風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

静岡・橋とお寺と旧友と 3-(1) 接阻峡

2013-04-21 | 中部(東海)
2-(2)からの続きです。

○ 夢の吊り橋は夢のまま

前日の祈りは、雨音に消されて神仏には届かなかったらしく、朝起きてもやっぱりざあざあ降りの大雨でがっくり。
これでは、寸又峡ウォーキングはとてもできません。
ここまできたのに、夢の吊り橋と猿並橋に行けないなんて・・・と、かなり落ち込みました。



朝食は山菜メイン。するりとおなかに入っていきます。
起床後と食事後に、朝2回温泉につかりました。ほんとうにとぅるっとぅるのいいお湯。
私たち、ちょっとは美人になれたかしらー?(^o^)

ほかの宿泊客も、天気の悪さに出発は遅れがち。
私たちもゆっくりしてから、モモとピーコに挨拶をして、宿を出発しました。
モモ、心ゆくまで肉球をさわらせてくれてありがとう。



昨日、友人のお子さんと、手をちぎれるくらいにブンブン振って、見えなくなるまで「バイバーイ!」とお別れをしていた私。
つい同じように、宿のおじさんと、いつまでもいつまでもバイバイし続けていたら、運転席のユキに「やりすぎ!」と笑われました。
雨は少し小雨になってはきましたが、ひと晩降りつづけて足元もぬかるんでいることですし、やはりトレッキングは無理。
車では行けず、徒歩で片道90分の道のりになるためです。
ああ、でも、行けないなんて、そんなあ。
期待いっぱいに、一番寸又峡入り口に近い宿に泊まったのに~、シクシク。すっかりブルーな朝です。
南アルプスと言ったら長野というイメージだけれど、この辺りは南アルプス国立公園というと知りました。



○ 飛沫橋

まずは接阻峡の方へ。寸又峡といい、接阻峡といい、なんだかとっても険しい断崖というイメージの名前です。
途中、車が二台止まって、人が外に出て橋から下を眺めていたので、私たちも車を停めてみました。





そこは長島ダムのところで、広く眺望が開け、大井川鉄道が通って行くのも見えました。
スマートな橋もありました。(ちょっと元気になる)



さらに進むと、ちょうどダムが放水していたので、「行ってみよう!」ということに。



ダムのところまで降りていくと、かなり激しく、大量の水が横に飛ばされていました。
そこになんと、吊り橋がかかっていました。



もう渡るしかないでしょう!飛沫(しぶき)橋という名前の通り、ミスト状の水しぶきが飛んできて、すっかり髪の毛がわさわさにぬれてしまいました。
でも楽しい!



天気も少しずつ良くなってきているし、予想外のワクワクを体験して、出発時のメランコリックな気分が徐々に晴れて、元気になってきました。



○ 南アルプス接阻大吊り橋



そして南アルプス接そ大吊り橋のところへ。大きくて目立ちます。



ここからさまざまな吊り橋が続く八橋小道ラブロマンスロードへと向かいました。
前日渡った恋金橋といい、この辺りでは吊り橋といったらラヴ!なんですねー。
高所恐怖症の人には、かなりハードルが高い恋愛のような気もしますが。



○ 八橋小道ラブロマンスロード



さすがに橋が8つもあると、渡っていくのがなかなか大変。



ダム湖に面した崖沿いの道を歩いていくため、アップダウンがかなりあります。



橋もそれぞれに特徴的で、真ん中が下がっていたり、太鼓橋のように上がっていたりと、様々で飽きません。



これも吊り橋なんですねえ?太鼓橋スタイルでも、吊っているのかしら?



圧巻は最後にあった宮沢橋。



ここに行くまで、山道をけっこう上っていきましたが、ここは日本唯一の階段吊り橋なんだとか。



なぜ、吊り橋に階段?不思議です~。



離れてみると、二つの吊り橋がこんな風につながっているように見えました。



渡り終わったところに赤いおべべの六地蔵が鎮座していました。(画像は不動明王か、庚申様)



なんとなくおべべが気になって、「べべといったらフランス語では赤ちゃん。おじさんはトントン。トントンといったらミッテラン」なーんて、とりとめのないフランス語ワンポイント講座を突然ユキにしてみたりして。
私的にはつながりがあったんですが、ユキにしてみれば、脈絡なしで面食らったことでしょう。
ドワーフのことは帳消しね…

○ 奥大井湖上駅

朝の大雨が嘘のように、午後からはからりと晴れ上がりました。
さあ、気分を変えていきましょう。
大井川鉄道もゆっくり通って行きます。



車に戻り、今度は道を探しながら奥大井湖上駅へと向かいました。
ここは、大井川鉄道の線路に沿って、湖の上の鉄橋の上を歩けるという、なんとも不思議な、ほかにはない場所なので、ぜひとも渡ってみたかったのです。
かなり急なアップダウンを超えて、ようやく線路のところへ向かいました。



ここはレインボーブリッジといわれます。



浮かれ気分の私は、「ローンドンブリッジーズフォーリンダーン♪」なんて縁起でもない歌を口ずさみ始めましたが、前を歩くユキが「シーッ、前方に・・・」と止めます。
たしかに、ほかの人に聞かれたら恥ずかしいな、と歌うのをやめましたが、向こうからやってきたのは、なんと昨日宿で一緒で少し怖かった一人参加の人が、向こうからやってきました。
うそでしょう~、なんという偶然。
引き返すか、前に進むしか選択肢はない、なかなか追い詰められたシチュエーション。
一人なら、一目散に踵を返してダッシュで逃げたことでしょう。

相手はかなり大柄で力もありそうでしたが、とにかく2対1という数的有利に立っています。
それにまたもやユキは平気そうでした。私はこわくて沈黙を守っていたら、「気配を消していたね」とあとで言われました。
ええ、くの一なので。



なにごともなくすれ違って、そのままどんどん前へと歩いていき、湖の真ん中にある駅のホームへと着きました。





ちょうど電車が通りかからないのは残念だけれど、実際に通ったら、近すぎてよろめいてしまうかもしれません。
面白い体験ができました。



足元の大井川ダム湖では、 ボートサーフィンしている人を見かけました。
静かな湖面に大きな曲線を描いていきます。優雅ー。



○ 千頭駅

それから千頭へ。汽車の終点としてこの日もまた、大勢の観光客で賑わっています。





看板を見て「鹿の肉まんがあるのね」と話したら、鹿は英語でなんていうか、聞かれました。
「ドワーフは?」「うさぎ!」「・・・」



お昼に山菜月見うどんを食べました。ユキは山菜月見そば。
デザートには川根茶ソフト。おいしかったです。お茶大好きー。



近くのお店の前では、わんこが暖かい日光を浴びながら、すやすやとお昼寝しており、撫でても起きないほど、熟睡していました。



みんなここまでSLできて、ここからバスで寸又峡へ向かいます。
「これから吊り橋♪」という女の子の声が通りしなに耳に入って、二人で振り向きました。
いいなあ、いい天気になってから吊り橋に行けて。

静岡・橋とお寺と旧友と 2-(2) 寸又峡

2013-04-20 | 中部(東海)

2-(1)からの続きです。

○ ③青部の吊り橋



SLが山すそを走っていく、絵になる光景。青部駅までやってきました。



駅そばにある青部の吊り橋へ向かいます。



なんだか人の声がすると思ったら、橋の下に、かなり大勢の人たちがいました。



エプロン姿など、おおよそ橋の下にはいないような格好で、きれいに並んでいます。



(なにをしているんだろう?)と思ったら、なんとドラマのロケ中でした。
河原に大勢並んでいるのは、エキストラの人のようです。



ミシミシ音を立てて上を歩いても大丈夫なのかな~?と、渡ることをはばかられて、しばらく様子を見守ります。

監督は結構厳しく、怒号が飛び交っています。
いらついている声で、辺りはシーンとしている中で、私たちだけ上できゃっきゃっと楽しんでいたら、いくら一般人とはいっても顰蹙かしらと思い、(怒られたくないしね)と、静かにしていました。
でも撮影クルーは、私たちのことなんてまったく気にしていない、というか、見えてもいないよう。
そんなに橋は高いところにあったかしら?



集中していたからかもしれません。
何度もだめだしが出た後で、ようやくOKが出たので、私たちもようやく安心して上を渡りました。



死人役の人が遠くに見えたので(木の下に倒れている白い人)、どうやらサスペンスもののようです。
ロケを上から見るなんて、すごい体験だわ。

殺伐とした殺人現場を眺めながら、橋を渡るなんていうのも、なかなかないことです。
それにしても、なんのドラマだったんだろう?

静岡の吊り橋は、踏み板が細くても、両手が届く位置にワイヤーがあるため、十津川に比べて恐怖感はありません。
物足りないなあと思っていたら、足を踏み外しかけて、肩でワイヤーに寄りかかりました。
ワイヤーがなかったら危ないところでした。油断禁物ですね。
ところどころ、壊れている箇所もあるし、足元注意です。



あたりは時が止まったかのような田舎の光景。駅も雰囲気がありました。

 



○ ④両国吊り橋

それから両国駅そばの、両国吊り橋を渡りました。



駅を隣に見下ろしながら渡っていくのは、なんだか本当に綱渡りをしているみたい。
まあ、人生すなわち綱渡りですからね!



橋の上では、向こう側からやってくる子供連れのお母さんとすれ違いましたが、娘に手を引かれるお母さんはとっても腰が引けていました。
よっぽど怖かったようで、真ん中までも行かずに、途中で引き返していました。

 



いくらワイヤーで補強されていても、やはり足の下がはるか遠くに見えるというのは、不安になるものです。



渡り終わった後、車で上写真右側の車道を移動するとき、左側にこの吊り橋が見えました。



○ ⑤八木の吊り橋

それから八木の吊り橋へと向かいました。



キャンプ場の近くですが、天気も悪いしまだ季節には早いため、辺りには誰もいません。



建てつけのせいか、見た感じよりも揺れました。



河口近くでは、ライダーチームや家族連れなど、なにやら吊り橋人口が多かったので、ちょっと戸惑いましたが、川をさかのぼっていけばいくほどどんどん人がいなくなって、もはや完全に貸し切り状態。

 



やっぱり、こうでなくっちゃね!!川と吊り橋と私。ラララ~♪



○ ⑥小山の吊り橋

それから、大井川沿いに、未チェックの吊り橋を見つけました。



ユキが橋近くまで行ける道を見つけてくれて、対岸に渡り駐車スペースを探して、渡ってみました。



発電所後の近くにある小山の吊り橋。なぜかここだけ、記念スタンプがあります。
(が、インクがないため、見るだけ~)



赤い橋で、川の青さと緑のコントラストが印象的でした。



前もってチェックしていたのではない吊り橋を目にすると、宝物を見つけたように嬉しくなります。
さらに渡ることもできたので、もう気分爽快!背中に羽がついたようなウキウキ気分です。
ただ、未チェックの橋は、アクセス困難な場所にあることが多く、指をくわえながら車で通り過ぎるだけの時も、多々あります。



これまで、吊り橋探検に行く時は、いつもいい天気に恵まれていましたが、この週末は嵐という予報。
なるべくもってほしいと祈るばかりですが、雨はぽつぽつと降ったりやんだりしています。



○ 千頭駅

SLが見えてきた!と思ったら、大井川鉄道の終点、千頭駅にさしかかりました。
もくもくと煙を上げたSLの周りでは、大勢の人々が撮影に興じています。
これまで人けもなかったのに、一気に人が増えて、観光地だわー。

小6の時に、家族で大井川鉄道に乗りました。
SLに乗れるとはしゃいで、窓から身を乗り出して外を眺めていたら、石炭の煙が目に入って、痛くて痛くてたまりませんでした。
煤を取ろうにも、奥に入り込んでしまってなかなか取れません。
ポロポロ泣きながら乗りつづけ、降りた駅で親が目薬を探してくれましたが、どこにも売っておらず、駅の救急箱にも無かったので、子供心に絶望したことを覚えています。
今でも汽車を見ると(うわっ、煙のすすが目に入っちゃう)と思いますが、今では改良されて、かなり煤の量も減ったんだとか。
確かに、近くを通っても、まるで煙のにおいはしませんでした。

「ここから、非電化の電車になるんだよ」とユキが教えてくれたのを「妃殿下の電車」だと思い、(なんてロイヤルな場所なんでしょう、時が時なら「妃殿下の馬車」になったのかもね)と思いました。
皇室は関係ないみたいです。 

 



○ 寸又峡 求夢荘

そのうちに雨が大粒になり、だんだんひどく降ってきたので、寸又峡へ急ぎました。
この日の宿へ向かいますが、その途中、かなり秘境っぽい場所なのに、ここまでバスがやってくることに驚きます。
寸又峡には車は入れませんが、そのギリギリの際にある旅館、求夢荘に泊まります。
予定では、チェックイン後に寸又峡ハイキングをして夢の吊り橋まで行く予定でしたが、大雨でどうにも身動きがとれず、雨音を聞きながら、ゆっくりお茶タイムにしました。


そして早めに温泉へ向かい、身体を温めます。
山の中なので、まだまだ寒さを感じますが、とぅるっとぅるの美人の湯で、お肌はすべすべになりました。
露天風呂につかって見るザーザー雨も、また乙なもの。
それにしても、前回の那須旅行も爆弾低気圧に当たり、大雨の中を露天風呂に入っていたので、(また同じパターン・・・)と思います。
春は意外に天候が変わりやすいし、さらに山の中なので、雨がちになってしまうんでしょうね。

夕食には、ヘルシーな山の食材が食べきれないほど出てきました。



天ぷらも揚げたてをもってきてくれます。タケノコ、川海老、ナントカあぶら(菜っ葉)など。



手打ち蕎麦もおいしくて大満足。全部で17品も出てきました。



昼食は道の駅のおもちだけですませてしまったので、しっかりいただきます。
おなかぱんぱんになりながらも、おいしく完食しました。

宿泊客の一人の男性が、食事時にぶつぶつ独り言を言い続けていたり、大声をあげたり、うろうろと不審な動きをしていたので、なんとなくみんな気にしていました。
突然ステージに行って、カラオケのマイクを握り始めた時には、それまでわきあいあいと、テーブル同士で話に興じていた誰もが、シーンと、物音一つ立てなくなりました。
そういう時って、それまでさわがしかった小さな子供たちも、空気を察して黙りこむものなんですね。
私も息を殺していましたが、ユキは「見事に会場が一体化した瞬間だったね」と、平気そうでした。

○ モモとピー子

食後、囲炉裏のソファにわんこがすやすや寝ているのを発見。かわいーい。
どんなに撫でてもさすっても、嫌な顔一つしない、大人しいいい子です。
モモという5歳犬だと教えてもらい、「看板娘?」と聞いたら、「というより女将だね」と宿の人に言われました。



なんだか鳥の声もするなと思ったら、桜文鳥もおり、文鳥好きの私は、一気にテンションが上がります。
また温泉につかりにいったり、モモや文鳥と触れ合ったりして、ゆっくり夜になりました。



日記を書いてから12時半に就寝しましたが、なぜか寝付けず、3時半になってしまいました。
ずっと大雨が降り続いているのを悲しい思いで聞き、(夜のうちに雨がやんでいますように、神さま仏さま、お願い!)と念じました。

3-(1)に続きます。


静岡・橋とお寺と旧友と 2-(1) 大井川

2013-04-20 | 中部(東海)

1日目(2)からの続きです。

○ 待ち合わせ3:静岡駅

メールの着信音で起床。まだアラーム時間には早いなと思ったら、今日から一緒に旅をするユキからの朝メールでした。
「朝4時半に起きたよ!新幹線に乗れたよ!」と、テンションMaxですが、夕べ夜更けまでおしゃべりしていた私たちはまだ眠く、目をこすりこすり。

朝食をいただいて、出発しました。
ユゲちゃんの車にイマちゃんと二人で乗せてもらい、ユキと静岡駅で待ち合わせます。
東静岡でユゲちゃん、新静岡でジョゼ、静岡でユキと、静岡の主要3駅で友人と待ち合わせしたことになります。
これで私も静岡通!?
駅で合流したユキも車に乗せてもらって、レンタカー屋前で降ろしてもらい、高校の友人たちとお別れ。
車から降りた後で「ハグしそこねた~」と残念がったら、二人とも噴き出しました。
「高校で初めて会った時にも、リカに抱きつかれたこと、いまだに忘れられないよ」と言われます。
私だって、忘れられない二人の思い出、いろいろあるんだから~、ふふ。(旧友は足の引っ張り合い)

ここで、旅の連れはユゲちゃん・イマちゃんからユキにバトンタッチしました。
まずは車を借りて、出発ー!
さっそく大きな川を渡りました。これは安部川かな?



○ ①蓬萊橋

はじめに島田へと向かいます。
ユキは「静岡のドライバーは運転が荒ーい、割り込みがすごーい」と言って怖がっています。
道路が広いからかしら?
昨日から感じていましたが、静岡は道路が広くて運転しやすそう。慣れてしまえば問題なく、高速に入らずとも快適に島田まで向かいました。

目指すは、私リクエストの蓬萊橋。よく時代劇に使われる、風情のある木造橋で、世界一の長さです。
ここはなんとしても、ぜひとも渡ってみたいと思っていました。
おお、遠目に見えてきました。むむ、長い。長ーーい!



実際に渡り始めてみると、その長さに驚き、感動します。
「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川~」と口をついて出ました。
小5の学芸会で『大井川の渡し』という劇を行い、私は東海道五十三次の弥次さん喜多さんの喜多さん役に抜擢されました。
ダブル主演!でも男役・・・。
振り分け荷物をしょって、熱演(?)したものです。
劇のはじめの台詞は、弥次さんの「箱根八里は馬でも超すが」と言ったあと、「超すに超されぬ大井川」と言うんだったなあと思い出しました。
クラスの女番長みたいな子が、旅人に高い渡し賃を吹っかける川の渡し守役で、セリフは「いやならよしな」と2回言うだけだったことも。
ここがその大井川なのね~。そう思って眺めると、感慨深いです。
これだけ長い橋だということは、増水したら大井川は簡単に橋の長さにまでふくれあがるということでしょう。



まさに時代劇風の橋。たもとには、ギネスレコードの碑もありました。



ここは昔から、渡し賃を取る方式。レトロです。色褪せた古い橋の写真も飾られていました。
定期券もあるんですねー。ここを日々通っていく人は、何を思って大井川を渡っていくのでしょう。



風が強いときだったので、結構寒いですが、とにかくテンションがあがりまくり。
でもユキはこわがっていました。
だいじょうぶよ、落ちてもたいしたことないから!



実際に歩いてみると、なかなか向こう岸にまで辿りつかず、本当に長いなあと感じます。
渡りきったところには、かわいい道祖神がいて、心がほっこりしました。



こちら側から見る橋の美しさに、改めて見とれます。



そしてまた帰り道。ラッキーなことに、ほかに通る人はおらず、まさに「世界記録、貸し切り」状態でした。



途中に「ど真ん中」の文字が。
ここなんですねー。どちらを向いても、陸地はずっと遠くにありました。

下を流れるのは大井川。
昔は、遠江以東の大河川や湖沼には橋がかけられず、旅人は徒歩か船で渡ったそうです。
江戸の防備という軍事的目的からでしたが、川幅720間の大井川は、箱根越えと共に東海道最大の難所だったとか。
現代の喜多さん役は、橋の上を歩けて、幸せ~。



○ 日本一短いトンネル

そこから大井川鐵道「地名駅」へ。これで「じな」と読みます。
プルーストの『失われた時を求めて』にある「土地の名・土地」という章を思い出します。



無人駅からすぐのところに、日本一短いと言われるトンネルが見えました。



大井川鐵道・川根電力索道用保安隧道というのが正式名称のようです。
長さ11m、幅5m。ほとんど枠ですが、あれでもトンネルというのねー。

かつて、索道(これ、さくどうと読んで、ロープウェイのことなんですね!)から、荷物が鉄道へ落下するのを防いでいたものだとのこと。
電力索道と大井川鐵道が同時に存在した期間に出来たもののようです。
ズームして見ると・・・たしかに短いー!



山を掘っているわけではないので、厳密には鉄道トンネルと言えないとも。
(本当の日本一は、全長7.2mの吾妻線・樽沢隧道だそうです)
よく見ると、左右がずれた、少し斜めの切り口になっています。雨が降ったら、あそこで雨宿りすればいいわけね。
普段の感覚にない、珍しいものが見られました。

○ ②塩郷の吊り橋

それから、大井川沿いを走って塩郷の吊り橋へ。
「あ、あそこ」とユキが指さす方向を見ると、またもやありえない光景が目に飛び込んできました。



なにがあり得ないかというと、その橋、人家や線路の上を通っているんです。
ふつう橋って、川や道路に渡されたものじゃないの!?



さっそく車を停めて向かいますが、一足先に同じ駐車場にバイクを停めた10人のライダーたちさんも向かっていったため、橋のたもとで彼らが渡りきるのを待ち、時間差で渡りました。
十津川の秘境の中の吊り橋がデフォルトになっているため、吊り橋の上で混むというのは気分的にありえません。
去年の夏に四国のかずら橋で体験した大混雑状態は、橋に集中しきれないので、避けたいのです。



歩き始めるとすぐに、人さまの家の上にさしかかります。
民家の上も通るなんて、不思議な感覚だわー。
屋根を見下ろしながら、ここに住んでいる人は、結構響くだろうなと思います。

 



次に県道77号の上、そして鉄道の線路の上、さらに大井川とまたいでいきます。



見下ろす世界ははかなりバラエティに富んでいます。
サーカスの綱渡りをしているよう。I can fly~!
そうこうしているうちに、大井川鉄道がやってきて、すぐ下を通り抜けていきました。
カメラを構えて待っていたら、ユキが「運転士がなんだかとっても構えてこちらを見ていたよ」と言いました。
あらやだ、飛び込みませんわ~!まだまだ渡りたい吊り橋はたくさんありますもの。



すぐそばに駅があるため、電車は徐行します。



SLも通って行きました。



一枚板やワイヤーで隔てられただけの、自分のすぐ下を鉄道が通過していくなんて、すごい体験。
大柄のライダーたちが次々に渡っているためか、ミシミシと割と揺れます。板は2枚で、ところどころ3枚になっているのは、すれ違い用。
でも十津川よりも板の幅があるので、2枚でも大丈夫。こわくありません。



帰り道、学校帰りの男子高生たちとすれ違いました。
通学路に吊り橋があるなんて、うらやましいわー。度胸がつくでしょうね。
この橋は「恋金橋」という通り名がついています。ドラマで使われたためだとか。
でも、ラブというよりはアドベンチャー度が高いところでした。



私たちが渡り終えたあと、入れちがいに渡り始めた人たちのうち、お母さんが抱いていた赤ちゃんの靴が片方脱げて橋の下に落ちた瞬間を目撃しました。
靴は、民家そばの草むらに落ちたようです。
一部始終を見ていた人は多く、一番そばにいた人が、すばやく下まで降りて、拾ってあげていました。
先ほどのギネス認定の蓬莱橋ほどではありませんが、この吊り橋も長くて、大満喫。まだ下流付近なので、大井川一の長い吊り橋だそうです。



○ おひる?

お昼にさしかかったので、川根の道の駅でランチにしろうと寄りました。
なにやら大音量で歌謡曲を流しているなあと思ったら、この日はお茶イベントを行っているとのこと。



ただ、提供するのはお茶菓子程度で、食事は出していなかったので、がっかり。
でも、いただいた川根茶とつきたてのおもちはおいしくて、お昼はこれでいいかなという気持ちにもなりました。

2-(2)に続きます。


静岡・橋とお寺と旧友と 1-(2) 静岡

2013-04-19 | 中部(東海)

1-(1)からの続きです。

○ 元の小学校へ

それから1年だけの母校、高部小学校へと向かいます。
大内は、相変わらずかなり郊外度が高かったけど、それでも新しい家並みに建て変わっていて、驚きました。
通学路だった道を辿りますが、当時の面影はもうほとんど残っていません。
でも、下校途中の子供たちは、みんな青いヘルメットをかぶっていて、(いまだにヘルメット通学は必須なんだ)と、当時のことがよみがえりました。



昭和49年の七夕大洪水の爪跡がひどかった清水では、私がいた頃も、ヘルメット登下校が規則となっていました。
子供には重く邪魔なヘルメット。毎朝憂鬱でしたが、逆に考えると、とても危機管理の高い場所だったんだなあと思います。




途中、索道に荷台が置いてありました。
「山の上でミカンを収穫したら、ここに載せて、下まで下ろすの」と説明すると、「なーるほど!」とようやく合点がいった様子のイマちゃん。
都会っ子には、わからないわよねえ。私もここにきて知ったものです。



ゴルフ練習場の前を通ると、イマちゃんが「とっても贅沢!」と言いました。都心では、こんなに広々とした面積はないのだとか。
ここは子供の頃からありますが、全然そんな風には考えたことがありませんでした。
塩田川を渡ります。こっちでは、だれも「しおだがわ」なんて言いません。「しょだがわ」です。
サギがいました。



川を越えると、とつぜん小学校が見えてきました。
学校に入ってみると、懐かしさが一気にあふれだしてきます。



美しく咲いた藤棚が、私たちを歓迎してくれました。




私がいた頃と、あまり変わっていません。建物の入口前の卒業生記念タイルも、私がいたときのまま。
当時の榊原校長先生時に建てられた友情の碑もありました。



ただ、掲げられている学校名は「清水市立」から「静岡市立」に代わっていました。
なじめなーい!私の人生の2年間は、清水っ子だったのにー。



○ サッカーボール?

巨大なサッカーボールが遠くから見えて、(あれ、なに?)と目を凝らしました。



アドバルーンのようでしたが、近くまで行ってみて、団地の給水塔だとわかりました。
うっかり母校かと思って、近寄ってしまいました。
さすがはサッカー王国清水、センスが違います。ボールはともだちね!

○ 元の中学校へ

そこから1年だけの母校、第六中学校へ。
行けばわかると思っていましたが、行ってもまったくわからず、またショックを受けます。
子供たちに道を聞きながら向かっていきました。

普通に民家の隣に茶畑があったりする、やっぱりここは日本一のお茶どころ。



ここも、道のりはさっぱり記憶にありませんでしたが、中学校の目の前まできてようやく思い出しました。



わあ、なつかしい!
小学校も中学校も、立て直しをしておらず、記憶にある学び舎のまま。
ここも静岡市立になっていましたが、校章は変わっていませんでした。



敷地内には「七夕豪雨浸水水位」の碑が立っていました。
水は160cmの高さにまで押し寄せたそうです。
そんなに高いと、子供たちは流されちゃいますね。ヘルメット通学の伝統が続くわけです。
今の私の背丈だって、届かないくらいの水。
清水の人たちは、当時の恐怖を忘れないように、熱心に避難訓練を行っていました。もちろん今でもそうでしょう。



界隈はすっかり変わっていましたが、敷地内は体育館が新しくなっていたくらいで、あまり変わっていません。
制服も一緒のまま。学年によってスカーフの色が違うのも変わりません。私は紺でした。
ここで1年間だけセーラー服を着ていたんだなーと、思い出します。



校庭を見てみようと思って行ったら、部活の時間になっていて、そこにいた生徒たち全員に、口々に「こんにちは!」と言われました。
きゃー、さわやかー!なんていい子たちなの、私の後輩は!
うれしくて、笑顔全開になりました。

○ ふたたび北街道バス

それほどのんびりしていたつもりもないけれど、気がついたら5時近く。
4時にまちなびやに戻るつもりだったので、急いで帰ることにします。
イマちゃんは、この次に清水次郎長の生家が見たかったようだけれど、ごめんね!
帰り道が分らないし(頼りにならない元住民で済みません・・・)、流しのタクシーも来ないので、「押切」からまた北街道のバスに乗って戻ることに。
また「大内観音」と「大内西」の間で、目を凝らして元の家の辺りを探そうとします。
たしかこの辺だったような…



それともこの辺だったかしら…



やっぱりわからないままでした。もう全てさら地になってしまったようです。

○ 待ち合わせ2:新静岡セノバ

イマちゃんは乗った「千代田小学校前」バス停で降り、ユゲちゃんに迎えに来てもらいました。
私はそのままバスに乗って、新静岡へと向かいます。
静岡行きのバス。新静岡には止まるのか、わからなくてオロオロしてしまいました。

駅ビル・セノバで、大学院時の友人、ジョゼフィーヌと待ち合わせ。
一緒に鷹匠へと向かいました。
鷹匠はここ数年、静岡の代官山といわれているらしい、おしゃれな界隈。
静岡は蕎麦が有名ということで、おそば屋さん「つむらや」へ。
ここでファミリーと待ち合わせて一緒に夕食を取りました。



ジョゼにも旦那さんにも、12年前に遊びに来た時以来。小さな家族が二名増えていました。
夫妻には学生の時から「リカリカ」と呼ばれていましたが、お子ちゃまたちにも「リカリカ」と呼ばれました。
私をリカリカと呼ぶ人が、倍に増えたわ。



桜えびかき揚げ・変わりそば・生麩揚げ&鳥肉椎茸煮・蕎麦スプラウト&鰹節・いそといった5種類の冷蕎麦がそろう「ふくわうち」にしました。
お蕎麦はとてもコシがあって、おいしかったです。
いくつもの小鉢に分かれて出てきたので、お兄ちゃんに少し手伝ってもらいました。
「ボクも吊り橋行きたい!パパ、ママ、いいでしょ?」とおねだりしていたので、「次に静岡に来る時には、お誘いするから、一緒に吊り橋に行こうね」と言いました。
これで吊り橋探検隊員が一人増えたわ。

それからファミリーとお別れして、ジョゼと二人で、「Bar de juillet」へ。
ええと、ここは本当に静岡かしら?
本当にオシャレな界隈で、驚きます。



日中、大内アトランティス(失礼!)で山登りをしていた私は、雰囲気の変化に戸惑うばかり。
都会のような雰囲気に加えて、人が少ないところが理想的です。
ザクロのカクテルをいただき、ゆっくりお喋りしました。



○ 友人宅に友人とお泊まり

ジョゼとお別れして、日吉町駅まで送ってもらい、静鉄で古庄駅へ。
ユゲちゃんに迎えに来てもらい、彼女のおうちへ。
友達にお世話になってばかりです。今度御恩返ししなくちゃ。
この夜は、ユゲちゃん宅にイマちゃんと泊めてもらいます。
うわあ、修学旅行以来。楽しい夜になりそう!はしゃいじゃいます。
オールナイトトークになりそうな勢いを感じ取ったのか、明日会うユキからメールで「明日は細い山道を運転するから、寝不足にならないように」と釘を刺されて、ドキーン。ばれたか(笑)。

どこもかしこも広々としたウッディなおうちでした。
土間風の空間があって感動します。ここで馬が飼えるわね!



すでに、イマちゃんとユゲちゃんファミリーとで食後の飲み会が開催中のところに混ざりました。
静岡の生しらすや、桜えび、甘いいちごなどをたんといただきます。
さっきイチゴのビニールハウスを見てきたので、すっかり食べたくなっていたところ。喜んでいただきます。
どれもおいしい!静岡って、食べ物がまんべんなく美味しい土地よねー。
お皿のトマトは「召しませ静岡おみや」シリーズの、地元産の漬物なんだそうな。つやつやしていました。
ご夫妻イチオシという「バリ勝男くん」は、確かに燻製カツオがおいしくて、やみつきになりそう。
「バナナアイスも珍しいんだよ」と見せてもらいました。
次回、夏に来た時に食べてみたいわー。



ジョゼとユゲちゃんに聞いてみましたが、静岡ではヘルメット通学をしていないとのこと。
「なにそれ?」と眉をひそめられました。
清水も静岡市の一部になったのに、場所で違うものなんですね。

団地の給水塔がサッカーボールになっている話をしたら、静岡ではそう珍しい話ではないとのこと。
さすがね・・・。

自分の思い出辿りができただけでも意義深い日でしたし、加えて高校時の友人と大学時の友人という仲の良い友達と久しぶりに再会できて、とても嬉しい気持ちでいっぱい。
なんていい日なんでしょう。
話は尽きませんでしたが、明日のことがあるため、真夜中過ぎに就寝しました。

その2-(1)に続きます。 


静岡・橋とお寺と旧友と 1-(1) 清水

2013-04-19 | 中部(東海)

4/19

○ prologue

小6と中1の2年間、清水で暮らしていましたが、その後引っ越しをして以来、一度も帰っていないまま、今に至ります。
一度、静岡に越した友人のもとに遊びに行ったことがありますが、それはもうかれこれ12年前の話。
しかもその時は、清水には寄らずじまいでした。
その後、清水市が静岡市に組み込まれて、消滅してしまい、ショックを受けました。
今年で静岡市清水区となって10年だそうです。
静岡はそう遠くないから、いつでも行けるなあと思っているせいか、なかなか行けないまま、日が経ってしまいました。

今回は「近場だし、一泊でいいかな」と、初めは大井川の吊り橋と寸又峡温泉への一泊二日旅行のつもりでしたが、どんどん予定が膨らんでいき、前日にスピンオフ(1)として静岡の友人たちと会ったり、その後にスピンオフ(2)として浜名湖周辺へ行ったりと、結局三泊四日のなかなか大きな旅になりました。
とにかく静岡を訪れること自体、久しぶり。
ワクワク楽しみですが、かつての思い出の地がどんなふうになっているのかと考えると、なんだか緊張もしてきます。

○ 待ち合わせ1:東静岡駅

朝起きて静岡へ向かいました。
いい天気で、空を見上げてにっこりします。
まずは、東静岡駅へ向かいました。東静岡なんてかつてはなかった駅で、両親に聞いても「知らないわ。新静岡じゃないのよね」とわかっていません。
新しい大きな駅で、キョロキョロしました。
そこに正午に、ユゲちゃんと待ち合わせ。
久しぶりのユゲちゃん、お世辞じゃなくて、全然変わっておらず、すぐに見つけてきゃっきゃっと飛び上がります。

嬉しいことに、千葉から共通の友人、イマちゃんも来る予定になっていますが、時間に正確な彼女がまだ来ません。
どうやら早く来すぎて、時間が来るまで少し足を伸ばしてみたら、まちがえて安倍川の方に行ってしまったとのこと。
ちょっと遅れての登場となりました。
二人とも、高校の時の仲よしグループです。
いつも横浜や東京でばかり会っていたので、まさか東静岡で顔を合わせるなんてね、と、口々に言いました。

東静岡駅周辺はまだ開発中。
まずはとっても目を引く建物、グランシップを説明してもらいました。



黒くて兜のような屋根が、ダースベイダーを思わせます。ああ、あのテーマソングが流れ出す~
「箱物行政だからね」とユゲちゃん。



反対側にあるマークイズは、先週末にできたての複合施設。
そこにつながる橋が、かっこいいわ~と思ったら、「まだできていないの」とのこと。
建物のオープンに間に合わないなんて~!

○ しぞーかおでん

ユゲちゃんの案内で、彼女おすすめのお店「あおしま亭」に行きました。
民家をそのまま改修したような、懐かしい感じのお店。



ここで、しぞーか(静岡)おでんと焼きそばを食べました。
静岡おでんといえば黒はんぺん。関東ではなかなか食べられる場所がないので、ここで食べてみないことには始まりませんね。
真っ黒の煮汁の中に入った具がぐつぐつと煮えていて、見慣れない光景にとまどいます。



今しがた見てきたばかりのグランシップが頭の中にあるので、「暗黒面フォースに支配されてる!」と思ってしまいました。
火力は七輪なのが、雰囲気に合っています。



さらにこちらでは、からしのほかに青海苔と削り節のだし粉をお好みでかけるというのが、新鮮。
味付けもその時でいろいろ変えられるわけですね。
色の濃さにびっくりしましたが、味が濃いというわけではなく、むしろきちんと染みわたっている上に、程よく柔らかくて、おいしかったです。
たけのこもおでんになって、やわやわでした。ユゲちゃんがタケノコ掘りをして寄付したそうです。



静岡ではおでんを駄菓子屋で買える、と聞いてびっくりしましたが、リーズナブルな値段なので、子供にも買いやすいのでしょう。
冬になるとあちこちのお店でおでんを始めるそうです。静岡では、コンビニおでんはなかなか売れ行きが伸びないでしょうね。
だってだんぜん、お店の方がおいしいですもの。



ほかに、ユゲちゃんお勧めの焼きそばを頼みました。
久しぶりの再会なので、話が弾む弾む。
すぐに時がさかのぼって、高校生の頃に戻る私たちです。

○ まちなびや

おなかがくちくなってから、数軒隣のユゲちゃんのNPO事務所「まちなびや」へ向かいました。
本当に駄菓子屋さんで、とってもレトロ感が漂っており、懐かしくなりました。
そこで活動状況について説明してもらい、発行している「コドモンデ」というフリーペーパーを見せてもらいました。

友達がNPOの理事長をやっているなんて、すごいなあと思います。
高校の時から、人一倍頑張り屋で実行力がある人でした。
この前シブヤ大学の授業に参加し、団体運営法を学んできたという彼女。
ボランティアスタッフとしても、興味しんしんです。

○ 北街道

ユゲちゃんはそれからお仕事なので、イマちゃんと二人で、私の思い出の地を一緒に訪ねてもらうことにします。
静鉄長沼駅のすぐ前で、線路を挟んだ向かいには、バンダイホビーセンターがありました。



思わぬ場所にガンダムが~。
これは、アニメ好きにはたまらないでしょうね。



緑が美しい季節。公園のつつじも藤も見頃です。



北街道の「千代田小学校前」から、バスに乗って行きました。
すっかり忘れていた北街道という地名を久しぶりに聞いて、懐かしさにシビレます。
静岡と清水を繋ぐ街道で、どちらの駅に出る際にも、バスを使っていました。

瀬名、鳥坂と、バスは通っていきます。
どこも懐かしい地名ながら、きょろきょろと見回しても、全くかつての面影はありません。
鳥坂の大きなヤオハン裏のピアノの先生のもとへレッスンに通っていたものですが、もうヤオハンがあった場所さえわからなくなっていました。

○ かつての家は

いよいよ、私が住んでいた大内が近づいてきます。
「大内西」のバス停だったような気がしますが、悩んでいるうちに通り過ぎてしまったため、次の「大内観音」で降りました。



長く広がる山々の尾根は、昔と変わりません。
山の真ん中に見える水色の屋根が、大内観音の伽藍です。
この辺りは、北街道の中でも一番郊外度が高そうな場所。
東横線沿線の川崎から転校してきた身には、あたりが田んぼでカエルが鳴いている環境が、相当にカルチャーショックでした。
昼は、田んぼにレンゲが咲いていることに驚き、夜は、カエルの大合唱に眠れなかったものです。

バスを降りて、ドキドキする胸をおさえながら、大内西方面へ歩いてみますが、昔の家はもう陰も形も無くなっていました。
区画整理で住所も変わったため、どこだったのかも漠然としかわかりません。
いくら記憶がおぼろでも、実際にその場所に行けば、いろいろと忘れていたこと蘇ってきて、すぐに思い出せるだろうと思っていたのに、どうにも記憶を辿ることができずにショック。
かつては見渡す限り田んぼか畑でしたが、さすがに少なくなっています。



元の家の場所を探しだせずにがっくりと肩を落とす私を、「建物が変わっちゃうと、わからなくなっちゃうよね」とイマちゃんが慰めてくれました。
こちらに歩いてくるお婆さんを見て、「あの人に聞いてみる?昔の人なら、わかるかもよ」と言ってくれたりも。
もともと居住者の入れ変わりが頻繁な官舎だったため、やめておきましたが、そのいたわりが心にしみます。
優しいわ。友人と一緒に来られてよかったです。



小学・中学時に住んでいたところを、高校時の友人と訪れる。
とっても不思議な感覚です。
お嫁さん候補を実家に招く男の人の気持ちがわかるかな~と思いましたが、故郷というにはちょっと思い出が遠くて(住んでた家さえ探せないくらいですもの)、残念ながらそういうグッとくるような感じは味わえませんでした。
イマちゃんは「静岡に来たら、こんなパンツ履いてる人誰もいないの!」と驚いていました。

○ 霊山寺 大内観音

呆然とする気持ちをなんとかおさえながら、裏通りに入り、次には大内観音へと向かいました。
こっちの人は「おーちのかんのん(大内の観音)」と言います。
子供の頃に何度も上ったので、行ってみたかったのです。
正式名は霊山寺(りょうざんじ)。
住んでいる間、その高さに下から見上げて驚いていましたが、今でもやっぱり、山の中腹に見えるお堂は、相当の距離。

いくら小さい橋でも、とりあえず渡ってみるのがポリシー(笑)。



もう最近、旅に出るたびに「熊に注意」の看板を見ているような気がします。
つまりそういう場所にばっかり行っているってことね…



静岡といえばみかん!おいしそうなのがなっていますー。



索道も懐かしい。子供の時、乗ってみたくていつも熱い秋波を送っていたものです。



イマちゃんはヒール付きの靴なので、大丈夫かなと気になって何度も聞きましたが、「オーダーメイドなのでOK!」とのこと。
彼女が山登りに慣れている子だったので、助かりました。
しかも途中、なにやら道を間違えてしまい、ひと一人しか通れない断崖のようなところをどんどん登っていくことに。



「やっぱり違うよね、引き返そう」と決心して、途中で引き返して正解でした。
おそらくあれは、みかん農家の私的農道だのでしょう。
山ヒルにつかまる前に引き返す勇気と決断って、大切だわ。
なんだかとっても見晴らしが良かったです。



墓地があり、全ての墓碑が「大木家」だったので、いつも落ち着いているイマちゃんが、かなり腰が引けていました。
「そういえば、このへんって大木さんっていう人が多いの。あと望月さん」と、あまり気にしない私。
なぜかというと、以前、土方歳三のお墓参りをしに行った時、墓地すべてが「土方家」だったという経験をもうしているからです。
さすがに、墓地を写真に撮るのははばかられました。

参拝道の入り口に杖がありました。不規則な石段が延々と続いて、かなりの山登りとなります。
これはハードだわ。
上に上ったときには汗だくになりましたが、気持ちよい風が吹き抜けていきました。



貫禄がある仁王門や鐘楼。まさに古刹です。
仁王様が、、、こわい!これは悪魔も尻尾を巻いて退散するでしょう。



しかもひとけがありません。お寺も無人で、御朱印はもっと下の民家で配布しているようです。
仁王門には蛙股がありました。梁や桁の上にある、山形の部材のことです。
これは、日本で3つしかない珍しいデザインなんだそうです。

 



とうとう、本堂に辿り着きました。ふー、かなりハードでした。
イマちゃんありがとう。こんな大変な場所にまで付き合ってくれて、もうあなたに頭が上がらないわ。



古いながらもきちんと彩色が残っている美しい天井画に見とれます。
中央には龍、両脇には天女が描かれていました。

 



数年前に檀家さんたちによって立てられた由緒書きもありました。
以前はなかったので、さっぱりわからないまま(観音様のいる場所なのね)という意識だけで参拝していたものですが、かなり歴史的価値のある古刹なんだなあと改めて感じました。
山火事にも遭わずに有り続けてきたというのが、素晴らしいです。



観音巡りをしてきただろう人々の、色褪せた写真も飾られています。



まさに霊場といった風格のある場所。二人で貸し切りという贅沢さを堪能します。



おそらく子供の時には、ここに来ただけでゴールでしたが、今となってはお堂の中に目を凝らしてみます。
ご本尊の千手観音が優美においででした。
私が子供の頃から、ずっとここで参拝者を迎えてくれていたのでしょうね。



横にいるおびんずるさまをなでました。
パールのネックレスをして、レースのクッションに座る、なかなかチャーミングなおびんずる様。
「寄贈 布団」なんて書いてあるのもほほえましいです。



その下にあるサイン帳?登山簿?を開くと、「来たよー!」というメッセージよりも、お経がびっしり書かれていて、気持ちが引き締まりました。



私たちもしたためてきました。



お堂に座って休むと、心地よい風を感じ、鶯のさえずりが聞こえ、目の前には遠く日本平が見えます。
風光明美な場所です。



ああ、ここに再び参拝できて、よかったわ。
それからまた足場を探しながら下山しました。

1-(2)に続きます。