」と教えてもらい、無事に降りることができた私たち。降りた辺りには、なんにもありません。
バスの窓からおじいさんやおばあさんが私たちに「そこの道を曲がっていくのよ」と身振りで教えてくれました。
私達が、十字架の丘に行くって、わかっているんですね。
教えてもらって、良かったです。表示や地図がいっさいなかったので、この道を歩いていって間違いないのか、手掛かりを探してしばらくうろうろしてしまったことでしょう。ありえないわ~。
まったく情報のない私たちは、乗客のアドバイスを守って、道路を一旦少し戻ってから道を変えて歩きます。そこからは一本道ですが、約2キロの道をてくてく歩いていかなくてはなりません。
時々雨がちらつく日。容赦なく体温が奪われていきます。



● 珍しいアジア人
なにもてがかりがないまま、ただひたすら一本道を歩いていきます。
人に聞こうにも全く歩いていません。
と、向こうから人影が見えてきました。
珍しいですが、どうやらアジア人のよう。英語で聞いてみると「ここを10分くらい歩いて行ったところにあります。まっすぐだから迷わないはず」と英語で教えてくれました。
お礼を言って別れたあとで、モコが「あの人達、日本人じゃないかな」と言いました。
雨に濡れていたせいか、そうは見えなかったのですが。
モ「昨日、ライマのお店で見かけた気がするんだよね」
そういえば、私たちが店内にいた時に、アジア人カップルが入ってきて、珍しいなと思ったんです。あの人たちだったとは。でもてっきり中国人か台湾人だと思っていました。
「昨日おみやげを選んでいたみたいだったし、ハネムーンかなあ?」
「バルト三国を?うーん」
「なかなか渋い好みのカップルなのかもね」

雨の中、水たまりとぬかるみに気を付けながら、ひたひたと一本道をただ歩いて行くと、エンジェルのワイヤー人形がいました。
「わあ、かわいい。すごいね」と近寄ってみると、それは奥にあるペンションの宣伝だったよう。芸術的です。

じきに、十字架でこんもりした丘が見えてきました。あそこね。
丘を目指して向かいます。

● 十字架の丘【無形文化遺産】
雨の中、バスを乗り継ぎ、人にもまれながら、シャウレイから12キロ離れたところにあるリトアニア最大の巡礼地にやってきました。

ここは十字架の丘。ロシアの圧力で処刑された人たちを悼んだ人々が十字架を持ち寄って立てたのが、次第に規模が大きくなっていきました。

2001年にユネスコ無形文化遺産に登録された後も十字架の数は増えに増え続けて、今ではもはや数え切れないそうです。

日本でいうと、星の数ほどの鳥居が奉納された伏見稲荷大社のような感じでしょうか。

とはいえ、ここはお墓ではなく、人は埋葬されていません。
ただ、おびただしい数の十字架が立てられているだけです。

ヨハネ・パウロ二世の十字架もあるとのこと。ローマ法王も訪れたんですね。

雨の中訪れたので、どんよりとした空の下、重苦しさに圧倒され、言葉少なになる私たち。
だってこんなにたくさんの十字架、産まれてこの方見たことがないのですから。

訪れる人々はまばらでしたが、手にはそれぞれ十字架が握られています。

家から特別な十字架を持ってくる人もいるようですが、たいていは近くにあるお土産屋さんで十字架を買い、それを丘に立てていきます。

十字架のサイズはさまざまで、トラックサイズの巨大なものがあるかと思えば、手のひらサイズの小さいものもあり、お値段は1ユーロからありました。
各種取り揃えているし、オリジナリティに富んだものもあるところは、伏見大社以上です。

丘に立つモコ。ひたすら十字架が続き、なんだか天国に続く道のようにも見えてきます。
その2に続きます。
● 雪の夜
昨晩は、外の寒さを避けて日が落ちた頃からホテルの部屋にこもり、うたたねしながらゆっくり過ごしたので、夜になってもなかなか眠くなりません。
音もなく降り積もっていく窓の外の雪を、2時半ごろまで眺めていました。
翌朝起きてカーテンを開けると、夜の間に積もった雪は減り、土が見えていました。途中から雨に変わって溶けたようです。

前の日より遅い時間に朝食を取りに行きましたが、この日もアーミーの人たちが数人いました。
彼らがなぜここにいるのかは、相変わらず謎のまま。
防衛大学のように、外出時には制服必須なんでしょうか?それとも慰安旅行中?

バルト諸国に来てから、アジア人を見る機会はほとんどありません。
たまに小柄な黒髪の人を見かけて(あの人そうかな?)と思っても、中央アジア出身ぽい顔つきの人ばかり。
中国人は世界中にいるだろうと思っていましたが、住んでいる人も観光客も見かけません。
こんなに華僑の影が薄い場所があるなんて!
そしてアフリカ人に至っては、全く見かけません。
つまりヨーロッパか中央アジア風の人ばかりです。
まだまだ観光客が少ない地域なんでしょうね。
● 朝のカジノ
夜は部屋に引きこもっていたため、ホテルにカジノがあったことを忘れていました。
「せっかくだし、ちょっと見てみよう」と、カジノの階まで行ってみます。
エレベーターが開いても、すぐに逃げられるように(?)降りずにそこから首だけ出して、一瞬だけ覗いてみました。
入り口の前に黒服さんもバニーちゃんも立っておらず、フロア自体がとても静かでした。朝だから、お休み時間なのかしら。
外国でカジノに入ったことがあるというモコ。
「おもしろいよ。ドリンクとか無料で飲ませてもらえるよ」
そうなんだ~。私の知らない世界です。

● リガ中央駅時計塔
チェックアウトをして外に出ると、雪はもうすっかり雨に変わっていました。
駅の前を通りかかると、建物に「STACIJA」「BOK...(キリル文字)」「TERMINAL」と書いています。
ターミナルはわかりますが、ほかはさっぱり。
ラトヴィア語とロシア語で「駅」という意味なのかな?

部屋からまっすぐ見えていた、リガ中央駅の高さ43mの時計塔も、これで見納め。
昨日、上まで上ろうと試みたけれど、レストランバー専用のエレベーターしかなくて断念したタワーです。
でも、私たちのホテルの部屋からの見晴らしと、そんなに変わらなかったかも。

● 国際バスターミナル
向かったのは、鉄道駅を越えたところにあるリガ・インターナショナル・バスターミナル。
乗り場が多岐に渡っている大きな建物です。
中央駅と中央市場に隣接しています。

中央市場
ベンチに座って、バスが来るのをしばし待ちます。
キオスクとは万国共通の名前だと思っていましたが、ここではそれ以外の文字が書かれており、さっぱりわかりません。

これから10時発のバスに乗って、リガから145キロ離れたシャウレイという町に向かいます。
隣の乗り場に、同じ10時発のタリン行きLUXバスが停まりました。
タリンからリガに来るときに乗ってきた、贅沢な国際路線です。
その時に外観を取り損ねてしまったので、ここで撮影。

● カリーニングラード行き
電光掲示板を見ると、シャウレイは私たちが乗るバスの終点ではなく、カリーニングラード行きになるみたい。
カリーニングラードは、ロシアの飛び地で、哲学者カントがその生涯を過ごした町。
飛び地好きとしては、地名を聞いて、ひそかにテンションが上ります。
ロシアより西にあるということしか知りませんでしたが、リトアニアの向こうにあるんですね。

タリンから乗ってきた便もこれから乗る便もLUXバスなので、今回も同じような大型豪華バスで行くものとばかり思っていたら、そばで待っていた人々がわっと小さなバスに押し寄せました。
えっ、これ?まさかね?うそ!?
マイクロバスレベルの小さな車体を見て呆然と立ちすくみますが、どうやらこれみたい。
しかも座席は自由、つまり早い者勝ち。トランクに荷物を預けてから行列に並んだら、まったく勝手がわからないために最後の方になり、席はもう数個しか残っていません。
モコと離れて、座ることになりました。
なんてことでしょう。みんなの迫力に気圧されて、弾き飛ばされそう。
ご年配の方が多く、皆さん男女ともに大柄でどっしりとした体型です。

私は、黒づくめの服を着たおばあさんの隣に座りました。
おばあちゃんは私のふた回りほど大きく、腕は私の座席の方に余裕で越境しています。
日本では、私よりもかさがあるおばあちゃんって、なかなかいませんが。
30人定員のバスが乗客で満席になり、運転席の横にも乗客2人が乗り込みました。
この路線はすぐに埋まるから早目の予約が必要だと聞いており、、日本で予約は済ませていましたが、こういう状態だからか~と納得。
運ちゃんはダニエル・クレイグのようないかついイケメン。英語はしゃべりません。
一番後ろの席になったモコは、腕っ節の強そうなメンズにはさまれて、小さく座っています。
(大丈夫かな~、つぶされないかな~)と心配しましたが、後で「イケメンに挟まれてラッキー!」と喜んでいました。
ええと、彼らはイケメンなのかなー?好みの違いが。

● ロシア語が飛び交う
通路向こうの男性はロシア語の新聞を読んでいます。みんなが喋っているのはラトヴィア語ではなくロシア語だと、なんとなくわかります。
ロシアの飛び地のカリーニングラードに行く人達だから、乗客はみんなロシア人なのかしら。
初日のモスクワ空港での災難を思い出しました。
今回の旅では、行きと帰りの経由の時にしかロシアは関係しないからと、ほとんどロシアのことは考えずにきましたが、ロシアの呪縛からは逃れられず、予定よりも長い滞在となりました。
そしてここではロシア人たちがみっちり詰まったバスに揺られています。
ダニエル・クレイグ風運ちゃんは、顔に似合わずひょうきんな感じのラジオ音楽をガンガンかけています。
小さな子供は、かん高く響くおもちゃのラジオを付けています。
それに乗客たちがひっきりなしに喋り続けるロシア語会話が飛び交い、バスの中はいろいろな声が混ざり合って、カオス。
カリーニングラードまでは結構な距離があります。国を2つ超えていくようなところなのに、こんなミニバスで行くなんてびっくり。
シャウレイにはすぐには到着しないため、揺られながら眠っていきたいところですが、大柄の人々が密接しすぎているため、日本に比べてバスの中の人の密度が高くて、とても安心して眠れません。
うっかりもたれかかって、おばあちゃんに怒られたくないしし。

● なぞの停車数回
時々バスが停まり、人々が立ち上がります。
ここ?着いたのかな?でも時計を見るとまだ時間になっていません。
人が降りていったと思ったら、また戻ってきました。タンジェリンのようなフルーツを買っていました。
単に休憩タイムだったみたい。
外を見ても、いまどのあたりなのかわかりません。
ちなみに「ISSUE DE SECOURS」というのは、バスの窓についている文字で「非常時の際には(ここから逃げて)」という意味。
この旅の途中で唯一目にしたフランス語です。
AUTOOSTAという表示があり、あとで調べてみたら、バスターミナルという意味でした。
さらに1時間バスは走り、また途中で停まりました。ふたたびみんなが降り始めます。
後ろの席で「シャウレイうんぬん」と話していた女性がおり、きっと同じ場所で降りる人だと思ったので、ここかと聞きましたが「ニエット」と答えが帰ってきました。
まだなんだー。じゃあここはどこ?
となりのおばあちゃんも、バスの外に出ていきます。目的地に着いて、降りたのかな。
私には黙って降りちゃうのね。
席にストールが置いたままになっていたので、忘れ物だと思って、追いかけて渡そうとしたら「いいのよ」と身振りで伝えられました。
置いていっていいのかな、ゴミにするのかなと思っていると、モコが「ここもトイレ休憩みたいだよ」と教えてくれました。
「なあんだ、じゃあ私たちもちょっと降りてみようか」と、みんなの後をついて行くと、たしかにトイレがありました。
なかなか試される感じの、ハードボイルドなトイレでした。
バルト諸国ではまちなかのトイレは有料なので、無料のところは推して知るべしといったところです。
最後の方に並んだため、バスに戻ったのも最後になり、置いていかれたらどうしようと慌てましたが、ひとりも減ることがなくバスは再び出発。
この環境に少しずつ慣れてきて、ウトウトしていたところに、とつぜん上からハードケースのカバンがドスンと降ってきました。
これがとても重くて、工具でも詰まっているんじゃないかと思うくらい。
私の頭に当たったので、ありえないほどの痛みに、呆然としました。
これ以上馬鹿になったらどうしてくれるのーー?
でも、だれの荷物かわからず、全く謝られる気配もありません。
(うそでしょう。基本的人権が尊重されてないわ)と固まっていたら、隣のおばあちゃんが、しわくちゃの顔の奥で気遣わしげに私を見つめ、そっと手を握ってくれました。
励ましてくれたのね、ありがとう、おばあちゃん。
気持ちを込めて、手を握り返しました。
● リトアニア・シャウレイ着
そのうちに都会っぽい場所に近づいてきました。
今度こそシャウレイに着いたようです。
なかなかハードな2時間半のバス旅だったなあ。
いつの間にか、リトアニアに入国していましたが、パスポートチェックは無し。
バルト三国間はいいんでしょうか。
隣のおばあちゃんと手を振りあって、お別れしました。

ここで一旦、スーツケースを預けますが、大きなバス乗り場なのに、ロッカーがありません。
画像左のドアを入ったところにある一時預かりコーナーに委ねます。
荷物はひとつ一律86セント。1ユーロしません。
ここからは、町のバスに乗り換えて、ドマンタイという場所に行きます。
でもどうすればいいんだろう?
チケット売り場の前で立ち尽くしていたら、お上品なカーディガンを着たマダムが近づいてきて、英語で「どうしたの?」と聞いてくれました。
ここのガイドさんのようで、私たちが乗るバスの発着ゲートを教えてもらいました。

リトアニア第4番目の都市、シャウレイはけっこう大きな街。
この日も外は4度。吐く息が真っ白です。

いまにもバラバラに分解しそうなオンボロのバスがやってきました。
あれっと思いましたが、気がついてみると、どのバスも不安になるほど古いものばかり。
日本では考えられません。
タリン‐リガ間のバスはとても近未来的だったので、あまりの落差に並べてみたくなりました。

● 町バスに乗り換えて
いよいよヨニシュキス行きのバスがやってきました。おそらくこれです。
降りるバス停名のほかに、バスの終着駅もわかっていないと乗れません。
バスがドアを開けると、人がわらわらと押し寄せてきました。運ちゃんに降りる停留所名を言って、切符を切ってもらうシステムです。

日本よりもバスの天井が高いのは、やはり平均身長に合わせてのことでしょう。
モコがつま先立ちして手を伸ばしても、天井のブザーには届きません。

バスは走りだし、町の中を通っていきます。
街並みは割と整っていて、栄えているなあと思います。

でもこのバスターミナルは町の中心から外れたところにあるため、町の様子は車窓から楽しむのみ。
すてきな教会の前も、通り過ぎていきます。

バスでは放送がかからず、次のバス停の紹介もありません。
降りる場所に何か目印があるのかも、わかりません。
つまりは人に教えてもらわないと、全く手がかりがないという状態です。
そろそろじゃないかと二人でざわざわしていたら、前の席のおばあさんが気配を察してくれて「ドマンタイはまだよ」と教えてくれました。
● おにぎり注意?
気になったのが、画像のピンクの注意書き。
「あれ、なんだと思う?」
「おにぎりが飛んでくるから、気をつけろってことかな?」
ほかの場所でも何度となく見かけましたが、分かりませんでした。

● ドマンタイ到着
20分ほど乗り、バスの乗客に「次だよ」と教えてもらい、無事に降りることができた私たち。降りた辺りには、なんにもありません。
バスの窓からおじいさんやおばあさんが私たちに「そこの道を曲がっていくのよ」と身振りで教えてくれました。
私達が、十字架の丘に行くって、わかっているんですね。
教えてもらって、良かったです。表示や地図がいっさいなかったので、この道を歩いていって間違いないのか、手掛かりを探してしばらくうろうろしてしまったことでしょう。ありえないわ~。
まったく情報のない私たちは、乗客のアドバイスを守って、道路を一旦少し戻ってから道を変えて歩きます。そこからは一本道ですが、約2キロの道をてくてく歩いていかなくてはなりません。
時々雨がちらつく日。容赦なく体温が奪われていきます。



● 珍しいアジア人
なにもてがかりがないまま、ただひたすら一本道を歩いていきます。
人に聞こうにも全く歩いていません。
と、向こうから人影が見えてきました。
珍しいですが、どうやらアジア人のよう。英語で聞いてみると「ここを10分くらい歩いて行ったところにあります。まっすぐだから迷わないはず」と英語で教えてくれました。
お礼を言って別れたあとで、モコが「あの人達、日本人じゃないかな」と言いました。
雨に濡れていたせいか、そうは見えなかったのですが。
モ「昨日、ライマのお店で見かけた気がするんだよね」
そういえば、私たちが店内にいた時に、アジア人カップルが入ってきて、珍しいなと思ったんです。あの人たちだったとは。でもてっきり中国人か台湾人だと思っていました。
「昨日おみやげを選んでいたみたいだったし、ハネムーンかなあ?」
「バルト三国を?うーん」
「なかなか渋い好みのカップルなのかもね」

雨の中、水たまりとぬかるみに気を付けながら、ひたひたと一本道をただ歩いて行くと、エンジェルのワイヤー人形がいました。
「わあ、かわいい。すごいね」と近寄ってみると、それは奥にあるペンションの宣伝だったよう。芸術的です。

じきに、十字架でこんもりした丘が見えてきました。あそこね。
丘を目指して向かいます。

● 十字架の丘【無形文化遺産】
雨の中、バスを乗り継ぎ、人にもまれながら、シャウレイから12キロ離れたところにあるリトアニア最大の巡礼地にやってきました。

ここは十字架の丘。ロシアの圧力で処刑された人たちを悼んだ人々が十字架を持ち寄って立てたのが、次第に規模が大きくなっていきました。

2001年にユネスコ無形文化遺産に登録された後も十字架の数は増えに増え続けて、今ではもはや数え切れないそうです。

日本でいうと、星の数ほどの鳥居が奉納された伏見稲荷大社のような感じでしょうか。

とはいえ、ここはお墓ではなく、人は埋葬されていません。
ただ、おびただしい数の十字架が立てられているだけです。

ヨハネ・パウロ二世の十字架もあるとのこと。ローマ法王も訪れたんですね。

雨の中訪れたので、どんよりとした空の下、重苦しさに圧倒され、言葉少なになる私たち。
だってこんなにたくさんの十字架、産まれてこの方見たことがないのですから。

訪れる人々はまばらでしたが、手にはそれぞれ十字架が握られています。

家から特別な十字架を持ってくる人もいるようですが、たいていは近くにあるお土産屋さんで十字架を買い、それを丘に立てていきます。

十字架のサイズはさまざまで、トラックサイズの巨大なものがあるかと思えば、手のひらサイズの小さいものもあり、お値段は1ユーロからありました。
各種取り揃えているし、オリジナリティに富んだものもあるところは、伏見大社以上です。

丘に立つモコ。ひたすら十字架が続き、なんだか天国に続く道のようにも見えてきます。
その2に続きます。
言葉も通じず怖くなかったのかな?
カジノイコール怖いのイメージが
間違っているんでしょうね。
十字架の丘には言葉がありません。
ショッキングな風景です。
重い雰囲気が伝わってきます。
お値段1ユーロって
売ってるんじゃないんですよね?
日本でいう奉納みたいなもの?なのかな。
世界は広いですね。
若いころにもっともっと見とけばよかったです。
カジノは、かなりハラハラしながら覗きましたが、やっぱり朝は静かになるんですね。
十字架の丘は、鎮魂の場でした。
伏見稲荷はみんなが願いを込めて鳥居を奉納する場所ですが、こちらは失われた命を悼んで十字架を立てる場所。
似ているようでやっぱりちょっと違いますね。
十字架、いろんな大きさのものが売られていましたよ~。
この旅ではどの国に行っても簡単には言葉が通じませんでしたが、まあ友と一緒だったし、なんとかなりました!
多分、私たちが明らかに見慣れない外国人の外見だったので、みんなも(言葉が通じなくて困ってるな)と察してくれたんでしょう。
それでも、言葉が通じない場所を訪れたのはかなり久しぶりでした。
これもまた、いい刺激になりました!