風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

epilogue (三宅島)

2010-03-15 | 東京

バスで島内を周っている途中、気になる看板を見かけました。
「生島新五郎の墓」と「為朝の打ち抜き岩」です。

生島新五郎とは、もしや「絵島事件」の歌舞伎役者でしょうか。
彼が流罪となったのは三宅島?
為朝とは、源為朝?頼朝と関係ある人かしら?

歴史博士のイルカさんに聞いたら、その場ではわからなかったと、翌日教えてくれました。
生島新五郎は、やはり絵島事件で三宅島に流されたそうです。

源為朝は、源頼朝の父の弟で、お互い保元の乱で戦い、為朝は負けて伊豆大島に流されたそうです。そこで三宅島、八丈島の長となり、勢力を盛り返して平清盛にたてついたところ、北条氏らに負け、今度は八丈島に流罪となったそうです。
その子孫が琉球王国を作ったと言われているそうな。
「詳しくはWikiに」と締めくくったイルカさん。
早起きして持参PCをネットにつなげて調べてくれたそうです。どうもありがとう!

為朝の打ち抜き岩とは、弓の名手だった為朝が、距離のある場所から矢を放ち、 一矢にして打ち抜いた岩のことだそうです。
アクセスしづらい海辺の岩場にあるそうですが、いつか見てみたいものです。

三宅島は、その昔、島流しの場所とされましたが、流されたのは当時の風潮に合わない政治犯やお公家様で、そういう人々が文化を広めたため、伝統的に高い教養が保たれている島です。
日本のオーストラリアと呼ぼうかな。



今回は、観光ではなかったため、私が島でお気に入りの、長太郎池やメガネ岩に訪れる機会がありませんでしたが、逆に観光では訪れることのない場所を見学できたので、とてもためになりました。

自然災害の猛威はかくも激しいものか、と、人間の小ささを思い知らされましたが、それと同時に、被災から立ち上がり、一歩一歩、再興へと着実に歩みを進めている人々の努力が感じられて、安心しました。

豊かな自然に恵まれた三宅島。島民の人にとっては唯一の故郷です。
一日も早く避難勧告が全島解除され、住み慣れた家へ戻れるようになれることを願ってやみません。


行きにミーティングで撮り損ねたレインボーブリッジ。
帰りも船酔いで寝ていたので、気づきませんでした。
これはノルさん撮影です。みんなタフね。。。

帰宅して、ペンション・サントモのサイトを開いたら、あつこさんと私との2ショット写真が掲載されていました。
迅速!私たちが6時間船に揺られている間に、載せてもらえたのでしょう。
嬉しかったです。また三宅島に行った時には、お邪魔しまーす!



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2 Comments

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Unknown (ucchy)
2010-03-24 11:20:16
こんにちはお久しぶりです。

源為朝で思い出したのですが、私の地元熊本に源為朝がその山の上から得意の弓で雁を射落とすので、恐れを成した雁がその山を迂回するようになったことから雁回山と呼ばれる山があります。

源為朝は若い頃は九州にも流されていたようです。よう流される人ですね(笑)
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こんにちは! (リカ)
2010-03-29 20:09:31
ucchyさん

お久しぶりですね。お元気でしたか?
源為朝は、日本各地でたくさん伝説を残した人なんですね。たいした大物です。
飛んでいる鳥を射落とすなんて、そうとう弓の達人だったんですね。
どんな人だったのか、さらに興味が湧いてきました!
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