瀬戸内海の最後の楽園ともいわれる海域にうかぶ祝島から、
目のまえの海に育まれた、この春の幸(さち)をご紹介。
おりしもメバルの季節まっさかり。
中くらいのメバルは鱗をとってそのまま煮付けに。
加熱すると身がはぜる(はじける)のは、新鮮だから。
30センチもありそうな大きいメバルは刺身にした。
メバルもタイも刺身にできるようになったのが、わたしのささやかな喜びのひとつ。
とはいえ、いつもかなりの真剣勝負。
たとえお腹をひらいて内臓をとりだしていても、
ときどき思い出したように、最後のちからをふりしぼって全身を震わせ、
魚は包丁から逃れようとする。
気をぬくと魚のケン(とがった針みたいな部分)が指や掌にブスリと刺さるし、
浜でウロコや内臓をとっているときだったら下手すると海に逃げられてしまうかも。
すでに動かなくなっている魚も、包丁の最初の一刺しにはピクリと身が動く。
魚を浜でさばけば、空では鳥が、陸では猫がワラワラとあらわれ、
呑気にやっていると魚を奪われる。
この日は、大漁だったMさんから多彩なおすそ分け。
ゆうに30センチ以上あるヒラアジは、刺身で。
一本釣りのヒラアジは、ひと味もふた味も違う。
こうした幸をもたらす海を、島人たちは「宝の海」と呼び大切にしてきた。
対岸3.5kmの田ノ浦に中国電力の上関原発建設計画が浮上すれば即あらがい
すでに30年だ。祝島の漁師らにいたっては、
原発計画にともなう漁業補償金・約10億8千万円の受けとりも拒否。
しかも一度ではない。今年でなんと3度目の拒否になる。
(関連記事→上関原発 漁業補償金 再び拒否 2012年2月23日中国新聞)
彼ら彼女らの口からしばしば聞かれる言葉のひとつは
「わしら、いのちがけで(原発計画に)反対しちょるんじゃけえ」。
これはどういう意味だろうかと、祝島時間を重ねながら、ずうっと思っている。
「板子1枚下は地獄」といわれるように、漁師の仕事は「いつも、いのちがけ」。
いのちをかけて、いのちの育みを大切にし、
いのちをかけて、育まれたいのちを奪い、
奪ったいのちによって、みずからのいのちが生かされている
…ようにもみえる、2012年3月。まだまだ学び途上。