山を通りぬけて、ようやくたどり着いた知恩院です。
他を圧倒する三門。大鐘楼といい、三門といい、知恩院は度肝を抜くビッグサイズのものがいろいろありますね。
「ラスト・サムライ」で、トム・クルーズがここの階段を上るシーンがあるそうです。
男坂を登りきったところから見下ろした三門。
あんなに巨大な門が、小さく見えるほど、急な勾配です。
でも、この勾配よりも高いところを上って知恩院に着いた私です。
目下、七不思議の四つが今見られないと聞いて、庭園見学はやめました。
どれも見られるようになったら、拝観したいです。
七不思議の一つ、御影堂の軒下の上に隠された、「左甚五郎の忘れ傘」は見つけました。
左甚五郎が御影堂を完璧に作りすぎたため、わざと不完全にするために傘を置いたと言われています。
パーフェクトなものって、危うい存在なんですね…。
紅葉も美しかったです。
境内を堪能し、帰りがけに三門下で見つけた張り子の法然さん。
2011年の「元祖法然上人800年大遠忌」という看板がありましたが、ちょっとなんだか、びっくりしました。
なぜバナナをしょっているんでしょう?(バナナじゃなくて月かしら?バナナムーン?)
近くにいた人たちも、「これは・・・」と絶句ぎみでした。
更に、逆向かいには、「天女」というタイトルながら、アラビアンナイトのようなやけにセクシーな張り子のお姉さんが横たわっていました。
天女って、天女の羽衣の、白い清らかなイメージなんですが、誰ですか、この露出度の高い、セクシーでカラフルなお姉さんは!
泉鏡花『高野聖』で、僧を誘惑する美女のことを思い出しました。
なんだか、見ているこっちが、恥ずかしいような気持ちになりました。(ああ、煩悩が…)
そもそも、なぜ天女が張り子の題材として登場するのでしょう。
浄土宗の大本山の、しかも三解脱門の下で…。
ただ、張り子の出来としては、法然も天女も精巧な仕上がりなのかも!?
丸山公園は、八坂神社と知恩寺に隣接しています。
(知恩寺には、心臓破りの男坂もあるから、かなり坂の上だったはず…)と思いながら、坂道の上へ上へとずんずん登っていったら、気が付いた時には「東山トレイル」という山道へ着いていました。
どうやら、上りすぎたようです。
東山トレイルって、大文字山・稲荷山・清水山・将軍塚を歩く山岳道だったはず。
ああ、最終日の今日こそは、山道は通るまいと思っていたのに、結局また山の中に…。
知恩院に行きたい私は、道がわからなくなり、迷いました。先へ続く道はどれも、細い山の中へとさらに進んで行くものばかり。
うっかり道を間違えると、知恩院ではなく、大文字山登山をしてしまいそうです。
たまに人影を見つけて、駆け寄ると、みんな熱心に紅葉を撮影している人たちで、よくわからない様子でした。配送の車を停めて休憩している人に聞き、地図で調べてもらいましたが、その人が持っている道路地図には載っていない山道ルートなので、結局わからず、辺りをしばしさまよいました。
そのうち、山道を下った所に寺院らしき建物が見えてきました。
(これが知恩院のはず!)と喜びましたが、道の先に門があり、固く閉ざされていました。
困って立ちつくしていたら、門の向こう側の階段を上ってくる年配のご夫婦がいて、奥さんが「こちらに来たいの?まってて、今開けてあげる」と言ってくれたので、仏を見た思いになりました。
ただ、「ごめんなさい、鎖に鍵がかかっているから、開けられないわ」と言われて、がっくり肩を落とした私。
それを見た旦那さんが「私たちも、これからこの階段を上って、大鐘経由で円山公園に行こうとしているから、そちら側からも行けるはずだよ」と教えてくれました。
大鐘とは、知恩院の鐘のことですね。
もう一度山道を登って、右往左往しているところで、タクシーの運転手らしき人が歩いていたので、「知恩院の鐘はどこですか」と場所を聞き、ようやく正しい道を教えてもらいました。
そんなわけで、ようやくたどり着いた知恩院の大梵鐘です。
鐘の大きさには度肝を抜かれました。
これを、17人のお坊さんが力を合わせて、大晦日に除夜の鐘として鳴らすんですね。
鐘は分厚く、突いたお坊さんたちの鼓膜がつぶれそうなほどの大音量だろうと思いました。
この鐘の中に黙秘し続ける容疑者を入れて鐘をついたら、耐えかねて真実を話すかもしれませんね。
梵鐘のある場所から階段を降りて行った所。
階段下の左端に、私の行く手を阻んだ門が、小さく見えます。
あそこを通れず、ぐるっと山を登ることになりました…。
嵯峨野を離れて、東山に向かいました。
祇園でバスを降りて、八坂神社を通りぬけ、円山公園を散策します。
紅葉を背景にした坂本龍馬と中岡慎太郎の銅像が、様になっていました。
公園内には紅葉が多く、目の保養になります。
9月は暑さに負けて、公園内では銅像を見ただけでしたが、散策してみると起伏に富み、四季折々に自然を楽しめる場所だとわかりました。
札幌の円山公園の方が、駅もあるので今まで印象が強かったんですが、京都の円山公園をモデルに作られたものだと知りました。名前までもらっちゃったんですね。
ちなみに、今までは、東山というと、名古屋の東山公園の方を先に思い出していました。
もっと京都に詳しくなりたいものです。
朝8時半頃に常寂光寺の前を通りかかった時には、すでに門の前にはカメラマンたちが待ち構えていました。
今回、嵯峨野で一番訪れたい場所だったので、私も一緒に待とうかと思いましたが、開くまであと30分もあるため、ほかを観てから戻ろうと、一周してきました。
9時15分くらいに着いたら、券売り場の所からもはやすごい人ごみで驚きました。
それまで、ひと気のない静かな嵯峨野を堪能していたのに、いったいどこから、これだけ大勢の人たちが集まってきたんでしょう?
みんなが集まるだけあって、紅葉はとてもきれいでした。
私も、念願かなって大満足です。
母からメールが届いていました。
この日、朝7時からのNHK「おはよう日本」で、このお寺の紅葉が放送されたそうです。
それで、人も普段より多いのかもしれません。
母も好きだという常寂光寺。
母が見た時よりは、紅葉はいまいちだそうですが、私にとっては十分すぎる美しい世界でした。
この辺りに、小倉百人一首を編纂した藤原定家の山荘「時雨亭」があったと言われています。
常寂光寺に向かう途中、お客さんを乗せたタクシーの運転手が、立ち話をしている女性たちに「寂光院はどこだね?」と聞きました。
「寂光院は大原だよ。常寂光寺なら、その突き辺りを左に曲がって更に右」と答えていました。
名前が似ているお寺が多いから、ドライバーは大変ですね。
日が昇るにつれてどんどん人で混んできて、静けさが失われてきたので、そろそろ嵯峨野を脱出することにしました。
法然のお墓があった、二尊院。
早朝に通った時には、まだ、お寺を守るいかつい門は閉ざされていましたが、戻ってみた時には、開かずの門のような雰囲気の入口が、ちょうど開いたところでした。
門の向こうに延びていく参道。
紅葉の馬場として名高い、まっすぐの参道を見ることができました。
門の前では、駐車場の仕切りが始まっていて、これから展開される観光客ラッシュを予感させていました。