ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

進化

2011-01-30 17:17:54 | Weblog
ここのところ、持ち歩ける軽くて小さいノートパソコンが欲しいと思っていて、
MacBookAirのページを、何度も見に行ったりしていたのだけれど、
結局、うちにあったDellのminiサイズのノートパソコンを、
もうまったく充電できなくなったバッテリーを交換するだけにして、使い続けることにした。
OSはWinのXP。
会社で使っているWin7よりも、起動も速く、さくさく動いて快適なような気がする。

Windowsは2000とXPが、わりと好きだ。
それ以降のWindowsなら、Macのほうがいい、と思っている。
うちのiMacは、バージョン10.6。
逆に、バージョン9以前のMacは触ったことがないので、Windowsと比べられない。
だから、私の好みは単に慣れの問題だ。
そして、見た目にも、ほとんどこだわりはない。
色は、白、黒、シルバー、赤・・・、もうなんでもいい。
スタイリッシュなものを家に置きたい、という感覚もあまりないので、
買い物でわくわくすることも、ほとんどない。

当然ながら、自分の容姿にしてもそうで、服装や髪型、お化粧など、まるでやる気はない。
ただ、健康でありたいと思う。これは自分自身の快適さのためなので、
オシャレにこだわるあまり、着心地の悪い服や靴をがまんして履くこともない。
ということで、基本的に毛皮を着ている犬や猫はうらやましいと思っている。
ただ、夏は暑くて大変そうだなあと思う。脱ぐわけにいかないから。

『哲学者とオオカミ』という本を読んだ。
マーク・ローランズという哲学者が、約10年にわたり、
純血のオオカミと暮らしたときのことを書いたものだ。

私がむかし犬を飼っていたとき、
都会の人間の生活を、いかに犬に理解してもらうか、馴染んでもらうかにすごく苦労した。
彼らの自然は、人間のルールにあてはまらない。
犬は走る。動いているものを追う。外敵を排除しようとする。そして、賢い。
人間との長い歴史の中で「飼いならされた犬」ですら、慣れてもらうのは大変だ。
それが、オオカミであったならなおさら。

私が小さいころに読んだ本には、よく、
オオカミは、人間が征服すべき暴力的な自然の代名詞のように登場した。
でも、そんなオオカミに、なにか憧れのようなものも感じ、気高さに圧倒され、
「オオカミが見てみたい。動物園のじゃなくて、本物の!」と母にねだったときの気持ちを
久しぶりに思い出した。

ニホンオオカミも、すでに博物館で剥製を見られるだけになった。
美しくて崇高なものが生き残るとは限らない。
生き残るから偉いとも限らない。
人間にとって脅威だったものが、ひどく悪いものとも限らない。
ふと、進化ってなんだろうなあと思うときがある。