けっきょく5月は復調しないまま過ぎさった。
最小限に仕事をペースダウンしたので、歯がゆい感もあったけれど、
これはきっと「休め」のしるし、と受け止めてみた。
そういえば去年も4月5月と通院生活(←「通販」じゃない)だったと思い出す。
そんなわけでご報告が遅くなってしまったけれど、
その間、カトリック新聞でご紹介いただいた。
(カトリック新聞 2013年5月12日)
原発予定地だった珠洲との出会いと、珠洲へかよった日々、
そして、原発計画を押し戻した珠洲の人びとの経験をまとめて書いた
『ためされた地方自治―原発の代理戦争に揺れた能登半島・珠洲市民の13年』(桂書房)のこと。
やはり原発計画をかかえる祝島との出会いと、祝島へかよう日々、
祝島の対岸に計画されている上関原発の状況と、それにあらがいつづける人びとの
記録や経験をまとめた『原発をつくらせない人びと』(岩波新書)のこと。
さらには、ふたつの原発予定地を、わたしがヒトゴトとは思えなかったわけなど、
熱意あふれる記者の方が、ねばり強い取材をもとに書いてくださった。
よかったら、ご笑覧ください。
***
曾祖父が無教会派のクリスチャン、
そのもとでオルガンと讃美歌とともに育ったという祖母は、
祖父と結婚してからは祖父の家の仏壇と神棚にお供えを欠かさなかったようだけれど
久しぶりに会った数年前のある日、「同じ信仰をもっています」と私に何度か言った。
だとすると、ボーンクリスチャンのわたしは、もしかして4代目クリスチャン?
そのわりに教会にわたしは慣れなくて、
珠洲に通いはじめてからは、原発の話は無理めな空気も感じて残念だったけれど
(教会に限らず、日本のほとんどの場所/コミュニティがそういう空気だった)、
カトリック新聞で原発問題の本を紹介していただける日がくるとは。
世のなかは変わる、ということを、改めて見せてもらった気持ち。
変わることができる、というのは、希望だとおもう。
シーサーは、飛ぶまえに、低くかがむ。