ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

雷雨

2009-08-09 17:48:03 | Weblog
久しぶりの関東地方は雷雨だ。

荒れてて、すごくウキウキする。
どしゃぶりの雷雨の中、できれば傘をささずに散歩したい。
ほんとは裸足で歩きたいけど、
それはあまりにも危険だと思うから、いつもサンダルは履く。

刻一刻と変化する空の色と雨の量、そして匂い。
もし雷にうたれて死ぬなら、きっと一瞬だろうし、いいなあと、
ちらりと思ったりもする。

大雨は、いろいろな被害をもたらすから、喜んでいたら不謹慎だけど、
空をすごい勢いで雲が流れていくのを見るのは、
なんだか好きだ。

感性的な人間なのか

2009-08-08 21:02:35 | Weblog
仕事仲間から、「仕事中、あまり本能を感じないですねえ」と言われた。
私以外のスタッフは、仕事内容が本能とバッチリはまるポイントがあり、
そこに当てはまるように仕事を割り振るようにしているらしいのだけど、
私は、いまひとつそのポイントが見えないらしい。

別に、ほめられているわけでも、けなされているわけでもない。
どこが、ツボなんだろうねえ、という話。

どうやら、まず感情として浮かんだことも、
次に、すべて頭で整理するクセがあるのだと。

そういわれてみると、心に浮かんだことも、
いったん突き放して、整理してみることが多い。
意識してやっていることだから、そういわれると少し嬉しい。

今日、何年かぶりに学生時代の友人に会った。
その友人に言わせると、印象の中にある私は、とにかく「感覚的な人」らしい。
仕事仲間が聞いたら、首をひねるだろうけど。

学生の頃はよく、感覚的だと言われていたのに、
いまは逆のことを言われることが多い。不思議なことだ。
自分自身、どちらの自分が好きかと言うと、どっちもあまり好きではない。
そして、どっちでも構わないと思う。

テレビのチャンネル

2009-08-08 08:53:54 | Weblog
普段、ほとんどテレビ番組を見ないから、地デジには興味がなかった。

でも、関東から少し離れ、天気予報を確認するためにホテルでテレビをつけると、
急に困る。

ああ、なんでチャンネルが東京と違うのだろう。
いっそのこと統一してくれたら楽なのに。

と、思ったところで、
そっか~、地デジになったら、こういう不便もなくなるのか~、と思って、
すごく地デジ応援派になった。

もしかしたら、違うのかもしれないけど、私の地デジの理解というとこの程度。

テレビよりも、インターネットをどこでも繋ぎたい放題になったほうが、
ありがたいなあ、と思う今日この頃。

日焼け

2009-08-07 22:20:02 | Weblog
日焼けするには体力がいる。

私が、自分が思っている以上に歳をとったのだなあ、と実感するのは、
毎年、夏の日差しの中を歩いたとき。

たぶん遺伝として、汗はスムーズにかけるほうだし、
体質的に夏には強いと思う。
小学生のころは、毎日プールに通っていたし、
ウインタースポーツよりは、サマースポーツのほうが
相性がいいとも思う。

今日、ひさしぶりに、とあるテーマパークへ仕事で行った。
相変わらず、ジェットコースターなどは乗れるのだけど、
アトラクションとアトラクションのあいだを歩くのが、
とてつもなく辛かった。

さいわい、あまり流行っていないテーマパークだったので、
乗り物には、並ばずに乗れて助かった。
もう、夏のディスニーランドは無理だな。

おそらく体感気温40度。
膨大な量の汗をかいた。
そして、肌が焼けて疲れた。

よくむかしは、炎天下に屋外でバレーボールなんかをしていたと思う。
若かった、ということなんだろうなあ。

久しぶりに、自分の年齢を実感させられる一日だった。

雁、南へかえる

2009-08-05 23:58:25 | Weblog
先日、東北新幹線の中でとなりに座ったおじさんが、
うとうとしながら、本を読んでいた。

思わず、ずり落ちそうになった本に目をやると、本文に「霍去病」の文字。
おお、中国史ですか。と思った。
よくよくお休みだったし、こちらも仕事仲間と一緒だったから、声をかけることはなかった。

おじさんが読んでいた本のタイトルはわからなかったけど、
ふと頭の中に、漢の武帝、司馬遷という文字が浮かび、
そして、李陵で想いがとどまった。
そのあと、しばし中島敦さんの『李陵』を思い出していた。

名作だと思う。
私が、読んでぐっと身が引き締まった小説と言うと、
中島敦さんの『李陵』と、吉田満さんの『戦艦大和ノ最期』。
この2冊は、私にとって、他の本と位置づけが少し違う。

中学生か高校生のころ、教科書に載っていた『山月記』もよかったけれど、
『李陵』は格が違うと思った。
ああ、久しぶりに読んでみようか。

そして、久しぶりに、誰かと中国文学について語りたいなあ、と思った。

風鈴

2009-08-05 14:36:19 | Weblog
盛岡では、街頭に南部鉄の風鈴がつるされていて、
とても軽やかで涼しい音が鳴っていた。

私は南部鉄のファンだ。
長年愛用している急須、やかん、フライパン。
そして夏が訪れるたびに、ぜひ風鈴も欲しいと思っていた。

帰りの新幹線までの待ち時間に、お土産屋さんで、小さな風鈴を買った。
いくつか売られていた風鈴のなかで、いちばん音にふくらみがあるものを選んだ。

南部鉄の風鈴は、音が高く軽い。
だから、私の選び方は邪道かもしれない。
表面にうっすらと上薬がかかっていたから、
そのコーティングが音の重なりに一役かっているのかもしれず、
ますますもって邪道のような気もするけど、音が気に入ったからとても満足している。

帰京後、友人に音色を聞かせたら、キンキンしてなくて、とてもいいと言われた。

実は盛岡の方から、会社用に風鈴をいただいていた。
そちらは、かなりの正統派。
2つを聞き比べて、友人からはナイスチョイスと言われたので、
音はしょせん好みだなあ、と思った。

さて、どこにつるそうか。

田舎の距離感

2009-08-03 23:27:09 | Weblog
初めて夏に東北に来た。
そして初めてローカル線に乗った。

バスみたいだった。
乗車券をとり、無人駅では、一番前の扉をポッチを押し、開けて降りる。
のんびりしてて、すごくよかった。

そして、広い川と空。
詩でも浮かんできそうな気分だった。

都会にいると世界が近い。
行ったことのない外国でも、すぐ行けるような気がする。
でも、少し田舎に来ると、宇宙が近くなる。
でも、隣国は遠くなる。

距離感が変わる。
そして、この感覚は、とても心地よい。

よい魔性

2009-08-01 00:42:01 | Weblog
少し年上の男性の仕事仲間と、週末のゆったり呑みをしていたときに、
「女性には、よい魔性とわるい魔性があるんですよ」と言われた。

魔性って、魔性だから・・・、いい悪いなんてあるのか? よくわからない。
「あげまん」と「さげまん」みたいなもの?
それとも「白い魔女」と「黒い魔女」みたいなものなのだろうか?

男性同士は「そうそう」と通じ合っていたから、
きっと、なにかピンとくるものがあるのだろう。

でも、そのあと具体例を挙げた話になると、
「ああ、あの人は魔性だよね。しかも、どちらかというと悪い方の。だから警戒」と
共通意見になる場合もあれば、
「う~ん、あの人は違うかな・・・」と、噛み合ない部分もあったようなので、
ある人に対して持っているそれぞれのイメージは、少しわかれるようだった。
きっと、その女性にグッと来るか、来ないかの違いなのだろう。好みの問題。

ちなみに私は、「魔性はないけど色気は少しある」のだそうだ。
よくも悪くもなく、箸にも棒にもかからない、と。
はいはい、ありがとう。

男性は、分身を生み出してくれる存在に弱いと思う。
それは、実際の子どもに限らず、仕事上の観念的なものでも同じ。

分身が生まれるまでは、自分がナンバーワンという錯覚にいた男性も、
実際に子どもが産まれたら、母親と言う存在は家庭で何よりも強くなり、
ナンバーワンの座を譲り渡す。
また、そういう図式が家庭内ではっきりしている人は、
同じ構図を仕事場に持ち込むことも多く、しだいに秘書やアシスタントは強くなる。

そして、そういう男性は多いと思う。

それにしても、男性が感じとる魔性って、いったいどんなものなんだろう。