ここ数日、紙と鉛筆というのは偉大だな、と思っている。
抽象的な意味ではなくて、実用的な意味で。
何かを考えるとき、白い紙と鉛筆さえあれば、
言葉や記号をかきなぐって、自由に線でつないで、
何かが産まれつつあるような錯覚に酔うことができる。
そして、頭がどんどん活性化してくる。
私のパソコンスキルはそれほど高くないので、
紙と鉛筆ほど自由でスピーディに、思いつくままに書くなんてことはできない。
ある程度の構造が決まり、整形していく過程であれば、パソコンは非常に便利だ。
でも、とりあえずいろいろ書いてみる段階では、
紙をぐるぐる回転させながら鉛筆で書くという快感に勝るものはない。
ブログを書くのも、スッキリするから好きなのだけれど、
紙に鉛筆で、いろいろと書きなぐっているときの楽しみとは、また少し違う。
何かを考えながら、紙に書いているとき、
時間は一定方向に流れるのではない、と、感じることがある。
確かに、先ほどよりは書かれている文字が増えているのだけれど、
考えていることは、決してある方向に向かっているわけではなくて、
螺旋になったり、フリーズしたり、
昨日の考えを打ち消して、何もなかった状態に戻ったかのような気持ちになることもある。
時は刻まれ、刻一刻と死に近づいているわけだけれど、
頭の中は、3歳のころにあった出来事につかまれてしまうこともある。
浮かんでは消えるイメージ。
頭のなかに、言葉にならない言葉が満ちるとき、
ふと、念写ができたらいいのに、と、思う。
きっと念写したら、いまのどんな先進的な3Dよりも立体的で刺激的なものになるだろう。
言葉になりきらないからこそ、俯瞰してみたい。
抽象的な意味ではなくて、実用的な意味で。
何かを考えるとき、白い紙と鉛筆さえあれば、
言葉や記号をかきなぐって、自由に線でつないで、
何かが産まれつつあるような錯覚に酔うことができる。
そして、頭がどんどん活性化してくる。
私のパソコンスキルはそれほど高くないので、
紙と鉛筆ほど自由でスピーディに、思いつくままに書くなんてことはできない。
ある程度の構造が決まり、整形していく過程であれば、パソコンは非常に便利だ。
でも、とりあえずいろいろ書いてみる段階では、
紙をぐるぐる回転させながら鉛筆で書くという快感に勝るものはない。
ブログを書くのも、スッキリするから好きなのだけれど、
紙に鉛筆で、いろいろと書きなぐっているときの楽しみとは、また少し違う。
何かを考えながら、紙に書いているとき、
時間は一定方向に流れるのではない、と、感じることがある。
確かに、先ほどよりは書かれている文字が増えているのだけれど、
考えていることは、決してある方向に向かっているわけではなくて、
螺旋になったり、フリーズしたり、
昨日の考えを打ち消して、何もなかった状態に戻ったかのような気持ちになることもある。
時は刻まれ、刻一刻と死に近づいているわけだけれど、
頭の中は、3歳のころにあった出来事につかまれてしまうこともある。
浮かんでは消えるイメージ。
頭のなかに、言葉にならない言葉が満ちるとき、
ふと、念写ができたらいいのに、と、思う。
きっと念写したら、いまのどんな先進的な3Dよりも立体的で刺激的なものになるだろう。
言葉になりきらないからこそ、俯瞰してみたい。