週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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念仏者として

2011-04-28 00:36:40 | 法話のようなもの

一昨日のこと、神奈川組の坊守会が善龍寺さんで開かれました。

出席したのは母でしたが、そこで伺った善龍寺の若院さんのお話が素晴らしかったということで、さっそく私に教えてくれました。



この度の東日本大震災に対して、念仏者はどのような行動をとればいいのだろうか。
念仏者の根本には、【智慧】と【慈悲】をもって、物事を見て、行動するということがある。

【智慧】の目で見るとはどういうことか。
今、私たちの目に映るのは、震災や原発事故によって被災した方々の苦しみや悲しみだ。
しかし、その苦しみと悲しみとは別に、年間3万人の自殺者がいて、それに伴う苦しみや悲しみも常に存在している。
そうした現実に対して、私たちは何かを自粛したりしたことがあっただろうか?
毎日目にする死亡事故や殺人事件に対して、寄り添おうと努めたことがあっただろうか?
多くの人々が直面した震災に心を傾けることは当然のことではあるが、その時だけ自粛するというのは、やはりおかしいことのように思える。

常にある苦しみや悲しみに素通りしていた自分の姿に気づいていくこと。
苦しみや悲しみの大小を勝手に判断していた自分に気づいていくこと。
それは智慧の光に照らし出されることによって、明らかになっていく自分の有り様。

その有り様に気づいたうえで、【慈悲】の心をもって相手の思いを大切にしながら行動を起こしていく。
一方向しか見えない自らの目ではなく、智慧の目を通して物事を見ることによって、慈悲の心が生じてくる。
その心をもって行動しながら、自分は偏っていないかと己に問いかけながら顧みる、それが念仏者として、今あるべき姿である。



とのことでした。
母からの又聞きを再構成したお話なので、もしかしたら若院さんが意図した内容ではなくなってしまったかもしれませんが、それでも「なるほど」「そのとおり」と感じ入ったお話だったので、独自解釈を加えて載せさせていただきました。

坊守会の後は、みなとみらいに移動してお食事だったそうですが、節電のため観覧車のイルミネーションは消え、周りの高層ビルを彩る照明もなかったため、街の印象が随分違って見えたようです。

同じ風景でも違って見える。
明るいことに慣れ、明るいところばかりに目が行く私の目。
無意識の偏りに気づかされ、智慧の目を通して顧みることの大切さを感じるお話となりました。