
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
これは、
2011年3月11日に日本で起こった現実です。
午後2時46分、三陸沖を震源とするマグネチュード9.0の国内観測史上最大の巨大地震が発生。
北日本から関東にかけて強い揺れと津波が襲いました。
新横浜のオフィスもご覧のような被害。
近くの川の土手に避難する人々。
異様な雲。
携帯電話で家族に連絡。
何度も、何度も、かけるが、繋がらない。
心だけが焦る。
カミサンは、タッキーは、母親は、両親は大丈夫か??
親戚は、兄弟は??
瓦礫の下敷きになっていないか??
するとある同僚が、「繋がった」の第一声。
30回ぐらい奥さんの携帯にかけて繋がったそう。
「安否確認終了」。
それを聞いて羨ましいと思った。
自分も何度も、何度も、携帯電話をかけた。
でも繋がらない。。
気持ちだけが焦る、動揺する。
断続的に続く余震。
すると大きな余震が来た!
10階建てぐらいの建物の最上階部分が強い横揺れでしなっている。。
目にした光景に唖然。
駐車してある自家用車が、強い縦揺れに、車が上下に激しく動く。
戦慄の恐怖感。
インターネットで、東京で震度5強の文字が。
電車も高速道路もストップしている情報が。
携帯電話を諦めて、近くの公衆電話に急ぐ。
公衆電話でカミサンの携帯に。
でも駄目だ!繋がらない。
心臓がバクバクする。。
自宅の留守電に「お父さんは、無事だ。カミサン、タッキーは無事か?!」そんなメッセージを残す。
Cメールも送信。
地震発生から1時間強を経過した所で、各自会社の車に相乗りで、帰宅。
クルマをスタートさせると、
信号機が点いていない、照明が消えているお店。
イケヤの前では大勢の人、人、人。
みんなが歩いて帰宅する人々。
何か映画で見た光景。
車内では携帯電話で家族の安否確認が取れた同僚、安否確認出来ていない自分には言い知れぬ恐怖感、そして絶望感。
暫くすると、「タッキー無事!」のカミサンからのCメールが着信。
携帯電話を持つ手が思わず震えた。
「良かった、二人とも無事だった」思わず心の中で叫ぶ。
神奈川の人を送り、東京の人を送り、今度は埼玉の人を送る。
どこも大渋滞。
ナビの渋滞情報を見ながら、空いている道をさまよう。
府中辺りで、遮断機が閉じたまま。
白バイ警官の誘導で立体交差の道を、沢山の車が列をなす。
クルマに乗って、8時間とうとう次の日に。
途中コンビニに寄って、トイレ休憩や軽食を取る。
おにぎりが全くない、売り切れ。
やっぱりこういうときは、ご飯だな、ご飯が恋しいが、パンで我慢。
そういえば東京は川が多い。
なので橋に繋がる幹線道路が、どこも大渋滞。
1時間でたった50mぐらいしか進まない。
疲れもあり、車内であくびが出る。
午前3時50分、小岩到着。
江戸川近辺も大状態なので、ここで降ろしてもらう。
あとは徒歩で、自宅を目指す。
それにしても幹線沿いの24時間営業のコンビニが、勇気と安心感を与えてくれる。
トイレ休憩や、温かいドリンクでホッと一息。
どこでもおにぎりがない!
疲れて甘いものが食べたくなり、なぜか一個残っていた一口「栗むし羊羹」を購入。
眠いが、口の中に広がる甘さが、活力に変わる。
24時間営業のマクドナルドも、もちろん満席。
神奈川、東京、埼玉経由で、よくやく千葉に到着。
午前4時、千葉方面は大変な渋滞。
午前4時の市川駅のタクシー乗り場。 長蛇の列。
食べ物が全くない~コンビニ。
でもコンビニの重要性をほんと実感した長い日でもありました。
午前5時、ようやく自宅に到着。
鍵を開けると、寝ていたタッキーが起きて来た。
お父さんの無事を祈り続けてくれたタッキー、「ありがとう、タッキー、お父さんも会いたかったよ」目頭が熱くなりながら、グッとタッキーを抱きしめた。
それを見つめるカミサン。
「家族(ファミリー)」って、本当に良いですね!
おしまい