その2からの続きです。
● 横浜迎賓館
野毛山公園の展望台を下りて、すぐ近くにある横浜迎賓館前を通りました。
仕事仲間が披露宴で訪れる予定の場所です。竹のエントランスが、さわやか。
ちょうどシャトルバスが到着して、きれいに着飾った人たちが降りてきました。
この日も披露宴パーティが行われるようです。
ほとんどの人が、桜木町からバスに乗ってくるのでしょう。
野毛坂を歩いて上る人がいたとしても、裏道石段を通る人は、ほとんどいないと思うんですが・・・。
● 石段の探索
ではいよいよ、野毛山から階段を使って下りてみることにしましょう。
石段のありかを探しますが、山の上も家の立ち並ぶ住宅街なので、すぐには下に降りる道が見つけられません。
おおよその見当をつけて家と家の間の細い道をたどっていき、ようやく石段を見つけました。
「『君の名は。』みたいね」
上から見下ろすと、それほど坂がきついようには思えません。
でも、野毛山の坂をあなどってはいけません。
● 石段の検証
まっすぐ下まで伸びる直線道で、先ほど見た石段とは違う道のようです。
とんとんと降りていくと、途中に「急坂」と書いてありました。
坂の多い横浜には、あちこちにウルトラ急勾配の斜面があります。
毎日の通学も、友達の家に遊びに行くのも、ちょっとした登山だったりします。
私達が眺めている間も、石段を通る人が何人かいました。
斜面にも家は立ち並び、住民の生活ルートになっているようです。
一番下まで降りてから、石段の上を見上げました。
まっすぐなので、下りながらうっかりスピードをつけたら、止まらなくなりそう。
雨の日は、ちょっと歩きたくないですね。
雪が降ったら、さらに危ないでしょう。
それでも確かに近道の直線コース。今度野毛山に行く時に使ってみようっと。
ただ、坂とは無縁の人が、着飾ったパーティドレスとヒールでこの急斜面を上がるのは、相当大変でしょう。
グーグルさん、近道だからといって、地図検索でこの道を紹介するのは、ちょっと無謀だと思いますよ!
● 日ノ出町から黄金町へ
京急日ノ出町駅の隣は黄金町駅。
大岡川に沿って京急線が走るこの辺りもまた、かなりディープなエリアです。
紳士淑女、善男善女は踏み込まない場所のイメージでしたが、今ではずいぶん変わった様子。
最近ではアーティストが集まり、町の雰囲気が明るくなったと聞いています。
先ほど野毛散策をしたことですし、「日中だからここも大丈夫でしょう」と川沿いを散策しました。
無国籍バーやカフェ、英会話教室が軒を連ねています。
引き込まれたら戻れなさそうなデンジャラスゾーンではなくなっていました。
● アートで再生の町
京急の高架下沿いを歩いていると、木造のスペースがありました。
地域住民の協力のもと、NPOが企画し、建築家がデザインした「かいだん広場」。
子どもたちの格好の遊び場になっているそうです。
高架下がアートスタジオのようになっていました。
ネオ近代的な感じ。
ここは「黄金町アートブックバザール」という古本屋さん。
NYブルックリンに来たみたいにオシャレです。
書店の前には、日ノ出桟橋があります。
春になると、大岡川沿いの桜並木に大勢の人が集まり、ここからお花見の遊覧船が出ていきます。
ミライさんの友人が、お花見中にほろ酔い気分でこの川に落ちたという話を聞きながら、伊勢佐木町通り(ザキ)に到着。
● ザキのへびや
ここは伊勢佐木町4丁目で、繁華街からは少し離れた辺り。まっすぐ歩いていくと、どんどん賑やかな通りになっていきます。
「もうかなり店も変わったね」
久しぶりに来てみると、お店がすっかり変わって、通りの様子ががらりと変わっていました。
あまりに様変わりしているため、初めてこの通りを歩くような気になります。
「でも、でも、"へびや"はあるはず・・・!」
(あそこがなくなったら、もうザキに未練はないわ!)と悲愴感をつのらせていたら、ちゃんと開店していました。
変わっていなくて、ほっとしたわ。
店頭ウィンドウに蛇の剥製が飾られている、インパクト大のへびや。
コブラやマムシの粉末を売っています。
ショウウィンドウの剥製はさすがにこわいですが、ずっと前からここにいるので、無くなるなんて考えられません。
「さっきの動物園でも思ったけど、ヘビが好きなの?生きてても死んでても?」とミライさん。
ええ、まあ。なにか?
「まあ、いずれここにお世話になるかもしれないからね」
正式店名は「黒田救命堂」というこのお店の顧客になる日が、いずれ来るかもしれません。
● クロスストリート
へびやの向かいには、ピアノ型をした青江美奈「伊勢佐木町ブルース」の歌碑があります。
その後ろに、三角形のガラス張りの建物ができていました。
ザキの路上ライブで有名になった「ゆず」が「CROSS STREET」と名付けたライブスペースだそうです。
彼らのようなストリートミュージシャンのための場でしょうか。
● 気分は浦島太郎
伊勢佐木町3丁目までやってくると、人通りが増えてきました。
やはり両側のお店は、記憶とな違うものに変わっています。
かつてのザキのランドマーク、横浜オデヲン座は、ドンキホーテになってしまいました。
ユニーも、少女服のCABINもありません。
映画館も、入り口にあったウェンディーズもなくなっています。
その向かいにあった、マクドナルド横浜第一号店も、消えてしまいました。
もはや、竜宮城から戻ってきた浦島太郎気分です。
● ハマ楽器の探検
「あれもナイ、これもナイ」と言っているうちに、伊勢佐木町2丁目までやってきました。
「もうハマ楽器もなくなっちゃったよ」
まさかと思いましたが、本当でした。ケータイショップに変わっていました。
ここで楽譜を買ったこともあったのに。
でも、ビルの上には、まだハマ楽器のロゴがついていました。
「もしかして、上の階ではまだ音楽教室をやっているんじゃない?」
カーテンが閉じられており、中の様子はよくわかりません。
「ほかの店舗になっちゃってて、上への入り口はなさそう。裏に周ればあるかな?」
そこで裏側に周ってみました。
そこは完全な路地でした。
「うーん、子供が通るには裏道すぎる気がするから、ないのかな」
と言っているところに、こんなドアを発見。
!!!
驚きのあまり、そのまま静かに表側の通りに戻りましたが、はっと我に返り「もうちょっと確認してみよう」と、再び裏の路地に潜入しました。
関係者しか使わないような細い道。
勝手口感のするドアの奥に、教室があるのでしょうか。
アルミのドアを開けると、建物の上へと続く階段がありました。
やけに静かなので(上がっていいのかな)と思いますが、踊り場には「ハマ楽器音楽教室 生徒募集中」の紙が貼られていました。
募集してるんだー!
教室前まで行ってみましたが、電気がついておらず、この日はお休みのようでした。
レッスンしやすい休日なのに~。
置き傘もあるので、ちゃんと運営しているようです。
表のにぎやかさとはうってかわって静かすぎる裏階段。
ドキドキしながら下りていき、アルミ戸を開けて外に出て、表通りに戻ると、再び喧騒に包まれました。
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の世界に入ったような気分になりました。
● 伊勢佐木町の老舗
大通りに戻り、さらに進んでいきます。
赤信号で止まっていると、右翼の車が列をなして車道を通っていきました。
建国記念日のこの日は、彼らにとって大切な日なんでしょう。
一番後ろを、ポリスカーがついていきました。
車道を渡ると、いよいよ伊勢佐木町1丁目です。
それでも栄枯盛衰の波は変わりません。
通り沿いにあったカフェ・珈琲館もなく、LAOXはお店自体つぶれちゃいました。
もはや、松坂屋もないし、丸井もありません。
今となっては、伊勢佐木町に残る老舗店舗は、有隣堂本店と不二家、文明堂、そしてへびや。
この一つでも欠けたら、かなり自分のアイデンティティが揺らぎそう。
「丸井は、ザキにヤング館、線路向こうに馬車道館があったね」
「そうだったね、2店舗あった!」
「カレーミュージアムになったけど」
「それももうないけど!」
「丸井の向かいに森永LOVEがあったの、覚えてる?」
「あったね・・・忘れてた。ちょっと泣きそう!」
お互いの記憶をすり合わせては、切なくなることの繰り返し。
ハマ楽器の探検はできましたが、がらりと変わった伊勢佐木町に驚くばかりでした。
イセザキモールの入り口にたどり着いたところで、散歩も終了。
心の動揺を鎮めるために、カフェでひと休み。
暗くなるまでお喋りして、関内駅で解散しました。
ぽかぽかと暖かい日中でしたが、日が落ちると一気に冷え込み、夜には冷たい風が吹いていました。
● epilogue
桜木町から野毛と野毛山に向かい、黄金町経由で伊勢佐木町を通って、関内までぐるり一周したこの日。
割と身近な界隈ですが、ディープエリアはほぼ未知の世界。
日ノ出町駅裏の石段やアート化した黄金町など、知らないものがいろいろとありました。
久しぶりに通った伊勢佐木町は、がらりと変化を遂げており、もはや知らない道のよう。
十年ひとむかし。少しご無沙汰していると、あっという間に見知らぬ場所になるものですね。
近場でも新鮮な発見がいろいろあった、刺激的でおもしろい散策デーでした。
● 横浜迎賓館
野毛山公園の展望台を下りて、すぐ近くにある横浜迎賓館前を通りました。
仕事仲間が披露宴で訪れる予定の場所です。竹のエントランスが、さわやか。
ちょうどシャトルバスが到着して、きれいに着飾った人たちが降りてきました。
この日も披露宴パーティが行われるようです。
ほとんどの人が、桜木町からバスに乗ってくるのでしょう。
野毛坂を歩いて上る人がいたとしても、裏道石段を通る人は、ほとんどいないと思うんですが・・・。
● 石段の探索
ではいよいよ、野毛山から階段を使って下りてみることにしましょう。
石段のありかを探しますが、山の上も家の立ち並ぶ住宅街なので、すぐには下に降りる道が見つけられません。
おおよその見当をつけて家と家の間の細い道をたどっていき、ようやく石段を見つけました。
「『君の名は。』みたいね」
上から見下ろすと、それほど坂がきついようには思えません。
でも、野毛山の坂をあなどってはいけません。
● 石段の検証
まっすぐ下まで伸びる直線道で、先ほど見た石段とは違う道のようです。
とんとんと降りていくと、途中に「急坂」と書いてありました。
坂の多い横浜には、あちこちにウルトラ急勾配の斜面があります。
毎日の通学も、友達の家に遊びに行くのも、ちょっとした登山だったりします。
私達が眺めている間も、石段を通る人が何人かいました。
斜面にも家は立ち並び、住民の生活ルートになっているようです。
一番下まで降りてから、石段の上を見上げました。
まっすぐなので、下りながらうっかりスピードをつけたら、止まらなくなりそう。
雨の日は、ちょっと歩きたくないですね。
雪が降ったら、さらに危ないでしょう。
それでも確かに近道の直線コース。今度野毛山に行く時に使ってみようっと。
ただ、坂とは無縁の人が、着飾ったパーティドレスとヒールでこの急斜面を上がるのは、相当大変でしょう。
グーグルさん、近道だからといって、地図検索でこの道を紹介するのは、ちょっと無謀だと思いますよ!
● 日ノ出町から黄金町へ
京急日ノ出町駅の隣は黄金町駅。
大岡川に沿って京急線が走るこの辺りもまた、かなりディープなエリアです。
紳士淑女、善男善女は踏み込まない場所のイメージでしたが、今ではずいぶん変わった様子。
最近ではアーティストが集まり、町の雰囲気が明るくなったと聞いています。
先ほど野毛散策をしたことですし、「日中だからここも大丈夫でしょう」と川沿いを散策しました。
無国籍バーやカフェ、英会話教室が軒を連ねています。
引き込まれたら戻れなさそうなデンジャラスゾーンではなくなっていました。
● アートで再生の町
京急の高架下沿いを歩いていると、木造のスペースがありました。
地域住民の協力のもと、NPOが企画し、建築家がデザインした「かいだん広場」。
子どもたちの格好の遊び場になっているそうです。
高架下がアートスタジオのようになっていました。
ネオ近代的な感じ。
ここは「黄金町アートブックバザール」という古本屋さん。
NYブルックリンに来たみたいにオシャレです。
書店の前には、日ノ出桟橋があります。
春になると、大岡川沿いの桜並木に大勢の人が集まり、ここからお花見の遊覧船が出ていきます。
ミライさんの友人が、お花見中にほろ酔い気分でこの川に落ちたという話を聞きながら、伊勢佐木町通り(ザキ)に到着。
● ザキのへびや
ここは伊勢佐木町4丁目で、繁華街からは少し離れた辺り。まっすぐ歩いていくと、どんどん賑やかな通りになっていきます。
「もうかなり店も変わったね」
久しぶりに来てみると、お店がすっかり変わって、通りの様子ががらりと変わっていました。
あまりに様変わりしているため、初めてこの通りを歩くような気になります。
「でも、でも、"へびや"はあるはず・・・!」
(あそこがなくなったら、もうザキに未練はないわ!)と悲愴感をつのらせていたら、ちゃんと開店していました。
変わっていなくて、ほっとしたわ。
店頭ウィンドウに蛇の剥製が飾られている、インパクト大のへびや。
コブラやマムシの粉末を売っています。
ショウウィンドウの剥製はさすがにこわいですが、ずっと前からここにいるので、無くなるなんて考えられません。
「さっきの動物園でも思ったけど、ヘビが好きなの?生きてても死んでても?」とミライさん。
ええ、まあ。なにか?
「まあ、いずれここにお世話になるかもしれないからね」
正式店名は「黒田救命堂」というこのお店の顧客になる日が、いずれ来るかもしれません。
● クロスストリート
へびやの向かいには、ピアノ型をした青江美奈「伊勢佐木町ブルース」の歌碑があります。
その後ろに、三角形のガラス張りの建物ができていました。
ザキの路上ライブで有名になった「ゆず」が「CROSS STREET」と名付けたライブスペースだそうです。
彼らのようなストリートミュージシャンのための場でしょうか。
● 気分は浦島太郎
伊勢佐木町3丁目までやってくると、人通りが増えてきました。
やはり両側のお店は、記憶とな違うものに変わっています。
かつてのザキのランドマーク、横浜オデヲン座は、ドンキホーテになってしまいました。
ユニーも、少女服のCABINもありません。
映画館も、入り口にあったウェンディーズもなくなっています。
その向かいにあった、マクドナルド横浜第一号店も、消えてしまいました。
もはや、竜宮城から戻ってきた浦島太郎気分です。
● ハマ楽器の探検
「あれもナイ、これもナイ」と言っているうちに、伊勢佐木町2丁目までやってきました。
「もうハマ楽器もなくなっちゃったよ」
まさかと思いましたが、本当でした。ケータイショップに変わっていました。
ここで楽譜を買ったこともあったのに。
でも、ビルの上には、まだハマ楽器のロゴがついていました。
「もしかして、上の階ではまだ音楽教室をやっているんじゃない?」
カーテンが閉じられており、中の様子はよくわかりません。
「ほかの店舗になっちゃってて、上への入り口はなさそう。裏に周ればあるかな?」
そこで裏側に周ってみました。
そこは完全な路地でした。
「うーん、子供が通るには裏道すぎる気がするから、ないのかな」
と言っているところに、こんなドアを発見。
!!!
驚きのあまり、そのまま静かに表側の通りに戻りましたが、はっと我に返り「もうちょっと確認してみよう」と、再び裏の路地に潜入しました。
関係者しか使わないような細い道。
勝手口感のするドアの奥に、教室があるのでしょうか。
アルミのドアを開けると、建物の上へと続く階段がありました。
やけに静かなので(上がっていいのかな)と思いますが、踊り場には「ハマ楽器音楽教室 生徒募集中」の紙が貼られていました。
募集してるんだー!
教室前まで行ってみましたが、電気がついておらず、この日はお休みのようでした。
レッスンしやすい休日なのに~。
置き傘もあるので、ちゃんと運営しているようです。
表のにぎやかさとはうってかわって静かすぎる裏階段。
ドキドキしながら下りていき、アルミ戸を開けて外に出て、表通りに戻ると、再び喧騒に包まれました。
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の世界に入ったような気分になりました。
● 伊勢佐木町の老舗
大通りに戻り、さらに進んでいきます。
赤信号で止まっていると、右翼の車が列をなして車道を通っていきました。
建国記念日のこの日は、彼らにとって大切な日なんでしょう。
一番後ろを、ポリスカーがついていきました。
車道を渡ると、いよいよ伊勢佐木町1丁目です。
それでも栄枯盛衰の波は変わりません。
通り沿いにあったカフェ・珈琲館もなく、LAOXはお店自体つぶれちゃいました。
もはや、松坂屋もないし、丸井もありません。
今となっては、伊勢佐木町に残る老舗店舗は、有隣堂本店と不二家、文明堂、そしてへびや。
この一つでも欠けたら、かなり自分のアイデンティティが揺らぎそう。
「丸井は、ザキにヤング館、線路向こうに馬車道館があったね」
「そうだったね、2店舗あった!」
「カレーミュージアムになったけど」
「それももうないけど!」
「丸井の向かいに森永LOVEがあったの、覚えてる?」
「あったね・・・忘れてた。ちょっと泣きそう!」
お互いの記憶をすり合わせては、切なくなることの繰り返し。
ハマ楽器の探検はできましたが、がらりと変わった伊勢佐木町に驚くばかりでした。
イセザキモールの入り口にたどり着いたところで、散歩も終了。
心の動揺を鎮めるために、カフェでひと休み。
暗くなるまでお喋りして、関内駅で解散しました。
ぽかぽかと暖かい日中でしたが、日が落ちると一気に冷え込み、夜には冷たい風が吹いていました。
● epilogue
桜木町から野毛と野毛山に向かい、黄金町経由で伊勢佐木町を通って、関内までぐるり一周したこの日。
割と身近な界隈ですが、ディープエリアはほぼ未知の世界。
日ノ出町駅裏の石段やアート化した黄金町など、知らないものがいろいろとありました。
久しぶりに通った伊勢佐木町は、がらりと変化を遂げており、もはや知らない道のよう。
十年ひとむかし。少しご無沙汰していると、あっという間に見知らぬ場所になるものですね。
近場でも新鮮な発見がいろいろあった、刺激的でおもしろい散策デーでした。
ヘビや、オデオン、ハマ楽器等なつかしい名前が並んでいて昔のことを思い出しました!
有隣堂の隣に中華料理のお店があった頃から伊勢佐木町にはよく行ってました。もちろん森永ラブ(私の頃はソニープラザのようなお店でした)知ってますよ。
昔からのお店本当に少なくなっちゃいましたよね。
またこちらにちょくちょくお伺いしたいと思いますので、新しい記事楽しみにしてます。
コメントどうもありがとうございます。野毛のお方なんですね~。
ザキのランドマーク、オデオンがなくなったのは、残念!
有隣堂の隣の中華は、気づきませんでした。有隣堂地下のカフェには入ったことあるんですが。
伊勢佐木町は、変わらないようでどんどん変わっていきますが、それでもあの並木道は昔のままなので、毎回懐かしさを感じて散策しています。
こういう昔語りも、楽しいものですね😉
また、よろしくお願いします~☺