森博嗣さんの本をしばらく読まないと、考えることをさぼってしまいます。
夢?
目標はあるけど夢は何だろう…から考えました。
自分の趣味的な楽しみであっても、それを本当に楽しんでいる人は、けっして飽きることがない。楽しめば楽しむほど、もっと楽しいことが現れる。毎日が発見の連続で、つぎからつぎへと新しい楽しさが生まれてくるのだ。
この真の楽しみを知っている人の夢は、自分が見る夢である。明確な目標があるし、それが実現することの楽しさを想像するだけで笑みが零れる。また、その目標に向かって道を進むだけでもの凄く楽しい。生きていることが、すなわちその楽しさのためである。
今日、あなたは夢のために何をしたか?明日は何をするのか?
体調が良いときも悪いときも、一歩でもよいから前進する。何ができるのかを考え、考えたことを順番に実行に移す。
なんでも良いから、まず始めてみることだ。たとえ方向性が間違っていても、まったく駄目になるわけではない。身につくものがあるし、そして視野が以前とは異なっているからだ。
敏感であること。
広く情報を求め、内容の近そうな本を読み、ネットでいつも検索して、探し続ける姿勢が大切だと思う。
こうすればこうなる、あれをすればきっとああなる、というように、因果関係を結んでいく行為は、知的好奇心を刺激するし、そのようなリンクを張り巡らすことが知性でもある。
「夢」を持っていることは、非常に経済的だといえる。節約がいくらでもできる。節約しているという感覚さえない。金欠であったとしても、夢のために我慢しているのだ、と思えば平気だ。
生きる「支え」がある。「夢」は、「金」よりもずっと頑丈で、しかもけっして減らない支えなのだ。
夢の詳細は、自分の中に仕舞っておけば良い。自分でさえ、まだその実像が見えていないことだって普通だろう。ぼんやりしか見えなくても、そちらへ行けばもっと楽しいことがあるはずだ、と匂う。それが夢というものである。