浅草橋小樽観光案内所です。
隣に水飲み場があります。
ふれあいの泉
小樽の水道が創設されたのは、大正3年9月30日です。ここに設置されている
和田式耐寒供用栓は、創設当時から昭和30年代まで街の道路わきなどに見受けられ、
市民の大切な「共同の水道」として利用され、また、この蛇口の形状から「ライオン
の水道」として親しまれました。
運河沿いを散策してみました。
歌碑があります。
小樽のひとよ
昭和42年
続いてレリーフがあります。
小樽と日本海航路
日本海航路が本格的に開かれたのは、約180年前の文化、文政の頃で、左に描かれて
いる1枚帆の弁財船が主役でした。
明治期となり洋式帆船が増え、しだいに大型の汽船も入港し、海陸の拠点と
して小樽の地位が高まってきたことから、港も本格的な整備が必要になり、
明治41年には北防波堤が完成しました。
それ以後、船は港内のブイにもやうことができ、ハシケ荷役も安全に行われる
ようになりました。
港の整備はさらに進み、昭和7年には堺町岸壁が完成、船は接岸して荷役ができる
ようになったのです。
小樽市 昭和61年3月 竣工
おれの小樽
昭和57年
(石原裕次郎のサイン入り)
またレリーフがあります。
力じまんの仲仕
船荷は、かつてハシケに積まれ、運河沿いに並ぶ石造倉庫と、港内の船との間を運ば
れていました。
その荷を肩に、右端に描かれているように積み下ろしをするのが仲仕で、沖仲仕、
陸仲仕、倉仲仕、木材仲仕などに分かれていました。
力のいる仕事で、米2俵をかついで、やっと一人前といわれていました。
港の貨物は、始めは石炭や木材が主で、右に描かれている手宮の石炭桟橋が大いに活
用されていましたが、開拓が進むにつれ農産品も増え、仲仕の活躍する場も広がり、
仲仕は小樽の働き手の代表といわれていました。
小樽市 昭和61年3月 竣工
浅草橋小樽観光案内所
小樽市港町5(小樽運河)
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