週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
045-941-3541

善教寺 盆おどり会

2010-08-17 01:16:29 | 近況報告

ようやくお盆が明けました。

住職・副住職はお盆のお参りで皆さまのお宅にお邪魔しましたが、家族が揃われた中でのお勤めは、何にも代え難い尊いご縁だと感じたようです。

さて、お仕事がお休みだった方は帰省されたり、遊びに行かれたりと、夏を満喫されたのでしょうか?
寺に生まれた者にとって、お盆中に夏を満喫するのは、なかなか難しいことではありますが、今年は15日に同じ神奈川組の善教寺で行われた盆おどり会にお邪魔させて頂きました。
こちらのお寺には同世代の若夫婦がいて、その2人からのご招待です。

善教寺は最乗寺からも近く、裏道を通れば車で10分程の距離にあります。
二階建てのように上階に昇れる古い山門が目印で、立派な本堂・会館・庫裏が並んでいる敷地の広いお寺です。

隣に幼稚園があるからか、小さなやぐらと提灯が設営された境内には、在園生や卒園生とその家族の姿が目立っていました。
最初は本堂で、副住職(若夫婦の旦那さん)が子供にも分かる法話を数分。
題材は【共命の鳥】…これは私の持ちネタ(法話)にもあるので、後日アップします。
その後、場所を境内に移して、ご住職が竹を割って手作りした台を囲んで、皆で流し素麺を。
そしてようやく盆おどりの時間になったのですが、かかった曲はチェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』…。
振り付けは『炭鉱節』と同じで、それを3倍速で踊るという、とってもハードで面白い光景でした。
他にもアップテンポな曲に合わせて、腰をフリフリしながら踊ったり、いつもの盆おどりと違って、子供が中心となって楽しめる感じが伝わってきました。

この会は、≪キッズサンガ≫という子供参加型の企画を各寺院で考え催すという、教団が推進しているプロジェクトの一環で開かれていて、今年で3年目になるそうです。
隣に幼稚園という、既に子供が身近にいる環境ではありますが、それ以上に子供たちに対する善教寺さんの熱意が伝わってくる会でした。
最乗寺も、できない理由を考えるのではなく、どうすればできるのかを真剣に考えなくてはならないという気持ちにさせて頂きました。

けれど今は、目の前で踊る坊守さんのオシリがフリフリ揺れるのを見て、ゲラゲラ笑っていた息子の声が何よりの思い出になったので、とりあえずお盆中に夏を満喫できたことを喜んでいます。


母の報い

2010-08-14 22:29:19 | 寺報記事

     ≪寺報【最乗寺だより】 2006年夏号 2面記事より≫

お盆の正式な名称は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といって、「仏説盂蘭盆経」というお経が、お盆の起源だといわれています。

この経典の内容を簡単に説明します。
あるとき、お釈迦さまのお弟子である目連は、「優しかった亡き母は今どうしているのだろう?」と思い、神通力でを使って死後の世界を覗いてみました。
すると、母親は餓鬼道という地獄にいたのです。
驚いた目連は母親を助けようとしますが、助けることができません。

そこでお釈迦さまに相談すると、こうお答え下さいました。

お前の母親は、お前には優しかったかもしれないが、お前を愛する余り、他には冷たかったのだ。
その報いで、お前の母は今、餓鬼道にいる。
孝行者のお前でも、一人の力では母親を助けることはできないだろう。
助けたいのならば、皆の修行があける7月15日(旧暦)に、大勢の修行者に食べ物などを振る舞いなさい。

目連はお釈迦さまに言われたとおりにすると、母親は餓鬼道から抜け出すことができました…というお話です。

さて、この話を聞いて、どう思われましたか?
実はこのお経の見解は、宗派によって異なり、二つの見方が存在します。

一つは、「地獄に落ちた先祖を助ける方法が書かれている」という見方です。
お盆になるとナスの牛やキュウリの馬を作ったり、迎え火や送り火を焚いている光景を見かけたり、実際になさっている方もいらっしゃるかもしれません。
その場合の視点がこれにあたります。

そして二つ目は、「もしかしたら私はこの目連ではないか? 自分のために家族がしてくれたことに気付きもせず、感謝を忘れていたのではないだろうか?」、「もしかしたら私はこの母親ではないか? 身内を愛する余りに、他を蔑ろにしてはいないだろうか?」、そして「母親だけを救うことにとらわれて、他の苦しみを素通りしていたのではないか?」…という見方です。

最初の見方の場合、お盆は先祖を供養する仏事になります。
二つ目の見方の場合、先祖だけでなく、自らを省みる仏事ともなり、仏縁への感謝の仏事ともなります。

浄土真宗のお盆は、この二つ目の見方の意味合いを持っています。
己のありように気付かせて下さったご先祖の仏さまと、決して餓鬼道に堕とすことなく、必ず浄土に往生させようという、阿弥陀さまの功徳と大悲に「南無阿弥陀仏」と手を合わせて、感謝の気持ちと共に、お盆を過ごしましょう。


 


過ちへの慰め

2010-08-09 00:00:18 | ひとりごと

あの日も、こんな焼けるような太陽と、抜けるような青空があったのだろうか…。

私の中の戦争は、いつだってモノクロで。
飛び散る粉塵や血しぶきさえも黒に染められて。

だから、現実味が全くない。

カラーの戦争は、原爆投下の映像と、沖縄の戦場だけ。
アメリカ軍が自国の成果を記録した、大きなきのこ雲は確かに色がついていた。

なのに、現実味は全くない。

あの日は、真夏の暑さに、太陽を見上げ、青空を仰ぎながら、流れる汗を拭いていた人もいるだろう。
そんなカラーの世界を生きていたはずなのに、一瞬にして世界をモノクロに変えてしまった兵器。
死の灰が降り、全身が黒く染められ、生死の判別が不可能なほどの状況を作り出す。

カラーのきのこ雲の下には、モノクロの現実が広げられていたはずで。
原爆の映像は、カラーであることが、現実味を奪っているような気にもなってくる。

だが、私が現実味を感じようが感じまいが、カラーの戦争とモノクロの世界があったことは現実であり。
その現実を生きた人が、今なお生きているということも、確かなこと。

あの日から、65年分の現実を生きてきて。
それでも、あの日の慰霊をし続ける。

モノクロの世界の中で、助けを求める呻き声に。
耳を塞ぎながら、通り過ぎてしまった後悔を、忘れることができないまま。
数え切れないほどの人々の、絶たれた命の重みを背負いながら。
65年という年月を、過ごすことの過酷さは、私になど想像すらできやしない。

きっと、亡き人々を「慰める」という行為は。
自らの後悔と戒めに、押し潰されそうな自分自身を慰め続けることでもあるのだろう。

「過ちは繰り返しません」

戦争の悲惨さを知る者は、決して繰り返してはならないと心に誓い、語り継ぐ。
けれど、戦争のリアルさを知らない者は、語り継がれた戒めが届かない。

「しょうがない」

その一言で、片付けられることのできる命も戦争もないというのに。
自国が、自分が、直接関わることのない命や戦争に対しては、その一言で片付けてしまえる私がいるということを。
他を責めることで、そんな自身の愚かさを知る。

カラーの戦争を私に見せたアメリカを、責めるだけではなく。
モノクロの戦争を映し続けた自国の愚かさもまた、知るべきことのはずだから。

そうしなければ、誰かのせいだと責めながら。
私たちは、自覚のないまま、過ちを繰り返してしまうだろう。

原爆という現実と共に、忘れてはならない過ちがたくさんあるのに。
その過ちが何であるのかが、分からない愚かな自分が、今は一番、怖い。


南ブロック門徒子弟林間学校

2010-08-06 00:02:21 | 近況報告

8月2日~4日の3日間、2泊3日の日程で南ブロック門徒子弟林間学校が開催されました。

南ブロックとは、東京教区のうち、神奈川・静岡・山梨の3県のこと。
今年は神奈川組が主催となり、港北区の善教寺が会場となりました。

主に小学生を対象とした林間学校。
数ヶ月前から始まった企画会議で発案されたテーマは「つながり」。
子供たちに「つながることの大切さ」「つながっていることへの感謝」を、押し付けではなく、自分で気付いてくという方向へと導くことができれば…。
組内の若手僧侶たちが苦心の末に、いくつかの企画を立て実行に移していきました。

1日目は境内に出現した出店で夕食を。
焼きそば・フランクフルト・カキ氷にラムネ・コアラのマーチがついたチョコバナナ。
2日目は三ツ沢競技場に場所を移して、班毎に作るカレーの昼食を。
薪で火を焚き、飯盒のご飯に、ちょっとシャバシャバになってしまったカレーをかけて。
食べ終わったらクイズラリー、帰ったら篝火の焚かれた境内で出し物を。
3日目は夏休みの宿題をちょっとだけ片付けて。

毎日お経をお勤めして、法話を聴いて、仏の子である自らの命を育んで。
全員、班に分かれて、その中で自分の居場所を見つけていって。
協力しても、ときどき揉めたりするけれど、そこで感じる「つながり」が何より大切なんだということを、体験することから学んでいく。

今は何も感じなくても、いつかこの体験が「有り難いご縁だった」と思ってもらえたら大成功なんだと思います。

最乗寺からは副住職がスタッフとして参加。
毎日朝から晩まで、炎天下での設営撤去の重労働に、帰ってきたときにはゲッソリ。
こんがり焼けた肌から疲労が滲み出ていましたが、子供たちが素敵な時間を過ごせたのなら、余りある喜びだったはず。

来年は親鸞聖人750回大遠忌法要が勤められている京都の本山への参拝です。
興味を持たれた保護者の方がいらっしゃいましたら、どうぞご一報を。
申し込み用紙が届きましたら、ご連絡いたします。


有ることの難しさ

2010-08-01 22:47:04 | 法話のようなもの

本日、住職が62歳の誕生日を迎えました。

実は最乗寺の住職・坊守・若坊守(私)・息子・犬、全員が獅子座の生まれです。
その点ではお婿さんの副住職(旦那)は、ちょっと肩身が狭いのかも…。

さて、普段の生活では余り考えることはないことですが、人間に生まれるということの稀少について、改めて思いを巡らせることのできる例え話が『増阿含経』という経典に説かれています。


あるとき、お釈迦さまが弟子に尋ねました。

例えば、大海の底に一匹の盲目の亀がいて、100年に一度、波の上に浮かび上がるとしよう。
その海には一本の流木が浮いていて、その木の真ん中に亀の頭が通るくらいの穴が一つ開いている。
100年に一度浮かび上がる盲目の亀が、この流木に空いた穴から頭を出すことが、一度でもあるだろうか?

それは無理だと弟子が答えると、お釈迦さまはこう返しました。

誰でもそんなことは全くありえないと思うだろう。
けれど、全くないとは言い切れない。
人間に生まれるということは、今の例えよりも更に有り得ないほど難しいことなんだ。


このお話は「盲亀浮木の譬喩」と言われているものです。
そして、この例え話の通り、有ることが稀であるということから「有り難い」という言葉ができたとされています。

これを現代風に直すと、10階から時計の部品をバラバラに落として、地上に着くとき、その部品が組み立てられて時計の形になっているくらいの確率とも言われていて、人間に産まれるということは、それくらいの確率が根底にあるのだそうです。

もうスゴイとしか言いようがありません。
それくらい、把握できないほどのあらゆる縁によって、人間は存在しているということ。
人は、ただ有るだけでも難しいということです。

そしてこの例え話は、仏法に遇うのは、人間に生まれるより更に難しいと続きます。

人間の心の中には、いろんなもので溢れています。
それは必ずしも綺麗なものばかりではなくて、満たされない心だったり、怒りだったり、自分中心の判断しかできない心だったり、愚かな自分であったり。

そういう自分であることを、自分一人で知ることはできません。
自分中心の心が見せるのは、いつだって自分の良い所と、悪い所の言い訳だから。

仏法に出遇うことで、あらゆる縁に触れることによって、そういう自分であったことに気づくことができる。
そして、あらゆる縁に生かされていた自分に気づくことができる。
だからこそ、「有り難い」という意味が分かるのではないでしょうか。

人間に生まれたことが、優れているという話ではなく、地獄行きの生き方しかできない人間だからこそ、出遇い難い仏法を聞くことができる…。

そのことが何より「有り難い」というお話です。

その有り難さを、私に味わせていただくご縁をくれた住職に、この上ない感謝の思いを捧げます。
お父さん、お誕生日おめでとう。