HIROの のはらうた

2012/7/31からブログを始めました。

25/3/5 大阪歴史博物館

2025-03-05 | 本・映画・能楽・美術館など
雨予報なので大阪城の近くの歴史博物館へ。

10F「古代フロア・体感!大極殿」からの眺め
難波宮跡…大極殿跡が見えます

大阪城も

古代から現代までの盛りだくさんの展示を、一つ一つ見て解説を読んでいたら、くたくたになりましたが、どれも興味深くて勉強になりました。

もう一つ美術館へ行く予定でしたが、頭がいっぱいになったので、次の機会に…。

25/2/25 翔ぶが如く【九】📕司馬遼太郎

2025-02-25 | 本・映画・能楽・美術館など
熊本をめざして進軍する政府軍を薩軍は田原坂で迎えた。ここで十数日間の激しい攻防戦が続くのである。…

田原坂から後退し、熊本からも退却し、人吉へ。

警視隊
薩軍がもし最初から熊本城を黙殺して一路豊後を衝き、小倉城をおとして連隊の兵器爆弾をうばっていれば、らくらくと成功したに相違なく、あるいは歴史が変わっていたかもしれない。

衝背軍
まことに上代の隼人が翔ぶがごとく襲い、翔ぶがごとく退いたという集団の本性そのままをひきついでいるかのようである。

西北の崩れ
これは軍隊間の戦争といういうより、薩軍の場合は宗教一揆に酷似していた。

熊本を去る
会津人のかれにとっては幕末の西郷は政治的詐欺師であり、戊辰戦争の西郷は関ヶ原の恨みを報じようとする藩人的感情のみの存在であり、革命家としての普遍的な理論や感情など持ちあせていない男であった。

翔ぶが如く戦い、翔ぶが如く退いていく様子が描かれていました。
あと1冊…。

25/2/23 翔ぶが如く【八】📕司馬遼太郎

2025-02-23 | 本・映画・能楽・美術館など
明治十年二月十七日、薩軍は鹿児島を出発、熊本城めざして進軍する。

圧倒的な士気で城を攻めたてたが…

人馬
西郷は、暴発には賛成でなかった。…西郷は暴発は、やめよ、ということは言えたはずだが、本来、人望好みの性格と、幕末戊辰にかけてかれらに生死の堺をくぐらせたという借りの意識が休むよとは言いがたくさせていたのかもしれなかった。

雷発
西郷と薩軍の作戦案は、いかなる時代のどのような国の歴史にも例がないほと、外界を自分たちに都合よく解釈する点で幼児のように無邪気で幻想的で、とうてい一人前のおとなの集まりのようではなかった。…昭和期に入っての陸軍参謀本部とそれをとりまく新聞、政治家たちがそれであろう。

炎上
ながい日本歴史のなかで、一人の人間が、地元のあらゆる階層から個人崇拝をうけたという例は、加藤清正と西郷隆盛以外にはちょっと考えられない。

野の光景
山鹿千軒といわれる。
この里はまわりに低い山々をめぐらしている。…小さな平野をなしている。…
町には、三ヶ所からさかんに温泉が湧いている。
…熊本共同体の本営は、桜井屋という旅籠に置かれた。

2023年に阿蘇の山々を登りに出かけたときに訪れた熊本城、山鹿温泉、、を思い出しながら戦いの様子や町の光景を想像しました。
登場人物が「坂の上の雲・日清日露戦争」に繋がっていきます。

25/2/20 翔ぶが如く【七】📕司馬遼太郎

2025-02-20 | 本・映画・能楽・美術館など
1876年10月24日神風連の乱、1876年10月27日秋月の乱、1876年10月28日萩の乱等、士族達の不満が爆発する。
そして1877年2月、西南戦争が始まるまで。

衝撃
「国家」はまだ成立せず、太政官と反対勢力はぎりぎりのところ同水準のものであり、太政官に属する官僚群も、一種私党のにおいを持っていたことがわかる。

西郷の革命家としての欠陥は、その師であり旧主である島津斉彬のようには近代産業についての理解がとどかなかったことにあるであろう。しかし農政と農民の暮らしについては、おそらく維新のどの革命家よりも体で知りぬいているようなところがあった。

西郷の下山
反するも誅せらる。反せざるも誅せらる。如かず、大挙して先発せんと。

鹿児島異人館
戦略もなく、西郷その人の世間像がかれらの戦略のすべてであった。

貴雄丸
幕末の西郷とちがい、いまの西郷は、人に擁せられてしまっているのである。幕末の西郷は高度的な政略家であったが、いまの西郷は多人数の象徴になってしまっている。

西郷はどんな思いで「この身をあげもそ」といったのか、BS「英雄たちの選択」でのいつものフレーズ「心のうちに分け入ってみよう」が、浮かんできました。

25/2/18 一日一生📕酒井雄哉・天台宗大阿闍梨

2025-02-18 | 本・映画・能楽・美術館など
gooブログで知った本、またまた「翔ぶが如く」を一旦置いて読んでみました。

「一日を一生のように生きよ、明日はまた新しい人生」。『一日一生』は、現代の”いき仏”と称される酒井雄哉・大阿闍梨の慈雨の言葉集。酒井氏は40歳で仏門に入られました。7年間にわたって行われる過酷な修行である千日回峰行を53才と60歳で2度も達成されています。

千日回峰行、最初は一日三十キロ、六年目になると一日六十キロ歩く。七年目は一日八十四キロ歩く。…長い道のりもちょっとずつ頭の中で区切りながら歩いて行くと、いつの間にか終点についちゃうんだ。

自分なりに腑に落ちると、人はついそこで考えるのをやめにしちゃう。でも答えが分からないといつまでも考えるだろう。肝心なのは答えを得ることじゃなく、考え続けることなんだな。

何かを置き忘れているような気がしたら、少しずつでいいから、歩いてみるといい。歩くことが何かを教えてくれるよ。

回峰行などでひたすら歩くのは、歩きながら坐禅をしているのと同じ、「歩行禅」といわれるものだ。歩く中で何かを思いついたり、知恵が生まれたりする。…
自分自身が感じて味わって初めて本当の意味で「知る」ことができる。

腹が立ったら、ちょっと引いて自分で自分に問うてみるといい。それは執着ではないかなって。…手放してみたら、案外さっぱりして、気持ちが楽になるかもしれないよ。

生きていると三つの要素がある。呼吸することと、体を動かすこと、そして心に思うこと。…三つあって初めて支えられるんだな。

一日一日、新しい人生を生きていけばいいんだよ。
無理せず、急がず、はみださず、力まず、ひがまず、いばらない…穏やかな気持ちでもってな。

すごい方だなぁ、と思いながら本を読み終えました。
その後、BS「英雄たちの選択 本田宗一郎 イノベーションで世界を目指せ!」の録画を見たら、またすごい生き方で…さらに感動しました。。

2/2/16 翔ぶが如く【六】📕司馬遼太郎

2025-02-16 | 本・映画・能楽・美術館など
台湾撤兵以後、全国的に慢性化している士族の反乱気分を、政府は抑えかねていた。…

明治九年、新風連ノ乱まで。

流説の巷
野党の色合いには、封建党もあれば民権党もある。また肥後の学校党のような国権党もあれば、同じく肥後の新風連のような国粋党もある。それらの背景には、封建的特権をうばわれた士族の不満が、全国の各県各郡に充満している。

明治八年九月、江華島事件
明治九年二月、朝鮮にとっての不平等条約…朝鮮が各国に対して門戸をひらくもとにはなった。

鹿児島へ
維新というのは一面において強烈な復古的性格をもっていたが、ひとつには幕末に平田国学系の志士が小さいながらも討幕の努力をなし、それが維新政府に入って神祇官を構成したということもあったであろう。かれらは、仏教をも外来宗教であるとし、鳥羽伏見ノ戦いが終わって二ヶ月後に、政府命令として廃仏毀釈を推進した。
平田国学…復古神道を唱えた思想

蜂起
新風連ノ乱は日本における思想現象のなかで、思想が暴発したという点では明治後最初のものであった。

維新は士族だけでなく「庶人」とよばれる農商階級にも多くの不満をもたらしたが、そのなかでもっとも大きい不満は徴兵令であった。

いろんな出来事や人が、横にも縦にも広がりつながっていくのが面白いです。

25/2/12 翔ぶが如く【五】📕司馬遼太郎

2025-02-12 | 本・映画・能楽・美術館など
台湾出兵の後始末をするために明治七年、大久保利通は北京へ。

北京の日々
他国の領土の島に、他国の人民を懲らしめるべく、その国の了解も得ず、いきなり軍隊を派遣しているのである。それをその国に謝りにゆくのでなく、逆に抗議にゆき、さらにこの出兵につかった金を賠償せよ、というのは虫がよすぎるであろう。海賊行為である。…

壮士
維新の成立は、外圧による。まわりが海である日本は、ちょうど砂漠の真っ只中にある都市国家に似ている。それを、敵が包囲した。敵は欧米勢力という巨大なもので、ひたひたと城壁のそとをかこんだとき、市民に防衛上の大緊張(攘夷熱)がうまれ、これによって防御の担当能力を欠いた幕府が倒された。代わって太政官政府が成立した。
要するに、この革命は、外圧を撥ねかえそうとするきわめて武断的なエネルギーによって成立したものであった。

明治八年・東京
もし、幕末にルソーの思想が入っていたとすれば、その革命像はもっと明快なものになっていたにちがいない。中江兆民という存在が、十五年前に出ていれば、明治維新という革命に、おそらく世界に共通する普遍性か付与されたに違いない…。

「人間は、原始時代には自由で平等だった」という、ルソーの巨大な前提を兆民はくりかえし話した、…
その人間固有の権利を回復する方法が『民約論』の本旨である。

勉強になりました。。

25/2/8 翔ぶが如く【四】📕司馬遼太郎

2025-02-08 | 本・映画・能楽・美術館など
朝は雪が積もっていました❄️❄️❄️
日向ぼっこしながら、読書。

佐賀ノ乱から征台論、台湾出兵まで。

私学校
…いざ革命に成功してみれば、…西郷にとっては化物のような資本主義だったということが、西郷の無知というものだったし、悲劇であったといっていい。

長崎・台湾
維新前の西郷は革命の主勢力である薩摩藩の陰の指導者であった。それが、維新後、藩というわくをのりこえて、日本を覆うほどの巨大な像になった。

征台の一件は日本史上の最大の珍事件といっていい。
兵力三千余という遠征軍を出すのに、在外公館に報せないというのはまだいいとして、国民にも公示せずに夜盗のように船を仕立ててこっそり出てゆくなど、近代国家としてありうるべきことではない。

官製の倭寇といっていい。
この種の軍隊使用のやりかたは、のちに体質的なものとして日本国家にあらわれる。…陸軍参謀本部は統帥系という奇妙なものを常時「勅令」として保有し、軍隊使用は内閣と相談せずにできるという妄断をもってたとえば満州事変をおこし、日華事変をおこし、かたわらノモンハン事変をおこしてそのつど内閣に事後承認させ、ついには太平洋戦争をおこす道をひらいて国家を滅亡させた。

征台論、台湾出兵は初めて知りました。
西郷と薩摩藩がいかに新政府から恐れられていたのか、がよくわかりました。

25/2/5 翔ぶが如く【三】📕司馬遼太郎

2025-02-05 | 本・映画・能楽・美術館など
明治六年の廟議は、征韓論をめぐって激しく火花を散らした。そして西郷は敗れた。薩摩へ帰る彼を慕い、薩摩系の士官たちは陸続として東京を去ってゆく。
内戦の不安は、いまや現実となった。

右大臣
西郷の考えが正論ならば熟するまで待つはずであり、かれがそれをせずにあくまでも息せき切るようにして事を急いでいるのは、公人としての理性ではなく、私人としての事情や感情によるとみた。

西郷はじつはこの玄関を出たとき、自分の政治的敗北を心中認め、すべてをすてて故郷に帰ることを決意していたのである。その決意の中で岩倉の踏ン張りを劇中の人のように鑑賞してほめあげたという点はいかにも西郷の香気がある。西郷はその香気でもってその追随者を魅了してきた人である。

25/2/3 五葉のまつり📕今村翔吾

2025-02-03 | 本・映画・能楽・美術館など
この本もいつ予約したのか、順番がくるのを楽しみにしていました。 

戦だけが闘いの場じゃない。命と矜持を賭けた任務への挑戦が今、始まる。
五奉行と呼ばれた石田三成、増田長盛、浅野長政、中長束正家、前田玄以の物語。


北野大茶会、刀狩り、太閤検地、大瓜畑遊び、醍醐の花見を五奉行がどのようにして成し遂げたのか、が興味深く描かれていました。
ドラマで見る奉行のお仕事とは違う苦労や知恵、行動力に驚きました。

刀狩り
刀を狩るためには、心を狩るか。…
「刀狩り」は反乱の防止という意味もあるが、きたる泰平に向けてどうしてもやらなければならなかったのだ。

醍醐の花見
「葉…か」
花を愛でる人は多いが、葉を眺めようとする人は少ない。だが誰が見ずとも葉は生い茂り、やがてひっそりと身を引き、再び花が咲き誇るのだ。人々の笑いを咲かせるため、誰に顧みられずとも働き続ける。
「奉行とはかようなものかと」

…成すべきことの為に出逢う。これもまた人というものではないか。

25/1/30 クスノキの女神📕東野圭吾

2025-01-30 | 本・映画・能楽・美術館など
予約してから半年は過ぎるでしょうか。
やっと順番がきました。
「翔ぶが如く」を読み始めているので、どうしようか、と迷いましたが、「翔ぶが如く」を一旦おいて読んでみました。

良かったです。

クスノキの女神が少年にどんな未来を見せるのか…

未来を知ることよりも大事なこと、それは、今がどうかということです。
 
「…お袋、今日、生きているだけで十分に幸せなんだよってな。本人に伝わるかどうかはわからんが」
 
千舟さん、あなたの物語です…。

大切なのは今。
涙がこぼれました。

25/1/29 翔ぶが如く【二】📕司馬遼太郎

2025-01-29 | 本・映画・能楽・美術館など
西郷=征韓論派、大久保=反征韓論派、木戸、さらには板垣、副島も反征韓論側に…

好転
かれ(西郷)はこの当時における征韓論の代表的人物とされていながら、かれ自身、征韓とか征韓論とかいう時代の流行語を一度もつかったことがなかった。「遣韓」と、かれはいった。

「朝鮮の頑迷を洞開せねばならぬ」というのが西郷の遣韓大使としてゆこうとする理由であった。朝鮮がロシア領になってしまえば地理的に近い日本は軽くてもその准属邦の位置に堕ちこむおそれがある…

日本に貴族をつくって維新を逆行せしめ、天皇を皇帝のごとく荘厳し、軍隊を天皇の私兵であるがごとき存在にし、明治憲法を事実上破壊するにいたるのは、山県であった。

廟堂
西郷のもくろみはまず渡韓して自分が死ぬ、…

秋の霜
西郷の征韓論の巨視的展望には、朝鮮そのものに最終目標はなかった。それはロシアにあった。ロシアの南下策のすさまじさを見ていて、早晩、これが日本の独立をおびやかすことを西郷は予見していた。

西郷が新政府内で征韓論をめぐり、対立し孤立していく様子が描かれていました。

25/1/24 翔ぶが如く【一】📕司馬遼太郎

2025-01-24 | 本・映画・能楽・美術館など
歴史の勉強のつもりで「翔ぶが如く」を読んでみることにしました。

征韓論から、西南戦争の結末まで新生日本を根底からゆさぶった、激動の時代を描く長篇小説全十冊。


明治初年の一年間は、古今、この国が経てきたいかなる時間よりも変化が激しく、洪水と大火と地震が一時に襲ってきたような観さえある。

桐野は、征韓論がいかに正義論であるかを語り、さらには天下の不平武士たちが、汚辱にまみれたいまの東京政府をいかに激しく呪っているかを説き、政府に対してもはや蜂起寸前の情勢にある、といった。それを征韓によって一挙に解決しようというのが桐野の意見である。…

そういう民族的情熱の維新後最初の戦慄が、征韓論であった。

…スイスは日本の九州ほどの一小国であるが、大国の間にあって確固たる独立をとなえている…「なぜといえば、ただ国人(スイス人)の勉強にあり…」ここでいう勉強とは、国防と外交についての国を挙げての懸命さという意味である…
こういう大山が、対アジア戦を展開しようという征韓論に加担しなかったのは当然だったかもしれない。

西郷隆盛、島津斉彬、、登場人物がとても興味深く描かれています。