私が、携帯を持ったのは平成も10年代くらいになってから。仕事上どうしても持たざる得なく、パソコンさえいっぱいいっぱいの中さらに機械を操るなんてできるのかと。
不安の中持ったものです。主人はそんなものはいらないと頑迷に拒んでいたが、結局時代におされ、仕事の立場上持たざる得なくなった。そしていまだガラ携。2025年にはなくなるというのに。スマフォーなんぞいらないと。拒んでいる。でもそれが正しいかもしれない。
今はキャッシュレスだのなんだのと、国に踊らされている国民。国というより世界の通信の8割を牛耳っているアメリカの思惑のせいか。
あとの一割はイギリスで残りは、ロシアや中国とか???
日本は通信やAI関連で遅れをとっているから、国民総スマフォーとキャシュレス化して、中国のようにすべて国家の監視下に置こうとしている。
などという小説「背中の蜘蛛」(作者誉田哲也氏)を読んだ。とても怖い世の中がもうすぐ近くにやってきていると実感した。
小学生からスマートフォンを持たせている親御さんは、世界中に自分たちのすべてがさらけ出されているということを知らな過ぎる。
また、若者ものたちもあまりにも安易に素顔を乗せている。
通信やAIについての正しい使い方やリスクの教育が追い付いて居ないから、犯罪にまきこまれ拉致監禁事件が起こり、お金をあっさり抜き取られたり、最後は自分自身ものっとられる世界が待っているかもしれない。
小説の中では、国民を関ししている警察の情報部局の人間が、結局は精神を病み通信のない世界(白い部屋でテレビもラジオも電話もない)で暮らすしかない状況に追い込まれる。「ポツンと山の中の一軒屋」じゃないが、一番それが安全なのかもしれない。
たった15年でここまで通信技術が発達し、それがないと生きられないような依存性の人間をたくさん作りだしている。
背中の蜘蛛は、決して小説ではない。2025年以降は、蜘蛛の巣の中でがんじがらめになっている私たちがいる気がする。
技術が発展しても、人間の精神が昔から何一つ成長していない。だから、戦争の兵器として開発された通信技術がテロリストから国民を守るという名目で、国民を監視する。
どこかの自由のない国にならないよう、私たちはしっかり知識を見につけなければいけません。
世界の通信技術を自由に操っている海外の人達が、日本のど田舎や世界中の秘境に行きたがるのは、その反動なのでしょう。
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