ワタシの世代は石原莞爾を知っている人は極めて少ないような気がする。
かく言うワタシも名前しか知らなかったし、この人が酒田のお隣の鶴岡市の出身であることも知らなかった
この人は満州事変の首謀者の一人で勲一等まで授与されている陸軍中将なのだが、第二次大戦中は東條英機と対立していた点、さらに病気であったことを考慮され
極東軍事裁判では起訴されなかった人です。
さて↓の画像は昭和22年5月1日~2日にかけて酒田で行われた「極東軍事裁判酒田出張法廷」へリヤカーに乗って向かう石原莞爾なんですが
このリヤカーを引いている人物が、極真空手の創始者である大山倍達であると言われています。大山は大学時代に石原の主催する「東亜連盟」に参加していたようで
そういった点からも信憑性は高いように思います。
石原莞爾は鶴岡の出身ですが、酒田出身でA級戦犯に指定されながら処刑されなかった人物がいます。それが大川周明です。(生家はウチから近い)
この人についても、戦後生まれの世代は知らない人が多いのだが、極めて有名なエピソードとして
極東軍事裁判で前に座っている東條英機の頭を叩いたというのがあります。(ウチの亡くなった親父がこのエピソードをよく語っていました)
コチラの映像がその時のものですが、こういった法廷での奇行もあって、精神異常であると判断され、A級戦犯でありながら処刑を免れたという、なかなかな人物です。
戦争協力者を賛美する気はさらさらありませんが、郷土の歴史の中では、人間として興味のある人物であることは確かだとワタシは思います。
かく言うワタシも名前しか知らなかったし、この人が酒田のお隣の鶴岡市の出身であることも知らなかった
この人は満州事変の首謀者の一人で勲一等まで授与されている陸軍中将なのだが、第二次大戦中は東條英機と対立していた点、さらに病気であったことを考慮され
極東軍事裁判では起訴されなかった人です。
さて↓の画像は昭和22年5月1日~2日にかけて酒田で行われた「極東軍事裁判酒田出張法廷」へリヤカーに乗って向かう石原莞爾なんですが
このリヤカーを引いている人物が、極真空手の創始者である大山倍達であると言われています。大山は大学時代に石原の主催する「東亜連盟」に参加していたようで
そういった点からも信憑性は高いように思います。
石原莞爾は鶴岡の出身ですが、酒田出身でA級戦犯に指定されながら処刑されなかった人物がいます。それが大川周明です。(生家はウチから近い)
この人についても、戦後生まれの世代は知らない人が多いのだが、極めて有名なエピソードとして
極東軍事裁判で前に座っている東條英機の頭を叩いたというのがあります。(ウチの亡くなった親父がこのエピソードをよく語っていました)
コチラの映像がその時のものですが、こういった法廷での奇行もあって、精神異常であると判断され、A級戦犯でありながら処刑を免れたという、なかなかな人物です。
戦争協力者を賛美する気はさらさらありませんが、郷土の歴史の中では、人間として興味のある人物であることは確かだとワタシは思います。
こういう人たちが出たのも、風土でしょうか。
リヤカーを引く大山倍達にも、驚かされます。
そんなこともあって、大山倍達とのエピソードを知った時は驚いたものでした。(しかも酒田ですし)
城下町だった鶴岡と、商人の町だった酒田の気風の違いは語られることが多いんですが
この二人は共に一本筋の通った人物という点で共通しているんでしょうか。
それにしても、酒田の人さんの郷里の方々だったのですね!
時代が時代で、結果論なら誰もが口にできますが、実際にその場に立たされた者にとっては、理不尽な選択もしなければならない時もあったと思います。この時代の方々からは、気骨を感じます。
活躍した時代が時代なだけに、故郷の偉人という形では語れないんですが
歴史に名を残した気骨ある郷土の出身者として忘れてはならないんだと思います。