21日のBSフジ『プライム』は憲法改正問題を巡って与野党の憲法調査会の幹部議員が本音で激論を行った。なかなか見ごたえがあったが、面白かったのは先の総選挙で大躍進を遂げた新党・立憲民主党の代表・枝野幸雄氏が、かつて集団的自衛権行使容認とも取れる私案を打ち出していたことを巡っての白熱した議論だった。自公だけでなく、希望の議員も枝野私案を集中攻撃、立憲議員がかわいそうになったほどだった。枝野私案についての私の見解は後で述べるとして、憲法論議に一石を投じることになることを期待して、今回のブログ記事を書くことにした。
第2次安倍政権が発足したのは12年12月である。安倍総理は直ちに、集団的自衛権行使容認の理論的裏付けづくりを期待して、第1次政権時代に発足させ、退陣後はいったん解散していた「総理の私的懇談会」の安保法制懇を再発足させた。(※安保法制懇の位置づけについてはメディアによって異なり、朝日・毎日は「総理の私的懇談会」と位置付けたのに対して、読売・産経は「政府の諮問機関」と位置付けて権威付けを意図的に図った。もともと第1次政権時の位置づけは全メディアが「私的懇談会」と位置付けており、第二次政権で安倍総理が安保法制懇を再開したときも、閣議の場で安保法制懇に諮問したという事実はなく、菅官房長官も一度も安保法制懇について「政府の諮問機関」と位置付けて説明したことはない)
集団的自衛権については、1972年に内閣法制局が「我が国が直接攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が他国から攻撃された場合、他国に協力して共同で防衛する権利」と定義した上で、「我が国も国際法規上、固有の権利として持ってはいるが、憲法の制約によって行使することはできない」とする解釈がこれまで定着していた。
が、安保法制懇は安倍総理の要望に応えて「我が国の存立が脅かされる事態には、限定的だが集団的自衛権を行使できる」という新解釈をねつ造して安保法制の理論的支柱にしようとした経緯がある。こうして集団的自衛権の行使を容認する安保法制を巡って与野党やメディアの論争にとどまらず、国民的議論が巻き起こり、安保法制反対の国民運動が全国各地で澎湃として生じたのが「平成の大闘争」である。
この反対運動の担い手の主役として登場したのが学生たちの「シールズ」や「ママの会」であり、その流れで参院選や総選挙で野党の選挙協力を呼びかけたのが「市民連合」である。
このブログで集団的自衛権問題をイチからぶり返すと、また1万字を超える長文のブログになりかねないので、要点だけ書いておくと、根拠となった国連憲章51条は「他国から攻撃を受けた国連加盟国は(※国連憲章が成立したのは先の大戦中の1945年6月で、国連が発足したのは大戦が終結したのちの10月である)個別的または集団的自衛の権利を行使してもいいよ」という趣旨の条文である。
実は国連憲章は、終戦後の世界秩序の確立のために連合国が中心になって作った憲章で、日本の平和憲法の理念の原型ともなった。つまり、国際連合の加盟国は国際間の紛争が生じた場合、その紛争を武力によって解決することを禁じ、話し合いによる平和的解決を義務付けた。が、それまで世界の歴史は苦い経験を重ねてきており、例えば国際社会に対して「中立宣言」を行い、それを承認した国は当該国が他国から侵略された場合は、その国を共同で防衛する義務を負っていたにもかかわらず、実際には無防備の中立国が攻撃されても防衛義務を果たさず、侵略を傍観したという歴史的事実があり(国民皆武装で侵略を防いだスイスだけが侵略を免れた)、紛争が生じた時に当事者間の平和解決が不可能な場合は、国連安保理に非軍事的制裁を課したり(経済制裁など)、それでも解決できなかった場合には核攻撃も含むあらゆる軍事的解決手段の行使権能を付与することにした(憲章41条及び42条)。
しかし国連安保理のうち常任理事国の5か国(先の大戦の戦勝国である米・英・仏・ソ・中。※フランスは厳密には戦勝国ではなかったが英チャーチルの強力な要請によって常任理事国になった)が拒否権を与えられたため、安保理に付与された紛争解決のためのあらゆる手段をとりうるという強力な権能を行使できないことが予想されたため、「安保理が紛争を解決するまでの間に限って」自国を防衛するための二つの軍事力の行使を認めたのが憲章51条である。つまり、侵略を受けた国が行使できる自衛権は、個別的(自国の軍事力。日本の場合は自衛隊)と集団的(同盟など密接な関係にある他国の軍事力。日本の場合は米軍)軍事力行使の権利である。それ以上でも、それ以下でもない。
たとえば日本が他国から侵略を受けた場合は、日米安全保障条約の規定によって米軍が自衛隊に協力して日本を防衛する義務を負っており、それが日本にとっては集団的自衛権である。だからアメリカで日米間に貿易摩擦などが生じるとジャパン・バッシングの格好の理由として「安保タダ乗り論」や「日本人はアメリカのために血を流さなくてもいいのに、なぜ我々アメリカ人は日本のために血を流さなければならないのか」という安保条約の片務性を訴える主張が反日感情に火をつけてきたこともある。
つまり72年の集団的自衛権に関する内閣法制局の解釈が文理性を欠いており、そのことをおそらく私だけが終始一貫して主張してきた経緯もあり、だから「集団的自衛権 誤解釈」や「国連憲章51条 誤解釈」をキーワードでネット検索すれば、憲法学者や大学教授連中の論文やメディアの論説を差し置いて、私が2014年6月10日に投稿したブログ記事『なぜ「集団的自衛権」の誤解釈が定着したのか?…岸元総理は日米安保の意味を正しく理解していたのに…」が、常に検索トップにランクされている。私の文理解釈はネット検索して、この記事を読んでいただければ反論の余地はないと自負している。
自慢話は置いておいて、枝野氏の「改憲私案」問題に話を戻す。
いったい枝野私案とはどういうものだったのか。『文藝春秋』の2013年10月後に掲載されたもので、『改憲私案発表 憲法第9条 私ならこう考える』という特集記事の中で枝野氏が発表した論文を指す。問題になった個所を転記する。
「我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる」
「国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に影響を及ぼす恐れがある場合においては、必要最小限の範囲で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる」
実はこの枝野私案に対して今年11月5日、「これ(後段)は集団的自衛権ではないか」という指摘があった。それに対して枝野氏は、こう答えている。
「日本を守るために日本が発動するのは個別的自衛権です。日本を守るために米軍が行動するのは、米国にとっては集団的自衛権の発動ですが、その米軍と共同行動をとっても、日本にとって集団的自衛権の行使になるわけではありません。この点の誤解をされている方が多いようです」
実は枝野氏の『文藝春秋』論文には、直接的には「集団的」という表現は一か所もない。ただ、二つの文章をよく読み比べると、前段が日本の「個別的自衛権」を意味し、後段は日本の「集団的自衛権」を意味していると解釈できる。枝野氏の弁解は、やや無理がある。枝野氏自身が、集団的自衛権についての正確な理解に欠けていたためと思われる。
かといって枝野氏を責めるつもりはない。私のブログ記事を読んでいない方のすべてと言ってもいいほど、集団的自衛権に対する理解として、72年の内閣法制局の解釈が頭にこびりついてしまっているからだ。
また内閣法制局自体が、米ソ両大国の「自己都合」解釈をまともに受け入れてきたことに、そもそもの原因がある。
よく考えてみてほしい。戦後、集団的自衛権を「行使」してきた国は、アメリカとソ連だけである(例外はゆいつ湾岸戦争)。湾岸戦争の発端はフセイン・イラクが突如クウェートに侵攻したことによって勃発した。先の大戦以降、他国による侵略行為は、この一つだけしかない。ただ、先の大戦までの侵略戦争とは一線を画す必要があるのだが、このブログではイラクのクウェート侵攻には踏み込まない。
しかし先の大戦後、アメリカとソ連は「集団的自衛権」を何度も行使してきた。どういうケースだったか。侵略戦争は一度も生じていなかったのに…。
そう書けば、読者の皆さんは「あっ」と気が付かれるだろう。それでもお分かりにならない方は、申し訳ないが、論理的思考力が中学生レベル以下であり、私のブログを読む意味がない。私はいかなる読者も排除するつもりはないが、理解できない読者にとっては時間の無駄というアドバイスをしているだけだ。
国連憲章は国内の内紛を想定していない。だから国連憲章が安保理に付与した紛争解決のあらゆる権能は、「国際間の紛争」に関してだけである。ベトナム戦争でアメリカがフランス(ベトナムのかつての宗主国)と南ベトナムのゴ・ジェンジェム政権の要請でベトナム内戦に軍事介入したケースなどを、アメリカが「集団的自衛権の行使」と正当化してきたことが、そもそも日本でも大きな誤解釈が蔓延するようになった遠因だった。
また、そのような米ソの「自己都合解釈」をそのまま認めることが、72年当時の日本政府にとっては好都合だったのかもしれない。
上の2行に網掛けをしたことの意味がお分かりだろうか。日本の政治家やジャーナリストは「ものすご――くお人好し」のせいか、72年の内閣法制局解釈についても、「当時の政府には、そういう解釈をする必要性があったのかも…」という素朴な疑問を抱いて、改めて検証してみようという習性がない。
実は、この年5月に沖縄が日本に返還されている。またその少し前の70年には日米安全保障条約の自動延長があり、日本は高度経済成長の真っ只中にあった。1ドル=360円というブレトン・ウッヅ体制下で日本製品の国際競争力は急速に強化し、アメリカは対日貿易赤字に苦しんでいた。71年8月、ニクソン米大統領は一方的にドルと金の兌換を停止(いわゆるニクソン・ショック)、先進10か国の蔵相が米スミソニアン博物館でドル切り下げを決定、1円=308円にレート変更された(この新固定レートも長くは続かず、73年には変動相場制に移行する)。貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に苦しんでいたアメリカは、沖縄返還の代償としてアジアにおける自由主義陣営の防衛について、当時の日本の国力に応じたそれなりの貢献を要求していた可能性がある。が、日本政府としては、為替レートの変更による産業界への打撃に加え、アジア防衛の片棒まで担がされたのではたまらないと考えたのではないか。なぜ72年という時期に内閣法制局が集団的自衛権の定義をわざわざ行い、憲法の制約によって行使できないとしたのか……。そのくらいの疑問は持ってよね。大学くらい出てるのだから。
枝野氏が立憲民主党の党首にならなければ、また立憲民主党が最大野党に躍進していなければ、おそらく蒸し返されることもなかったであろう4年も前の雑誌論文が、いまごろになって急浮上したのは、2020年憲法改正を自身の政治生活の総仕上げにするつもりの、安倍総理とその取り巻きによる策略としか言いようがない。
枝野氏自身は、この記事は「集団的自衛権の行使を容認したものではない」と主張し、12月2日にはツイッターで「自身が民主党時代に公表し、集団的自衛権の行使容認を含む憲法改正私案について『有効ではない』と述べ、撤回した」と日経が報じた記事を引用、この問題に蓋をしようとしたが、民進党から希望の党に鞍替えした長島氏が批判を展開、21日の『プライム』でもこの問題がぶり返されたというわけだ。長島氏の批判は以下のとおり。
「???明らかに、容認しています。当時、私はそれを直ちに支持しました。笑 容認していないのならば、なぜ今になって撤回するのでしょうか?一度自ら公開論文として提案したものなのですから、どの点で誤りに気付いたのか、考え方を変えたのか、きちんと説明する責任があると思うのですが如何」
確かに私が読んでも、枝野氏の記事は前文は個別的自衛権について語り、後文は集団的自衛権について語っているとしか受け取れない。この問題をあいまいにしたまま国会での憲法論戦に入っていくと、立憲民主党はかなり苦しい戦いを余儀なくされる。やはり率直に、集団的自衛権についての自分の考えが、72年の内閣法制局見解に引きずられていたため、論理的整合性に欠けた主張をしていた時期があったと認めたうえで、「個別的自衛権も集団的自衛権も、日本が攻撃された時に日本が行使できる権利であり、個別的自衛権は自衛隊の軍事力行使を意味し、集団的自衛権は、個別的自衛権の行使だけでは攻撃を阻止できないときに国連や同盟国のアメリカに支援を要請できる権利である。したがって、日本が攻撃されていないにもかかわらず、自衛隊が米軍の支援を可能にした安保法制は違憲法案であり、その違憲性を糊塗するような憲法9条の改正は、いかなるな条文であろうと認めることはできない」という論理で改憲派に立ち向かうべきであろう。そういうスタンスを確立することが、安倍総理の野望を打ち砕くゆいつの道である。
第2次安倍政権が発足したのは12年12月である。安倍総理は直ちに、集団的自衛権行使容認の理論的裏付けづくりを期待して、第1次政権時代に発足させ、退陣後はいったん解散していた「総理の私的懇談会」の安保法制懇を再発足させた。(※安保法制懇の位置づけについてはメディアによって異なり、朝日・毎日は「総理の私的懇談会」と位置付けたのに対して、読売・産経は「政府の諮問機関」と位置付けて権威付けを意図的に図った。もともと第1次政権時の位置づけは全メディアが「私的懇談会」と位置付けており、第二次政権で安倍総理が安保法制懇を再開したときも、閣議の場で安保法制懇に諮問したという事実はなく、菅官房長官も一度も安保法制懇について「政府の諮問機関」と位置付けて説明したことはない)
集団的自衛権については、1972年に内閣法制局が「我が国が直接攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある国が他国から攻撃された場合、他国に協力して共同で防衛する権利」と定義した上で、「我が国も国際法規上、固有の権利として持ってはいるが、憲法の制約によって行使することはできない」とする解釈がこれまで定着していた。
が、安保法制懇は安倍総理の要望に応えて「我が国の存立が脅かされる事態には、限定的だが集団的自衛権を行使できる」という新解釈をねつ造して安保法制の理論的支柱にしようとした経緯がある。こうして集団的自衛権の行使を容認する安保法制を巡って与野党やメディアの論争にとどまらず、国民的議論が巻き起こり、安保法制反対の国民運動が全国各地で澎湃として生じたのが「平成の大闘争」である。
この反対運動の担い手の主役として登場したのが学生たちの「シールズ」や「ママの会」であり、その流れで参院選や総選挙で野党の選挙協力を呼びかけたのが「市民連合」である。
このブログで集団的自衛権問題をイチからぶり返すと、また1万字を超える長文のブログになりかねないので、要点だけ書いておくと、根拠となった国連憲章51条は「他国から攻撃を受けた国連加盟国は(※国連憲章が成立したのは先の大戦中の1945年6月で、国連が発足したのは大戦が終結したのちの10月である)個別的または集団的自衛の権利を行使してもいいよ」という趣旨の条文である。
実は国連憲章は、終戦後の世界秩序の確立のために連合国が中心になって作った憲章で、日本の平和憲法の理念の原型ともなった。つまり、国際連合の加盟国は国際間の紛争が生じた場合、その紛争を武力によって解決することを禁じ、話し合いによる平和的解決を義務付けた。が、それまで世界の歴史は苦い経験を重ねてきており、例えば国際社会に対して「中立宣言」を行い、それを承認した国は当該国が他国から侵略された場合は、その国を共同で防衛する義務を負っていたにもかかわらず、実際には無防備の中立国が攻撃されても防衛義務を果たさず、侵略を傍観したという歴史的事実があり(国民皆武装で侵略を防いだスイスだけが侵略を免れた)、紛争が生じた時に当事者間の平和解決が不可能な場合は、国連安保理に非軍事的制裁を課したり(経済制裁など)、それでも解決できなかった場合には核攻撃も含むあらゆる軍事的解決手段の行使権能を付与することにした(憲章41条及び42条)。
しかし国連安保理のうち常任理事国の5か国(先の大戦の戦勝国である米・英・仏・ソ・中。※フランスは厳密には戦勝国ではなかったが英チャーチルの強力な要請によって常任理事国になった)が拒否権を与えられたため、安保理に付与された紛争解決のためのあらゆる手段をとりうるという強力な権能を行使できないことが予想されたため、「安保理が紛争を解決するまでの間に限って」自国を防衛するための二つの軍事力の行使を認めたのが憲章51条である。つまり、侵略を受けた国が行使できる自衛権は、個別的(自国の軍事力。日本の場合は自衛隊)と集団的(同盟など密接な関係にある他国の軍事力。日本の場合は米軍)軍事力行使の権利である。それ以上でも、それ以下でもない。
たとえば日本が他国から侵略を受けた場合は、日米安全保障条約の規定によって米軍が自衛隊に協力して日本を防衛する義務を負っており、それが日本にとっては集団的自衛権である。だからアメリカで日米間に貿易摩擦などが生じるとジャパン・バッシングの格好の理由として「安保タダ乗り論」や「日本人はアメリカのために血を流さなくてもいいのに、なぜ我々アメリカ人は日本のために血を流さなければならないのか」という安保条約の片務性を訴える主張が反日感情に火をつけてきたこともある。
つまり72年の集団的自衛権に関する内閣法制局の解釈が文理性を欠いており、そのことをおそらく私だけが終始一貫して主張してきた経緯もあり、だから「集団的自衛権 誤解釈」や「国連憲章51条 誤解釈」をキーワードでネット検索すれば、憲法学者や大学教授連中の論文やメディアの論説を差し置いて、私が2014年6月10日に投稿したブログ記事『なぜ「集団的自衛権」の誤解釈が定着したのか?…岸元総理は日米安保の意味を正しく理解していたのに…」が、常に検索トップにランクされている。私の文理解釈はネット検索して、この記事を読んでいただければ反論の余地はないと自負している。
自慢話は置いておいて、枝野氏の「改憲私案」問題に話を戻す。
いったい枝野私案とはどういうものだったのか。『文藝春秋』の2013年10月後に掲載されたもので、『改憲私案発表 憲法第9条 私ならこう考える』という特集記事の中で枝野氏が発表した論文を指す。問題になった個所を転記する。
「我が国に対して急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がない場合においては、必要最小限の範囲において、我が国単独で、あるいは国際法規に基づき我が国の平和と独立及び国民の安全を守るために行動する他国と共同して、自衛権を行使することができる」
「国際法規に基づき我が国の安全を守るために行動している他国の部隊に対して、急迫不正の武力攻撃がなされ、これを排除するために他に適当な手段がなく、かつ、我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全に影響を及ぼす恐れがある場合においては、必要最小限の範囲で、当該他国と共同して、自衛権を行使することができる」
実はこの枝野私案に対して今年11月5日、「これ(後段)は集団的自衛権ではないか」という指摘があった。それに対して枝野氏は、こう答えている。
「日本を守るために日本が発動するのは個別的自衛権です。日本を守るために米軍が行動するのは、米国にとっては集団的自衛権の発動ですが、その米軍と共同行動をとっても、日本にとって集団的自衛権の行使になるわけではありません。この点の誤解をされている方が多いようです」
実は枝野氏の『文藝春秋』論文には、直接的には「集団的」という表現は一か所もない。ただ、二つの文章をよく読み比べると、前段が日本の「個別的自衛権」を意味し、後段は日本の「集団的自衛権」を意味していると解釈できる。枝野氏の弁解は、やや無理がある。枝野氏自身が、集団的自衛権についての正確な理解に欠けていたためと思われる。
かといって枝野氏を責めるつもりはない。私のブログ記事を読んでいない方のすべてと言ってもいいほど、集団的自衛権に対する理解として、72年の内閣法制局の解釈が頭にこびりついてしまっているからだ。
また内閣法制局自体が、米ソ両大国の「自己都合」解釈をまともに受け入れてきたことに、そもそもの原因がある。
よく考えてみてほしい。戦後、集団的自衛権を「行使」してきた国は、アメリカとソ連だけである(例外はゆいつ湾岸戦争)。湾岸戦争の発端はフセイン・イラクが突如クウェートに侵攻したことによって勃発した。先の大戦以降、他国による侵略行為は、この一つだけしかない。ただ、先の大戦までの侵略戦争とは一線を画す必要があるのだが、このブログではイラクのクウェート侵攻には踏み込まない。
しかし先の大戦後、アメリカとソ連は「集団的自衛権」を何度も行使してきた。どういうケースだったか。侵略戦争は一度も生じていなかったのに…。
そう書けば、読者の皆さんは「あっ」と気が付かれるだろう。それでもお分かりにならない方は、申し訳ないが、論理的思考力が中学生レベル以下であり、私のブログを読む意味がない。私はいかなる読者も排除するつもりはないが、理解できない読者にとっては時間の無駄というアドバイスをしているだけだ。
国連憲章は国内の内紛を想定していない。だから国連憲章が安保理に付与した紛争解決のあらゆる権能は、「国際間の紛争」に関してだけである。ベトナム戦争でアメリカがフランス(ベトナムのかつての宗主国)と南ベトナムのゴ・ジェンジェム政権の要請でベトナム内戦に軍事介入したケースなどを、アメリカが「集団的自衛権の行使」と正当化してきたことが、そもそも日本でも大きな誤解釈が蔓延するようになった遠因だった。
また、そのような米ソの「自己都合解釈」をそのまま認めることが、72年当時の日本政府にとっては好都合だったのかもしれない。
上の2行に網掛けをしたことの意味がお分かりだろうか。日本の政治家やジャーナリストは「ものすご――くお人好し」のせいか、72年の内閣法制局解釈についても、「当時の政府には、そういう解釈をする必要性があったのかも…」という素朴な疑問を抱いて、改めて検証してみようという習性がない。
実は、この年5月に沖縄が日本に返還されている。またその少し前の70年には日米安全保障条約の自動延長があり、日本は高度経済成長の真っ只中にあった。1ドル=360円というブレトン・ウッヅ体制下で日本製品の国際競争力は急速に強化し、アメリカは対日貿易赤字に苦しんでいた。71年8月、ニクソン米大統領は一方的にドルと金の兌換を停止(いわゆるニクソン・ショック)、先進10か国の蔵相が米スミソニアン博物館でドル切り下げを決定、1円=308円にレート変更された(この新固定レートも長くは続かず、73年には変動相場制に移行する)。貿易赤字と財政赤字という双子の赤字に苦しんでいたアメリカは、沖縄返還の代償としてアジアにおける自由主義陣営の防衛について、当時の日本の国力に応じたそれなりの貢献を要求していた可能性がある。が、日本政府としては、為替レートの変更による産業界への打撃に加え、アジア防衛の片棒まで担がされたのではたまらないと考えたのではないか。なぜ72年という時期に内閣法制局が集団的自衛権の定義をわざわざ行い、憲法の制約によって行使できないとしたのか……。そのくらいの疑問は持ってよね。大学くらい出てるのだから。
枝野氏が立憲民主党の党首にならなければ、また立憲民主党が最大野党に躍進していなければ、おそらく蒸し返されることもなかったであろう4年も前の雑誌論文が、いまごろになって急浮上したのは、2020年憲法改正を自身の政治生活の総仕上げにするつもりの、安倍総理とその取り巻きによる策略としか言いようがない。
枝野氏自身は、この記事は「集団的自衛権の行使を容認したものではない」と主張し、12月2日にはツイッターで「自身が民主党時代に公表し、集団的自衛権の行使容認を含む憲法改正私案について『有効ではない』と述べ、撤回した」と日経が報じた記事を引用、この問題に蓋をしようとしたが、民進党から希望の党に鞍替えした長島氏が批判を展開、21日の『プライム』でもこの問題がぶり返されたというわけだ。長島氏の批判は以下のとおり。
「???明らかに、容認しています。当時、私はそれを直ちに支持しました。笑 容認していないのならば、なぜ今になって撤回するのでしょうか?一度自ら公開論文として提案したものなのですから、どの点で誤りに気付いたのか、考え方を変えたのか、きちんと説明する責任があると思うのですが如何」
確かに私が読んでも、枝野氏の記事は前文は個別的自衛権について語り、後文は集団的自衛権について語っているとしか受け取れない。この問題をあいまいにしたまま国会での憲法論戦に入っていくと、立憲民主党はかなり苦しい戦いを余儀なくされる。やはり率直に、集団的自衛権についての自分の考えが、72年の内閣法制局見解に引きずられていたため、論理的整合性に欠けた主張をしていた時期があったと認めたうえで、「個別的自衛権も集団的自衛権も、日本が攻撃された時に日本が行使できる権利であり、個別的自衛権は自衛隊の軍事力行使を意味し、集団的自衛権は、個別的自衛権の行使だけでは攻撃を阻止できないときに国連や同盟国のアメリカに支援を要請できる権利である。したがって、日本が攻撃されていないにもかかわらず、自衛隊が米軍の支援を可能にした安保法制は違憲法案であり、その違憲性を糊塗するような憲法9条の改正は、いかなるな条文であろうと認めることはできない」という論理で改憲派に立ち向かうべきであろう。そういうスタンスを確立することが、安倍総理の野望を打ち砕くゆいつの道である。