小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

総選挙を考える① メディアを混乱させたのは「解散の大義」か? それとも前原・小池両氏の誤算か?

2017-10-07 14:51:52 | Weblog
 ようやく主要政党のマニフェストが出そろい、選挙活動も本格化してきた。今回の解散・総選挙ほどメディアを混乱させたケースは、過去にはなかったと言ってもいいだろう。最初にメディアを混乱させた原因は、安倍総理が主張した「解散の大義」にあった。
 安倍総理は当初、解散に当たって「消費税の使途の変更」を大義にしようとした。その後、「大義」は二転三転するのだが、5日夜の民放の報道番組に出演した安倍総理は依然としてこの「大義」の正当性を主張していた。「前回も消費税延期をするにあたって、国民に信を問うべきだと考えて解散した。法律で明記されている消費税増税時期は2年後だが、増税分の使途を変更する場合、やはり国民に信を問うべきだと考えて解散することにした」と。
 こういうのを日本語では「詭弁」という。1年後には衆議院議員は任期を終える。否応なしに総選挙を行わなければならない。そのときに消費税増税分の使途を争点にしても十分間に合う。
 そのためメディアも混乱した。「2年先に、消費税増税が出来る経済環境にあるという保証はない。法律を変えて、増税時期を再延期せざるを得ない可能性も低くはない。増税分の使途を、いま決める必要などないのでは…」
 「大義なき解散」という定義がこうして生まれ、メディアも野党も喧伝した。さらに「総理の専権事項」とされる「解散権」についての疑問が、メディアから噴出した。こうした経緯について私がこれまでブログで書いてきたことを中心に、改めて整理しておきたい。

 まず「大義のない解散」はあり得ない、ということを私はしつこく書いてきた。あり得ないから安倍総理は2年も先のどうなるかわからない消費税の増税分の使途を国民に問うという「大義」を無理やり作ったというわけだ。
 はっきり言って解散が「総理の専権事項」である以上、総理が政権にとって最も有利な状況のときに、その「権利」を行使するのは当たり前である。もちろん例外もあり、自民・麻生氏や民主・野田氏のときのような「追い詰められ解散」もないわけではない。この二つのケースはいずれも政権交代に至っている。安倍総理が、この時期解散に踏み切った最大、というより唯一の理由は「いまなら選挙に勝てる。勝てば、死に体に近くなりつつある『安倍一強』体制を復活させることが出来る」という読みだ。つまり「解散ありき」の解散劇がこうして幕を開けた。
 ただ、そうした本音をむき出しにした解散が、いくら総理の「専権事項」といっても出来るわけではない。それなりに「解散のための口実」を、こじつけでもいいから作る必要がある。こうしてなけなしの知恵を絞って「創り」出したのが、「増税分の使途変更」だったのだ。
 メディアが混乱したのは、「大義になりうるか」ということと、「大義がない」ということを同一視してしまったことによる。
 実は前回14年11月の解散劇も、当初、安倍総理は解散の「大義」として「消費税増税の延期」を打ち出していた。「野合政党政権」だった民主党が、短期間で総理が鳩山・菅・野田と入れ替わり立ち替わりになり、結局何も決められず自公との「3党合意」(社会保障と税の一体改革の実行)を条件に政権を自公に「譲渡」するための解散に追い込まれたいきさつがあり、安倍総理としては「消費税増税の延期」を「大義」に解散すれば民主党が反対して十分選挙の争点になると読んだのだろう。が、当時の経済情勢から、民主党も消費税増税時期の延期に異を唱えることがなく、急きょ安倍総理は「大義」(つまり解散を正当化するための口実)を変えざるを得なくなった。そのときの解散劇について私のブログで検証する。まず解散の「大義」が変わることを確信した私は安倍総理の記者会見が行われる日(18日)の朝、このような記事を投稿した。
 「今日安倍総理は解散を宣言するようだ。『早まった』と後悔しているかもしれないが、ここまで来たら解散風を止めることは総理にも出来まい。『争点なき選挙』といわれてきた12月総選挙だが、アベノミクスの総括が最大の争点になることは必至だ。(中略)『争点は生じたが、選択肢がなくなった総選挙』と私は定義する」
 21日に投稿したブログの冒頭で、私はこう書いた。
 「安倍総理は解散表明後の記者会見でこう述べた。『今回の選挙で自公が過半数を取れなければ、アベノミクスが国民から否定されたことを意味する。私は直ちに退陣する』と(18日)。つまり与党が過半数を獲得すればアベノミクスは国民から支持されたことになる、といいたいようだ」
 安倍総理はモリカケ疑惑が浮上した時も「もし私や私の妻がかかわっていたら総理を辞めるし、国会議員も辞職する」と国会で答弁した。そんなに辞めたかったら、さっさと辞めればいい。誰も止めやしないよ。
 実はこの時期消費税増税の時期について、朝日新聞が奇妙な報道をしていた。それも27日に投稿したブログで検証しておく。
 「朝日新聞が社説で社会福祉政策を後退させないためにも、一時的には国民が痛みを受けても来年10月に消費税を増税すべきだと主張したことがあった(11月3日)。が、10日ほどたって、読者の投稿欄『声』に『大学講師』なる人物の社説批判の『投稿』を掲載し、その批判に応じるような形をとって増税強行主義をなし崩し的に転換しだした。(中略)社説に対する批判投稿を10日も経ってから、あえて『声』欄に掲載して社説の主張を転換することは、メディアとしては通常ありえない。私は『投稿』そのものに疑問を持っている。はっきり言えば『社内投稿』ではないかと…」
 
 政治家も平気で「大義」を転換すれば、メディアも平気で主張を転換する。これで有権者が混乱しなかったら、日本人はよほどの「ノー天気」と思われても仕方がない。
 『歴史は繰り返す』
 今回の解散・総選挙が前回を上回る体たらくになったのは、安倍総理が解散の「大義」を二転三転したことにもあったが、その原因は小池新党の旗揚げと、前原・民進党の「アベ打倒」という一点で小池新党への「合流」作戦の誤算、そうした政局に振り回されメディアの混乱による。
 若狭氏が自民を離党して新党(「日本ファーストの会」)立ち上げに動いたのは、間違っていたとは思わない。最低でも5人以上の参加者は集められるという確信があったからだろうし、それはそれでじっくり新党を育てていけばいいと私は思っていた。
 が、民進党代表の前原氏と気脈を通じていた細野氏や長島氏が若狭新党に加わることになって、政局が大きく動き出した。
 9月25日、小池都知事が記者会見を開き、自らが代表を務める新党「希望の党」構想をぶち上げ、27日には若狭新党が母体になって「希望の党」の旗揚げを正式発表するに至った。
 小池・前原会談が極秘に行われたのは26日の夜。この会談に連合の神津会長も立ち会ったとされている。この極秘会談を小池側が持ちかけたのか、前原側が持ちかけたのかはわからない。が、この会談で両者の認識に齟齬が生じたようだ。小池氏はこの会談で「民進党をすべて受け入れるつもりはない。公認申請者については希望の党側で選別させていただく」と明言したという。が、前原氏は「全員受け入れてもらえる」と思い込んでいた。そのため、「合併」ではなく、民進党が解散して全員が希望の党に「合流」することに小池氏と「合意」したと思い込み、民進党の両院議員総会で「名を捨てて実をとる」と自らの独断を正当化したと思われる。そう考えないと、生まれたばかりの吹けば飛ぶような小政党に、野党第1党の民進党が「対等合併」すらできない「合流」を受け入れたことは、ちょっと考えにくい。
 両者の認識の齟齬はともかく、このトップ会談で小池氏は完全に舞い上がってしまった。「国政を動かせるほどの力を持つようになった」と、錯覚したようだ。一方前原氏のほうも両院議員総会で「名を捨てて実をとる」とまで言い切って「民進党を解党して、希望の党に合流する」という方針を全員一致(? ※採決ではなく議員たち全員の拍手で、のようだ。議員たちは何も言える雰囲気ではなかったという)で承認を取り付けた手前、小池氏が記者たちの囲み取材で「全員を受け入れるのか」と質問されたのに対して「希望の党のほうで個別の選別する」と答え、さらに「前原代表との会談でもそのことは申し上げている」と、希望の党主導での「合流」であることを明確にした。
 この小池発言を知った民進党議員たちは疑心暗鬼に陥った。議員たちから詰め寄られた前原氏は「安倍政権を打倒するには選挙で1対1の構図を作らないと勝てない。自公与党勢力に対抗できる圧倒的勢力を結集することが重要だ。そのことは小池氏も了解しており、全員が受け入れられるように頑張る」と頭を下げた。
 もうこの時点で前原氏は政治家ではなく「政治屋」にすぎないことが明らかになったのだが、メディアは前原氏の変節にまだ気づかなかった。小池氏に手玉に取られた、ただの「お人好し」くらいにしか思わなかったようだ。だが、前原氏は代表選で枝野氏に勝った後、共産党との選挙協力について記者たちに「衆院選は政権選択の選挙だ。したがって選挙協力する場合、我々が勝った場合、連立政権を作ることを意味する。基本的政策で一致できない共産党との選挙協力は無理だ」と答えている。
 衆院選の位置づけは、確かに政権選択という意味を持つ。首班指名は参院でも儀式としていちおう行われるが、衆院の議決が優先するから、衆院選で多数を占めた勢力が政権の座に就く。そういう意味では前原氏の、共産党との選挙協力についての姿勢は基本的には正しい。が、安倍総理が「大義」そのものが問われる解散にこの時点に踏み切ったのは、モリカケ疑惑や稲田防衛相(当時)の国会答弁の問題(後述)で事実上「安倍一強体制」が崩壊しつつあった中で生じた米朝関係の悪化をことさらに強調することによって国民の危機感を煽り立て、メディアも読売や産経だけならいざ知らずNHKや朝日、毎日まで含めて一斉に「北朝鮮への圧力・制裁強化すべし」と主張して、日米協調を対北外交の基調とする安倍政権の姿勢を事実上支持したことで、9月に入って内閣支持率が一気に盛り返し、それを「一強復活」の絶好のチャンスととらえた安倍総理が仕掛けた大勝負が解散という「伝家の宝刀」を抜いた本当の理由である。
 実は安倍総理の「安保法制」にかけた執念を、メディアも国民も勘違いしていると思われるので、ここで明確にしておく。
 安倍総理がありとあらゆる屁理屈をこね、公明が主張した「緊急事態条項(我が国の存立基盤危機など)」の新3要件を丸呑みしてまで、集団的自衛権行使を容認する安保法制を成立させたのは、対米追随のためではない。
 集団的自衛権は、私が何度もブログで書いてきたように、国連憲章51条に規定された国連加盟国の「自衛のための権利」である。
国連憲章は、大原則として加盟国に「国際紛争の武力による解決」を禁じている。が、それでも加盟国が他国(加盟国とは限らない)から武力による攻撃を受けた場合は、国連安保理に紛争解決のためのあらゆる権能(石油や食料の禁輸などの武力行使を伴わない手段の行使、さらに原爆投下も含む武力行使)を付与している。
にもかかわらず国際紛争が生じた場合を想定して、安保理が紛争を解決するまでの間に限って「加盟国の自衛権行使」を容認したのが51条の「個別的または集団的自衛の固有の権利」である。国連憲章に51条が設けられた経緯(ここでは長くなるから触れない)や、「個別的または集団的自衛」という文章を素直に文理解釈すれば、「個別的」は自国の軍隊による反撃を意味し、「集団的」は密接な関係にある国(同盟国など)に自国防衛の応援を頼んでもいいよ、という意味にしか取れないことは火を見るより明らかなはずだ。
が、先の大戦後、米・旧ソが自国の支配下または同盟関係にある政権が、他国から武力攻撃を受けていないにもかかわらず、自国内の反政府勢力と武力衝突して窮地に陥った時に、その政権から要請を受けて行った軍事介入を「集団的自衛権の行使」と主張することで正当化してきた歴史的経緯がある。例えば朝鮮動乱やベトナム内戦へのアメリカの軍事介入、ポーランドやハンガリー、チェコスロバキアで生じた反政府運動への旧ソ連の軍事介入などが、そうした類の「集団的自衛権」行使だった。
こうした米ソ両大国における自己都合的解釈を丸呑みしてきたのが、従来の内閣法制局による「集団的自衛権行使」否定論だった。すなわち「自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある他国が攻撃された場合、自国が攻撃されたとみなしてその国を防衛する」集団的自衛権は、わが国にも「固有の権利として認められているが、憲法の制約によって行使できない」という、世界にも類まれな非文理的解釈である。
実は集団的自衛権論争が巻き起こっていた時期、私はそうした主張をもっと緻密に何度もブログで主張し、共産党なら私の主張を理解できるのではないかと期待して党政策委員会に電話したことがある。が、私が説明を始めた途端「何をバカなことを言っている。もっと勉強しなさい」とけんもほろろに電話を切られた。「思い込み」の恐ろしさを、この時ほど痛切に感じたことはない。
実は私のブログを読んだと思われる憲法学者が何人か、この時期、内閣法制局の「集団的自衛権解釈はおかしいのではないか」という主張を恐る恐る始めた。「国連憲章51条は、あくまで自衛のための武力行使について認めた加盟国の権利であり、他衛権の容認ではない」という、私が日本でおそらく初めて言い出した主張のパクリである。
ま、私の主張をいくらパクってくれてもいいが、安保法制が違憲だと主張する場合、単に憲法9条2項の「交戦権はこれを認めない」に抵触するというだけでなく(それはそれで重要な指摘だが)、国連憲章が認めている「他衛権」の行使は、国連安保理だけの権能であることも明らかにしないと、「同盟国のアメリカが目の前で攻撃されているのに、自衛隊が指をくわえて見ているようなことになったら日米安全保障関係の根幹が崩れる」という安保法制容認論に抵抗できない。憲法解釈だけで安保法制に立ち向かおうとしても、無理がある。
 実は、このことは私も初めてブログに書くが、安倍総理の思いは単純な対米協調の深化だけではないような気がする。実際対ロ外交などでは、オバマ大統領時代から、アメリカの顔色ばかりうかがっての外交ではない。安倍総理は、彼なりに日本の国益を最優先した外交を行っているのではないか、と思える節がしばしば見受けられる。
 実際、安倍総理ほど、海外を飛び回り世界に日本の存在感を植え付けようと努力してきた総理は、かつていない。時には、日本産業界の営業本部長さながらの、海外への働きかけもしている。
 また沖縄への米軍基地の一極集中についても、彼ほど苦々しく、また屈辱感をかみしめている総理も、かつていなかったのではないかとさえ思える。安倍総理の安保法制にかけた執念も、日米関係を自分の時代に可能な限り対等な関係に近づけたいというのが、彼の胸の中の本当の思いではないかという気がする。彼の祖父の岸総理も、日米関係を対米従属から一歩でも対等な関係に近づけるために安保条約改定を強行した。岸氏の執念を隔世遺伝で受け継いだのが、安倍総理の対米政策の根幹にあるような気がしてならない。
 が、安倍総理の心情が仮にそうだとしても、私たちは重要な歴史的事実も直視しなければならない。
 それは、先の大戦以降、それまでのような他国に対する侵略戦争は世界中で一度も生じていないという事実である。唯一の例外といえば言えなくもないのが、フセイン・イラクによるクウェートへの侵攻だが、これはかつてヨーロッパ列強によって中東が分割支配されて、同じ民族が分断されたというイラク政府の主張にも一部の理があった。かつての植民地支配を目的にした、いわゆる「帝国主義」戦争は、先の大戦以降、完全に不可能になった。
 安倍総理は米朝関係の悪化に乗じ、かえってトランプ大統領をあおるような言動を弄して、政権への求心力を回復することに一時的には成功したかに見えるが、そうした言動が北朝鮮の反発を招き、かえって日本を危機的状況に陥れてしまったことに、早く気づいてほしい。
 実際、北朝鮮の「挑発」を口実に過剰なミサイル防衛体制を構築して、さらに北朝鮮の「対日敵視感情」をあおり、またそれを口実にさらなる軍事強化を図る…という悪循環に日本は陥りつつある。
 日本にとって最大の国益は、北朝鮮の金独裁体制を武力壊滅することではなく、米朝間の緊張をとき、日本国民が安心して暮らせる状態を回復することではないか。そのためには、安倍総理にはトランプ大統領との親密な関係をてこに、トランプ大統領に対して「北朝鮮を暴発に追い込むような挑発行為はもうやめてくれ。北朝鮮が暴発してもアメリカには被害はあまりないかもしれないが、日本と韓国は確実に大きなとばっちりを受ける。アメリカが北朝鮮に対して『これ以上の核・ミサイル開発は凍結するなら、アメリカも対北敵視政策を中断する』と呼びかけたら、北朝鮮は必ず交渉に応じる。北朝鮮にいま『核・ミサイルを放棄しなければ交渉に応じない』という頑なな姿勢を貫く限り、北朝鮮が暴発する危険性は高まるばかりだ」と、ひざ詰め談判で交渉することが、この地域の安全保障にとって最も有効な手段であることに早く気づいてほしい。
 また意外に思われるかもしれないが、安倍総理は歴代総理の中でもかなりリベラルな総理ではないか。実際、経済団体(経団連など)を相手に賃上げ交渉をしたり、非正規社員の正規社員化を促したり、また最低賃金の上昇率を正規社員のベースアップ以上にして、パート従業員の賃上げをバックアップもしてきた。現実にはパート労働力の需給関係によって、パート従業員の時給は大都市周辺では最低賃金をかなり上回る水準で推移しているが…。
 いずれにせよ安倍総理の功罪は、田中元総理と同様、いずれ歴史の検証対象になるだろうが、いま持たれている「タカ」派イメージは必ずしも妥当ではないと、私は思う。彼の政策を多面的に検証すると、タカ派的政策だけではなく、かなりリベラルな政策も実施しており、だから世論調査でもブレがかなり大きくなる。そのあたりを見極める必要がメディアにはあるだろう。

 「安倍論」はこのくらいにしておく。この時点で今回のブログの文字数は8,000字近くに達しており、この後はできるだけ端折って結論に導いていきたい。
 民進党・前原代表の、代表就任直後の野党共闘についてのスタンスの話に戻る。いったんは、市民連合主導の野党共闘(民進・自由・社民・共産)に否定的だった前原氏だったが、「そんな正論を言っていたら安倍政権を倒せない」という批判を党内から浴びて軌道修正を図りだす。で、市民連合主導の野党共闘路線への歩み寄りの姿勢にいったん転換するが、希望の党の出現で「立ち位置」を大きく変える。
 とくに都議選で民進党都議のかなりが離党して都民ファーストの会に合流し、民進党都議が大苦戦したことも前原氏の「立ち位置」転換に大きく作用したと考えられる。
 前原氏は再び市民連合主導の野党共闘に背を向け、希望の党との接近を図ることにした。その時点で「合流」まで考えていたかどうかは不明である。ひょっとしたら民進を軸に、希望・維新・自由の選挙協力による「新保守連合」を考えていたのかもしれない。が、3者会談で、話が一気に「民進解党→希望への合流」へと進んだ。連合・神津氏がそうした流れのフィクサー役を務めたのかもしれない。
 いずれにせよ、この日の会談で政局の潮目が大きく変わる。前原氏は民進全員「合流」を前提に「名を捨てて実をとる」という作戦を成功させたつもりだったが、小池氏が「安保法制容認」「憲法改正」という2枚の踏み絵を踏まない人は「排除する」と明言したことで、前原氏の「合流」作戦は「名を捨てて実をとる」から「名も捨て実も捨て」に変わってしまった。
 前原氏に言わせれば「安倍政権を打倒するには、市民連合主導の野党共闘より、いま『日の出の勢い』がある希望の党と組んだほうが有利だ」と考えたのだろう。が、「アベ打倒」は、どういう目的を達成するための手段だったのか。憲法違反の安保法制を廃止するためだったはずだ。それが右寄りだろうと左寄りだろうと、総選挙での民進党の基本的方針だったはずだ。小池氏と「合流」について合意した後になって「こんなはずではなかった」では済まされない。
 いや、そもそも小池氏が「安保法制容認」「憲法改正」を、公認申請した民進党議員に踏み絵とするとした時点で、本当に体を張って安保法制に反対してきた民進党議員が、その踏み絵を踏むとでも思ったのか。もしそうなら、前原氏自身が、選挙に勝つためなら志も何も関係ない「政治屋」でしかないことを意味し、また実際に踏み絵を踏んで希望の党の公認を得た人たちは、地元の選挙区で有権者に自身の変節・転向についてどう説明するのか。国民をこれほどバカにした政治行動を、私はかつて見たことも聞いたこともない。彼らの政治行動の結果は、22日、有権者によって容赦ない審判を下されるだろう。
 一方小池氏は、最高の戦果を手にする。選挙協力どころか、民進党保守系議員を、彼らの資金源とともに「たなぼた」的に手に入れることに成功したからだ。おそらく小池氏自身も想定外の戦果だったと思う。が、かえって小池氏も後に窮地に立つことになるが、そのことを書く前に書いておくことがある。
 この結果で窮地に立ったのは、前原氏だけでなく連合・神津氏も同様だった。民主党・野田総理時代に連合出身の輿石幹事長がかなりの権力を持ち、ほしいままに振る舞った経緯がある。その時代の再現を神津氏は願ったのか、市民連合主導の野党共闘より新保守派連合の結集を目論んだのかもしれない。実際、希望の党から排除された(公認申請せず、どうせ申請しても排除されるだろうと考えた人たちも含めて)民進党議員が、枝野幹事長が立ち上げた枝野新党「立憲民主党」が誕生しても、連合は旗色を鮮明にできず、各労組の自主性にゆだねることにした。もはや神津会長の権威は完全に失墜したと言えよう。今後、連合がどういう道をたどることになるのか、もし神津氏の首を飛ばせないような組織だったら、もはや連合の存在意義が問われざるを得ないと断じる。
 最後に、小池氏は今後どうなるか。私は前に小池氏が国政にも乗り出した時点で「二兎を追うものは一兎をも得ず」という結果になると、ブログで警告した。以前のブログでは小池氏に対して「のぼせ上った」とも酷評した。さらに加えて「何様になったつもりか」とまで書いておく。
 実際、足元の都民ファーストの会で、離党者が出るなど混乱が生じている。離党者は現在二人で、一人は小池氏が都知事選に立候補した時、真っ先に支持を表明し選挙運動でも奔走した音喜多氏。その勇気ある行動に感謝した小池氏から「ファーストペンギン」(リスクを恐れず新しいことに真っ先に挑戦する勇気ある人をたたえる米慣用語)と呼び、さらには都民ファーストの会の初代幹事長に抜擢したほどの小池都政実現の功労者だ。
 もう一人の離党者はもともとは地域政党の「自由を守る会」を創設して代表を務めていた内田氏で、やはり小池氏の都政改革に共感して都知事選で小池氏を応援、都議選では都民ファーストの会から出馬し当選していた。
 この二人が共通して問題視したのは、都民ファーストの会そのものが「ブラックボックス」化している現状。たとえば現在都民ファーストの会の代表に荒木氏が就くことになったときも、小池氏を含む幹部3人だけで決め、その選出プロセスも選出理由も党員に開示されず、新代表に荒木氏が就任したことがメールで知らされただけという。
 荒木氏は小池氏の公設秘書を長く務め、今年の都議選に都民ファーストの会から出馬して当選を果たしたばかりの新人政治家。小池氏にとってはいくら気心が知れたかわいい弟子とはいえ、55人もの議員を抱えた新政党のかじ取りは、そんなに容易なことではないはずだ。
小池氏にとっては音喜多氏や内田氏は、いわば外様党員であり、「希望の塾」から都議選に挑戦した直参党員のほうが信頼できると考えたのかもしれないが、新人議員だけならいざ知らず、すでに議員経験を重ねてきた党員にもメディアへの対応を禁じるなど、北朝鮮さながらの言論統制を行っている。都民ファーストの会は新人議員が多いだけに、党運営は確かに難しいことは私にもわかる。だとしたら、小池氏は当面、代表職は辞しても事実上のトップとして、新人議員の育成教育に全力を注がねばならない時期のはずだ。しかも都のトップとして都行政のかじ取りも、片手間にやれることではない。
ただでさえてんてこ舞いの状態にある時期に、こともあろうに国政にまで足を踏み込む。聖徳太子は両耳で二人の訴えを別々に聞き、適切に対応したというエピソードがあるが(10人の話に同時に耳を傾けることが出来たというエピソードもある)、小池氏は一つの体で都政のかじ取り、都民ファーストの会の運営、さらに国政政党・希望の党の運営と、三つのことを片手間ではなくやれるというのだから、これはもう聖徳太子以来、というより聖徳太子に勝るとも劣らない稀有の天才政治家のようだ。そんな人を、日本にしばりつけて置くのはもったいない。国連事務総長として、トランプ氏やプーチン氏、周近平氏、金正恩氏などを手玉にとって現代世界が抱えている難問の解決を図ってもらうのが、日本のためにも世界人類のためにも大切ではないかと思う。
これまでは比較的、小池氏に好意的な報道をしてきたメディアも、さすがに最近は小池氏に対して「独裁者になろうとしているのではないか」といった懸念の目を向け出したが、もはや小池氏のカリスマ性はほとんど失われたといっても過言ではない。音喜多氏と内田氏は「かがやけTokyo」なる新会派(かつても存在した)を立ち上げたが、今後も都民ファーストの会から離党して音喜多会派に合流する都議が続出するのではないかと言われている。小池氏は希望の党の「人寄せパンダ」にうつつを抜かしている場合ではなかろうに…。

前日(6日)までに主要政党のマニフェスト[公約]が発表された。14年の衆院選のときも「総選挙を問う」と題したブログのシリーズを7回連載したが、今回も同じシリーズの連載を始める。
久しぶりに1万字を超える長文のブログになった。最後までお付き合いいただき感謝する。