週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

同じ命を生きている

2011-04-21 01:07:12 | 法話のようなもの

友人のお坊さんから、自坊で発行している寺報が送られてきました。

彼の持つパソコンやネットに関する技術と知識には、足元どころか、次元の隔たりを感じるほど遠く及ばないので、いただく寺報にはいつも感服するばかりです。
しかし、感服するのは装丁だけではなく、内容もまた秀逸。
同じ書き手として、学ぶことが多く、有り難いご縁をいただいています。

さて、今回の寺報には、ダライラマ14世に並んで、平和活動に従事する世界的な仏教者ティク・ハン師が、東日本大震災に寄せたメッセージが紹介されていました。

今回の悲劇で亡くなった多くのかたのことを想うと、ある部分、あるかたちで我々自身も亡くなったのだと痛切に感じました。
人類の一部の苦しみは、全人類の苦しみです。
また、人類と地球はひとつの身体です。
そのひとつの身体の一部に何かが起きれば、全身にも起こります。

(※以下の文はメッセージを受けての私の文章なので、友人の寺報からの転載ではありません)

誰も一人で存在することはできません。
網の目のように、すべての存在が繋がり合っているからこそ、私たちは生きています。
一つの網の目が揺れれば、全体へと揺れは伝っていくもの。
その揺れに敏感か鈍感かは、それこそ人それぞれではありますが、ひとたび揺れに気づいたら、それが伝ってきた揺れであろうとも、自分の揺れに感じるはずです。

この度の震災は、網の目のみならず、現実においても経験したことのないほどの大きな揺れでした。
だからこそ、世界中の人々が網の目の揺れに気がつき、日本へと心を傾けてくださいました。

今もなお、多くの国々から、様々な支援が届いています。
そんな中、言葉の支援という形もあるのだと、私はベネゼエラの少女が日本のテレビカメラに向けて語ったメッセージを聞き思いました。

あなたの痛みは私の痛みです。
私はあなたと共にいます。


国内では、「頑張ってください」「応援しています」というメッセージが多数を占めています。
そのメッセージに力をもらう方もいらっしゃることでしょう。
しかし、すでに一生懸命頑張って、頑張って頑張って、頑張った末に、頑張れなくなった方だっていらっしゃると思います。

「頑張れ」という言葉は応援の言葉ではありますが、時に人を突き放し、時に孤独にさせる言葉にもなってしまいます。
けれど、思わずそう言ってしまうのが、私たち日本人なのでしょう。

ベネゼエラの少女は、私たちが当たり前のように「頑張れ」と言ってしまうのと同じくらい当たり前に、「あなたの痛みは私の痛み」と言いました。
同じ国で「頑張れ」と言われるより、遠くの国の痛みを共感してくれる言葉に温もりを感じるのは、寄り添われていると思えるのはなぜでしょう。

それはきっと少女が、人も地球も、すべてが一つの身体であり、その身体で自分が生きているということに気づいているからではないでしょうか。
一つの身体で、同じ命を生きているという実感から出た言葉は、何にも勝るメッセージとして、私の中で耀き続けています。

あなたの痛みが私の痛みとなり、あなたの喜びが私の喜びとなる。
ゆえに救わずにはおれないという阿弥陀如来の願いを思います。

寺報にて、友人はティク・ハン師のメッセージを受けて、そう続けました。
私はそれと同じ思いを、ベネゼエラの名もなき少女の言葉からいただきました。