3.11当然だが今年も巡ってきた。
いつもは一人でいられない日。でも前の晩、体の調子が悪く朝方まで眠られず、思わず3月11日に突入してしまった。
本当になぜあの日判断を間違えたのか、また隣の家は流されなかったのにどんな関係で私たちが避難していた家が津波に襲われたのか、漠然と考えてしまった。
どう考えても自然の摂理はわかるはずもなく、現実に起きたことは変えられない。ただこれからまた来るであろう震災へ、間違った行動はしないよう語り継ぐことだけしかできない。
NHKはじめ各局が報道合戦。祈りの丘から防災庁舎にかなり近づけるようになったので被災者を取材に来ていた。なんだか腹が立つ。この日ばかり。
実際にはどの地域も住む場所と商業地と漁業加工場が一体でないのでとても困ったことが起きている。そのあたりを全く取材しない。観光客だよりの商店は今岐路に立っている。
住民が住む場所に商店、飲食店がないので私たち住民も困っているし、観光客が減っている商店も頭を抱える現実。間違った復興計画だったと町も市も地域も実感しているはずなのに。
これから、大都会で震災が起きたらどう街を造りなおすのかおおいに参考になるはずなのに。そのあたりを取材するクルーが少ない。ぱっと見栄えのするシーンしか報道してない。
コロナウイルスも私たちはニュースに振り回されている気がする。賢く考えながら主体的に生きないと、天災には勝てない。先手必勝が生き死にを決めるというのが、津波で生き残った私の言葉です。
私が逃げたところは海抜5Mはあったやや高い場所で、チリ津波の時は全く被害がなかったそう。だから、安全と思われていたが20Mの高さの津波はあっという間に写真のように10件くらいあった家を押し流した。左端の家は無事だった。すぐ隣にいた私たちは津波にのまれたのに。いったいどんな流れかたしたんだよ。
この写真の下の方には住民が数人は外にいたので彼らも流され亡くなった。