サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

白石本通SSオープン

2021-09-30 20:44:26 | 日記

近所のガソリンスタンドが9月15日から11月末までリニューアル工事のため、
閉鎖しており、お近くのアイックスSS各店でご利用ください と5円引きの
クーポンを送ってくれました。

5円引きなので使わなきゃ損と思っていたら、aix白石本通SSのオープンイベント
で、たまご20個プレゼントだから行ってね とLINEが来た。

しかもお友達登録をするとガソリン10円引きクーポンまでもらえる!!

今日が最終日だったんですよ。
2つ前の信号まで長い行列ができていました。約45分待ちです。

スタンドが見える頃には真っ暗になっていました。

先週と今週で玉子4パックもいただいてしまいました。
明日からガソリン値上げとLINEが来ていたので、駆け込み需要もあるんでしょうね。
うちはお弁当も作っているし、1週間で2パック食べきるので、2週間分です。
最近たまごが高いので、ちょっとだけ家計が助かります。
(※1回目に行ったとき、今日は5リットルしか入れなくていいから、来週も来て
ください!!ってスタッフさんが言ってくれたんですよ。ちょっと車で旅行していた
こともあり、先週も今週も20リットルずつ入れましたよ。)

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江別市 野外彫刻 その9

2021-09-30 06:19:25 | 野外彫刻

江別市の榎本公園です。
かつて榎本武揚が開拓使から払い下げを受けて農場経営を行わせた土地である
ことに由来します。

ヤンマーの建物の前にあります。

公園内に彫刻があります。

榎本武揚顕彰碑

対雁は、黎明日本の明治政府における要職を歴任した「榎本武揚」が、北海道開拓の
雄志を託し、農場を拓いたゆかりの地であり、江別市発祥の地である

これらの史実を長く後世の人々に伝える記念とするため、対雁住民の総意をこめて
榎本武揚顕彰碑を建立する
榎本公園建設期成会

昭和45年6月 建立
題字 北海道知事 町村金五
制作 彫刻家 佐藤忠良

榎本公園一帯はかつて、豊平川が石狩川へと合流する水運の要衝であり、「津石狩
(ついしかり)」と呼ばれた江別発祥の地である。地名の表記はやがて「対雁」
へと変わり、番屋が設けられた。

しかし鉄道の敷設により、交通手段としての石狩川の重要性が薄れたため集落は
移転し、この地は寂れた。

石碑もあります。

對雁百年碑
町村金五書

対雁百年碑
由来 本碑ハ弘化三年場所請負人山田文右衛門小祉ヲ建立弁才天ヲ祀ル
神体長サ二尺三寸極状ヲナス 翠色天然石文右衛門ノ曳網ニカカル事三度
ニ及び神明ノ致ス所トシテ対雁豊平川口ノ小祉ニ祀ル 是対雁神社ノ前身
ナリ
超エテ明治四年四月宮城県桶谷領農民ニ十一戸七十六人来住対雁村トナル
次デ同九年七月南樺太アイヌ百二十七戸八百五十四人移住 係開拓使八等
出仕上野正ノ発意ニヨリ小祉ヲ修復鳥居ヲ新営シテ対雁神社トナス
一方角山ノ移住者相諮リ 同三十七年角山神社ヲ創立天照大神ヲ祀リ来タ
リシガ 昭和四十六年九月倶ニ国営治水工事ノ為ニ社ヲ解体 神体ヲ本碑
内ニ奉置シ以テ永遠ニ之ヲ伝エントス
昭和四十六年九月十日
碑文 江別市長 山田利雄
撰文 新館長次

史跡 津石狩(対雁)番屋
いまから二百七十年ほど前(享保年間)、世田豊平川河川口に石狩十三場所の
一つとして商場が開かれ、その後番屋が設けられ鮭漁と内陸水路交通の要点と
して発展した。
千八百六十八年(慶応四年)に立花由松が江別最初の和人として定住した。
明治四年には宮城県から七十六人が入植し、九年には樺太(サハリン)に住む
八百五十四人のアイヌが移住させられた。これにより学校や製網所が作られる
など対雁はにぎわい、十二年に駅逓所、十三年に対雁・江別両村戸長役場が置かれた。
しかし、十五年の鉄道開業により人の流れが江別・野幌に移り、十九・二十年
にはコレラの流行により三百人以上の病死者を出す大惨事にみまわれ、対雁は
衰退をはじめた。
駅逓所は十八年に廃止となり、十九年には戸長役場と郵便局が江別村に移転した。
駅逓の入り口に植えられた赤松は、駅逓の松として親しまれ、現在は石狩川の
河川敷地になった旧対雁市街の繁栄をしのばせていたが、、老枯して今はない。
平成二年九月
江別市教育委員会

榎本公園
江別市工栄町

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