風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

まだ見ぬバルト三国へ 2-2(タリン)

2017-05-15 | 海外
その1からの続きです。

● バルト三国・エストニア

そういえば、今回の旅行の地図を載せていませんでした。
バルト三国は、ロシアの西側、フィンランド湾を挟んで北欧のそばに位置しています。
ロシア、ベラルーシ、ポーランドと、あまりなじみのない国々に囲まれています。



アップにすると、エストニア・ラトビア・リトアニアと、南北に並んでいます。
今回は、日本~モスクワ経由でリガ(ラトビア)~タリン(エストニア)と飛行機で飛び、バルト三国内を陸路で南下し、最後にヴィリニュス(リトアニア)からモスクワ経由で帰国するというルートです。



さて、ようやくたどり着いたバルト三国。
エストニアの人口は134万人で、神戸市の人口とほぼ同じくらい。首都タリンは人口42万人です。
公用語はエストニア語で、日本で知られているエストニア出身の人は、元大関の把瑠都です。

● 市内散策へ

外は冬のような寒さです。
ホテルで一息ついてから、ヒートテックを着込んでバッチリ防寒対策を行って、市内散策へと繰り出しました。

まずは、隣りに立っているホテル・エルミタージュへ。
実はここ、昨日、私たちが泊まりそびれたホテルなんです。
ううう、うらめしいわ~。
名前のイメージから、エルミタージュ美術館のような古めかしいところかと思いましたが、とってもモダンな造りでした。



道路の向こうはもう旧市街。
ちょうど紅葉の落葉時期で、公園には黄色い絨毯が敷き詰められていて、きれい。
いい季節に来られました。



秋のパリに来たみたい。
落ち着いたヨーロッパの光景に、嬉しくなります。



● トーンペア城 (Toompea Castle)

ホテルから歩いていける、旧市街のタリン歴史地区【ユネスコ世界遺産】を散策することにします。
まずは町を見下ろす丘の上のトーンペア城へ。13世紀にドイツ騎士団が建てたといいます。
高さ50mの塔は1500年に完成した「のっぽのヘルマン」。スラリとまっすぐ長細く、たしかにのっぽです。

ヘルマン・ヘッセのヘルマンかと思いきや、ドイツ語で「支配者」の意味だそう。
青・黒・白のエストニア国旗がはためいていました。
1989年までは、ここにソ連の旗が掲げられていたそうです。



お城に来ました。
宮殿のような優美な建物を前に「え、ここ?」と声を上げる私たち。
古代の要塞のような無骨なお城を想像していた私。
シンデレラ城のような建物を想像していたというモコ。
どちらもはずれ~。
18世紀後半にエカテリーナ2世の命令で作られたバロック建築のお城だそうです。
現在はピンクの国会議事堂になっています。ファンシー!



ピンクのお城の前に建つピンクの人とわんこ。

とつぜん雨が降ってきて、お城の下にかけこんで、雨宿りしました。
雨が上がるのを待つ女性グループ。みなさん、スタイルがよくお美しい。



● アレクサンドル・ネフスキー大聖堂

名前も見た目も、典型的なロシア正教会。
よくある名前なのは、実在したアレクサンドルⅢ世が建てたから。金のイコンや成人のモザイク画がクレムリンを思い出させました。
歴史的な関係から、エストニアの人たちはロシアに対していい印象を持っていません。
ロシア正教会のここも何度か解体されそうになりながら、なんとか残っているそうです。



ひとけのない静かな石畳の旧市街。
今にも妖精が舞い降りてきそう。



● 聖母マリア大聖堂

上の建物を横から見た図です。
奥にあるのは聖母マリア大聖堂。



タリンで一番古い教会です。
中に入ると、大きな木製のドイツ貴族の紋章が壁にびっしりと飾られていました。その数は100を下らないそうです。



おびただしい数の紋章が飾られた教会は初めて。
十字架や銅像よりも紋章が存在感を放っていて、神の教会というよりは人間の教会といったイメージでした。



● 重い国旗

散策途中で見つけた大きな建物。議会でしょうか。
「エストニアの国旗って真ん中に黒が入ってて、珍しいね」と言うモコに「あの黒は、ロシアに占領されていた暗黒の時代を意味してるんだって」と話すと「国旗にそんな暗い意味があるなんて!」と驚かれました。



ラトビアとリトアニアの国旗の赤は、国を守るために流れた血の色だといいます。
独立運動などで戦った末に国を作ったところは、国旗にその大変な歴史を残しているんでしょう。
日本の日の丸の赤は、血じゃありません。占領されたことのない平和な国って、恵まれていますね。

● 展望台のカモメ

コフトウッツァ展望台へ向かいます。見晴台からはバルト海が見えました。
眼下には赤い切妻屋根でそろった美しい町並みが一望。14-15世紀の町並みだそう。
海からの風がまっすぐ吹いてきて、私たちの頬を冷やします。寒い~。
町のあちこちに教会がたくさん建っており、石畳にしっくり合います。
時代が止まったかのような中世の趣深い町並みです。
タリンがこんなに美しい町だったなんて、知らなかったわ。



展望台には一羽のカモメがいました!
飛んでいかないうちに、すわ、写真、写真!とカメラを取り出しましたが、全く飛んでいきません。
人に物怖じせず、観光客のそばをうろうろしています。



慣れているようですが、人が触れようとするとすかさず離れます。
なついてはいないけれどなつっこいのは、みんなから餌をもらえるからでしょう。
色んな人達の写真に一緒に写っていました。


ギリギリ近寄ってこのくらい~


カモメが飛んでくるほど、海に近い場所なんですね。
ここで一人の台湾の人と会いました。
日本人どころかアジア人自体が少ないバルト三国です。



ここを離れて、別の角度から海が見える展望台へと行ってみました。
女性が一人、海を眺めながらピクニック中。
ひとりピクニックも結構楽しそうです。私たちにはちょっと寒すぎるけど!

● タリンの南部さん

独創的な屋敷前のオブジェ。あれ、何処かで見た人がいますね。
ええと、誰だっけ?立ち止まって、二人で考えます。

モコ「電気グルーヴ?」
私「なんかちょっと違う?」
モコ「電撃ネットワークだ!」
私「そうそう!」



南部さんとソックリでした。彼ならこの石の中から出てきても、驚きません!
あとで調べてみたところ、この人はヴォルデマール・パンソ(Voldemar Panso、1920-1977)という、エストニアのプロデューサー・俳優・演劇教師・映画批評家で、この建物は今は博物館となっているかつての彼の演劇学校でした。
電撃じゃなかった~。



お土産屋さんの前に建つ、今にも動き出しそうな騎士の甲冑。 
どこもかしこも中世っぽいわ。

旧市街に教会はいくつもありましたが、お寺はひとつもありません。
こんな感想を持つのは、国内で寺社めぐりを目的にした旅をしているからでしょう。
「当たり前じゃない?」とモコ。まあそうですが…。
「アメリカでは見かけるよ」と言うと
「えー、どうして?」と聞かれました。
「外国人はZEN(禅)が好きで、瞑想と一緒に取り入れたりしているからかな」



道はすべて石畳。細道をくねくねと登ったり下りたり。



階段の途中でスチールパンを奏でている人がいました。
生み出される音色が街に広がっていって、すてき。



どの道に出ても、絵になる街並みが広がっています。
本当に、昔の世界にタイムスリップしたみたい。



● 聖ニコラス教会

聖ニコラス教会に着きました。とても大きく、全貌を写しきれません。
『死の舞踏』の絵画があるところですが、中は見学しませんでした。
絵につられて、旅行中にデス・ダンスを踊りたくなかったし…。
ちなみに船乗りの守護聖人、聖ニコラスは、エストニア語だとニグリステになるそうです。
うーん、ピンとこない~。



教会の向かいに建ち並ぶ、三角屋根の建物。
ギルドの街並みっぽくて中世の面影そのままです。



ここは城壁。なんだかすごい遠近法。



● 旧市街の中心へ

旧市街の中心部に近づいてきました。
西欧のようなおしゃれなカフェが多いです。
震えるほどに寒い日なのに、ジェラート店に人が大勢入っています。
ロシアでも、みんな真冬に毛皮のコート姿で、アイスを食べていたっけ。

日本と違って、店員がお店の前で呼び込みをやっていないので、通りには静かで落ち着いた空気が保たれています。
おばあさんになったら住みやすそうな街だわ。寒いけど。



鳩サブレーみたいな石のオブジェがありました。
かわいい!日本にもこんなかわいい車止めがあればいいのになあ。
町のあちこちに並んでいました。



少し離れたところから、ようやく聖ニコラス教会の全景が見られました。
どの教会も大きくて古めかしく、立派です。
通りを曲がるたびに教会があるような感じで、旧市街に教会がいくつあるのか、見当もつきません。
12時などにはすべての教会の鐘が一斉に鳴りだすんでしょうか。
ゴーン、ゴーン!それはうるさすぎて耐えられなさそう。



その3に続きます。



まだ見ぬバルト三国へ 2-1(モスクワ・タリン)

2017-05-12 | 海外

1日目からの続きです。

● 朝が来た

どんなにハードな夜でも、いずれ朝はやってくるものです。
外が明るくなってきました。夜のうちに降った雪が、窓の外に積もっています。



眠気覚ましに辺りを歩いてみると、熟睡している人々はけっこう多く、豪快にフロアにころがって寝ている人たちもいました。
眠りの中の人々。



うわー、床は冷たいから、とてもじゃないけど無理。平気な人たちは、よっぽど寒さ耐性があるんでしょうね。
うっかり踏んづけないよう、足元注意です。



夜には周りに誰もいなかったので、私たち二人だけが取り残されたような気がしていましたが、この巨大な空港内で夜明かしした人は、たくさんいたようです。



夜が去りました。きつい現実をなんとか乗り切ったわ。
さあ、あとは気持ちを入れ替えていきましょう。
予定外の長逗留となったロシアを、一刻も早く脱出したい私たち。
今度こそはフライトをのがしたくないので、念には念を入れて、ボーディングリストをチェックします。



そとは雪が降ったりやんだり。これでは滑走路も凍っていることでしょう。この空港ではいつもの光景なのかもしれませんが。
外では、旅客機に水をかけて、霜を落としています。北国だからこその光景ですね。



● 今度はのがすまじ

前の日にのがしたフライトは、タリン直行便でしたが、私達が買い直したチケットは、一番早い到着便を選んだところ、リガ経由になりました。
つまりモスクワ→リガ便とリガ→タリン便の2回、飛行機に乗らなくてはなりません。
なかなかたどり着けないタリン。気持ち的にとっても遠いわ~。
モスクワでまさかのトラップにかかってしまいました。どう頑張っても、巨大なロシアから脱出できないような気にもなってきます。
いえいえ、ここはあくまで経由地。私たちの目的地はまだ先です。進まないと!

電光掲示板に私達のフライト情報が出るのを待って、表示されたゲートに向かいました。
今回は明るく広く、スタッフのいる搭乗口が目の前にあるゲートです。
ここなら大丈夫でしょう。
昨日の問題の49番ゲートは、待ち合いスペースに搭乗口がなく(おそらく階段を降りた地下にあった模様)スタッフもいませんでした。
昨日の出来事を考え直してもやっぱり謎です。

もう一度49番ゲートを確認してみたい気持ちですが、今はなにがあってもゲートの前を離れるつもりはありません。
チェックするのは帰りにしようっと。

私達のところに、突然背の高い男性スタッフがやってきて「どこまで行くのですか?」と聞かれました。
モコがチケットを見せると、内容を確認してそのまま戻っていきました。
私たちの前の便のフライト担当者で、まだ来ない人を待っている様子。
じきに、アジア系の女性2人が駆けこんできました。
「あの人達を待っていたんだね」「ちゃんと探してくれて、いいよね!」
「いいよね~~!!」
昨日は探してもらえず、取り残すされた私たち・・・。
モスクワ-タリン便なので、乗客はロシア語がわかって自力で動ける人がほとんどだったんでしょうけれど。

● またもや違う便?

その便が離陸した後、周囲に座っていた人たちが列を作って並び始めました。
私たちのフライトの番が来ましたが、新しい行き先表示には「ブカレスト」と書かれています。
ブダペストはハンガリーで、ブカレストはルーマニア。そんなことより!
「あれ、違うフライト情報じゃない?」
「どういうことなんだろう?」
昨日のことがあるため、違う行先情報を見て及び腰になる私たち。
「この行列って、リガ行の人たちなのかな?それともブカレスト?」
「えー、どっちなんだろう」



「疑問はすぐに聞こう!もうこわいから」
ということで係員に確認してみると、「あれ、表示が間違ってる、ワッハッハ」
係員は、笑いながらどこかに電話をかけていました。
笑い事じゃないわーー!こっちは置いてかれないように、もう必死なんだから。
並んでいる人たちもやっぱりちょっとザワザワしていて「これ、リガに行く列?」と大声で周りに聞いている人もいました。

いよいよ搭乗開始。係員がチケットをチェックし、何も言わずに返してきます。
ということは間違ってないのね?じゃ、じゃあ、先に進んじゃうわよ。
搭乗口の先は階段になっており、階下に降りるとバスが待っていました。

昨日の49番ゲートも、階段の下にはバスがいたんでしょう。
あのとき、別の行き先の乗客たちの波と一緒に、ふたたび上階に戻らなければ、乗れたかもしれないのに・・・。
でもあのときは、足元がよく見えない暗くて階段の途中で、事情がわからないまま突然向きが変わった大柄の群衆の流れに逆らって踏みとどまることは、とても不可能でした。

● エア・バルティックのCA

バスから降りて、機内に乗り込みます。ああ、ロシア脱出まであと少し。
私たちが買ったチケットは、アエロと共同運行のエア・バルティックでした。
機内にいたCAさんたちがそろってとっても美人でスラリとしており、モデルのようだったのでびっくり。
これまでいろいろな航空会社のCAさんを見てきましたが、その中でもハイレベルです。
バルト三国の人たちは美しいと風のうわさに聞いていましたが、本当にそうみたい。



次に、彼女たちがロングダウンコートを着込んでいたことに、びっくり。
乗客を迎えた後でコートを脱ぎましたが、たしかに機内はとても寒く、私達はブルブル震えます。
暖房が入っていないんでしょうか。入っているのに効いていないんでしょうか。
さらに有料の食事メニューがあったので、外国版LCCだと気づきます。
海外にもLCCってあるのね~。むしろ海外から来たシステムだったかな。

● とうとうロシア脱出

とにもかくにも、飛行機が離陸した時には、心底ほっとしました。
ようやくロシア脱出!やった・・・!



だんだん小さくなっていくシェレメーチエヴォ空港を上空から眺めます。
さようなら、モスクワ~。
1週間後、帰るときにまた立ち寄るけど~。



機内にほかのアジア人の姿はありません。
放送はロシア語ではなくラトビア語のようです。
つまりやっぱりわかりません。



相変わらず機内は寒いままですが、身体が慣れてきました。
ロシアを出た安心感から、また眠気に襲われ、着陸時に目を覚ましました。

● タリンではなくリガ

無事に到着~。でもタリンではありません。ここはリガです。
バルト三国で最初に訪れる国はエストニアの予定でしたが、ラトビアになりました。

次のタリン行きのフライトまで1時間余裕があるはずが、到着時間を見ると、どういうわけかボーディング時間まで残り10分となっていました。
そういえば、モスクワからの離陸にかなり時間がかかっていたなあと思い出します。
またここで足止めは、いやー!!今日はいいかげんタリンに行かせてー!!
直行便だったらどんなに遅れても気になりませんが、経由便だと、こういうこわさがあるんですよね。

● リガで乗り継ぎ

LCCなので、空港の真ん中に飛行機が停まりました。
連絡バスに乗り換えなくてはなりません。バスは既に乗客がいっぱいでギュウギュウでしたが、次のバスを待っている時間の余裕はありません。
なんとか乗り込み、ラッシュの時のように押されながら、バスを一番に降ります。
急いで空港内に入ろうとしましたが、自動ドアが開きません。
あれーー?

すると、バスに乗っていた係員が後ろから私たちに追いついて、カードを照らしてロック解除し、ドアを開けました。
みんなの波に一緒について行きましたが、(あれ、流れのままでいいのかな?)と思い、空港スタッフに聞いて、それは出国者の列だと判明。
乗客はほとんどラトビア人だたようです。
でもこのままこの空港を出てしまったら、私たちはタリンに永遠に辿りつけません。
トランジットの表示を探していきます。

まずはパスポートチェックがありました。
単に乗り換えするだけなので、簡単に通れると思いきや、なかなか時間がかかりました。
「これからどこに行くのか?」「タリンでは何泊するのか?」「その後の予定はどうなっているのか?」「帰国は何日か?」など、こと細かに聞かれます。
モコは「今日はここからタリンに行き、あすリガに戻ってくる」と言ったら「ハア?」と言われたそう。
うーん、普通に考えると、たしかに変な旅程ですよね~。
でももう説明している暇はありません。

そこを抜けると、今度は荷物チェック。
私はモスクワの空港から持ってきたペットボトルの水が引っかかり、その場でポイしました。
それでもまだ何か引っかかり、再チェック。
うっかり荷物の中に入れてしまったMacBookでした。
ああ、あせるわ~。

● 空港内を猛ダッシュ

そんなこんなで、ようやくチェックが終了。
次のゲートはB17。
けっこう遠い場所にあることがわかり、絶望しかけますが、とにかくダッシュ。
空港内にたむろする大勢の団体客の間を忍者のようにすり抜けて、スーツケースを引きながら走ります。
ようやくゲートを発見しましたが、ここもやっぱり外に連絡バスが待っていたし、もうフライト時間になっているので、何十回目かの絶望感が再びよみがえります。
でも係員がいて(やっぱり美人)、落ち着いた様子でチケットをチェックしてくれました。
間に合ったのかな、間に合ったのよね。
バスがまだ出ていないということは、OKなんでしょう。

セーフかアウトか判断できないまま、バスに飛び込んでからもハーハーと息が上がったままでしたが、私達が乗ったあとからも、人が乗りこんできました。
「そんな急がなくても良かったかな」「あの人、さっきの飛行機で一緒だったよ」
それでも、飛行機を乗り過ごす恐怖はもう味わいたくないので、バスに間に合ったことでほっと一息つきます。
体力の限界を超えて、全力で急ぎましたが、それでも移動に20分はかかっていました。

動き出したバスが横付けした飛行機の隣にあったのは、なんとさっきまで乗っていたモスクワからの飛行機。
うっそ~。2人とも決死の覚悟で、フルスロットル・ダッシュしたのに、元来た場所にまた戻ってきたなんて。
飛行機から飛行機にまっすぐ行ければ、なんの苦労もなかったんですが、まあそういうわけにはいかないものですよね。
結局タリン行きの飛行機も、遅れ目に出発。
おそらくは、モスクワからの接続の乗客を待ってくれたんでしょう。
ああ、間に合ってよかった。心底ほっとしたのは、この日2回目です。

● LCCのビジネスクラス

私たちの座席は4列目でした。
「昨日買ったのに、前の席だね」と驚く私に
「会社の方で押さえていた席かも」と教えてくれるモコ。
私達の前の1列目から3列目は、スペシャルシートになっていました。



前の列に美しい男女が座り、ドリンクがサーブされていると思ったら、3列目と4列目の間にあった私たちの目の前のカーテンがシャーッと引かれました。
差をつけられちゃったわ。こんな思いをしたら、たしかに民衆はフランス革命を起こしますよね?(関係ないか)

「LCCにもビジネスクラスのシートってあるの?」と私。
「さあ。席のレベルは一緒なんだけどね」とモコ。
降りる時に見ると、3列並んだ真ん中の席が、ドリンクを置く場所になっていました。

前の席に料理が出されたようで、いい匂いがすぐ前の席から漂ってくるので、なんだかお腹が空いたなあと思います。
そういえば、朝からろくに物を食べていません。
それでも食欲より睡眠欲の方が勝ったらしく、いつしかまた眠っていて、目覚めた時にはもう飛行機は雲の下に降りていました。

さようなら、リガ~!またすぐ訪れるわね~。



モスクワもリガも天気はさほど良くありませんでしたが、空の上は快晴。



国境を越えて、もうタリンの上空です。



森に囲まれた、大きな豊かな湖を超えていきます。ウレミステ湖というそうです。



● タリンに到着

そうこうして、タリンに無事に到着しました。
ああよかった。ようやっと、着いたわ。この日3度目の、心からの安堵。
あまりに遠くて、「アメリカ横断クイズ」で最後まで残った人の気分を味わいます。
気にしていた雨も降っていません。



水色屋根のタリン空港は、コンクリートを感じさせずにいい感じ。
停まっている飛行機はとても小さくて、もしかしたら個人所有のプロペラ機なのかもしれません。

● ポップでかわいい空港

飛行機から降りると、空港の可愛らしさに二人で「わあ・・・っ!」と声を上げました。
こんな可愛い空港、今まで見たことがありません。



ポップな可愛らしさでいっぱいのインテリアが、すてき。
ウキウキしてくる色合いです。



プライベート空間が保たれた一人がけ用椅子。
とっても落ち着けそう~。



人をダメにするクッションもたくさん置かれていました。
ここにダイブして、ゴロゴロしたいなー。



北欧のスタイリッシュさもあって、スマートです。
そういえばここはフィンランドに近い町でした。



ここは子供のプレイスペース。木張りの通路の床はなんともいえず温かみがあります。



ようやくのことでたどり着いたタリンは、とてもかわいらしいセンスにあふれた町みたい。
嬉しくなります。長安に着いた小野妹子とか、ガンダーラに着いた三蔵法師の気分です。

荷物が出てくるターンテーブルコーナーのチューリップのオブジェも、明るさたっぷりでした。



かわいいワンちゃんが近づいてきた~。わあ、ムク犬だー。
と思ったら、実は麻薬犬だったようです。
クンクンとかがれて、オッケーとばかりに通してくれました。



● 入国審査なし

さてその先の手続きはなんだろうと進んでいくと、もう外でした。
あれれ?
「パスポートコントロールはないの?」「入国審査票は?」
どうやら、リガ空港で行ったから、もう必要ないようです。
バルト三国はそんなに緊密なのかしら。というよりEU諸国だからでしょう。

● まだ闘いは続く

いよいよ空港の外に出ました。
タリン!タリン!
しかしここれまでの不測事態にかなり気力体力を使い果たしている私達は、もうすっかり満身創痍。
なにはさておき、ホテルで休憩したい気持ちでいっぱいです。
タクシーでホテルに行くことにして、乗り場で待ちます。
タクシーが3台まとまってやってきたので、停車するのを待っていたら、左右後ろから私達を追い越して、人々がそれぞれに乗り込んでいきました。
えっ、どういうこと?あっけにとられて呆然とする私たち。
こちらでは、行列を作って待つという意識がないのかしら?
タクシー乗り場を仕切る係員もいないため、無法地帯なんでしょうか。

旅の神さまが与える試練はまだ終わっていませんでした。
とにかくタクシーに乗らないことには、ホテルに着けません。
「次のタクシーには絶対に乗り込もう!」
現地の人たちに負けてはいけません。
すぐにはタクシーは来ず、しばらく寒い中を待って、ようやくやってきた車に走り寄って、乗り込みました。
かなりタクシージャックに近い、日本では決してしない乗り方です。

● やさしい運ちゃん

おかげでタクシーに乗ってからもすぐに緊張は解けず、お互い言葉少なになっていました。
でも、初老のタクシーの運ちゃんはいい人で、私たちがきょろきょろと町を見回しているのを見て、簡単な英語で「あそこがお城、あっちが駅だよ」と教えてくれました。
タクシーのお客さんは怖かったけど、運ちゃんは優しかったから、プラマイゼロ!?

● フォン ステッケルバーグ ホテル

そうして、この日宿泊するフォン ステッケルバーグ ホテル(The von Stackelberg Hotel Tallinn)に到着。
運ちゃんに手を振って、タクシーが去るのを見送ります。

こちらは大通りに面したホテル正面。



入り口は裏側になります。



元男爵の邸宅だったという、クラシカルですてきな建物は、重厚さに満ち満ちています。



レセプションのホテルスタッフも、美男美女ばかり。
うーん、美しすぎてまぶしい…!



チェックインを済ませて部屋に入ると、思ったよりもずいぶん小さなスペースでした。
ツインルームといってもシングルベッドを2つ並べてダブルベッドにしたような部屋。



まあ、私達には十分です。
出窓には石が飾られていました。禅を意識したインテリアなんだとか。



窓から中庭を眺めると、中世に戻ったような気分になります。



ベッドに横になると、とたんに疲れが押し寄せて、動けなくなりました。
ここに来るまで、こんなにハードな行程となるなんて、全然予想していませんでしたから。
でもまあ、なんとか切り抜けて、こうしてたどり着けたので、よかったわ~。

その2に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 1(モスクワ)

2017-05-11 | 海外
● prologue

「そのうちバルト三国に行きたいなと思ってるんだけど、一緒に行かない?」
「いいね、行きたい!」
そう、奥多摩の温泉につかりながら、モコちゃんと話したのは、3月のこと。
「行くなら秋頃がいいね」
ということで、春にした旅の約束を、半年後の秋に実行することになりました。

といってもバルト三国のことはほとんど知りません。
かわいいデザインの工芸品が多いということくらい。

行ったことがある知人も、2人しかいません。
一人はロシア専門の大学教授で、さすが、3カ国すべてを訪れたそう。
もう一人は学生時にロシア語を専攻した人で、タリンのみ。
関連本も、びっくりするくらい出ておらず、思ったよりも情報収集できません。
かわいい手芸品が好きな友人さっちゃんに、ラトビアの本を借してもらったので、雑貨のことはかなりわかりました。



出発前、モコちゃんと何回か作戦会議をして、プランを練ります。
ほとんど情報がないからこそ、逆に興味が募ります。
この情報社会の時代にしてもなお、あまり日本に知られていない国なんですね。

今回は、1つの国を2日ずつかけて、バルト3国を7日間で巡ります。
ユーロが使えるので、両替の面倒さがなくて済みますが、私、ユーロを導入してからヨーロッパに行くのが初めて。
EUが発足したのは1993年だから、この14年間はヨーロッパに行っていなかったんですね。
渡欧自体、ずいぶん久しぶり。

渡航日が近づいてくると、気になるのが天気予報。
滞在中、連日雨予報になっているので、二人ともアンニュイになります。



「やっぱりリカさん、雨女じゃない?」
たしかにモコちゃんと会うたびに、かなり雨の確率が多いのです。
2月に金沢に行った時、彼女も滞在中で、私の到着とバトンタッチで帰っていきました。
「それまでピーカンだったのに、リカさんが金沢に着いた頃から突然天気が悪くなって、大雪になっちゃったのよね」
確かにあの時は、滞在中ずっと雪で大変な思いをしましたが、それ以降、彼女に雨雪女疑惑を持たれている私。
そろそろ名誉挽回したいのに、また雨~?
こころなし、モコちゃんの態度が冷たいような。

● モスクワ空港での悪夢

旅行社勤務の彼女に、チケットなどを手配してもらいました。
「ところで忘れてたんだけどね」と彼女。
「帰りの乗り換えがうまくいかなくて、モスクワの空港に7時間いることになるんだ」
モスクワの空港に滞在!

かつてのトラウマを思い出しました。
ケニアに行く途中のモスクワの空港で一晩過ごすことになったのですが、事前にわかっておらず、厚手のコートは荷物に預けたまま。
夜になると空港内の電気が一斉に落ちて真っ暗になり、暖房も切れて、震えながら友達と寄り添って夜明けを待ったのです。
あれはもう二度と体験したくないわ~。

そんな超悲惨な思い出がありますが、今では空港も改装されたらしいので、少しはマシになっていることを祈ります。
ロシア語通訳ガイドの友人にその話をすると「スノーデン君を探せごっこができるね」と言いました。
スノーデン君って誰だっけ?スノードンならウェールズの地名だけど。
アメリカ当局に追われてロシアに亡命した国家機密漏えい容疑者でした。
スノウだからアナ雪のオラフみたいなのキャラクターかと思ったら、全然違った!
モスクワ空港に籠城していた彼は、もうとっくにモスクワの空港を出ており、ロシアで幸せに過ごしているようです。

友人は続けて「百獣の王の武井壮さんが、無名時代に映画のエキストラ出演のためインドに渡り、現地で両替できなかったため、コブラ使いの横でアクロバティックなことをして、ルピーを稼いだそうよ。
行きの飛行機で大道芸の練習をするとか、どうかしらね」と言いました。
じゃあ、謎のくノ一ごっことかして、なんとかコインを稼ごうかしら。

● 成田空港散策

当日は、余裕を持って成田空港に着いたので、2人で空港内を散策しました。
すると、イスラム教徒用の礼拝室を発見。



前にアラビアのどこかの空港でこうした部屋を見た時には、言葉が判読できず、なにをするのかよくわからなかった部屋です。
カーテンに覆われて奥はよく見えませんでしたが、女性専用部屋で、無人のようでした。

● 呼び出し放送

ゲートの前でのんびりしていたら、呼び出しアナウンスがかかって私たち二人の名前が読み上げられました。
なぜ?
慌ててカウンターに向かうと、どうやら自動チェックインをしたため、パスポートの残り期間がわからなかったようです。
3ヶ月残っていないといけないのですが、大丈夫。



隣にいた一人の青年は「パスポートが残りもう3ヶ月切っているけど、どうしましょう」と青い顔で相談していました。
彼はどうなったのか、搭乗口まで行ってダメだったのか、気になっていたら、
のちほど、機内でちらっとその姿を見かけました。なんとか無事に乗れたようでした。

スーツケースの森。
さすがはアエロフロート便。フライトを待つ人々は、がっしり体系の人が多いです。



● 寝て食べて

機内に入り、席に落ち着いたら、さっそく寝る体制に入ります。
長い休暇を取る前はいつも忙しく過ごすため、今回もとっても寝不足。
機内にいる間に体力を取り戻そうと、とにかく寝ることにします。

途中で出てきた機内食。
ドリンクが大きめのカップで出てくるのが嬉しいです。



地図でどの辺りにいるのかをチェック。日本はもうはるかかなた。



再び機内食。文句なくおいしいです。日本で積んだものですしね。



私が寝ている間に、モコは映画を3つ観たと聞き、食後に「タンタン」を観てみました。
でもやっぱり睡魔に耐えきれず、途中で寝落ちしました。
9.5時間くらい乗って、モスクワ・シェレメチェボ空港に到着。



座席前の液晶画面に映し出された外の滑走路は、カチコチに凍結しており、(スリップせずに着陸できるのかしら)とハラハラ。
みんな同じ心配をしていたようで、急降下の時には「ヒー」とか「キー」みたいな叫び声が上がります。
無事に着地した時には、乗客の間から大きな拍手がわき起こりました。
私ももちろん、拍手喝采。

● 空港ターミナル移動

次は隣のターミナルから出るタリン行きのフライトに乗り換えます。
大きな空港で、移動に時間がかかるため、サクサクターミナル移動をするようにと言われていたので、寄り道をせずに向かいます。

以前ケニアに行った時に、モスクワ空港で一晩過ごすことになったトラウマがよみがえります。
あの時は、本当に暗くて寒くて怖かった~。

でも、久しぶりに訪れた空港には、もう暗いイメージはありませんでした。
移動中にいくつものお店の前を通りましたが、どれもハイカラで、英語の店名もあります。
イメージよりもはるかにとっつきやすい雰囲気。
空港を新しく建て直した時に、生まれ変わったのでしょう。










ハンバーガーって意味かな?



● ユダヤ人の縦ロール

ユダヤ人らしい格好の人々も割と見かけます。
モコは「もみあげを見て。きれいすぎる!」と注目。



たしかにそこだけキャンディキャンディのイライザみたいでした。
縦ロールが流行っているのかしら?



連れている息子も、似ている髪型です。
遺伝なのか、宗教文化の伝承なのか?

● 飛行機を逃してしまった!!

チケットに書かれたゲートを見つけて、椅子に座って待ちました。
少しずつ人は増えて来ましたが、入り口前になかなかタリン行きの表示が出ません。
もしかするとこの人たちは、単に座るところを探している人たちで、タリンへ行く乗客じゃないのかも?
なんだかそんな気がしてきて、立ち上がると、放送が入り、フライトのゲートが変更されたことを知ります。

免税店が立ち並ぶ界隈で人は大勢いますが、お店ばかりでフライト情報が探せません。
ようやく、電光掲示板を発見しましたが、小さい上に高いところにありすぎて、見えづらいです。
それでも、新たなゲートに移動しました。



私たちが乗る予定のフライトは、赤線のもの。
その上に、今回の原因の一つとなった、黄色い線のフライトがあります。
本来ならば、10分前(なんてギリギリ!)に黄線の方が離陸しているはずだったのですが、それが遅れて19時発となりました。

黄線便を待つ人たちで、ゲート前はごった返していましたが、私たちはてっきりみんなが赤線便、つまり私たちと同じタリンに行く乗客だと思って、一緒に待っていたのです。
でも違いました。
なんだか変だなと、状況を確認したいと思って、周りの人々に質問を投げかけても、誰一人英語が通じません。
黄色便の向かうカムランは、国内の都市かと思ったら、行先はベトナムでした。



今置かれている状況が正しいのかわからず、誰かに聞きたいと思いますが、みんな利用者とお店の人ばかりで、空港関係者が全く通りません。
それでもフライトアテンダントを見つけて、チケットを見せて聞くと「43だろう」とチケットに書かれたゲートの場所を教えられます。
「違う、49だ」と話すと、話が通じないというジェスチャーをされてしまいます。
英語が通じにくく、聞ける人が本当にいません。

掲示板に書かれた時間が近づいてきました。
閉まっていたゲートがあいて、みんなで下に降ります。
ところが、それは間違いだったのか、また上に戻されました。
そうこうしているうちに、掲示板に書かれた時間になってしまいました。

おろおろしながら、人に聞きまくっていると、ようやく英語が通じるスタッフに会えて「トランジットコーナーの奥の人に聞いてみて」と言われました。
教えられた場所に行ってみると、通路の奥の薄暗いコーナーに、制服姿の人がいました。
私たちのフライトについて聞くと、電光掲示板を指さして「もう出たよ」と言われ、目の前が真っ暗に。
「どうして今になってきたの。もう間に合わないよ」と、若干責められ口調になります。
私たちも探しに探していたんですよ…。どうしてこんなことになったのか、こちらが聞きたいくらいです。

「タリン便は今日はもうないので、チケットコーナーへ行きなさい」と言われました。
つまり、航空券を新たに買い直せということです。
乗りそびれたチケットは払戻しはできず、ムダになってしまいました。
チケットコーナーは隣のターミナルにあると教えられて、もと来た道をとぼとぼと戻りました。

このハードな体験を箇条書きにすると、こんな流れでした。

   ① チケットに書かれた出発ゲートに行く
   ② フライトの出る気配なし
   ③ スタッフおらず、周りの人も英語通じず
   ④ 英語でゲート変更の放送がかかり、聞き取る
   ⑤ 新しいゲートに移動するも、係員は誰もおらず
   ⑥ 登場待ちの人々が大勢いたので、一緒に待つ
   ⑥ 階段の下のゲートが開き、人々と行列になって階段を下り、搭乗しようとする
   ⑦ しかしなぜか押し戻されて、荷物を持って再び2階へと戻る
   ⑧ 状況がよくわからず、周りの人に聞きまくるも、全く言葉が通じず
   ⑨ ボードを見ると行き先は別の地名。よくわからないまま、なすすべもなく人々とフライトを待つ
   ⑩ 周囲は免税店街で、お店の人はいてもフライト関係の人がいない
   ⑪ 小さな電光掲示板を発見。ゲート49のフライトが2つ出ており、私たちのフライトはボーディング中のサイン。
   ⑫ しかしゲートへのドアはロックされており、搭乗できない
   ⑬ あせって周りの人に聞きまくるが、とにかく英語も仏語も通じない
   ⑭ 階下の搭乗口に再び行こうとするも、やはりドアがロックされていて行けず
   ⑮ ようやく英語がわかるスタッフに会い、トランジットスペースにいけと言われる
   ⑯ トランジットスペースを探してチケットを見せると「もう今飛んじゃったよ、今日のフライトはもうない、チケット買い直し」と言われる

変更したゲートで待っていた人たちは、私達より10分先のフライトの乗客で、そちらが2時間位遅れたため、私達のフライトのほうが早くなったようです。
遅れないようにゲートまで行ったにもかかわらず、便を逃してしまうなんて、あまりにも残念。
これはもう完全に、周囲の人々の言葉がわからなかったのが一番の理由だわ。
あとどういうわけかフライト関係の人が誰一人ゲートにいなかったのも、腑に落ちなーい!

● チケット買い直し

チケットコーナーの係員に聞くと、モスクワ→タリン便は550ユーロと教えられました。
「ネットのほうが安いと思うよ」と言ってもらったので、ネットで調べてみることに。。
とにかく混乱していますが、これ以上予定を崩さないために明日のフライトをゲットするべく、まずは自力でネット検索しなくてはなりません。
調べてみると、たしかに少し安めの値段のエア・バルティック便があったので、翌日のタリン行きフライトを申し込みました。

発券してもらおうと向かった先は、アエロフロートのカウンターだったようで、いったんは「航空会社のターミナルが違う」と教えられましたが、奥にいた人が「日本人ですか?」と日本語で対応してくれました。
英語もフランス語も全く通じず、なすすべがないハードモード状態にすっかりぐったりしていたので、海外で日本語を聞いてほっとします。
日本人ではなさそうですが、それなりに日本語が上手。「乗りそびれた」という表現も通じました。
はじめは韓国の人かと思いましたが、中央アジアのなんとかスタンの人ではないかと思います。
「オカヤマに住んでいました」とのこと。なぜ岡山?
その人はエア・バルティックのカウンターに連絡をし、係員に発券してもらったチケットを持ってきてもらいました。
タフな状況が続いたので、親切にしてもらい、さりげない優しさを嬉しく感じました。

それにしても、あんまりな状況となってしまい、現実に打ちひしがれ、言葉少なの私たち。
乗り遅れまいと、一生懸命だったのに、結局フライトに乗れず、チケットの買い直しをすることになるなんて。
しかも、今回はスルーできると思っていたモスクワ空港に再び泊まることになってしまうなんて、トラウマを抱える私にとってつらすぎる現実です。

この日の夜は、タリンの素敵なホテルに泊まるはずだったのに、あんまりだわ。
がっくりしながら、次々と空に飛び立っていく夜のフライトを見送りました。



こうなってみると、言葉が通じないという心細さをひしひしと感じます。
ロシア語ばかりの表記がやけに目立って目に入ってきます。
ひっきりなしに空港アナウンスがかかりますが、何を言っているかわからない心細さ。





物言わぬマトリョーシカ達も、悲しく見えてきます。



不幸中の幸いだったのは、ふたりとも全荷物を手荷物にして持っていたこと。
先に荷物だけ、別の便に乗って行ってしまったら、とても面倒なことになっていたでしょうから。

次々に離陸していく飛行機を見ていると、私たち二人だけ、世界から取り残されたような気分。
外は雪が降り始め、底冷えがしてきて、なおさら気がめいります。
でも、もうどうしようもありません。
空港で休む覚悟を、静かに固めていきました。 



● まさかのモスクワ空港泊アゲイン

空港内にホテルはありますが、満室でした。
モスクワ空港にスリーピングボックスというカプセルホテルがあると聞いていましたが、どこにあるのかわかりません。
モコが「どこでも寝れるから、この椅子で大丈夫」というので、動き回るのはやめて、じっとしていることにしました。
長時間かけて、飛行機に乗ってきたので、眠さはさほどありません。
ただ、タリンの素敵なホテルが・・・ああ、あきらめきれなーい。
今頃、私たちの到着を待って、ふかふかのベッドがしつらえられているでしょうに・・・涙。

モコが、思ったよりもタフな旅の経験者だったので、助かりました。
私も空港泊は経験したことがあるので、この現実を受け入れてしまえれば、あとは観念して夜を越せます。
以前と違って、夜になっても空港内の電気が一斉消灯することもありません。
話をしながらうとうとして、いつの間にか寝入っていたようです。



夜中2時頃に、寒さに震えてはっと目が覚めました。
辺りに一気に人がいなくなっていました。
この時間だと人の往来もなく、空港全体が冷え切って寒くなります。
このまま寝続けたら死ぬんじゃないかと思うほど。ああ、かつてのモスクワ空港での寒い一夜を思い出すわ。



荷物からウールの上着を取り出して(全て機内持ち込みにしていて本当に良かった)、全身くるまりました。
モコも、あたまからコートをかぶって、寝ていました。
どこでも熟睡できるという彼女。こんななりゆきになってお互いがっくりしていますが、それでも怒ったり悲嘆したりせず、前向きなところに救われます。
旅行中にアクシデントに遭った時にわかるのが、友だちの人間力。
ガーリィな見た目に寄らず、かなりタフな友だったので、助かりました。

2日目に続きます。