風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

まだ見ぬバルト三国へ 4-1(リガ)

2017-05-23 | 海外
3日目からの続きです。

● リガの朝

窓の外は曇り空。天気はいまいちで、少し雨も降っているみたい。
まあ、ザーザー雨ではないのでよしとします。
目の前はリガ駅。電車がゆっくりと、着いたり出たりしています。



朝食を食べにホテルのカフェテリアへ。
シンプルで品があって、すてき。「THE TRAVELLER」というのはお店の名前。
TRAVELERもTRAVELLERも、どちらもトラベラー、旅行者という意味です。

以前、久保田さんという人が、留学先での自己紹介の時に
「マイネームイズKUBOTTA、ダブルT、プリーズ!」と言っていたのを、思い出しました。
名前を呼ぶとき、ちゃんと「TTA」と発音しないと直されたっけ。



くるくる回るソーセージ。
見ていて楽しくなりました。
これ、うちにほしいなー。一人じゃこんなに食べられないけど…。



● アーミーといっしょ

エレベーターで、迷彩服の人とすれ違いました。
(あれ、今のは軍服?いえいえ、それっぽい柄の部屋着でしょう)と思いながらカフェテリアに入ると、同じ服の人が大勢食事をとっていました。



はじめ見た人の腕章に「US Army」の文字と星条旗のアップリケがついていたので、みんなアメリカ陸軍部隊なんだと思ったら、ドイツ国旗を付けたジャーマンアーミーもいました。
彼らはどうしてラトヴィアにいるのでしょうか。
米独共闘?敵はどこ?



朝食の席で一緒になったということは、彼らはこのホテルに泊まっていたんですね。
席のほとんどを彼らが占めており、私たちのような一般客(?)はほんの少数。
なんだか彼らの宿舎に、私たちがお邪魔しているみたいです。
みんな大柄で迫力がありましたが、静かな声で会話をしながら、おだやかに食事をとっていました。



天井からは、無数の紙が下がっています。中には日本語で縦に書かれたものもありました。
読んでみると「雲おりおり 人に休むる 月にかな」(●は判読曖昧)と書かれていました。
これは俳句かな? 上手なのかそうでないのかわからなーい。



日本から遠く離れた場所にあるホテルの天井から、若干意味不明の日本語が下がっているのは、なかなかシュールで不思議でした。

食事を済ませたアーミーたちは、リュック一つしょって観光バスのような大型バスに乗って、何処かへ去っていきました。
あれ、軍用バスじゃないの?まさか観光に来ているの?
よくわかりませんでしたが、ピリピリしたムードはなかったので、戦争がらみの危険事態ではなさそう。
私たちも朝食をいただきます。



● ホテルの部屋でエスプレッソ

食事をとってから部屋に戻り、ネスカフェのコーヒーマシンを使ってみました。



う~ん、いい香りが、部屋に漂います。
ホテルの部屋で窓際のエスプレッソ。いいですね~。(飲めないけど)

● みぞれ模様で防寒対策 

この日の気温は2度。天気予報はみぞれ。
2度でみぞれって・・・。この旅で一番ハードそうな天候です。
エスプレッソで気合を入れてから、ヒートテックとカイロ、ウールの服で、お互いフル装備の防寒を始めます。

モコモコになって準備オッケー!

外に出てみると、みぞれは降っていません。
それでも身を切るような冷たい空気に驚きながら、出てきたばかりのメルキュールホテルを振り返ります。
夜のネオンがまたたいていなくても、十分に大きな建物。
大通りを渡った向こう側から、ようやく全景が撮れました。



● バルトの真珠で貴婦人

この日は朝から、町の散策をします。
「バルト海の真珠」とも「バルトの貴婦人」とも呼ばれる美しいラトビアの街、リガ旧市街。
どれだけ美しいのか、その表現から期待値は高まるばかりでワクワクします。
まず向かったのは、ユーゲントシュティール建築物がたくさん建っている界隈。
そこにたどり着く前に、さっそくひとつ、ホテルの近くに発見しました。
うーん、ドラマチックな彫刻です。



● 日本料理店「カブキ」

すぐそばには、日本料理店「歌舞伎」がありました。
ベントウランチを出しているようです。



とんがり屋根でかわいい、ヴェールマネス庭園の入り口。



まだ新しそうですが、こんなにドラマチックな建物もあります。
建物がロマンチックなんですよね。



● 救世主って誰だろう

くもり空の下、金色に輝くドームをもつロシア正教会がありました。
荘厳な建物に引かれて、中に入ってみることにします。
救世主生誕大聖堂という教会。



庭園に立つ騎士の銅像を見て「あれが救世主かな?」とモコ。
「ううん、キリストのことだよ」と言うと「あ、そっか!この国を助けた人かと思った~」
バトルヒーローを連想したのね。
確かに、国を救った英雄かと思いますね。
日本でいうと、さしづめ元寇を防いだ北条時宗?
彼が眠っているのは、鎌倉の円覚寺。
このきらびやかな教会と、あのワビサビいっぱいのお寺では、何もかも違っているなあ。


なんて考えながらラトヴィア国立美術館まで歩いて行った辺りで、とつぜん雨がぱらついてきました。慌てて傘を差します。
降るとなったらあっという間。地面に水たまりができ始めました。
お願い、降らないでー!
旅人の願いです。

その声が天に届いたのか、ふっと雨はやみました。
多分この日は、降ったりやんだりなんでしょう。
空模様を気にしながら、先を急ぎます。

● ユーゲントシュティール

とうとうユーゲントシュティール建築群に着きました。
ユーゲントシュティールって、なんのことかわかりますか?

ドイツ語に疎い私は、学校で習ったような気がする「シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒濤)」とごっちゃになってしまいます。

「ユーゲントシュティール (Jugendstil) 」とは、「青春様式」という意味ですが、ドイツ版「アール・ヌーヴォー」のことをいいます。
19世紀末期〜20世紀初頭に開花した、動植物や女性のシルエットなどをモチーフとした、柔らかい曲線の多い動きのある優美なデザイン。すてきですね。



どの建物も大きな集合住宅で、日本ではついぞ見かけないような大きさ。
「マドレーヌ」の絵本に描かれたパリの寄宿舎を思い出しました。
絵を見る限りでは平たい建物だと思っていましたが、実際に見ると、奥行きがあってどっしりしています。
上階のバルコニーでは、バーナーをつけて桟の修理か何かをしていました。


バーナーの炎が下から見えました



エレガント!


1903年エイゼンシュタイン作の。アルベルタ通り8共同住宅。
メドゥーサのような堂々とした女性に見下ろされて、ちょっとたじろぎます。


ゴージャス!


上からドラゴンが見下ろすマンションの入口。
狛犬のような魔除けでしょう。ハリーポッターの世界のようです。



入ってはいけない人がドアを開けようとしたら、ドラゴンが火を噴いて追い払ったりして。



こちらもまたすごし。1906年エイゼンシュタイン作のボグスラフスキー共同住宅。
繊細で、飾り付けられたデコレーションケーキのようです。
よく見えませんが、入り口には女性の顔をしたスフィンクスが両側に置かれています。



巨大な顔、細かい幾何学模様、獅子、不死鳥。
今にも動き出しそうな生命感あふれるデザイン。

この界隈にある建物18棟を設計したのは、ラトヴィアの建築家、ミハイル・エイゼンシュテイン(1867-1921)。
建築された当時は、住民や他の芸術家などに「気の狂ったケーキ屋」と酷評されたとのこと。
批判をする人の目にも、やっぱりケーキのように見えたんですね。
なぜそんな批判を受けなくてはいけなかったんだろう?と思いますが、芸術としてはすばらしく美しいものの、実際にここに住むとなると、銅像の存在感の大きさが気になって、あまりくつろげないのかもしれません。
窓を開けると、悲愴な顔をした女性の大きな顔があったりするわけでしょうからね。



こうした大きな建物には、トンネルのような通路があり、抜けると中庭に出ます。
そこにあるのは、時が止まったままのヨーロッパ。



世界遺産であるリガの旧市街は、アール・ヌーヴォー建築の宝庫。
このエリアだけではなく、市内の建造物の約4割がユーゲントシュティール建築だというリガ。
町の優美さをお分かりいただけるかと思います。



これまで訪れた中ではフランスのナントのアールヌーヴォー建築が一番印象的でしたが、ここにはそれをしのぐものがあります。



美しさを越えて、恐ろしさまで引き出してしまっているようで、建物の秘めた力にとり込まれそう。
物言わぬ屋敷の迫力に圧倒され続けます。

 

どの建物もびっしりと装飾に覆われており、迫力満点で、もう胸がいっぱい。
アールヌーヴォーの美をとことん満喫できました。

● 日本料理店「ヤクザ」

巨大な建物の全貌をファインダーに収めたくて、通りの向こうに渡ってどんどん後ずさりします。
背中に当たったのは、日本料理店でした。
先ほどの「カブキ」といい、ここでは日本料理が人気なんでしょうか。
しかーし、お店の名前は「YAKUZA」。ヤクザって、本気ー?
なぜこのネーミング?日本人の感性じゃなさそう。経営者はほかのアジア人なのかもしれません。
あるいは日本の任侠映画ファンとか。



お店の様子が気になりますが、お店の中からこわい人がにらんでいたらこわいので、こそっと眺めました。
お昼はやっていないようです。残念。
ガラス張りの壁に貼られたポスターの絵は、店名と違ってファンシー調でかわいいです。
お寿司が二刀流のところが、ヤクザなのかしら?



● 巨大な猿

全ての建築を眺め終わり、お次は近くにある旧市街へと向かいます。
途中のロシア大使館の入り口にはSPが立っており、ものものしい空気でした。
バルト三国とロシアは歴史的に微妙な関係なので、問題がないよう気を配っているのでしょう。



道路向かいには巨大な銅像がありました。
後ろから近付いて、振り返って見ると、猿の宇宙飛行士?
公園内を歩く通行人を見ると、大きさの違いがわかるでしょう。

● 神戸からの時計



交差点には時計塔が立っていました。
ラトビア共和国の独立祝いとして、1993年に姉妹都市の神戸から送られた時計塔。
神戸とリガは姉妹都市だそうです。
時計はセイコー社のものでした。



ちなみに神戸はほかに、タリン、ヴィリニュスとも姉妹都市。
バルト三国と仲良しなんですね。

この羽色をした野鳥をよく見かけました。
地面をピョンピョン跳んでは、餌を探しています。
仕草がなんかかわいい感じ。こちらのカラスの仲間でしょうか?



外を歩き続けて、すっかり冷え切ってしまった私たち。
寒さに震えながら運河を越えました。
眠っているように静かな水面。絵になる、静かな光景です。



その2に続きます。




まだ見ぬバルト三国へ 3-3(リガ)

2017-05-19 | 海外
その2からの続きです。

● リガに到着

日が落ちて夜になりました。
バスが信号で停まることが多くなったので、目を開けると、外はまばゆいネオンの街。
リガに入ったんだなとわかります。
橋のそば、つまり川沿いにある終点の中央ターミナル駅前に到着しました。



バルト三国では、ヘルシンキに近いタリンが一番都会なのかと思っていましたが、リガのほうが断然大きな街。
駅のすぐそばにあるこの日のホテルへ、向かいました。

● キラキラホテル

暗闇の中、一件だけ煌々と輝く建物が、私たちの泊まるメルキュールホテル。
「ネオンがキラッキラだね!」
「ずっと平原を見てきた目には眩しすぎる~」
と言いながら、夜光虫のようにフラフラと向かっていく私たち。



正面からの全景を撮りたかったのですが、ホテルが大きいため、ファインダーに入りきりません。
いったん近寄ったところを再び離れてみましたが、道路の向こう側に渡らないと無理そう。
何車線もあって車が行き交う道路なので、この時は諦めます。



ネオンで美しく飾られ、とっても目立つと思ったら、このホテルにはカジノがあるようです。
それで夜になると、キラキラまばゆく輝いて、人々を招くのでしょう。

● ホテルの内装

レセプションはやはり北欧風のセンスにあふれています。



英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語。
各国の言葉で書かれた資料がありました。
バルト三国の言葉バージョンがないのは、宿泊客向けだからでしょうね。



ロビーに置かれた球状クッション。
これ、日本の毬ですよね?なぜー?



モダンなようで、ホテル内にはこうしたクラシカルな階段もあります。
古い歴史があるんですね。



● リガの部屋

私たちの部屋は5階。エレベーターで昇ってから、さらに10段ほど奥の階段を上がった角にありました。
privilege roomと書いてあるので、ほかの部屋よりも少し広いようです。



リガでのお部屋。
たしかに、前のホテルよりもずいぶん空間が広々としています。



コーヒーマシンがありました。
「カフェロイヤルだ!」とモコ。
横には小さなエスプレッソカップ。小指を立てて飲むしかなさそうな感じ。
普段はコーヒーを飲みませんが、せっかくだから滞在中に作ってみようっと。



部屋に着いて、お茶を沸かして飲んだら、居心地がよくなってもう動けなくなりました。
ベッドにダイブして、ごろごろ。
気がついたら小一時間ほどたっており、夜の8時半になっていました。

長距離バスに乗っていただけでもけっこう疲れたし、その前はスーツケースを引いて雨風の中を歩いていたのでした。
夜になるにつれ、外の気温は下がっていきます。
来たばかりの街にこれから繰り出してディナーを取る気にはならず、この日も食事は部屋で済ませることにしました。

● ハロウィンゾンビ

なにか食べるものを買いに行こうと、ホテルの1Fまで降りた時に、真っ白いゾンビメイクの男性を見かけました。
うわ、顔色悪~い。
数名のゾンビ顔のグループを発見。ハロウィンを楽しむ人達を見かけたわ。
ただ、誰もコスプレはしておらず、ゾンビメイクをしているのみでした。



● スーパーのかご

近くのスーパーへ買い出しへ。
スーパーって食材がたくさんあるので、元気が出ますね。
モコが「かごがいるよね」ととり出したのを二度見しました。
えっ、引きずるの?
彼女はどこか別の国でも使ったそうですが、私は見るのも初めて。
かごに入れているとはいえ、商品を足元で引きずるっていう感覚、今までありませんでした。
なかなかのカルチャーショック。



お寿司コーナーもありましたよ。
リガでガリ。言ってみたかっただけです。。。



レジの行説が長かったので、無謀にも「セルフレジ、やってみよう」と2人でマシンの前に立ったものの、やり方もボタンの意味もわかりません。
店員さんが寄ってきて、なにやら説明してくれますが、さっぱりポンな私たち。
身振り手振りで、ほぼつきっきりで教えてもらいました。
量り売りのチョコレートが、ものによって値段が違うため、そのボタン操作が複雑で、結局お兄さんに手伝ってもらことに。
ご面倒をかけちゃいました!

スーパーの向かいに「Gan bei」というお店がありました。
お寿司を出しているため、海外によくあるナンチャッテ日本料理店かと思いましたが、そういうわけでもなさそう。
austrumu restorānsと看板にあったので、あとで調べてみたら、ラトビア語で「東のレストラン」という意味でした。
日本に限らず、広くアジア料理を出す店なのかもしれません。
見た感じ、日本色は全くなかったし~。



サラダをメインに、店内のパン屋さんとお総菜コーナーでいろいろと買い込みましたが、写真を撮るのを忘れてしまいました。
お湯を入れてパスタになるかと思ったカップ入りのクノールは、なぜかマッシュポテトになったり。
まあそれもおいしかったです。

● プリンスナイト

ミュージックTVをつけながら夕食にしました。
リガの夜は、プリンスナイト。
4月に亡くなったことが、まだ信じられません。


パープルレイン熱唱中


食後、おなかも満ち、暖かい部屋でくつろいでいたら一気に眠くなった私たち。
(ちょっと今だけ)と言いながらそれぞれのベッドに横になったら、またたく間に寝に落ちて、ハッと気づいた時にはまたもや小一時間ほど寝てしまっていました。

● お湯があふれる

「シャワーを浴びてから寝よう」と、再び起き上がります。
アメニティもオシャレ。



先にシャワーを浴びたモコが「うまく排水しなくて、お湯があふれてえらいことになっちゃった」と言いました。
バスルームをのぞくと、シャワーコーナーの床は確かにお湯がたまっています。
なんてことー。
私はお湯が引くのを待って、再びあふれないように気をつけながら、カラスの行水のようにさっと浴びました。
昨日のホテルもここも快適ですが、ただ一点、バスタブがなくてシャワーだけなのが、お風呂好きの残念なところ。
バルト3国のほとんどのホテルにバスタブはついていないようです。
こちらの人は、サウナに入るから浴槽はいらないのかな。



部屋の窓からは、すぐ近くのリガ駅の時計塔が見えて、なかなかいい景色です。

4日目に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 3-2(タリンーリガ)

2017-05-18 | 海外
その1からの続きです。

● 雨の中の移動

楽しかったタリン散策のあとは、そろそろ移動の時間が近づいてきました。
ホテルをチェックアウトし、トランクを引いて、バスターミナルへと向かいます。

先ほど訪れた旧市街の城壁のヴィル門の先に、バスターミナルがあります。
距離的にはそう遠くありませんが、歩いているうちに雨がだんだんひどくなってきました。
でも、どこかのホテルにでも行かない限り、流しのタクシーはつかまえられません。
強風に傘があおられて、おちょこになってしまい、差していられなくなって閉じます。
全身に雨を浴び、向かい風にあおられながらも、踏ん張って一歩一歩進まなくてはならなくなりました。
寒いし冷たいし、全身びしょ濡れです。

● バスターミナルで途方に暮れる

バスターミナルはオリジナルソコスホテルの隣のB1にあるとのことですが、ホテルの中からは行けません。
ホテルの人に聞いても、そこからの行き方がよくわからず、(ここを通っていいのかな?)とはらはらしながら、バスが地表に出る車道を下りていきました。
地下には、確かに大きなバスターミナルがありました。



ここは市内バス専用。ここからバスで国際バスターミナルまで行き、ラトビア行きの国際バスに乗り換えます。
でも、エストニア語の表記しかなく、なにがなんだかさっぱりわかりません。
こちらの言葉には、たとえばaの上にウムラウトがついたりして、北欧的。
せめて国際バスターミナルくらいは英語表記も載せていて~!と思いますが、やっぱり現地語で書かれているらしく、何番のバスに乗ればいいのかわからないのです。

バルト三国は、仲がよさそうに見えますが、三国とも言葉がそれぞれ違います。
たとえばエストニアでは、外国語といったらまず出てくるのがラトビア語とリトアニア語。
その次はドイツ語でしょうか。英語はずいぶん下になるのです。

そんなわけで、英語の情報がなく、途方に暮れる私たち。
ターミナルなんだし、インフォメーションセンターのような場所があるだろうと思いましたが、[I]のマークのところにはバス発着の電光掲示板しかありません。
遠距離バスのチケットを売っているおばさんに聞いてみましたが、なにを言っても英語は全く通じません。
さて困った。

● 巨大タッチパネル

先程のインフォメーションの所にある掲示板にタッチして、なにか調べている女性を発見。
わあ、そうやって自分で調べることができるのね。
進んでるわ~。(でもまずは英語を導入してほしいわ~)



私たちも調べてみようと、トライしてみました。
でも現地語なので、タッチしても検索の仕方がわかりません。
何度か試しているうちに、英語版に直せることがわかりました。
これでどうだっ!と、英語検索をしてみましたが、それでも探しているバス停は出てきません。



● 人は見かけによらぬもの

私が検索画面と格闘している間、モコは近くの人に質問しはじめていました。
「地元の人ばかりだと思っていたけど、聞いてみたら案外近場の旅行者が多くて、詳しくわからないって言われてばっかり。
でも、浮浪者みたいな人に聞いたら、その人が教えてくれたよ。2番で待ってたらそのうち来るって」
「あの人に聞いたんだ」という人は、顔がもじゃもじゃで、確かにターミナルで暮らしているような格好をしていました。
モコ、勇気あるわね~!
その人は、少し離れた場所からバスが来るたびにこちらを振り返って「これじゃない」と教えてくれます。
人は見かけによらないものですね。たしかにターミナルに住んでいたら、誰よりもバスに詳しくなるでしょう。
もじゃもじゃしており、いかにもその日暮らしな感じですが、本当の浮浪者ではなさそうです。
英語がわかるわけだし、そもそもタリンは寒すぎるから、浮浪者はやっていけなさそう。

ようやくほっとして、ベンチに座り、バスを待ちます。
来たバスを見ていると、電光表示板に出た秒数カウントが減っていきます。
駐車時間のカウントダウンで、数字が0になったら本当にドアが閉まりました。
正確だわ。
でも、おばさんが一人、息せき切って駆け込んできたら、後ろのドアだけ開けたままで乗せてあげていました。

● 降りるバス停におろおろ

いよいよ待ちかねたバスが来ました。もじゃもじゃの人、ありがとう。
バス停を放送されても、現地語ではわからないため、運転手さんに、いくつめになるのか聞いてみました。
6番目のバス停だと教えてもらいましたが、カウントしているうちに数がわからなくなってしまい、(ここかな)と一旦降りかけたら「次だよ」と教えてもらって、席に戻りました。
気がつけばバスの中は人でいっぱい。次のバス停に着き、降りようと値段を聞いたら「いいよ」と言われました。
みんなプリペイドカードで払っているのか、私達がよっぽど哀れに思えたのか、なぜかはわかりません。
ここでモタモタして時間をかけてバスを遅らせてはいけないので、お礼を言っておりました。
たぶん2ユーロくらいなんですが、タダにしてもらってラッキー。

● 国際バスターミナル



なにも手掛かりがない中で、無事に着けてホッとしました。
今回、ツアーではなくフリー旅行である上に、ツーリストインフォメーションセンターやホテルのコンシェルジュに相談をすることもなく、動いています。
その場で周りの人に聞けば何とかなるだろうと思ったからですが、英語がメジャーではないバルト三国では何ともならないんですねー。
ちょっと無謀だったかしら。でもまあ、最終的にはなんとかなったから、よかったけど。

私たちのバスの発車時間まで、まだ1時間半ほど余裕があります。
(モスクワで飛行機を逃したショックから、いろいろと怖くて、早めの移動をしています)
ターミナルの待合室でゆっくり過ごすことにします。
オレンジを基調にしたおしゃれな建物。
先程の市内バスターミナルは地下だったこともあって暗かったのですが、こちらはガラス張りになっていて採光が多く、明るいです。



● ハイテク国際バス

気がつくと雨はやみ、青空が見えていました。
バスが見える席に座ってチェックしていたので、私たちの乗るリガ行きのバスが来たのにすぐ気がつきました。
乗る前にチケットを見せると、パスポートチェックもするということで、あわててカバンの中を探します。
そういえば、これから国境を越えて別の国に行くんでした。



乗り込んでビックリ。とてもハイテクな座席です。
ちょっとNASAっぽいなと思いました。



昼ごろまで中世の世界の中にいたので、急激な時代の変化に頭がついていけませーん。



飛行機のように前の座席にモニターが付いています。



インターネットや映画を見られるようになっています。



こんなにすごいバス、日本では見たことがないわ~。

● チョコチーノ

ドリンクコーナーも充実しています。
ボタン一つでカフェラテやホットチョコレートを作ってくれる自動機がついていました。
これも、日本では見たことがないわ~。

このマシンで、カプチーノのチョコ版、チョコチーノなるものを初めて飲んでみました。
だいぶビターだと思ったら、クリームや砂糖を追加で入れられるようになっています。
至れり尽くせりで、快適。
日本よりも進んでいそうです。



ひとしきりキャッキャッと盛り上がりましたが、実は乗り物に酔いやすい私たち。
映画やネットは乗りながら見ていると酔ってしまうし、チョコチーノも一杯だけにして、あとは緑茶にしました。
そう、緑茶があって、驚きました。
いつの間に、グリーンティーはそんなにメジャーになったんでしょう。

● 国際=英語ではない

国際バスだというのに、ドライバーは全く英語を話しません。
発車前にマイクを通してなにやらアナウンスしてくれますが、何を言っているのかちんぷんかんぷん。

考えてみれば、国際バスといっても、バルト三国内を移動するこのバス。
どちらの国の人にとっても、英語は必要ないわけです。
日本人だと「国際=英語」という意識がいつもどこかにありますが、世界的には決してそうだというわけじゃないんだなあと、あらためて実感しました。

「私たち、大丈夫かな~」「まあ、なんとかなるよ~」
国際とは関係ない私たちは、ずっとこのノリでやっていくつもり。



さようなら、タリン。
いえ、まだタリン市内でした。
どこから市が変わるのか、そもそもどこから国が変わるのかもよくわかりません。
わかるのは、終点に着いたら隣の国の首都にいるということだけ。



● 東ヨーロッパ平原地帯

街を抜けると広大な野原が広がります。
牧場のような広さ。林があったり野原があったり。
同じような景色が延々と続きます。

ずーっと大きな湖が見えていると思っていましたが、湖じゃありませんでした。
でも、何度見返しても湖に見えちゃうんですよね。



ただひたすらに平原が続きます。
この辺りは、東ヨーロッパ平原。かつてはロシア平原とも言われた辺りで、バルト三国はすっぽりその中に入っています。
山と海に囲まれた日本とは全く違うなだらかな丘陵の広がる地域です。



快適なバスですが、4時間半のバス旅はやはり長いですね。
東京から名古屋くらいの距離でしょうか。それならやっぱり疲れますね。

隣のモコは寝ていますが、私は思ったよりも眠れません。
なぜ眠れないのか、じきにわかりました。
私の座席のすぐ横にドリンクマシーンがあり、ひっきりなしに人がドリンクを淹れに来ます。
コーヒーなどが出るときにガタンガタン、ドボドボ・・・と大きな音がするため、そちらが耳についてしまうのでした。
そこで、前日の夜に筋を痛めた右足首を回して、ストレッチしていました。



次第に外は暗くなってきて、夕焼けが輝き始めます。
斜め前の人が見ている映画の光がこちらまで届くので、目をつぶります。
気温が下がって寒くなってきたので、上着を取りだして羽織って。
途中で2度ほどバスが停まり、何人かが静かに降りていきましたが、それがどこだったのかはわかりませんでした。



その3に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 3-1(タリン)

2017-05-17 | 海外
2日目からの続きです。

● 朝食たっぷり

心地いいベッドで気持ちよく眠り、目覚めてから朝食を食べにホテル内のレストランに向かいました。
入口にあったスムージー。どれもおいしそう~。



前日、旧市街で屋台を見かけたので、(暖かい何かが食べられるかな)と震えながら近づいて行ったら、調理したものではなく、ドライフルーツが売られていました。
ここでも、ジャムとドライフルーツがずらりと並べられています。
どうやらヨーグルトに合わせるようです。



まだ秋とはいえ、外は冬のような寒さになっていますが、野菜はみずみずしくてどれも新鮮。



チーズとハムが多いのは、北国の保存食だからでしょうか。
ポテト類は一切ありません。なぜかしら。



キッチンの料理、どれもおいしそうですし、どれも美しく並べられています。
照明の効果も使っていて、センスがあるわ~。



こちらはパンのコーナー。うーん、やっぱり絵になる―。
乾燥しないように、ナプキンがかかっていました。



その場で作ってくれる温かいメニューは、特にありません。
北欧のスモーガスボードみたいな感じでしょうか。
だからか、キッチンのスタッフものんびりしています。



オムレツやスクランブルドエッグは作ってもらえませんが、5分の茹で卵と7分の茹で卵がありました。
こだわるところはこだわっています。



昨日軽く済ませたので、朝からおなかペコペコ。
テーブルの上には、スタイリッシュなデザインのステンレスの塩・胡椒入れ。
いただきまーす!



他の宿泊客はほとんどやってきません。私たちを含めて3組くらい。
もっとゆっくりと起きてくるのかもしれません。
北欧に近いタリンでは、やっぱりシンプルな落ち着いたデザインを取り入れているようです。



フルーツも色とりどりで新鮮。
ふんだんに山積みされているのを見るだけで、心が豊かになります。



スイカやキウイがありました。
この辺りで作っているとは、気候的に考えにくいです。



食べてみると、しっかり甘みがありました。
ということは、ハウス栽培ではなく、南の方からお取り寄せしているのかもしれません。



甘いお菓子もありました。
食事を食べ終わる頃になっても、レストランが人で混むことはありませんでした。
宿泊客が少ないのか、みんなの朝が遅いのか、どちらかでしょう。



レストランを出ると、隣りにZen Spaがありました。
禅スパなんて、どんなものだろうと写真を見てみると、ちっとも禅ぽくないし、日本ぽくもありません。あれー?
エストニア国内に、日本人は100人くらいしかいないそうなので、それをいいことに、勝手ににイメージを作っているのかも?



● 食後の散策

食後、暖かくして外へ散歩に出かけました。
のっぽのヘルマンの横を抜けて。
この日も国旗がたなびいています。



ヨーロッパの秋を堪能。カサコソと足元で落ち葉の音がします。
ああ、詩人になれそう。



右はキーク・イン・デ・ショクという高さ38mの塔。
「台所を覗く」という意味だそうです。
やっぱりエストニア人のネーミングセンスって、ユニーク!



100年前から変わっていなさそうな光景が続きます。

● エストニア民族独立運動

昨日とは違う道を通ろうと、お城の横を抜けて真っ直ぐ進んでいくと、巨大な十字架が見えてきました。
ソ連からの民族独立運動(1918-1920年)を記念する十字架だそう。
巨大な軍事大国のソ連から、こんなに小さな国が独立するのは、並大抵のことでは叶わなかっただろうなあと考えます。
独立解放を叫んだ多くの尊い血が流され、それを悼む意味で十字架がたてられてたのでしょう。



● ラエコヤ広場ふたたび

途中から昨日と同じ道を通ります。
聖ニコラス教会を眺めているような、縁石の鳥さんたちは、今にも動き出しそう。



再びラエコヤ広場にたどり着きました。
今日も旧市庁舎を見上げましたが、塔のてっぺんに立つ風見トーマスじいさんはやっぱり豆粒大。



月曜の朝なので、昨夜と違ってオープンカフェは出ていません。
ずいぶん閑散としています。人が少ないとますます広く感じます。
鳥さえも少ないのです。鳩って広場にはたくさんいるものですが、この市庁舎には鳩が少ないなあと思いました。



魔女も騎士も、どこへ行ったんでしょう。
市庁舎の横の通りには、中世の衣裳の描かれたマークがありました。
地下にちょっと気になるお店があるようですが、英語表記がないのでわからずじまいでした。



広場を取り囲む建物は、15世紀に建てられたもの。
今なお堂々とした風格を保っています。



● 中世と現代

ラエコヤ広場から放物線状に広がっていく、何本もの石畳の道。
昨日とは別の道を通ってみました。



今日は雨がちで、傘をさしての観光。
石畳の道は雨でぬれています。
滑りやすいため、これ以上転ばないように気をつけながら、そろそろ歩きます。
昨日ひねった両足首はまだジンジンと痛み、癖がついたのか、注意してもなんだかコケやすくなっています。



外観は中世の面影のままでも、外と中は大違い。
建物の中は、現代の生活に合わせた暮らしができるように改装されています。
ここはブティックでしょうか。モダン~。
ぜいたくすぎる空間の使い方です。



● 聖カタリーナの小径(Katariina Kaik)



聖カタリーナの小径なんて、名前を聞いただけで、通ってみたくなりますね。
かつてギルドのメンバーが住んでいた屋敷が立っており、現在ではアーティストのアトリエやショップが集まっているとのことです。



セントポール教会の手入れの行き届いた中庭。ドアを囲むアーチがすてき。
教会は写真に収めていませんでした。どうやら庭の方が気になったようです。
どの建物も三角屋根で、煙突がついています。



カタリーナ通りから一本細道を入ったところにあった中庭。



中庭からさらに奥に続く道。
どの角を曲がっても風情があり、道の奥まで進んでみたくなります。
人が少ないので、ますます雰囲気たっぷり。

● 職人たちの中庭(Meistrite hoov)

「職人たちの中庭」を探す私たち。
アルチザンなんとかって書かれているのかな、と思いましたが、そんなヒントを与えてはくれないエストニア語。
アートではなく、マイスターの方でした。



トンネルの向こうに、中庭がありました。
どうやらこの場所で、正解だったようです。



再現された13世紀中世の中庭。
ここはかつて熟練の職人に与えられた場所で、今でもアート系の工房と店が集まっている場所です。



でもだれ一人いません。あれー?
ピエール・ショコラテリエという老舗チョコレートカフェがあるようですが、がらんとしています。
「日曜日の夜遅くまでみんなはじけていたのかもね」
「月曜日の朝は、職人たちはまだ眠っているのかな」



地面に面した斜めの開き窓。のぞくと奥にまたドアがありました。
ここから地下室に重いものをスライディングさせて入れたのかもしれません。

● セーターの壁

セーターの壁ってなんだろう?と気になります。
城壁沿いに、ニット製品の露店が並ぶ場所だそうです。
ああ、城壁とニットでセーターの壁なのね。



城壁のヴィル門の前に、セーターの壁がありました。
大勢のおばあちゃんたちが、自分が手編みした編み物を広げて売っています。
セーターも帽子もマフラーも、どれもあたたかそう。
かなり分厚いので、日本ではそんなに使う機会はなさそうでしたが。

● ヴィル門



城門のヴィル門に着きました。旧市街の中から見ると、門の向こうに近代的な街並みが見えます。
旧市街はとてもクラシカルで、中世のまま時が止まっていますが、人々はもっと便利な新市街の方で暮らしているんですね。


門を横から見た図です




城壁の中に、アイリッシュ・パブがありました。
アイルランドの国旗が描かれているので、すぐにわかります。
アイリッシュ・パブは、家の最寄り駅にもありますし、世界中どこに行っても見つけられますね。
ヨーロッパ版中華街みたいな感じでしょうか?

● 黄色い花売り



準備中の花売りの人を見かけました。
どうやら黄色い菊をメインに売っているみたい。
菊なのか、デイジーの仲間なのか、よくわかりませんが、エストニアの人は黄色い花が好きなんでしょうか?
それとも、この日たまたま黄色い花をたくさん仕入れちゃったのかしら?

町の人々はあまり英語が通じないため、わからないことが増えていきます。



この縁石の鳥、ほかの鳥のように首をシャキッと上げていません。
下を向いてしょんぼりしていて、かわいかったです。



町なかの鳥の縁石の中に、時折このがっくり鳥さんがいました。
そうした遊び心もいいです。

● 日本領事館と桜

先ほど訪れた十字架の広場に再び戻ってきました。
十字架の前は、広々としたオープンスペース。
きっとここで独立記念祭が行われるんでしょう。



十字架の近くの建物に、白地の旗が掲揚されているのが見えました。
あら、日の丸だわ。
ここはエストニアの日本領事館でした。
「日本のシンドラー...?」
残念、杉原千畝さんはリトアニアの領事でした。



敷地内には友好の桜の木がありました。
春にはタリンにも桜の花が咲くのでしょう。



またテクテク歩いて、ホテルへ戻りました。
冷え切った体を温めて、のんびりします。
ホテルのチェックアウトは12時なので、朝食後にゆっくり町の散策ができました。

その2に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 2-3(タリン)

2017-05-16 | 海外
その2からの続きです。

● ラエコヤ広場(Raekoja Plats)

行く手にツーリストインフォメ―ションセンターがありましたが、開いていません。
そこで、かんたんな地図を片手に旧市街のそぞろ歩きを続けます。
タリンについてまだそんなに時間が経っていないのに、すっかりこの町が好きになっています。



じきに旧市庁舎のあるラエコヤ広場に着きました。
ラエコヤっておもしろい響き。 エストニア語で市庁舎という意味だそうです。
中世の街並みの中で、すでに日本人であることを忘れかけていました。
ここが町の中心部。奥に見える尖塔は、タリン最古の精霊教会のものです。



● タリンの旧市庁舎(Tallinna Raekoda)

600年以上の歴史があるゴシック様式建築。
北欧にただ一つ残る、中世からの姿をそのまま残している市庁舎です。



64mある尖塔のてっぺんには「トーマスじいさん」と呼ばれる衛兵の風見が立っているということですが、塔が高すぎてよくわかりません。
じいさんは豆粒ほどの小ささでしか見えませんでした。
壁から首を出したドラゴンの雨どい装飾なら見えたんですが。



● 魔女狩り裁判?

おもむろに、中世の衣裳を身にまとった人々が市役所前を歩いていきました。
えー、彼らは何者?
この辺りに、かつて牢獄があったそうですが、そのデモンストレーション?



それとも魔女狩り裁判でしょうか?雰囲気たっぷり。
そんな光景に見慣れているのか、周囲はあまり注目していませんでした。



ハンザ同盟のメンバーとして13世紀から16世紀に発展したタリンの町。
広いラエコヤ広場を、かつては商人たちの館がとり囲んでいました。
今ではオープンテラスのレストランやカフェが並んでいます。



魔女たちが去った後も、広場には別の中世風の人物が。
鎖帷子を着た甲冑姿の中世ヨーロッパの騎士がいました。
くさりかたびら!映画で見ることはあっても、実際に会ったのは初めて!
うーん、武骨。日本の武士とは違いますね。

子供たちが一緒に写真を撮ってもらっていました。



いまは10月末。ハロウィン時期です。
SNSのタイムラインには、日本でのハロウィン画像が沢山流れてきていますが、タリンに来てからは、ハロウィン姿の人は見かけません。
中世の建物に囲まれているこの広場では数名が扮装していましたが、いつものことかもしれません。。すっかりコスプレ祭りと化した日本のハロウィンに、毎年違和感を感じている私。
遠い日本ではじけているパリピな方々に、本場クリスチャンの国は静かに過ごしているって、伝えてあげたい~。

● 魔女の洞窟?

旧市庁舎の一階においしいスープ屋があると聞き、扉の前まで行ってみました。
中は暗くて、目を凝らしても何も見えません。
勇気を出して、中に入ってみました。



少しすると、暗さに目が馴染んできました。
そこは洞窟のような独特の雰囲気。
なぜ市庁舎の1Fが洞窟?と不思議に思いますが、実際にこの場にいると、そんな疑問はどうでもよくなります。
電気は灯っておらず、手元のろうそくの灯りのみ。
うわあ、いよいよ中世に入り込んじゃった。



水をたくわえた木の樽。
手作り感満載です。



うすぐらい洞窟内。魔女の隠れ家は、きっとこういうところなんでしょうね。
目を凝らせば、あやしい鍋をかきまぜている黒いマントの魔女の姿が見えてきそう。



● エルクのスープ

本当に魔女だったら一目散に逃げ出すところでしたが、そこには昔風の白いロングエプロンドレス姿の女性がいました。
お勧めのエルクのスープを頼んでみます。
「エルクってなんだっけ?」
「エルフじゃないよね」
「妖精のスープだったら、かわいそすぎるー」
なんのスープかわからないまま、おそるおそる口をつけると、深い味が身体にしみわたりました。
そういえば私たち、もう夕方にさしかかるというのに、この日はあまりものを食べていなかったのです。
具沢山でとてもおいしかったです。



スープスプーンはついてきません。なぜ?
中世風に味わえということでしょうか。
なので、茶道よろしく、両手で器を抱えていただきました。
う~ん、おいしかった。
ちなみにエルクとは、ヘラジカのことでした。



● 暮れなずむ町

外に出ると、だんだん暗くなってきていました。
明かりが灯ると、ますますクリスマスのように輝く街。



広場では、先ほどの騎士が一家を撮影していました。
騎士とスマホ。なんだかタイムスリップしてきた人のようです。



そろそろ夜になるし、これからどこに向かおうかと考えます。
石畳の道は、広場から四方八方に伸びており、ここからどこへでも行けます。
全ての道はタリンに通ず!

翌日、チェックアウトを済ませてから、移動途中に「太っちょマルガレータ」を訪れようと考えていましたが、少し離れた場所にあり、トランクを引いて石畳の道を歩くのは大変だということに気づいたので、この日のうちに行ってみることにしました。



聖オレフ教会。『アナ雪』のオラフと名前の縁が同じなのかなと思いましたが、こちらはノルウェーの王の名前だそうです。
中世の時代、タリン港を目指してやってきた船乗りたちの目印になったという細長い尖塔。
教会内に入りましたが、内部がどこも撮影禁止なので、あとになったら記憶がごっちゃになってしまいそう。

● 機関車じゃないトーマス号



通りの向こうから、のんびりしたスピードで汽車がやってきました。
えっ、汽車?線路がないのに?
2人とも足を停めて、驚いて見送ります。
旧市街を一回りする、トーマス号という汽車の形の観光電気自動車でした。

キラキラと輝いて、きれい。



オシャレなフクロウのオブジェ。
この町は、さりげないセンスに満ちています。



● 三人姉妹はどこ?

「三人姉妹」と地図に書かれた場所にやってきました。
「それなに?」「わからない。」
日本に置いてきたガイドブックでは、なにかの建物だった気がします。
でもどの建物か、よくわかりません。
こっちかな?


こっち?


「The Three Sisters」という名前のホテルもあり、あとで調べたら、そのホテルこそが三人姉妹と呼ばれる建物でした。
さりげない中世の街並みすぎて、建物の前に表示看板がなかったから迷っちゃいました。
まあ自然な方がいいけれど。


こっち!


職人の館として建てられた、三連の建物。
一見そんなに大きくなさそうですが、かつてエリザベス2世も滞在したことがあるという5つ星のホテルです。

ちなみに帰国後に知りましたが、「三人兄弟」といわれる三軒の建物もあるそうです。

● 太っちょマルガレータ

さらに足を延ばして、次は太っちょマルガレータを探します。
太っちょならすぐにわかるかな?

スール・ランナ門という城門を出たところにあるとのこと。
どんどん暗くなっていくので、遠そうならこの日はよそうと決めていましたが、思ったよりも近くて、じきにたどり着けました。



ええ、確かに太っちょだわー!
「のっぽのヘルマン」とか「太っちょマルガレータ」とか、名前を聞いただけで行きたくなっちゃう場所。
でも日本では、たとえ愛称でもそういう名前ってありませんね。
エストニア人は、愛着の湧く名前を付けるのが上手なのかしら。



太っちょマルガレータは砲塔。壁の厚さは4mあり、見るからに頑丈で跳ね返されそうです。
今は海運博物館になっていました。

城門の向こうに見えるのは、キラキラとした都会。
ハリウッド映画『ヴィレッジ』を思い出しました。観ていないのに。



そぞろ歩きを続けて、結構遠くまでやってきました。
元来た石畳の道を、ゆっくり戻ることにします。
夜には人が減ってとても静かな旧市街。



黄色い落ち葉が敷き詰められた公園がありました。
完全に、恋人たちが星を眺めたり愛を語らったりするベンチです。
ロマンチック~!

● 両足ねんざ



建物の上の方に描かれた装飾絵に見とれていたら、石畳が剥がれたところにできた穴に足を引っ掛けて、派手にコケてしまった私。
右足をくじいてしまい、あまりの痛さにしばし立てなくなりました。
その場にうずくまります。あいたたた...。



そろそろ大丈夫かなと立ち上がってみましたが、数歩も歩かないうちに再びバランスを崩して車道に滑り落ちかけてしまい、今度は左足をひねってしまいました。
旅先で右足と左足の足首を両方とも捻挫するなんて、涙~。
堅い石なので、けっこうな痛さでした。石畳はボコボコしているから、足を取られないように気をつけないと。
多分、日本を離れてからここに辿り着くまでの移動の疲れが出ているんでしょう。
この旅ではずっと石畳が続くので、気をつけなくては。

右の男性は、すごく背が高いですね。
あしながおじさんみたい。



夜になっても旧市街はとても治安がいいです。
ギラギラのネオンが瞬かない町は、穏やかな温かさに包まれています。
角を曲がると、マッチ売りの少女に出会えそうな。

「女子旅に向いてるね」
「男性だと、退屈しちゃうかもしれないから、たしかにそうね」

● エストニアの寿司

再びラエコヤ広場に戻ってきました。
日本料理店があったので、メニューをチェック。


シルクという寿司屋さんでした。
「絹」の方がいいのにー。
タリンの人も日本のお寿司を食べるんですね。

お寿司よりも現地のものが食べたい私たち。
先ほどのエルクスープで、かなりおなかが満ちています。
ホテルでゆっくり過ごしたかったため、帰る道すがら、外でパンやサラダなどをテイクアウトしました。



夜になるにつれ、どんどん気温が下がって冷え込んできました。
お城を越えた向こう側にあるホテルに急ぎます。
あたたかい部屋で、ぬくぬくと過ごしました。

一日前はみじめなモスクワ空港籠城でしたが、ようやく旅程通りに戻りました。
ああ、嬉しい。
ゆっくりと過ごして、リフレッシュしました。
3日目に続きます。