ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

いちばん幸せな生き物

2009-08-19 22:34:05 | Weblog
あるとき日本在住の中国人が、「世の中でいちばん幸せな生き物は、パンダだよね」と言った。

話をしていた周囲の日本人が「なぜ?」と聞くと、
「いろんな国に親善大使として行って、それで歓迎されるし、大事にされてるから」と。

これを40歳の中国人男性が言ったのだけど、
いっぽう話を聞いていた同じく40歳の日本人男性は、
「いったい何を言ってるんだ?」というか、「本気でそんなこと思ってるの。うっそー」という反応だった。

この会話を聞いていた私は、
「あーあ、言う相手を選べばいいのに。外国はおろか、地元からほとんど離れたことなくて、
しかも社会的にある程度成功している人に、そんなこと言ったって、わかってもらえっこないよ」と思った。

ついでに、周囲の日本人の反応がイマイチだったので、
その中国人は、「ねえ、そう思うでしょ」と私に同意を求めて来たのだけど、
私はそういうとき、決してやさしくはないので、
「人は、それぞれ、同じだけの幸せを持っていると思うから、いちばんなんて考え方しない」と
普通に持論をキッパリ言っておいた。

その人、性格はとてもいいので、みんなから好かれているんだけど、
いまひとつ日本人のツボをつかめないらしくて、よくハズす。
それを本人も自覚しているからこそ、
ただ笹を食べているだけでチヤホヤされるパンダが羨ましかったのだと思うけど、
それを言うべきでない人に言ってしまうあたりが、またハズしている。

それだけハズしてながら、すごく周りから気をつかってもらってるんだから、
あなたは十分パンダ並みにはしあわせだよ、と言ってやりたい欲求にいつもこまる。

会話すること

2009-08-18 19:41:27 | Weblog
土日に一言も言葉を発しなかったら、月曜日、声が出なくなった。

周囲の人が話している内容は理解できるし、
それなりに自分の意見もあるのだけど、
声を発する必要性を感じないから言葉が声にならない。
そして、喉がかたまってしまったのか、声を出そうとしてもうまく出ない。

周囲は、体調悪いのかなどと心配してくれるんだけど、
そういうわけでもなく、ただ声が出ないだけ。

それで私は不便に思わないから、
そのまま当分は声を失っても構わない、という心境だった。

心理的な理由から、声が出なくなる人がいる。
本人が焦るのは、周囲が心配するからだろう。
もとより、1人で引きこもっていたら、声を出していないことにすら気付かない。
私は週末の2日間、読書していろいろと考えていたから、頭や心にはたくさん言葉があふれていたし、
ブログを書いていたから、言葉も出していたので、
声を実際に出すということに、まったく意識がいってなかった。

昔はよくこんなことがあったから、私としては居心地がよかったくらいだ。

こう考えると、私にとって、仕事でいろんな人と会うことは決して得意なことではなく、
消耗戦なんだなあ、と改めて思う。
人に会うことは、確かに私を豊かにしてくれることではあるけど、
どうも限界が近いような気がするなあ。

通訳はむずかしい

2009-08-17 21:14:29 | Weblog
外国語を勉強していちばん深刻に感じるのは、自分の母国語の能力だろう。

母国語で理解できないことは、外国語でも、もちろん言えない。
知らないことを説明できないのと一緒だ。

「お元気ですか」「いくらですか」「ありがとう」「さようなら」くらいの外国語であれば、
誰だって、記憶さえすれば、言うことができる。
これは記憶力の問題。

そして、いまの論点が、時間なのか、費用なのか、場所なのか、
こういったことを整理しながら翻訳していくことができないと、
まず、通訳の第一歩はつとまらない。
これは、基本的な語学力をもとにした論理的な構成力の問題。

その次、もし発話者が、母国語ですらうまくまとめられないことがあっても、
いったい何を言いたいのかを理解し、それを補い、
聞きたい回答を引き出すような通訳ができること、
これをできる人が通訳としてプロと言われると思う。

これは難しい。
この段階では、真のコミュニケーション能力が問われると思う。
人間としての総合力に近い。

これまで仕事で、いろいろな通訳さんに会ってきた。
そして、通訳が上手な人は、自分の意見をしっかり言える人でもあると思った。

つまり、自分の言いたいことを、いかにパーフェクトに伝えるか、を
常に真剣に行ってきた人は、他人が言いたいことを受け取る能力にも長けているし、
それを言葉になおすトレーニングがなされている。

いっぽう、自分の発言が、ちゃんと相手に伝わっているかどうかに無頓着な人、
伝わっていないことに、たとえもどかしさを感じたとしても、
そこで「まあ、いいか」とストップしてしまう人は、
通訳としての能力もある一定以上には行かないと思った。
ここでは、人柄のよしあしを問題とするのではなく、通訳としての能力だけを論点として。

そして、一番差につがなると思ったのは、
「ここが理解できません。教えてください」と言う度胸をもっているかどうか。
外国語なんだから、わからないことがあるのは当然。
でも、これがもし母国語だったら、自分はそのニュアンスをある程度正確に理解できるはずです。
そういった「心」と「頭」のトレーニングを積んでいる人間です。
と、胸をはって言えるかどうか。

そして、こういった通訳さんにお願いする場合には、
ちゃんと伝わるようにと発話者も気を配るようになる。
その結果、どんどん、うまくコミュニケーションがとれるようになる。

通訳さんを見ていると、いつも、とても勉強になる。
来月は上海へ行く。どんな通訳さんと出会えるか、とても楽しみだ。

手のひら

2009-08-16 18:56:41 | Weblog
生前、マイケル・ジャクソンが最後のコンサートツアーを行うという会見をしたとき、
彼の手のひらが、あまりに疲れていたので、「この人、すごい苦労をしてきたんだなあ」と思った。

整形しすぎだし、どんどん白くなっていくし、
彼の全盛期にはあまり興味なかったんだけど、亡くなってから気になって2枚ほどDVDを観た。
1枚は、ビデオクリップを集めたもの。もう1枚は「ライブ・イン・ブカレスト」。
ルーマニアのブカレストで行われたライブは、やはりすごかった。

きっと、本当に歌いたかった曲と、歌わされた曲があるんだと思う。
で、おそらく歌わされた曲のほうが、ヒットした率が高いんだろうとも思う。
私がいちばん好きな曲は「BAD」。昔から好きだった。
そして、今回DVDを観て、いい曲だなあと思ったのは、「Man In The Mirror」。

偽善者だと言われようと、裏切り者と言われようと、
きっと、自分の中に入って来る「悪い想い」を、自分の身体で濾して、
美しい想いだけを外に出していきたいと思っていたんだと思う。

白人になりたかったのではなくて、人をこえて、精霊になりたかったんだろう。
ビデオクリップを観て、ずっと彼の瞳だけは変わらなかったと思った。
見る人が本気で夢を抱くことができるように、そのために、必要だと思う外見が欲しかっただけ。
確かにコンプレックスはあったかもしれないけど、
それを越えた使命感をもっていたような気がするなあ。

それにしても、すごい集中力だった。
そして、イメージしていたよりも、ずっとマジメそうで素敵な人だった。

でも、失神するほど好きではないな。
ブカレストのファンたちよ。君たちのそのパワーもすごい。

パスカル 痛みとともに生きる

2009-08-15 14:02:32 | Weblog
田辺保著、平凡社新書。

先日読んだアランの『幸福論』がつらかったので、パスカルについて読んでみることにした。
はやく『パンセ』を読めばいいんだけど、もう少しアイドリングしていたい気分。
それで、パスカルの生涯と『パンセ』を俯瞰できそうなこの本を選んだ。

実は、この本を読み始める前、パスカルを読むか、シモーヌ・ヴェイユを読むか迷った。
でも、結果はどちらでも一緒だったんだと思う。
300年前のパスカルが直観したことを、20世紀にヴェイユが進めているところがたくさんある。
この本では、そのつながりが触れられ、簡単に整理されてもいる。
結果的に、2人に対する理解が深まったというわけだ。

パスカルは父が大好きで、ヴェイユは私が大好きな人。

父と語っていたあの頃、
父はヴェイユを読んだことがなく、私はパスカルを読んだことがなかった。
でも、深夜遅くまで、時間を忘れて語り合った。
なぜ、ここまで言いたいことがスッとお互いにしみ込むのだろう、と不思議に思いながら。
この本を読みながら、またひとつ懐かしい感覚がよみがえった。

父はむかし事業に失敗して、どん底の時期を経た。
一人では返せない額の借金を背負って、本当に一人では返せなくて、周囲のお世話になった。

その前の一時期、仕事では成功していたし、プライドも高かったのに、
よくそんな時期を耐えたと思う。
そして、その時期を越えたあとの父は、イケイケだったころの父よりも
ずっと何倍もかっこよかった。

そして、ある日突然亡くなった父の部屋を掃除していたら、
たった一冊の古い本が出て来た。タイトルは『パスカル』。
母と離婚したあと、借金を背負い、過去のほとんどを失った父が手元にのこしていた本。

『パンセ』を読んだら、そして私の気持ちの準備ができたら、この本をひもとこう。

親の命日について

2009-08-14 20:51:00 | Weblog
友人が「あれっ、今日って14日?」と、素っ頓狂な声をあげた。

聞いてみると、決してこの日だけは忘れるまい、と思っていた親の命日が過ぎていたらしい。
でも、もっと聞いてみると、命日を忘れていた、というのとは少し違うようだ。
あまりに忙しすぎて、「締め切りまで、あと何日」という切迫感しかなく、
今日の日付すら、認識できていなかっただけ。
その結果、毎年、命日には実家に届けていたお花の手配を忘れてしまったようだ。

恋人の誕生日、結婚記念日、
そして、自分の誕生日だって忘れる今日この頃、大したことではない。
そこまで仕事に打ち込めることじたい、ものすごいことだ。尊敬に値する。
と、思える。他人には。

でも、本人にとっては、すごいショック。

親が亡くなった後、私も「この日を忘れるまい」と思った。
あの日、はじめて、親と素直に向き合えるような気すらした。
大きな喪失感とともに、何かが自分のそばに戻って来たような安堵感も覚えた。

どんなに疎遠な時期があったとしても、親は親。唯一無二の存在。
かならず心のなかには、父親、母親、という存在がある。
それは、会ったことがない産みの親であっても同じこと。

親の命日を忘れる、ということは、誕生日を忘れる、ことと根本的に違う。
それは、他人を裏切るのではなく、自分を裏切る感覚に近い。

私もあと何年かしたら、親の命日を「うっかり」過ごすかもしれない。
そのときには、自分に向き合うための別の方法を見つけたのだと、
自分を説得できるといいなと思う。

社長と経理部長

2009-08-13 21:44:54 | Weblog
私がいつも「この人、なんとも言えない顔をするな~」と思うのは、経理部長。

社長の隣に座り、銀行さんや税理士さんと社長の間に交わされる話を聞いているとき、
彼らの胸に去来するのは、いったいどんな気持ちなのか。
私は中小企業しか知らないけど、こんなときの経理部長の顔は、
その人柄のすべてを映し出していると思う。

「無心」「小心」「義憤」「忠誠」「困惑」「誠実」。
いろんな気持ちがよぎる。

私が社会人になって最初に思った「いちばんやりたくない仕事」、
それは経理だった。
そもそも数字は苦手だし、それに、なんとなく社長とベッタリしてそうで、
その感触が、生理的にいやだったから。

学校の先生とか、権威とか、
強いものに添うことが、学生時代から苦手だったので、
「体制側」「優等生」みたいなポジションに自分を置きたくなかった。

それなのに、いま成り行き上、経理をしている。

中小企業の経理とは、社長の妄想を数字であらわせるストーリーに作り上げ、
なるべく税金を払わなくてすませる、ということだと思う。
経理をやっている人は、
「そりゃ~、論理でなく屁理屈っスよ。論点ずれまくりっス」とか、
「自分たちは、税金を払うために生きてるわけじゃないんスけど」と、
言ってやりたくなったり、しないんだろうか。

そもそも、人の営みを数値化するのって、無理があることだと思う。
どんなに頭がよくて論理的な人でも、それはある基軸にそって問題を解いているだけ。
中小企業の経理にとって、その基軸は「社長の妄想」にあることが多い。

あ~、経理が専門じゃなくてよかった。
いつか、この役目からのがれよう。
私には、そんな忠誠心も優等生根性もないから、こりゃ無理だ。

どうしてもダメだ

2009-08-12 22:01:26 | Weblog
人種差別。心がせまい。なんとでも言ってくれ。

どうがんばっても、一緒に仕事ができない国の人がいる。
しかもその国の人、知り合ったのは1名ではない。
これまで知り合った人すべて、一定期間を経たあと、仕事では付き合いたくないと思った。
だから、根本的に相性がわるいのだと思う。

そもそも、私は「ウェルカム」気質ではないうえに、感情の起伏もはげしいので、
日本人の友人でも、公私ともに付き合っていくのは、なかなかつらい。お互いに。

その上に、お国柄の壁。
ビジネスなんだから、国同士の友好だか、両岸の協調だか知らないけど、
軸がぶれるのは困るんだよね。
そもそも、その論理からいうと、私たち日本とは関係ないじゃん、押し付けないでよ、と思う。
そう思ってしまう。

私が近視眼的なのかもしれない。
でも、国家を背負うつもりは毛頭ない。
国家は背負うものではなく、
単に、個人に染み付いてしまっているだけの、雰囲気みたいなものだ。
実体はない。

それは、大きな意味での個性であって、その文化圏からはずれた他人から見ると滑稽なもの。
自分でもユーモアとしてみるべきものだと思う。
そう。方言みたいなものだ。
話す個体が違えば、違うように響く。

なぜか、意外とその国の人に私は好かれがちなのだけど、
今日は夕方から、三段落ちで腹が立った。
「ちゃんちゃん」で終わりにして、明日は違う風に吹いてもらおう。

幸福論

2009-08-11 23:19:31 | Weblog
アラン著、神谷幹夫訳、岩波文庫

シモーヌ・ヴェイユが師事したアランの本は、一度読んでみなければと思っていた。

でも、こんなに時間がかかるとは思わなかった。
たかだか300ページ強の文庫に、約2週間。
いくら仕事が忙しかったとはいえ、身が入らなかった証拠。

そう。一言で言って、つらかった。
「フランス散文の傑作」と評されているようだけど、
この本、読むなら学生時代がいいだろう。

ひたすらポジティブに考えて、そしてそのウキウキした気持ちをみんなに広めましょう。
ほ~ら、みんな幸せになるじゃない、って言いたいんだな、と最初の方で思い、
その点、終始一貫しているのは、見事だと感じつつも、
正直なところ飽きるし、いやいや、それでもイヤなことを考えちゃうのが私という人間なんだけど、
ああ、あなたは「僕は一抜けた!」しちゃってるのね、という気持ちで読みつづけた。

そりゃ、不幸を売り物にしている人を見ると、誰でも距離をおきたくなる。
でも、幸せいっぱいの人とも、私はやっぱり距離をおきたくなるよ。

だって、羨ましいし、ねたましいし、
もっと言うと、そんな「幸福」自己暗示にかかっている人は、話しててもつまらないじゃない。
学生のころは、労働に対して淡い希望を抱いているし、
自分の感情は、なんとなくコントロールできるような気がしているから、
この「幸福論」を読んだら、感動するだろうし、感化されるかもしれない。

でも、今はもういいや。お腹いっぱいです。
もしかしたら違う読み方もできるのかもしれないけど、
何と言うか・・・、現在の私には、スッと入ってきません。
これもタイミングのめぐりあわせ。しょうがない。

さて、次は何を読もうかな。

愛犬

2009-08-10 22:38:20 | Weblog
今日の帰り道、特急に乗ったらすごく遠くまで行ってしまった。

理由は、乗り換えるべき駅で、考えごとをしていたから。
乗って来た大学生が「あ、間違えて特急に乗っちゃった。通り越しちゃう。どうしよう」と
楽しそうに話していて、ようやく気がついた。
彼らが騒いでくれなかったら、いったいどこまで行ったことやら。

その時、中学生から社会人一年目まで飼っていた愛犬のことを思い出していた。

彼女はとても耳がよかった。イヌだから当然だけど、
私がピアノを弾き始めると、私の足下でまるくなる。
間違えると、いつもの垂れ耳をピッと上げる。
彼女は、いつも一番厳しく、そして私のピアノに寄り添ってくれた。

大学生になってすぐに、母が倒れて植物状態になり、彼女との2人暮らしになった。
母はもう、家に帰って来る望みはない。
でも、彼女はいつも玄関で、母が帰ってくるのを一生懸命に待っていた。
母の自転車の音に似ている音がすると、首をかしげて耳をすます。
「ご飯よ」と呼んでも、玄関を離れようとはしない。何時間も。
いくら教えても反抗していた「おすわり」をして、
ひたすら母の足音が聞こえてくるのを待っている。
1年経っても、2年経っても。

言葉が通じないだけに、その姿を見るのは、とてもつらかった。
何度も何度も抱きしめて、「もう待っても、お母さんは帰ってこないんだよ」と
泣きながら言った。

母との約束だったから、大学3年生のときに中国に留学した。
彼女は、いとこの家にあずけた。
でも、あずけるときの条件は「避妊手術」をすること。
母と、年に2回注意してあげればすむことだから、
生まれた時の身体で飼ってあげよう、と言っていたことに反した。

大学4年生で帰って来たあと、また彼女との生活が始まった。
でも、社会人一年目になって、どうしても自分一人では飼いきれなくなった。
夜は遅くなるし、出張もある。

そして、やはり家に母が帰ってこないことから、
彼女の精神状態は、かなり不安定だった。
どうしようもなくて、知人にもらってもらった。

さいごまで飼おうと母と決めて、もらってきたのに。

彼女のことを想うと、いまでも胸が苦しくなる。
息ができないくらいに詰まって、ふと気がつくと、
降りるべき駅を、とっくに越していた。

謝っても謝りきれない。
私のエゴで、犠牲にしてしまった。
そして、そこまでして守ろうとした私の人生。
いま、振り返って、どんな価値があるのかとも想う。
裏切ってまでする価値のあるものなど、どこにもなかった。

りょう、ほんとうにごめんなさい。