サバ奈子

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当別町 野外彫刻 その8

2022-07-08 05:53:38 | 野外彫刻

当別町役場です。庁舎の方を向いた胸像があります。

正面に回ります。

鹿野惠造翁

長い碑文があり、頑張って文字おこしをしてみました。

鹿野惠造翁は明治7年本町に生れ自ら開拓の苦闘を体験明治44年当別土功組合を
次で当別川南土功組合を創設し当別産米の基礎を確立大正12年以降は当別村農会
長また札幌外四郡農会長札幌外四郡産馬畜産組合長或いは当別産業組合長石狩地
区農業会長として農政に協同組合運動に挺身され更に森林組合町村会議員道会議
員村長を歴任して政治行政にも参画札沼線敷設には身を賭してついに実現をみた
ことは長く人々の銘記して忘れることのできないところである

 

昨年のこれら多数の業績に報ゆるため名誉町民に推挙され今年翁の米寿を記念し
て農民の総意によりここに胸像を建立しその偉業を後世に伝えんとするものであ

昭和36年6月7日
当別町農業組合連合会 塔熱腸農業員会 当別町土地改良区 当別町森林組合
当別町農業共済組合 当別町開拓農業協同組合 西当別町農業協同組合
当別町農業協同組合

残念ながら作者の記載はない。

隣に当別町町政功労者会創立記念樹がある。

敷地内にもう一つ彫刻があります。

開拓の像
当別町長 近藤辰雄書

親子の像なんでしょうね。

明治初年 石狩川のほとり当別の地一帯は 原子の巨木鬱蒼として繁り荒漠とし
た密林には 熊羆豺狼が恣に出没したところであった

明治4年 仙台支藩岩出山藩主伊達邦直公は維新の変革を機に この地を拓北の
新天地と定め多くの家臣と共に決然として移住し 百何を忍び、窮乏に耐え 不
屈の精神によって当別開邑の偉業を果したのである 

その後代々の村民は協力一致祖先の偉業を継承し 幾多の試練をのり超えて 
ここに故目どころとして知られる一大農村当別町を築き上げたのである

この彫像は 百年の試練に耐えて樹立した開拓の功業を偲び 限りなく進展する
未来を期待して建設したものである
 昭和45年9月10日
  彫像製作 本田明二
  撰文 近藤辰雄 
     浅見晴夫 書

役場の中にも何かないか入ってみました。

TO CELEBRATE 15 YEARZ AS TWINTOWNS TOBETSU-LEKSAND AUGUSUT 2002
A GIFT FROM:
THE COMMUNITY OF LEKSAND

"DANCING COUPLE FROM LEKSAND"
ARTIST:TORBJORN LINDGREN,REKSAND SWEDEN
CHAINSAW SCULPTOR

チェーンソーアートですね。

寄贈 河村工業(株)とありました。

役場を出たところで玄関前にフクロウを発見。

フクロウは当別町の鳥なので、町のいたるところでフクロウを見かけます。

当別町140年記念
贈 当別ふくろうの会
平成22年10月

当別町役場
石狩郡当別町白樺町58番地9


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