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松本屋 ー 法隆寺の名物うどん「柿ざるうどん」をいただきました。 ー

2021年06月13日 | 奈良県(餺飥うどん・巾着うどん・その他)

この日、晴天の中でJR法隆寺駅を訪ねました。

SNS限定記事を読んで下さった方はご存知の事と思いますが、

晴天のこの日から遡ること3日前、奈良県では雨が降っていました。

その雨の中を、私は法隆寺に訪れて、何もかもうまく行かずに帰宅しています。

今回はそのリベンジで法隆寺を訪れたのです。

この日はうどんを食べるために2軒のお店を訪問。

そのうちの1軒が、前回紹介した「うどん一燈照隅」さん。

あともう1軒が↓↓こちらの「松本屋」さんです。

法隆寺の門前にお店を構え、飲食コーナーとお土産販売コーナーを設けているお店です。

一燈照隅さんへ行く前に、こちらのお店を訪ねました。

お店は、観光バスで来られるお客さんを、容易に迎い入れることが出来るほどの、

大箱なお店です。

ネットでリサーチしたところ、開店時刻は午前9時からとなっていました。

当初私は開店時刻に訪ねたのですが、店内には人影も無く、照明も消えていました。

コロナの影響で臨時休業かな?と思ったのですが、それを告げる貼紙が無い・・・。

疑問に思いながらも、仕方ないので法隆寺を参拝しに行きました。

1時間ほど法隆寺を参拝して、再びお店に戻ると暖簾が出ています。

理由は分かりませんが、どうやらこの日は10時開店のようでした。

とりあえず私は、ホッと胸をなでおろし店内へ。

開店準備をされているスタッフに「うどんは出来ますか?」と訊ねると、

「うどんなら大丈夫ですよ。どうぞ。」との返答。

再びホッと胸をなでおろしました。(^-^)

開店直後なので、店内は私の貸切状態です。

4人掛けのテーブルに座り、早速メニューを拝見。

↓↓メニュー

事前に法隆寺名物の「柿ざるうどん」を食べようと決めていたので、それを注文。

しばらく待って運ばれて来たのが↓↓こちら。

柿をイメージして、ざるうどんの上部は柿の葉に見立てた緑色の麺。

その下は柿の実に見立てた柿色の麺で、ざるに盛られています。

いかがでしょうか?

柿に見えますか? (^-^)

麺は自家製麺ではなくて製麺会社へ特注されているとの事です。

お土産用のうどんとして販売されている麺です。

もちろん柿にこだわっていて、緑の麺は柿の葉が使われていますし、

柿色の麺は、柿の実をペースト状にして麺に混ぜ込まれています。

さっそく食べてみますと、

柿色の麺ですが、特に柿の風味を感じ取る事は出来ませんでした。

ただ、まろやかな甘さを感じる麺です。

緑色の麺も甘さがあり、ほんの少し渋味も感じます。

あと、緑色の麺では微かに柿の風味を感じました。

気のせいと言われれば、それまでですけど・・・(^▽^;)

麺の食感は、ざる蕎麦を食べているのとほぼ同じ食感です。

ただ、蕎麦よりは、若干、喉越しが良いのではいかと思いました。

麺つゆは鰹出汁をベースにしているようですけど、醤油が強く感じられました。

こういう麺つゆには、うずら卵とワサビが良く合います。(^-^)

松本屋さんの「柿ざるうどん」、

法隆寺を訪れた土産話として、食べてみるのは有りかと思います。(^-^)

さて、ここからは法隆寺でのお話になります。

松本屋さんで「柿ざるうどん」が販売されるきっかけになったのは、

正岡子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句があったからです。

その句碑が、法隆寺の境内にある鏡池の傍らに建っています。

正岡子規の筆跡で刻まれた句碑には、

「法隆寺の茶店に憩ひて 柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と刻まれています。

明治28年10月、奈良県を旅行していた正岡子規が、法隆寺に立ち寄った際、

この句碑の建てられている場所に茶店があったそうです。

そこで柿を食べている時に、この句を詠んだとされています。

ただ、21歳の頃から患っている結核の影響により、

法隆寺を訪ねようとした当日は体調がすぐれず、

結局、法隆寺へ訪れる事は出来なかったという説もあります。

でも、個人的には法隆寺を訪ねたものと信じています。

正岡子規は「柿くへば・・・」の他に、

「行く秋を しぐれかけたり 法隆寺」という句も遺しているからです。

「柿くへば・・・」の句ですが、

その背景にあるものは法隆寺ではなくて、東大寺とされています。

実際、法隆寺へ訪ねる前日に、子規は東大寺の近くで宿を取り、

そこで御所柿を食べています。

柿好きの子規にとって、まだ食べた事のない御所柿を食すのは、

とても楽しみにしていた事だったそうです。

正岡子規の随筆「くだもの」には下記のエピソードが記されています。

「柿も旨い、場所もいい。余はうっとりしているとボーンという釣鐘の音が聞こえた。」

この中の「釣鐘の音」が東大寺の鐘の音です。

「柿くへば 鐘が鳴るなり 東大寺」が本当だったかも知れません。

ただ、法隆寺を訪ねた子規が、斑鳩の里の何かに感動して、

「東大寺」よりも「法隆寺」の方が、この句には良いと思ったのかも知れませんね。

あと「柿くへば・・・」の句には、

正岡子規の盟友である、夏目漱石への感謝の念が込められているとも言われています。

「柿くへば・・」の句が詠まれる2ヶ月前、

漱石が次の句を詠んでいます「鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺」と。

漱石が鎌倉の建長寺を訪れた際に詠まれた句です。

「柿くへば・・・」と似ていますよね。

正岡子規と夏目漱石は大学生の頃からの盟友で、

子規が療養の為に愛媛県松山へ帰郷した際、当時、教師として松山へ赴任していた漱石と、

同じ下宿先で居隅し、その時に随分と漱石の世話になっていたそうです。

正岡子規が東京へ戻る時も、漱石がお金を工面したそうです。

この東京へ戻る時に奈良県を旅行されたのです。

正岡子規は夏目漱石の事を片時も忘れる事は無かったと思います。

東大寺で鐘の音が聴いた時に、漱石の「鐘つけば・・・」の句を思い出したのでしょう。

その句をオマージュして「柿くへば・・・」の句が誕生したものと思われます。

「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は、

正岡子規と夏目漱石の友情の句なんだと思います。

奈良県の旅行から7年後、享年34歳の若さで正岡子規はこの世を去りました。

正岡子規が亡くなった日、漱石はロンドンで留学されていました。

子規の訃報を聞き、深く悲しんだそうです。

友情は四季のようなものだと私は思います。

春のように温かく

夏のように熱く

秋のように深く

冬のように厳しい

そういう感情で繋がっているのが友情だと思います。

正岡子規と夏目漱石は、きっとそういう感情で結ばれていたと、そう思うのです。

 

松本屋
〒636-0116 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1丁目6−4

 



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