小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

総選挙を考える② 安倍総理の目論見は、なぜ狂ったのか?

2017-10-10 02:45:10 | Weblog
今日10日、衆院選の公示がある。今回の選挙は、有権者にとっては選択肢どころか争点すら「煙のように消えてしまった」とブログで書いたことがあるが、当初、小政党に留まると思われていた若狭新党(日本ファーストの会)に、都知事の小池氏がしゃしゃり出て希望の党に改組改称、代表に自らが就き、しかも民進党の前原代表とのボス交渉で民進党議員の大半(立候補予定者を含む)を抱え込んで「政権交代可能な保守2大政党」体制を目指したことによって、政界に大変動が生じたことは前回のブログでも書いた。8政党が乱立することになった17年総選挙の投票結果はどうなるか。少なくとも「安倍一強体制」の復活を目指した総理の目論みは、いまのところ頓挫したかに見える。
実際、日本記者クラブが開催した8党首討論会で、安倍総理は勝敗ラインを「与党(自公)で233の過半数議席数」と予防線を張ったうえ、自らの地位(もちろん総理の座)を死守することを前提に、「自民が50議席程度減らしても退陣する考えはない」と、自民が劣勢に陥っている状況にあることを認めた。
 衆議院議員定数は、最高裁判所の「違憲状態」という判決を受けて、議員定数を0増10減して465になった。解散前は、自民党だけで290議席を占め、解散前の議員定数475の半数を62議席も上回る絶対安定多数を占めていた。自分の権勢欲のために解散しておきながら、公明と合わせて233議席を確保できれば(公明党の獲得議席数は解散前で34議席。同党が解散前勢力を維持すれば、自民は199議席で与党は過半数になる)、安倍総理は「一強体制を国民が支持した」とでも強弁するつもりなのか。
今回の解散・総選挙について、当初安倍総理が「消費税増税分の使途変更について国民に問う必要がある」と解散の「大義」を主張した時、野党や一部のメディアが「2年も先に予定されている消費税増税の使途を、いまなぜ総選挙で国民に問う必要があるのか」と猛反発し、「大義なき解散」と批判した。
確かにいちおう法律で定められているとはいえ、2年後の経済環境はまったく不透明。はたして消費税増税が出来るかどうかも分からない時点で、消費税増税分の使途を国民に選択しろというほうが、土台無理な話だ。野党や一部のメディアが批判したのは当然である。
が、「大義なき解散」という批判も間違っていることを、私は何度も指摘してきた。「大義」のない解散はあり得ないが、「大義」があって総理は解散するのではなく、自らの政権にとって有利な状況と判断した時、解散・総選挙という「伝家の宝刀」を抜く。「大義」は、そうした「自己都合解散」を正当化するためにあとから考える名目に過ぎず、したがってその名目が世論やメディアに受け入れられなかったら、総理は直ちに「大義」も変更する。
実際、14年の総選挙のときも、当初安倍総理は「消費税の延期」を解散の「大義」にしようとしたが、野党の民主党が争う姿勢を全く見せず、解散時には「アベノミクスの継続について国民に信を問う」と「大義」を変えている。今回も、「大義」は二転三転した挙句、いくつもの争点を総花的に並べ立て、「国難突破」を最終的な「大義」にした。「国難」は北朝鮮危機と少子化だという。
解散にはしばしば冠言葉が就くことが多い。たとえば小泉総理のときには郵政民営化について民意を問うため「郵政解散」と命名された。このように解散の「大義」がそのまま解散目的に合致するケースもあれば、「追い込まれ解散」といった政権選択を意味する解散もある。最近では麻生内閣や野田民主党政権の解散が「追い込まれ解散」に相当するが、いずれも政権が交代した。
また基本的に解散権は「総理の専権事項」という解釈がまかり通っており(憲法7条は「天皇の国事行事」の一つとして「内閣の助言と承認により」衆議院の解散を定めた条文である。総理大臣は組閣の権限を有しているが、各省庁のトップ(大臣や長官)は総理の代理人ではない。総理大臣が閣議決定を経ず自由に解散してもいいとは、憲法のどの条文にも明記されていない。
そのうえ憲法学者もメディアも大変な誤解をしていると思われることもある。そもそも「内閣」は行政府(各省庁)の長で構成されている。総理大臣は行政府の最高の地位にある。そして国会は立法府であり、内閣総理大臣は国会で指名されるが、言うまでもなく立法府の長は両院の議長である。今回の解散も、9月28日に開会した臨時国会の冒頭で、大島衆議院議長が解散宣言を行っている。三権分立の建前からしても、三権の長である衆議院議長を無視して総理が独断で解散権を行使できるという慣習もおかしいし、閣議決定も経ずに総理の独断で解散権を行使できるという慣習もおかしい。
が、実際には世論調査などで政権が有利なときに、総理が独断で解散を行う権限が慣習として定着しており、今回もモリカケ疑惑や稲田防衛相(当時)の国会答弁問題などで内閣支持率が急落し、7月には内閣の危険水域とされる支持率30%台を割る事態にまで追い込まれた安倍総理が、北朝鮮危機をことさらに煽り立て、NHKをはじめメディアが総支援体制したため内閣支持率がV字回復し、再び「安倍一強」体制復活への絶好のチャンスと計算した安倍総理が、「この機を逃してなるものか」と伝家の宝刀を抜いてのが解散劇の真相である。
が、ことはそう簡単に総理の思惑通りにはいかなかった。メディアも安倍総理に「一強」体制復活のチャンスを意図せず与えてしまったことを反省したのかどうかは知らないが、「大義なき解散」という安倍批判のキャンペーンを急きょ張り出した。その結果、10月に入って内閣支持率は再び急落、選挙結果によっては再び「安倍一強体制」崩壊の瀬戸際に立たされることになった。この期に及んで、自民の議席数を100近く減らしても自公で233以上の議席を確保できれば国会で首班指名受けるのは当然だと居直ったのは、こうした事情による。
さらに、前回のブログで書いたように、民進党が事実上分裂し、希望の党から「安保法制容認」「憲法改正」という2枚の踏み絵を踏まなかった議員は排除され、枝野新党(立憲民主党)が新たに誕生、希望の党の支持層をかなり奪っている状況が明らかになった。野球ではないが、9回裏2アウトになってもまだ勝敗の行方は分からないような選挙になりそうだ。
いずれにせよ、議員定数が削減されたこともあって、立候補者にとっては今回ほど厳しい選挙はかつてなかったといってもよい。次回からの「総選挙を考える」シリーズでは、今回の選挙の争点について考察していく。
私が独断と偏見で絞った4つの争点は、
① 消費税増税の可否と増税分の使途(少子化対策)
② 安全保障(北朝鮮危機対策)と憲法改正
③ 人づくり政策(高度プロフェッショナル制度)
④ アベノミクスに対する評価と「ユリノミクス」
他にも「モリカケ疑惑隠し」や原発廃止を訴える野党もあるが、大きな争点にはなりそうもないので、今回は取り上げない。とくに野党の皆さんに言っておくが、この選挙で「モリカケ問題」は追及しないほうがいい。この問題を追及して選挙の結果自公政権が維持されたら、「禊(みそぎ)は済んだ」と選挙後の国会での追及をかわされてしまいかねない。モリカケ疑惑や稲田答弁問題で政権交代が可能になるような状況ならいざ知らず、結果的に国会での厳しい追及が困難になるような選挙戦術はとらないほうがいい。

最後に、「違憲状態」とした最高裁の判決に対して一言。
民主主義とは私たちにとってまことに「悩ましい政治システム」である。民主主義が「多数決原理」に基づいていることはほとんどの国民(日本だけでなく世界中の)が認めているが、そのことは「多数派のエゴ」を容認するということである。その結果、迫害された少数派が、多数派(宗教や民族)の権力に対抗しようとすると、そこにしばしば武力衝突が生じる。そうした事態は、民主主義という政治システムが引き起こす必然的結果でもある。
幸い日本ではそうした事態が生じる可能性はほとんどないが、いま生じている様々な国での政府軍と反政府軍の武力衝突は、「多数派エゴ」による多数派政権の少数派迫害や少数派の権利無視が原因のケースが大半である。私は17回にわたって『民主主義とは何か』というシリーズのブログを書いてきたが、このシリーズでも、改めて民主主義という政治システムについても考えていきたい。