当別町当別神社の続きです。
敷地内に彫刻がありました。
近藤辰雄氏之像
立体写真像
発明者 盛岡勇夫
碑文
名誉町民近藤辰雄氏は太古の声を伝える母なる川当別川の右岸 名勝阿蘇岩
の麓弁ケ別にて鍬・鉞をふるい開拓難行を克服してきた父辰太郎氏の嫡子と
して明治37年9月30日その生を享く。
若くして父祖の開拓魂 不屈の闘魂を受け継ぎ おくせぬ行動派を以て頭角
を表わす 第二次大戦後封建制時は崩壊し民主的新日本が誕生する
昭和22年地方自治制度の改革に基づく首長公選に町民の衆望を担って初代首
長となる
爾来五期20年間行政の衝にあたる 此の間明治人としての気骨と強い信念の
礎石を築く
この偉大なる業績は赫々たるものがあり枚挙にいとまないが 特筆すべきは
青山ダム建設に依る美田の造成 治山治水の整備 教育施設 社会福祉の充
実 道路橋梁の整備等町民の福祉向上に全力を傾注して今日大きく変貌した
町づくりの姿を見る今や氏の業績は長く歴史に残り 不滅の光を放つものと
信じる
ここに氏を敬愛 思慕する者が相はかりその功績を長く伝えんとし銅像を建
立する
昭和54年11月吉日
銅像建立協賛会
会長 坂牧義文
彫刻の隣に木があり、
銅像建立記念植樹 とありました。
敷地内に小さな祠がありました。
聖徳神社
また石碑があったけど、読めません。
もう一つ記念碑があり、
中央に彫刻があります。
埋れ火の塔
建立趣旨 とありますが、ちょっと崩し字で文字おこしを断念。
だって読めないんだもん。
製作者 坂坦道
なかなか収穫の多かった当別神社でした。
当別神社
石狩郡当別町元町51-12
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