1876年10月24日神風連の乱、1876年10月27日秋月の乱、1876年10月28日萩の乱等、士族達の不満が爆発する。
そして1877年2月、西南戦争が始まるまで。
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衝撃
「国家」はまだ成立せず、太政官と反対勢力はぎりぎりのところ同水準のものであり、太政官に属する官僚群も、一種私党のにおいを持っていたことがわかる。
薩
西郷の革命家としての欠陥は、その師であり旧主である島津斉彬のようには近代産業についての理解がとどかなかったことにあるであろう。しかし農政と農民の暮らしについては、おそらく維新のどの革命家よりも体で知りぬいているようなところがあった。
西郷の下山
反するも誅せらる。反せざるも誅せらる。如かず、大挙して先発せんと。
鹿児島異人館
戦略もなく、西郷その人の世間像がかれらの戦略のすべてであった。
貴雄丸
幕末の西郷とちがい、いまの西郷は、人に擁せられてしまっているのである。幕末の西郷は高度的な政略家であったが、いまの西郷は多人数の象徴になってしまっている。
西郷はどんな思いで「この身をあげもそ」といったのか、BS「英雄たちの選択」でのいつものフレーズ「心のうちに分け入ってみよう」が、浮かんできました。