ついに、故郷南三陸町に家を建て戻ってきました。
なんとか、ブログをかけるまでに辿り着きました。
まあ、キッチンと寝床さえあれば、あとはゆっくりせいりしていけばいいので・・・。
取り合えず引っ越しして3日目に町を巡ってみました。
一番復興住宅が出来上がっている東団地へいざ取材へ。
なんと、私はその光景に唖然!!
ここはどこ、私は誰の 「べっぴんさん」のちゅうさん状態です。
まるっきり2年も見ないうちに、都会と変身していました。
始めの写真は、東地区に建てられている自分で土地を購入して家を建てた人達の物。 3. 4階建ての箱モノは復興災害団地 そして左はその災害団地の一個建てバージョン さらにこのような現状が 町の中央や西側でも規模の違いはあれども 、盛んに行われています。なんともすごいことです。これだけの団地にすべての人が入れるのか、入るのか。
それよりも これだけの人達が被害に遭い家や家財が流されたという現実。目に見える現実。本当に1000年に一度の災害が起きたのだと改めて思う。
どうか、あと1000年は平和に暮らせるようにと 祈らずにはいられない。
海はいつもと変わらず在り
6年前の志津川を伝えるタンポポにホットして。
森の脇に 津波で破壊されて放置されたままの墓石を見て、 腐敗とさび止め、崩れ落ちるのを防ぐため工事に入った防災庁舎を見る。
あや、これでは何もわからん。
それでもすぐ近くに、献花台が建てられていた。
これから、第三の最終の人生が始まります。死ぬるその日まで、地域のため発信を続けます。皆さん被災地の現状を忘れずに見ていてください。
なんとか、ブログをかけるまでに辿り着きました。
まあ、キッチンと寝床さえあれば、あとはゆっくりせいりしていけばいいので・・・。
取り合えず引っ越しして3日目に町を巡ってみました。
一番復興住宅が出来上がっている東団地へいざ取材へ。
なんと、私はその光景に唖然!!
ここはどこ、私は誰の 「べっぴんさん」のちゅうさん状態です。
まるっきり2年も見ないうちに、都会と変身していました。





それよりも これだけの人達が被害に遭い家や家財が流されたという現実。目に見える現実。本当に1000年に一度の災害が起きたのだと改めて思う。
どうか、あと1000年は平和に暮らせるようにと 祈らずにはいられない。
海はいつもと変わらず在り




それでもすぐ近くに、献花台が建てられていた。

これから、第三の最終の人生が始まります。死ぬるその日まで、地域のため発信を続けます。皆さん被災地の現状を忘れずに見ていてください。