風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

まだ見ぬバルト三国へ 7-2(Last)

2017-06-06 | 海外
その1からの続きです。

● 英語はまだ遠し

ヴィリニュス-モスクワへの機内で、雑誌を見ようと手にとっても、機内誌はすべてロシア語でさっぱりポンでした。
たしかにこの辺りでは、英語は特に重要な言語ではありません。英語の本を置いても、逆に読めない乗客の方が多いのでしょう。
「国際線では英語が公用語」というわけではないということを、今回身にしみて感じました。



これはフランスの女優、シャーロット・ゲンズブール。
しかしどんな記事なのか分かりません。
そういえば彼女、最近デザイナーも始めたって聞いているので、そういう内容かもしれません。



● モスクワふたたび

2時間半くらいのフライトで、モスクワ・シェレメーチエヴォ国際空港に着きました。
「外の気温は0度」とアナウンスがあったとおり、うっすらと雪が積もっています。
モスクワとバルト三国は時差1時間。バルトの時間設定はないため、ヘルシンキ時間に直します。







● またもやゲート変更

さて、行きに大失敗をかましたモスクワ空港です。
帰りの日本便を逃すことのないよう、念には念を入れて、まずは電光掲示板で搭乗ゲートをチェック。

すると、朝ヴィリニュスでネットをチェックした時のものと、電光掲示板に出ているゲートが違っていました。
再びネットで調べなおすと、電光掲示板のゲート番号に変わっていました。
また変更があったのかしら。
もはやモスクワでのゲート変更はトラウマレベルになっている私たち。
なにか動きがあったらすぐに対応できるように、そのゲートの所から動かず、フライトまでの長い時間を過ごすことにします。



充電コーナーがあったので、その近くに陣取ります。
Wi-Fiと電源チャージの公共の場での普及率に関して、日本はかなり遅れていると思います。
この2つが確保されれば、かなり旅行者は楽になりますからね。

● 往路便の現場検証

日本行きフライトの搭乗ゲートは7番。
1週間前に乗り損ねた、因縁のゲートは49番。
あの時、なにがどうしてああなったのか、いまだにはっきりわかっていません。
気になったので、モコちゃんに荷物を見ていてもらい、7から49まで、長い長いターミナルを延々と歩いて、ひとりで現場検証に行きました。
モスクワ空港は広く、15分位歩いてようやくたどり着きました。



思い出す、この辺り。あの時の不安と焦りを思い出して、胸が痛みます。
近々のフライトはないようで、辺りには誰もいません。



この階に空港係員はおらず、一旦は階段を下りてみるも、結局人波に押されて戻された場所。
この階段の下に、たどり着けなかったあの日のゲートがあるのです。きっと。あーあ。
鍵がかかっていて、中には入れませんでした。



チケットに印字され、最初に訪れた43ゲートにも行ってみました。
明るい日中なので、視界もクリア。
この2カ所が、私たちのモスクワの悲劇の舞台となった現場でした。



でもまあ、大きな痛手ではなくてよかったです。
翌日午前中のLCCがあったから、旅程は半日のロスで済んだし、そこそこの出費ですんだし、おまけにきれいなCAさんを見られたし。
なにより、忘れられないメモリーができました!!

● 2度目はない

でも今回、もしまた帰りの日本便を逃したら、LCCはないので、高額な直前チケットを買わなくてはなりません。
「LCCを乗り継いで帰れないこともないけど」とモコ。
アゼルバイジャンとかタシケントとか経由して、乗り継ぎを重ねて帰ることになるようです。
それもおもしろそうですが、帰国するまでに1週間くらい掛かりそう。
そして、さんざん周りに呆れられそうです。

● ロシアンレストラン

空港内のロシアらしいレストラン。



『石の花』の物語に登場するような雰囲気です。



北国の温かさが表されているよう。



店員さんの服も、バレエダンサーのようで、すてきでした。



● 日本語久しぶり

フライト時間が近づいてくると、一気に周りに人が増えて、騒がしくなりました。
アジア人の姿も多く見かけます。ほとんど日本人でしょう。
私達以外の日本語があちこちから聞こえてきました。
約一週間ぶりの、よその人の喋る日本語に、ちょっと感動して動けなくなりました。

いやー、母国語ってこんなに安心するものだとは。
これまでは、海外を旅していても、そこまで感じたことはありませんでした。
おそらく、英語とフランス語でなんとかなってきたからだと思います。

バルト三国も北欧並みに英語が通じると思っていましたが、かつてロシア帝国の支配下にあった地域だけに、状況はかなり違っていました。
住民は英語がわからないため、なかなか地元の人との交流ができず、必要な時には英語が分かる人を探さないといけませんでした。
ところが日本語だと、苦労しなくてもなんでも意思疎通できるんですよ。すごいことですよね!

今では世界中に日本人も中国人もいるイメージがありますが、今回はどちらにもほとんど会いませんでした。
それで、アジアにとってまだまだ未知の部分の多い、遠い国なんだなあと実感しました。

これまで、言葉が通じない国には、ツアー旅行で訪れていました。
ツアーだと安心していられるし、個人旅行よりお安い時もあります。
でも旅はやっぱり個人で計画を立てて自力で行く方が、心への刺さり具合が違いますね。
どちらもよしあしがあります。

● 外は雪景色

空港内は暖房が効いていますが、周りに人が少なくなると、足元から一気に冷え込みます。
ボーディング間近になって人が集まってきても、近くのゲートに連絡バスが横付けされて外へのドアが開いていると、外気でどうしようもなく冷えてガタガタ。
だってほら、外は真冬の光景ですもの。





今回は問題なく機内に乗り込みました。ああ、乗り損ねずに済んだわ。
まあ、これだけ日本人が多ければ、さすがにゲート変更をする場合は、とびきり分かりやすく教えてくれるでしょう。

● 霜よけ作業

ただ、乗客がみんな機内に入っても、なかなか出発しません。
じきに「機体が凍っているので、霜よけの作業を行います」というアナウンスが入りました。
夜になり、ますます外気が冷え込んできたため、翼に氷や雪がついて離陸できないのでしょう。
窓からは、雪の降る中で、クレーンつきの作業車が、防除氷液を機体に吹きかける様子が見えました。







大きなジェット旅客機の霜よけ作業には時間がかかり、結局1時間ほど遅れて出発しました。
遠ざかる雪の中の空港。ダズビダーニャ~。別れの言葉に力がこもります。





● 可動式首当て座席

座席は初めて見るデザインでした。
「これ、動くんだよ」と、モコが力を加えると、枕の形が変わります。



首を固定できるので、ネッククッションいらずなんだそう。
わー、これは便利だわ!なんて画期的なんでしょう!



● スリープモード

飛行機に乗るとすぐに眠くなる私。これはもうパブロフの犬のように反射的なもののようです。
さっそく眠りに着こうとしたら、液晶画面で映画をチェックしていたモコが「あ、行きとちょっと変わってる」と言いました。

今にも瞼が閉じそうな私は、起きて映画を観るのは無理だと思って音楽をかけようとしたら、やっぱり行きに見た掲載アルバムから変わっていました。
10月から11月に替わったからでしょう。今年星になったDavid Bowieの『Backstar』を、追悼がわりに聴いていきました。

● どなたかお医者様は

途中、足がむくんできたので、ストレッチをしに機体の後ろへ行くと、CAさんたちが数人集まっていました。
その中には、CA用座席にぐったりともたれかかる日本人の年配女性。
旦那さんらしき年配の男性が付き添っています。

女性の口には、事故の時に機体の座席上部から落ちてくる、黄色のコップ型のマスクがあてがわれ、チューブの先にはCAが酸素スプレーを持っていました。
具合が悪そう。大丈夫かしら。
気にしながらもみんなの邪魔にならないように、物陰で屈伸を始めます。

すると、しゃがみこんで女性の様子を見ていたCAの一人が、何かを付添いの男性に聞きました。
男性はその人の言葉がまったくわからないようで「どうしてこうなったか、皆目見当つかんのですよ」と日本語で言いました。
それを聞いたCAさん、苦笑いをしながら「私、日本語はわからないのよ」と英語で言いました。
たまらずそばへ行って、CAに「原因はわからないそうです」と英語で伝えました。
「気圧が下がったからじゃないかしら」とCA。
そう男性に伝えると、「いや、そうじゃないと思いますがねー」との返事。
CAに伝えると、彼女は考え込みました。
そこで「お酒は飲みましたか?」と聞くと「さっきワインをね」と。
CAさんからの「食事はとった?」との質問には「少し」と。

上空に来て気圧が下がり、空きっ腹に急激にお酒が周って、気持ちが悪くなったのではないかと思われます。
前に私も、ワインで地獄の七丁目の苦しみを味わったことがあるのです。
もう少し女性の様子を見ようという流れになったので、私は屈伸運動を終えて席に戻りました。

じきに「具合の悪いお客様がおいでです。お客様の中でお医者様、看護師、救護員など、医療に従事した方がおいででしたら、近くのCAにお声をおかけください」との放送が流れました。
キタ~!映画やドラマで有名なこの放送ですが、実際に聞くのはこれが初めてです。
ドラマなどでは、CAが慌てた様子で、客席に向かって大声で聞くというのがセオリー(?)なのに、この時は露・英・日の三か国語で淡々と放送がかかりました。
医療従事者は、実は毎回けっこういるものだと聞いていた通り、ほどなくして2人の外国人女性がそれぞれCAに連れられて、機体後部へと向かっていきました。
(言葉は大丈夫かな?)と思いましたが、「どなたか英語と日本語が話せる方は」という放送はかからなかったので、なんとかなったのでしょう。

● 氷原を下に

窓の外は氷の世界。氷原と氷の山々を見下ろします。



外の気温は-58.8度ですって。放り出されたら、生きていられません!





でも、とても美しい光景でした。



しばらく行くと、氷の世界は消え、ひたすら黒いごつごつとした山が眼下に広がりました。
ここはどこだろうと調べると、ロシアとモンゴルの国境付近でした。
これは越境したいと思っても、無理そう。



フライトはあと2時間ちょっと。眠っているとあっという間です。
モコは「あと1本くらいしか映画見られないや」と言っています。ずっと見てたなんて、元気ね~。

『ファインディング・ドリー』を観たと聞いて、私も(せっかくだから1本くらいはね)と、観てみました。
が、やっぱり途中で寝落ちして、起きた時には終わっていたので、ドリーが両親と無事に再会できたのかはわからないまま。


機内食。ふつうに美味しいです。




ここはどこでしょう。くっきりと大きく蛇行しながら流れていく大河が見えました。

● 日本着陸



もう日本上空まで来ていました。ドリーがどうなったのか、確かめる時間はなさそうです。



地面が見えてきました。
飛行機は大きくカーブを描いて、着陸態勢に入ります。



出発が遅れた分、少し遅れて成田空港に到着。
方向の違うモコと、空港でハグしてお別れして、ひとり帰途につきます。

土曜の昼過ぎに成田着の便にしたので、帰りもラッシュに重なることもなく、ゆとりを持って楽に帰ることができました。
ああ、日本語が通じることがとっても楽。
そして久しぶりにシャワーじゃないお風呂に入れるのね~!!
夜にはしっかりと湯船につかって、長いフライトでこった身体を伸ばしました。

● epilogue

あまり情報を持たないまま、「行ったことがないから行ってみよう」と決めたバルト三国。
周りのみんなには「なぜバルト三国に行くことにしたの?」と聞かれてばかりでした。
「行ってみたかったから」と言うと、たいてい絶句されました。
なぜかしら~?

母親には「地味な国に行くのね」と言われましたが、変に観光地ずれしていなかった分、のんびりできました。
行きづらい場所に行けるチャンスがあったら、逃してはなりません。
ハワイや香港と違って、バルト三国に行く話はそう何度も舞い込んでこなさそうですから。

今回の旅の相棒モコとは、何度か国内旅行をしていたものの、一緒に海外旅行に行ったのは初めてでした。
しっかりしており、旅行会社勤務ということもあっていろいろと旅に詳しく、頼りになりました。

ただ今回、結果的にお酒なしの旅にしてしまったのが申しわけないところ。
自分が普段飲まないので、旅行中はまったく気がつきませんでした。
アイスは一緒に食べていたんですが。
「別にいいよー、飲む機会はいくらでもあったけど、単に飲まなかっただけだし」と言ってくれましたが、「去年のイタリア旅行の時はどうだった?」と聞いたら「朝からぐいぐい飲んでた」とのこと。
そこまで!浴びるほど!

バルト三国は、美男美女がたくさんいたのでハッピーでした。
金髪の人が多く、すらりとしたスタイル。
年配者も太りすぎの人ばかりではありません。
ロシア人もきれいな人が多いですが、こわいくらいに迫力があったりしますよね。
バルトの方々はそれほどすごみがなく、平均的に美しい人が多くて、毎日幸せでした。

テキスタイルから建築に渡って幅広いジャンルで見られるデザインは、かわいいか、シンプルか。
北欧っぽさがあり、いいセンスだなあと見とれるものがあちこちにありました。
食べ物も、どれもおいしく口に合うものばかりでした。
物価も高くないし、満足して暮らせそう。ことば、ことばさえなんとかなれば・・・(そこが大きいんだけど(ToT))



帰国後、「バルト三国で、どの国が一番よかった?」とよく聞かれました。
帰る途中、モコともその話をして「最初に訪れたタリンが印象深いから、エストニアかな」との意見でお互い一致していました。
でも、改めて思い起こすと、タリン、リガ、ヴィリニュス、どれもがそれぞれに特徴的で、味があるいい町ばかり。
ラトヴィアには十字架の丘、リトアニアにはトゥラカイ城もあったし、これは決められないわ~。
どの場所も機会があったら、また訪れてみたい国々です。


まだ見ぬバルト三国へ 7-1(モスクワ)

2017-06-05 | 海外
6日目からの続きです。

● 朝から焼きギョーザ

とうとうバルト三国滞在最終日になりました。
昨夜は(帰りのフライトではずっと寝ていくから、ずっと起きていよう)とがんばっていましたが、結局2時すぎくらいに瞼が重くなり、お互い寝に落ちました。

朝は6時過ぎに置き、パッキングを済ませてチェックアウト。
それから荷物を持って、レストランで軽食を取ります。



今日もおいしそう。なんというか、丁寧な感じがします。
本当に、ビジネスホテルのレストランとは思えません。



今日も焼き餃子。やっぱり昨日トゥラカイで見た伝統料理のキビナイに似ているような気がします。
味は普通の餃子と一緒でした。



絵になるリンゴ。滞在中、リンゴを何個か食べましたが、形はいいものの、どれも皮が厚くて飲みこみづらい上に、甘みはいまいちでした。
やっぱり日本のリンゴが一番だわ!



● ヴィリニュス中央駅

サクッと食事を済ませてホテルを出て、駅へ向かいます。
外は雪がかすかに舞っていました。ああ、最後まで天候はいまいちだったなあ。



バスターミナルのそばにある立派な構えのヴィリニュス中央駅。
最終日になって、この旅で初めて空港行きの電車に乗ります。
バスも出ていますが、せっかくなので、こちらの電車にも乗ってみようとチョイス。
でも案の定、駅の表示は英語表記になっていません。

どのプラットフォームから空港行きが出るのかわからずに、しばらくウロウロ。
外国の駅には改札がなく、つまり駅員もいないので、聞く人を探せずにキョロキョロ。



ようやく旅行会社のブースを見つけて、奥まった場所にある長距離切符売り場を教えてもらい、空港線の出るホームがわかりました。
空港のことは、こちらの言葉で「oro uostas」というようです。
airでもportでもないんですね。もうさっぱりわかりません!

世界で共通する言葉は、「タクシー」と「カフェ」くらいかしら。
地下通路を通って行くと、ホームへの道は階段しかなかったので、トランクを持ち上げてうんうんいいながら上がりました。

● 空港行き電車





2両編成の電車が停まっていました。空港まではたった7分の距離です。



かわいらしい車両内。わざわざガーリーに作っているわけでもないのに、なぜキュートな感じがするんでしょう?
カーペットが敷いてあるから?
1時間に1、2本しか本数がないため、早めに空港に着きました。



● ヴィリニュス空港

着いてみてびっくり。さっきの中央駅と同じような外観です。
えっ、これが空港なの?駅じゃないの?



小さな建物です。正面入り口からはなぜか入れず、横に周って車両用のスロープの脇の歩道をウンウン荷物を引きながら登らなくてはなりません。
どうしてこんな造りになっているんだろう?
前を歩く人がいなければ、入り口がわからずここでもウロウロしていたことでしょう。



外はしんしんと降る雪。
駅から空港までは直結しておらず、外を歩かねばならなかったので、少し雪をかぶりました。



空港の中に入っても、やっぱり見た目通りに小さくて、入っているお店も限られています。



入り口入ってすぐのフロアの真ん中に、新車がドーンと飾られていました。



NISSANって書いてあります。ピカピカのX-trailでした。



ベンチの周りにはたくさんコンセントがあって、みんな座りながら充電しています。
やっぱりITインフラに関しては、こちらの国の方が日本よりも進んでいます。



● 北欧風デザイン

チェックインを済ませて、ゲートに向かってみますが、こちらも案の定小さくて、あまりお店はありません。
今回、往路での不測事態により、タリン、リガ、そしてヴィリニュスと、バルト三国首都の空港をすべて利用することなりましたが、ここヴィリニュス空港が一番小さい気がします。



タリン空港がおとぎの国のようで可愛かったなあ。
ここも可愛らしさがありますが、空港に関していえば3つともずいぶん雰囲気が違っています。



北欧的で、センスはいいです。
かわいらしいファブリックのお店。



● リネンとバスケット

コンパクトにいろいろなものが売っていました。
売られているものは、結構万国共通です。



と思ったら、スーパーで買うのをあきらめたバウムクーヘンが売られているわー。
スーパーよりも小ぶりのものです。う~ん、食べたいなあ。
でも荷物にしたらつぶれてしまいそうだから、またどこかで見つけた時に!



今回の旅では、お土産屋さん巡りはさほどしませんでした。
こちらに来たら、自分用にバルト三国のリネン製品と、大きな手編みのバスケットを買おうと思っていましたが、滞在中、売られている光景を一度も見かけませんでした。
本当に名産なのかしら?
まあ、雨や雪の時には、外に商品を出したりしないでしょうけれど。

リネンとバスケットを買う最後のチャンスは空港だと思っていましたが、売店にはありきたりのマグネットなどしか売られておらず、残念ながらゲットできず。
琥珀の店ならあちこちにあるのですが。
そんなわけで、今回は食べ物のお土産しか買いませんでした。
まあ、機内持ち込みの小さなトランクなので、もともとそんなにものを詰める隙間はありませんでした。

ああ、でも籠は欲しかったなあ。この目で見る機会が一度もなかったのが、不思議といえば不思議です。
冬は売らないのかしら。

● 搭乗ゲートにて

とにかく行きにフライトに乗りそびれたことが、お互いトラウマになっているので、帰りも早め早めの行動。
自分たちの乗る搭乗ゲートまで来て、ようやくのんびりします。



空港の外では、朝よりも強く雪が舞っています。じきに積もりそう。
「トゥラカイ城に行ったのがこんな天気じゃなくてよかったね」
昨日も凍えそうなほどに寒かったのですが、今日の雪よりははるかにましでした。


タラップ・タラップ・タラップ


● 母と子とゲーム

私たちが座っているそばに、赤ちゃんとママがやってきました。
ベイビーはワニたたきゲームに夢中。
これって、日本のゲーム(ナムコのワニワニパニック)じゃないのかな?



別の親子がエアーホッケーを始めました。
なかなかのナイスショットを繰り出す少年でしたが、母親に難なく封じ込められていました。
母は強し。



● アエロフロート便

空港内で周りを見回しても、見える限りでアジア系はいません。みんなこの辺りの人々といった感じ。
機内に入ると、座席は今回もビジネスのすぐ後ろの席になりました。
ビジネス席はガラガラで、3人くらいしか座っていませんでした。すぐに出られて楽~。





アエロフロートのCAさんは、堂々として存在感がある感じ。
やっぱりバルト三国とロシア都では、民族が違うんですね。顔と身体の作りが違います。
バルト三国のほうが北欧に近いのか、金髪率が高くてすらりとしている印象。
あくまで個人的意見ですが、バルティックエアーのCAさんは抜群にきれい揃いだったなあと思いかえしました。



今回はLCCではないため、機内食もドリンクも出ました。
サンドイッチ、なかなかおいしかったです。



● メキシコ大使館の女性

モスクワ便は3人掛けで、フライト中、窓際に座っていた女性に話しかけられました。
在モスクワのメキシコ大使館員で、バルト三国に仕事で来て、これから戻るところだそう。
飛行機がモスクワに着き、機内から降りる時に、その人が意外なほどたくさん荷物を持っていることに気付きました。

ファッションに詳しいモコは「あのブーツ、買いたてのをさっそく履いてる」と気がつきました。
見ると、たしかにブーツの箱を持っています。空港内の免税店で買ったんでしょうか。
質のいい毛皮のロングコートをたなびかせながら新しいブーツでコツコツと足音を立てて、颯爽と去っていった彼女。
絵になりました。でも暖かいメキシコからきた人には、モスクワの寒さはこたえることでしょう。

その2に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 6-3(ヴィリニュス)

2017-06-03 | 海外
その2からの続きです。

聖ペテロ&パウロ教会は本当に美しく、町はずれまでてくてく歩いて行った甲斐がありました。
満足し、ふたたび旧市街の中心へと戻っていきます。

● ゲディミナス城

ヴィリニュス歴史地区に入ると、小高い丘に建つお城が見えてきました。

ゲディミナス城です。
19世紀に帝政ロシアに破壊されて、今ではお城は廃墟となっており、塔だけが残って、展望台になっています。
なので正確にはゲディミナス塔と丘の上の城博物館になります。
それにしても帝政ロシアは、この美しい街を壊しすぎです!



上にには画面右側にあるリフト(ケーブルカー)に乗って上がります。
そこまで行ってみましたが、動いていませんでした。

表示もなく、そもそもリフトの入り口自体が閉鎖されています。
たまたまこの日がお休みだったというわけでもなさそう。
シーズンオフだからでしょうか。



自力で丘に登ることもできなくはありませんが、周りながら上って行くので意外に距離があります。
上からはヴリニュスの街を一望できるようなのですが、みぞれ交じりの雨が降っているため、見晴らしはあまりよくなさそう。



空模様を見て、下から見上げるにとどめました。
手前にある赤い屋根の建物は、考古学資料展示館です。

● 大公宮殿と大聖堂

お城のすぐ隣には、リトアニア大公宮殿(王宮)があります。
さらにその隣には、大聖堂が。
大きな建物が集まっているところです。



● ヴィリニュス大聖堂

きれいな建物だと思われることでしょう。
画面下の人間の大きさをご確認ください。
いかに、屋根の上の銅像が巨大か、お分かり頂けることでしょう。

屋根の上にいるのは聖スタニスラウス、聖ヘレン、聖カジミエルの3聖人。
旧ソ連時代には撤去されていましたが、近年になって再び設置されたそうです。

正確な名前は聖スタニスラフ大聖堂といいます。
あまりに大きすぎてビックリ。
作るサイズを間違え過ぎちゃったんじゃない?と思うくらいです。

時代による変遷を重ね、18世紀後半に現在の6本のドーリア式円柱をもつ新古典主義様式の姿になりました。



大聖堂の中には、17世紀バロック様式の礼拝堂がありました。大理石と砂岩でできた礼拝堂には、リトアニアの守護聖人となったカジミエラス王子が眠っているとのこと。

そこを見学していたら、またもや年配の女性がやってきて、何か話しかけてきました。
教会の人かと思いましたが、先程同様に、やはり施しを求める人だと判明。
さきほどは、教会の敷地内だったものの、かろうじて建物の外にいました。それでも驚きましたが、今回は教会内で「お金を恵んで」のようなことを言われました。
しかも、教会内にいた一人一人のところへ行って話しかけては、同じように施しを求めています。
教会で物を売っている人よりもずっと積極的。
なかなかの行動力にびっくりしました。

● 巨大な鐘塔

大聖堂の前には、これまた巨大な塔がそびえています。
高さ53m。よっぽど首を反らせないと、てっぺんの十字架まで見られません。



この塔も、どんどん高くなっていったもので、下層部分は13世紀の城壁の一部を使っている、ヴィリニュスで最も古い建造物の一つです。
八角形の上層部分を加えて現在の形になったのは、1520年代のことだそうです。

とてつもなく大きな大聖堂と鐘塔を前に、「この国はリッチなんだね」という言葉しか出てきません。



大聖堂前で信号を待つ人々は、みんな寒そう。
こちらの人は、よっぽどの大雨でない限り、傘を差しません。
家族で雨がっぱを着て、なんとなく楽しそうなところが、ネスカフェエクセラのCMっぽいなと思いました。

● 地下城壁

大聖堂の隣の大公宮殿の横を通って行きます。
中世そのままのデザインが、ロマンチック。
今にも物陰から甲冑姿の騎士が現れそうです。



地下にも城壁があり、ガラスで中が見えるようになっていました。
大阪の難波宮みたいだなあと、夏に見学した時のことを思い出しました。



それから王宮を離れ、ヴィリニュス旧市街のメインストリートであるピリエス通りを歩きます。
通りの両側には、レンガづくりの古めかしい家やカフェが立ち並び、ヨーロッパらしい雰囲気でいっぱい。



石畳の通りと木の窓枠にしっくいの塗り壁やレンガ造りの建物。
しっとりと雨に濡れた感じがまた、いい味を出しています。
実際には足元から冷え込んで、寒さひとしおだったのですが。



中世風の街並みを見ていると、ハーメルンとかブーメランとか、思い出しますね。
ブレーメンですね。



● ヴィリニュス大学

ヴィリニュス大学がありました。1579年創立の古い大学。
ロシア帝国の支配に対する反対運動の本拠地だったため、大学はロシアにより、およそ1世紀の間、封鎖されていたそうです。
暗黒の圧政時代に若者が自由を求めて反旗を翻した場所です。



大学は聖ヨハネ教会と同化していました。
大学内の教会なんですね。旧ソ連時代、ここは科学思想博物館として使用されていたそうです。



ふたたびピリエス通りを歩きはじめます。少し行くと、通りの両側にロープが吊るされ、その真ん中に靴が吊り下がっていました。
どういうことでしょうか?なにかのおまじない?それともいじめ?
(画像がちょっと見当たりませんが、見つけ次第載せておきます)

● 教会だらけ



それから、いくつもの教会を訪れました。
この町も、旧市街内に聖アンナ教会、ベルナルディン教会、聖カジミエル教会、聖テレサ教会、聖ミカエル教会など、たくさんの教会があります。
聖霊教会のような丸ドーム天井のロシア正教会が多い気がします。
この教会の中では、ロシア語が話されていました。



行きに通った旧市役所前の広場に出ました。
まっすぐ行くと、再び夜明けの門を通ることになりますが、「違う道を通って帰ろう」と、道をそれて細い路地に入ってみました。
どの道を通っても、雰囲気があるわ~。

ただ、中世期そのままの街並みなので、道は碁盤の目状ではありません。
一本道をまちがえると、全然違う方向へと行ってしまいます。
途中で見かけた大きな卵。なんだろう?



● 優しい交通ルール

日本では、信号のない道を渡りたい時、車が来なくなるまで歩行者は待ちますね。
でもバルト三国では、歩行者を見つけると車の方が停まって、道を譲ってくれるんです。
なんてすてきな習慣なんでしょう。やさしい世界。
私たちはその感覚になかなか慣れず、車が通り過ぎるのを待っていると、その車が目の前で停まってくれることに、毎回「すごい!」と驚いていました。



この道で間違ってないかな?と何度も地図を見て、通りの名前を確認しながら、無事ホテルにたどり着きました。
近道を通って帰れたことになって、よかったー。

● ホテルに帰宅

部屋に戻ったのは、午後4時半くらい。
雨と寒さですっかり身体が冷え切ってしまいました。
冷えていると体力の消耗が早いです。寒さって、なかなかのサイレントキラーですね。
冷たいコートを脱ぎ、部屋着に着替えてお茶を湧かして温まります。

一度ホテルの部屋に帰ってしまうと、外食をしに再び町に繰り出すのがやっぱり億劫になります。
最後の夜くらい、外食で贅沢に!という気持ちはあるんですが、まだ乾いていないコートと靴を身につけて、雨の中繁華街まで出ることを考えると、もうベッドから出たくなくなります。

そういうわけで、やっぱりこの日もホテル向かいのスーパーで食材を買い込むことに。



スーパーで見かけた、子供用のかご。
ミニサイズですが、ちゃんと動きます。
これは、子供はママの真似をして、引きたくなっちゃいますね~。

最後の晩餐も部屋の中で取って、ぬくぬくと過ごします。

● スーパーガールズ

ベッドサイドには、スーパーガールズからのメッセージ。
このホテルでは、部屋の清掃担当の人をそう呼んでいます。
日本の歌手にいたような名前。
ピンク基調のおしゃれなデザイン。
こんな風にモダンに紹介されると、ハツラツと掃除してくれてるんだろうなというイメージが出てきます。



折りたたまれた紙を開いてみると、それは地図で、ホテルから旧市街までの道がわかりやすく書かれていました。
ホテルから1080歩、所要時間は14分、消費カロリーは70kですって。
こっちの人とはコンパスのストライドが違うから、私たちの場合は、どの数値ももうちょっと大きくなりそう。



● ロックな背景

食後にモコが「私、壁紙と一緒に写真を撮りたい」と言いました。
「オッケー、行こう」と立ち上がると、彼女は「ちょっと待って」とスーツケースからサングラスを取りだしました。
「このために持ってきたんだ」
私も持ってきていますが、雪目対策用です。


レイ・チャールズみたいな壁紙と遊ぶ~。



これは誰なんでしょう? 舌だけならKISSのロゴっぽいですが。


ロックンロールホテルなので、部屋に戻ってからはMusic TVをかけて過ごしました。

● ワルシャワの友のチェック

ネットをチェックします。日本よりもWi-fiが整っているバルト三国。
日中、SNSに投稿した街の画像に、ベルギーの友人ダニエルからのコメントがついていました。

「ハイ、リカ。ヴィリニュスにいるんだね。
リトアニアまで来ていながら、隣のポーランドに来ないなんて、どういうこと?ちょっと水くさくない?
ヴィリニュスは確かにきれいな街だけど、ワルシャワだってクールだよ!」

はたと思い出しました。そういえば彼は、今はワルシャワで働いているんだっけ。

さらに、リトアニアとポーランドが隣接しているということ、地図ではぼんやり見ていましたが、具体的には理解していませんでした。
そうかあ、ちっとも気がつかなかったわ。これはたしかに彼はおかんむりね(笑)。

「僕がリカに黙ってソウルまで観光旅行でやってきて、東京に寄らずに帰るって知ったら、どう思う?」
そう冷静に問い詰められると、何も言えませんー!
「それはショックよ~!ううう、ごめんね~(-人-)」
ということで、いつかポーランドにも行きたいな~。

最後に「来年3月に来日するから忘れないでね」と言われました。
正直、まだ先のことだと思って、忘れていました!
これも楽しみです。

7日目に続きます。


まだ見ぬバルト三国へ 6-2(ヴィリニュス)

2017-06-01 | 海外
その1からの続きです。

● 駅前マック

トゥラカイ城から公共バスに乗ってヴィリニュス駅に戻りました。
バスの中で暖まるどころか、暖房の効いていない(外気が入ってくる)車内にいたので、寒くてブルブル震えたまま。
全身冷え切ったままでは、街の散策にはとても繰り出せないので、そばにあるマックでティータイムを取ることにしました。

駅前なのに平屋の1階建てマック。土地があるんですね。
店内には、最近日本でも見かけるマックカフェも併設されていました。
巨大なケーキが2ユーロしません。安いわー。
温かいドリンクを飲んで、一息つきます。
お客さんは大勢いて、リトアニアのマックは大繁盛。
日本に比べて、カフェが格段に少ないからかもしれません。

店内を見回すと、やはり男女ともに、きれいな人が多いです。
ああ、目が癒されるわ~。
ちょっとぶれちゃって、ごめんなさい。



トイレは暗証番号制。買い物レシートに印字された番号を入力すると、トイレのドアが開く仕組みです。
なかなか厳しいですね。
「ちょっと借りるね」ができない仕組みなんですね。



温まって、目の保養をして、ゲージ回復。
気合を入れて街の散策へ。
線路沿いに歩いてみす。機関車が停まっていました。
あ、ミカド形だわ。(鉄子じゃないですよ)

● 夜明けの門



まずは夜明けの門へ。ロマンチックな名前ですね~。
通ったら人生が開けるのかしら?

かつてヴィリニュスは、旧市街の周囲を城壁が取り囲む城塞都市でした。
城壁の門は9つあったそうですが、ほかはロシア帝政下の時代に破壊されてしまい、現在残っているのはこの門だけだそうです。

人々が夜明けを思って通った門。裏側から見ると、がらりと雰囲気が変わりました。
表側は堅牢な城壁門といった感じですが、反対側は門というよりも瀟洒な宗教建築っぽくなっています。
実際門の上に教会があるのだそう。
攻撃から街を守り旅行者を祝福してくれているそうです。
まあ、祝福してもらえるなんて、ありがたいわ。



● ヨハネ・パウロ二世

横の壁にさりげなくかかっていた横顔の胸像。
よく見ると、元ローマ教皇のヨハネ・パウロ二世ではありませんか。
きっとゆかりがあるんでしょう。

あとで調べたところ、1993年に彼が夜明けの門の中のチャペルでロザリオの祈りを捧げたのだそう。
チャペルのミサはリトアニア語とポーランド語で行われるそうです。
ヨハネ・パウロ二世はポーランド人でしたから、お手のものだったでしょうね。



● 琥珀の店

通りには琥珀アクセサリーのお店がありました。
この辺りの名産です。



以前ロシアに行った時、琥珀のネックレスを母へのお土産にしましたが、残念ながら喜ばれませんでした。
まあ、自分がもらっても、うまく使いこなすのは難しそう。
そこで今回は過去を学習して、琥珀は買わないことにしました。
チョコでいいよね!(やす~)

● 教会がたくさん

ヴィリニュスの城壁内を散策すると、とにかく教会がたくさんあることに気がつきます。
美しい聖霊教会、諸聖人教会、聖カジミエル教会、聖母マリア教会など。
ロシア正教会、カソリック、プロテスタントと、宗派が分かれているからかもしれません。



これは、聖三位一体教会。教会と修道院として使われていた、バロック様式の東方帰一教会です。
聞き慣れない宗派ですが、ロシア正教の儀礼とカソリックを兼ね備える、珍しい宗派の教会だそうです。

● 国立フィルハーモニー



夜明けの門から石畳の細い一本道をまっすぐ進んでいくと、格調高い建物がありました。
リトアニア国立フィルハーモニー協会です。ここでクラシックコンサートなどが行われているのでしょう。
ずいぶん後ろまで下がりましたが、全貌をファインダーに収めるのは難しいほどの大きさでした。

● 円形城塞

円形城塞は、17世紀前半に設計されたものの、北方戦争(1655-1661)で破壊され、現在は復元したものとなっています。
丸屋根の建物は博物館になっています。



結構高台まで登って来たので、町がよく見渡せました。
ええと、これから向かうのは、どっちの方向だったかな。



● ウジュピス共和国へ

坂を下りて向かったのは、ウジュピス地区。
2002年に共和国宣言をしたウジュピスは、時が止まったかのようなレトロなアートの界隈です。



橋には数えきれないくらいたくさん、鍵が掛かっていました。
どこでも同じね。
学生時代、フランスはアヌシーの愛の橋に行った時に、じゃらじゃらとぶらさがった鍵を見て(なぜ?)と驚きましたが、それから日本でもやるようになりましたからね。



● 幸せの人魚

橋からヴィリニャ川を眺めます。
ウジュピスとは川向こうという意味。
この川を渡れば、共和国に入りますが、この川のどこかに幸せの人魚像がいるんだそう。



人魚像を見つけると、幸せになると言われているそうです。
「見つけられるかなあ」「見つけたいね」
そう言いながら視線を下にすると・・・
「あれー、あれじゃない?」「ほんとだね!」
ハッピー・マーメイドは、私たちのすぐそばにいました。青い鳥みたい。



● 天使像

橋を渡って共和国内に入ると、すぐに広場に出ます。
その真ん中に立つ大きな円柱の上には、ラッパを吹き鳴らす天使の像が。



共和国の独立記念碑であるこの天使像は、ウジュピスのシンボル的存在です。
後ろからの姿もすてき。



雰囲気のある静かな街並みを歩きます。
街並みに溶け込んでしまいたいわ。



ところが、少し道を行った先では工事を行っており、その光景に驚いて立ち止まりました。
大きなクレーンの先に荷物がついたまま、静止しています。
作業員は休憩中なんでしょうか?
そのクレーンの下には、車が並んでいます。
つまり、うっかりその荷物が落ちたら、車を直撃しそうです。
これ、すっごくこわくないですか?



黄色い機体には赤文字で「ZEPPELIN」と書かれていました。
ツェッペリンという名前が、なんだか飛び道具的!
リガで食べたのはおいしかったけど、そういえばあれはリトアニアの伝統料理でしたっけ。



わあ、近くで見たらますますこわい~。
惨事が起きないことを祈って、私たちも下敷きにならないよう、上を見たままカニ歩きでその場を離れました。

● 見知らぬ日本車

道端に並んでいる車は、ほとんどがヨーロッパ製でしたが、たまにトヨタやホンダがあり、嬉しくなりました。
そんな中で気になったのが、この車。
三菱のようですが、こんな車、日本で見たことありません~!
ヨーロッパ限定デザインなのかしら?



気になって、SNSに画像を載せて、聞いてみました。
すると、20分もしないうちに、車関係の友人から反応がありました。
 
  三菱の「トライトン」という名のピックアップトラックです!
  タイランドで作っているんですよ🔧
  確か5年くらい前までタイから輸入して、日本でも販売しておりました。

そうなんですね。詳しい友人もすごいし、ネットの力もすごいわ!

さらに歩くと、何やら大砲が飾られた建物がありました。
なんだろう?
KARO TECHNIKOS VILNIAUS SKYRIUSと書かれていますが、案の定、英語表記はありません。

あとで場所検索をしてみたところ、戦争機械と交通博物館のようです。
なんだか物騒ですが、戦いを経て自由を勝ち取った国は、平和な島国とはちょっと感覚が違うのかもしれませんね。



● 聖ペテロ&パウロ教会

そこからさらに足を伸ばして、旧市街の東の外れにある聖ペテロ&パウロ教会へと行きました。
聖ペテロ&パウロ教会って、クリスチャンで知らない人はいない大聖人2人。
それの2人の名前をもらうなんて、よくばりー。
ちなみに、別の場所には聖フィリポと聖ヤコブ教会もありました。
リトアニアは、まとめるのが好きなのかな?

ここはロシアからの解放を記念して17世紀後半に建造された、バロック様式の建築物。
外観は一般的な教会です。



教会の前には大型バスが停まっており、Indonesiaという文字だけ読み取れました。
(バルトにインドネシアからのツアー客って、ずいぶん珍しいなあ)と思いながら中に入ると、人々がカシャカシャと撮影をしていました。
普通、教会内は撮影禁止なので、あれ?いいの?と思いますが、そばについている教会の人も、何も言いません。

静かに祈りを捧げている現地の人たちも数名いますが、やはり何も言いません。

服装から判断するに、彼らはツアー客ではなく、ビジネスで訪れた視察団のよう。
もしかすると、この人達だけ特別に撮影OKにしているのかもしれないなとちらっと思いましたが、私たちも便乗して、一緒に撮影させてもらいました。
やっぱり何も言われませんでした。
こちらの人たちにとっては、日本人もインドネシア人も、区別はつかないのかもしれません。
ラッキー。

なぜかというと、この教会の内装は、それはそれは美しくて、まるで天国に来たかのようだったからです。

たくさんの真っ白な漆喰彫刻は荘厳な美しさをたたえ、呆然としてしまうほどに圧倒されます。
その数は2000に上り、1つとして同じものはないのだとか。
それだけの彫刻を整えるため、内装に30年も費やしたのだそうです。

メレンゲの芸術品のようにどこを見てもきれいな教会。
自然光が差し込むと、白い教会内が輝きます。
これまで数えきれないほどたくさんの教会を訪れてきましたが、その中でもおそらく一番美しい教会だと思います。

この中吊りにされた帆船。未来への船。夜明けの門。

天使のレリーフの裏面には、骸骨と死神の彫刻がありました。メメント・モリ。

もう、多くは語りません。
ただただ、美しかったです。
私がネロだったら「パトラッシュ、もう疲れたよ」ごっこをするのはここがいいわ。

十分に堪能し、インドネシア視察団と一緒に教会を出ると、門の内側両脇に年配の女性がいて、こちらに向かって何か話しかけてきました。
教会の人かな、と思いましたが、身なりで乞食だとわかりました。
教会の敷地内で、施しを乞うことに、ちょっとしたカルチャーショック。

普通は道端でやるものじゃないの?と思いましたが、そもそも教会は助けを求める人に施しを与える救護院だと考えると、まあ間違っていないのかなとも思います。
バルト三国で物乞いを見たのは、これが初めてでした。 
いそうでいないのは、国が豊かというより、単純に寒すぎて、外にいられないからでしょう。
まあ、教会にいる限りは、彼女たちもきっと大丈夫でしょう。















夢のような教会を訪れたことは、思い返しても夢のよう。
本当に、すてきなところでした。

余韻に浸りながら、その3に続きます。