今日も、膝の故障を気遣いながらウォーク&JOG。寒くなりつつある
朝、若干布団の温もりが恋しくなって来たけど、まだ散歩する気力が
勝っている。しかし、故障が完治するのか、また再発するのか、この
まま走れなくなるのか内心心配でしょうがない。とは言え、悩んでいて
も始まらないのでリハビリ程度のJOGを繰り返している状態だ。
信太山クロスカントリー大会の創始者、堀尾正明氏の記念碑!それは、
旧藤沢会館の正門横にひっそりと立っている。調べるとこんな歴史が・・・
「故堀尾正明氏(1912.12.4~1959.12.4)は、学生の頃から陸上競技選手
(長距離ランナー)として活躍。戦前の明治神宮競技大会(現在の国体)
でも輝かしい成績を残し、大阪アスレチッククラブ役員、日本陸上競技
連盟終身審判員でもあった。第一線をひいてからは、審判や監督として
後進を指導し、オリンピック選手育成を目標に、昭和22年現在の大会の
基となる「第1回泉北山野横断郊競走クロスカントリー大会」を実施し、
昭和29年第1回信太山クロスカントリー大会を創設した。」
・・・ということだ。
へエ~!そんなに歴史のある大会なんだ! 大会参加を決め走り出した。
走る事の楽しみのきっかけとなった本大会。是非とも故障を完治させて
完走したいものだ。
信太山野外活動センター(旧藤沢会館 正門)付近
朝、若干布団の温もりが恋しくなって来たけど、まだ散歩する気力が
勝っている。しかし、故障が完治するのか、また再発するのか、この
まま走れなくなるのか内心心配でしょうがない。とは言え、悩んでいて
も始まらないのでリハビリ程度のJOGを繰り返している状態だ。
信太山クロスカントリー大会の創始者、堀尾正明氏の記念碑!それは、
旧藤沢会館の正門横にひっそりと立っている。調べるとこんな歴史が・・・
「故堀尾正明氏(1912.12.4~1959.12.4)は、学生の頃から陸上競技選手
(長距離ランナー)として活躍。戦前の明治神宮競技大会(現在の国体)
でも輝かしい成績を残し、大阪アスレチッククラブ役員、日本陸上競技
連盟終身審判員でもあった。第一線をひいてからは、審判や監督として
後進を指導し、オリンピック選手育成を目標に、昭和22年現在の大会の
基となる「第1回泉北山野横断郊競走クロスカントリー大会」を実施し、
昭和29年第1回信太山クロスカントリー大会を創設した。」
・・・ということだ。
へエ~!そんなに歴史のある大会なんだ! 大会参加を決め走り出した。
走る事の楽しみのきっかけとなった本大会。是非とも故障を完治させて
完走したいものだ。
信太山野外活動センター(旧藤沢会館 正門)付近