千両・万両・南天。
赤い実を見ると、近づくお正月を感じます。
写真の南天は寺報の表紙にしようと思って撮ったもの。
しかし、モノクロの印刷では、赤い実の鮮やかさが全く出ませんでした。
「南天のど飴」でも有名な南天。
赤い実に含まれるドメスチンには鎮咳作用があるそうです。
また、葉っぱは南天葉という生薬で、鎮咳のほか解熱などの作用があるとのこと。
南天というと、「難を転ずる」として縁起物にもなっています。
福寿草とセットにすると、「難を転じて福となす」とも(笑)
しかし、「難」とは何かと自分に問えば、あまりに個人的なことでした。
私の個人的な「難」など、語りようもない2011年が、もうすぐ暮れようとしています。
「難と感じるのは自分にとって都合の悪いことだから」
「自分中心に物事を見ているから、それが難と感じるのです」
「難もまたご縁の一つの形」
「今は難でも、それが福へと転じるご縁に出遇えるのだから、有り難く受け止めましょう」
自分事ならば、こういう言葉で済ますこともできるでしょう。
他人事でも、今までならば言えました。
けれど、他人事を自分事として深く深く考えたとき、このままの言葉を使ってはいけないんだということにようやく気づきました。
それが、2011年の年の瀬に、私が一人思うこと。