小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

NHK受信料支払い拒否裁判で、最高裁判所判事15人に問われるホンモノの資格

2017-12-04 02:07:08 | Weblog
今週水曜日(6日)、15人の裁判官(判事)全員による最高裁大法廷が、NHK受信料の支払い義務化を巡って歴史的判決を下す。
この訴訟は、憲法が保障している契約の自由を盾にNHK受信料支払いを拒否していた男性を相手取ってNHKが提訴し、一審、二審ともにNHKが勝利したものの、男性が控訴して最高裁までもつれ込んだ裁判である。男性は2006年3月に自宅にテレビを設置し、11年9月にNHKから受信契約するよう要求されたが、男性は憲法による「契約の自由」を主張して受信契約を拒否、NHKは悪質なケースとして裁判に訴えたという。
ここで問題になるのは、「受信料契約の義務」を明記している放送法64条が憲法違反の法律なのかという判断と、契約をした場合自動的に受信料の支払い義務も生じるのかという問題が混同して論じられていることだ。
とりあえず放送法64条の条文を検証する。
1. 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。
2. 協会は、あらかじめ、総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない。
3. 協会は、第1項の契約の条項については、あらかじめ、総務大臣の認可を受けなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
4. 協会の放送を受信し、その内容に変更を加えないで同時にその再放送をする放送は、これを協会の放送とみなして前三項の規定を適用する。
放送法64条1項は、テレビ受信機(ただし放送の受信を目的にしないワンセグのスマホやタブレットなどを除く)を設置したものは、受信契約を結ぶことを命じている。が、受信料については第2項で免除の基準についての記載はあるが、どの項目にも受信料の支払い義務の記載はない。NHKは受信契約を結べば、受信料の支払い義務も自動的に発生すると考えているようだが、その法的根拠は明らかでない。
そもそも契約とは双方が契約内容について合意して初めて成立する。NHKが主張するように「契約内容に受信料支払い義務も含まれる」ということになると、契約に双方(NHKと受信者)が合意することが絶対必要十分条件になるというのが法的に合理的な解釈であろう。つまり、このケースの場合、NHKとの間に合意が成立していないのだから、男性側に契約の拒否権があると考えるのが相当だ。
最高裁がどういう判決を下すかはわからないが、最高裁の下す判断が常に正しいとは限らない。たとえば、有名な「砂川判決」。米軍基地の拡張に反対した学生たちが基地内に乱入した事件が発端になり、最高裁までもつれた裁判になった。その裁判で自衛隊の違憲性が問われたが、最高裁判決は自衛隊の合憲性には触れずに逃げた。いまも集団的自衛権行使を容認した安保法制の合憲性が下級審で問われており、いずれ最高裁まで行くだろうが(その前に憲法が改定されてしまえば、その時点で安保法制も合憲になってしまうが)、やはり最高裁は「高度な政治的問題」として合憲・違憲の判断を下さず逃げる可能性が強い。また国政選挙における1票の格差判決についても、最高裁の考え方は形式民主主義に偏っており、大都市居住者に比べ社会的弱者と言える地方過疎地の住民の1票の重みを配慮すべきという姿勢がまったく見られない。
民主主義とは何かを決定する場合の制度だが、最大の欠陥は多数決原理にあることを私はこれまで数限りなく訴えてきた。「少数意見にも耳を傾けよ」というのは、その欠陥を補うための考え方として定着はしているが、かといって少数意見が採択されることは絶対ありえない。「少数意見にも耳を傾けたうえで多数意見を採択しましたよ」という、多数決原理の欠陥にふたをするものでしかないのだが、民主主義システムに代わるより良い制度が発明されていないのだから、当面民主主義の決定システムを続けざるを得ないのだが、その場合でも民主主義の決定システムを社会的強者のために維持するのではなく、社会的弱者をいかに守るかをつねに念頭において、私たちは行動をとらなければならないと思う。
安倍総理が、内閣支持率が急落したとき「おごりがあった」と、口先だけの反省の弁をしおらしく述べたが、総選挙に勝った途端「国会での質問時間の与野党配分を議員数に比例すべきだ」というとんでもない主張を始めた。「おごり」のボンビ復活であり、つい数か月前の反省の弁はなんだったのか。が、安倍総理が「国会での質問時間配分の合理性の確認」を裁判所に求めれば、下級審はともかく最高裁判事は形式民主主義の立場に立って、自民党が主張した質問時間の配分方法は「合憲」との判断を下すだろう。
最高裁判事がどういう思想で、NHK時受信料支払い義務についての判決を下すか、今の段階ではもちろん不明だが、「泣く子とNHKには勝てない」判事が多いかもしれない。私としては、法律論以前の問題として、最高裁として過去の判例基準に矛盾しないフェアな判決を出してもらいたいということだけだ。
具体的に指摘しておく。法律上、テレビ受像機を設置している者はNHKと受信契約を結ばなければならないことになっている。ここで言う「者」とは間違いなく人である。つまりNHK放送の受信者(受益者と言ってもいいだろう)個々人である。が、NHKが課金するのは受益者個々人ではなく、「世帯」である。すなわちNHKの受信料制度そのものが放送法64条に違反しているのだ。ということは法律違反のNHK受信料を支払う必要は、NHKと契約していようといまいと、まったくないことになる。NHKの受信料制度そのものが放送法64条違反であることに最高裁判事は気付いてくれるであろうか。
さらに、最高裁は国政選挙の結果について、単純に1票の格差を重視した。有権者がどういう場所に住んでいるか、社会的に恵まれた大都市住民も、社会的に恵まれていない地方の過疎地の住民も、1票の価値を同じにすべきだという判断を下した。だとしたら、NHKの受信契約制度も個人単位にすべきであり(いちおう契約者は世帯主個人になっているが)、世帯単位の受信料制度は一人暮らしの世帯と、大家族の世帯との大きな格差を生み出していることを最高裁は指摘しなければならない。
そもそも放送法は、戦前の無線電信法を廃止して1950年6月に施行された。当時はラジオ受信世帯が対象で、もちろん1家に1台という時代だったから、受信料制度が世帯単位に設計されても矛盾はなかった。その後、テレビ時代になってもしばらくは1家に1台という時代が続いたが、高度経済成長時代を経て1人1台から1部屋1台へとテレビの普及はすさまじく広がり、自動車の大衆化とともに日本経済の発展を支えてきた。1家に何台もというのは、テレビと自動車だけだ。
テレビ受信料に限らず、利便性の享受は受益者負担が原則でなければならない。「世帯」単位の受信料制度は、法律違反というだけでなく、完全に制度疲労をきたしたアナクロニズムの料金体系になっている。NHKは時代錯誤の料金体系をこれまで放置してきて、さらに今後も温存しようとしている。なぜなのか。
ネットで調べていて『放送法64条(旧32条)と受信契約』という項目があったので閲覧してみた。びっくりしたのは、NHKの受信契約には私たちが対象の一般家庭向けの「世帯契約」とは別に「事業所契約」という制度があるらしい。そして事業所契約の場合はテレビが設置してある部屋ごとに受信料を徴収しているようだ。これって、二重取りじゃない? 事業所が自分の住居でもあれば(たとえば1階が事務所や店舗、2階以上は住居)「世帯契約」になるらしいが、事業所と住居が別だと事業所の両方で自宅で受信料を支払わなければならないようだ。これはもはや単なる制度設計ミスの範囲を超えた詐欺的受信料制度と言わざるを得ない。そういえば、大手のホテルチェーンが受信料を支払っていなかったということでNHKから提訴された敗訴になったという話がある(今も上級審で係争中かもしれない)。ホテルチェーンに勤務している従業員も、ホテルの宿泊客も自宅では受信料を支払っているはずだ。なぜ自宅外のテレビを受
信できる環境があると、二重に受信料支払いの義務が生じるのか、合理的な説明を聞きたいものだ。
NHKは受信料制度について「公共放送なので、質の高い放送をするため皆さんに公平に料金を負担していただくのが趣旨」と主張しているようだが、ここでは「皆さん」と受益者個人レベルの料金であるかのような説明をしている。いままで自己矛盾を感じたことがないのだろうか。
昨日(3日)付けの朝日新聞の記事によれば、「法曹関係者の間では、最高裁も一、二審判決と同様、NHKの公共性などを理由に、支払いは義務で、放送法の規定は『合憲』と判断するとの見方が強い」という。仮に放送法が「合憲」であるとしても、NHKの受信料制度が「合法」であるという根拠にはならない。
さらにダメ押しをしておく。権利と義務の関係である。当たり前のことだが、「権利の行使には責任と義務が伴う」。同様に「義務を果たしたものには、それに伴う権利が生じる」。果たして私たち視聴者に、NHKはいかなる権利を保証してくれているのか。「権利なき義務」などあり得ない。視聴者に「MHKに対する権利」があるとすれば、NHKが放送する番組への放送禁止権が与えられるべきであろう。その基準は視聴率以外にない。NHKはBS放送も含めて4つもチャンネルを持っているが、そんな必要があるのか。もともとBSは難視聴地域対策として誕生した。地デジ放送の開始によって人視聴地域はほぼ解消された。だからNHKはBS放送を始めた当初は総合テレビ番組をBSで放送していた。いま、BSの役割は終わった。なのにNHKはいまもBSを2チャンネルも放送している。もちろんBS開設時代と異なり、難視聴地域対策ではないからまったく別々のコンテンツを放送している。それも、視聴者の合意も得ず、自己都合で現在の放送体制を構築してきた。そんなNHKに、それも受信者個人単位ではなく「世帯」単位という違法な受信料を視聴者からむしりとる権利と資格があるのか。
はっきり言えば、いまのNHKの根幹に流れている基本理念は「NHK職員の、NHK職員による、NHK職員のための放送」体制の維持である。私たち視聴者側が求めているのは、それに対して「視聴者の、視聴者による、視聴者のための放送」体制の実現である。そうした放送体制を実現するためには、視聴率3~5%未満のコンテンツは直ちに中止すること。ただし、国会中継は視聴率のいかんにかかわらず義務化すること。教育・教養系コンテンツは視聴者の一定の容認があれば、視聴率のいかんを問わず継続可能にする。また交通網も発達し、いざというときにはヘリコプターなどでの現場中継も当たり前になっている現在、各県単位にあるNHKの放送局は札幌・仙台・新潟・名古屋・大阪・広島・福岡・四国の一か所以外はすべて閉鎖し、コスト削減に最大限の努力をすること。コストのかかるドラマは、もともと政治的には中立のコンテンツだから、視聴率が維持できる限り継続してもいいが、そういうコンテンツは民放と同様コマーシャルを解禁すること。「コマーシャルを入れると中立公正なコンテンツが作れない」などというばかげたことを言う職員がいたら、ただちに(現在は存在する)僻地の放送局の清掃員にでも転勤すること。そのくらいの要求をする権利は、受信料を支払っている契約者に与えてもらってもバチは当たるまい。
NHKの電波をWOWWOWやスカパーなどのように契約者しか見れないよう、スクランブル化すべきだと主張する人も少なくないようだ。それも一つの方法だが、私は見た番組だけ受信料を支払う課金制度にしたほうがいいと思う。絶対にNHKの放送は見ないという人は、スクランブル化しなくても受信料を支払う必要がないからだ。
いずれにせよ、受益者負担の原則に基づいた受信料の制度設計に変えなければ、受信料不払い問題は解決しない。