小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

読売新聞読者センターはとうとう「やくざ集団」になってしまったのか?

2012-08-26 17:32:31 | Weblog
 昨日(8月25日)の午後6時ごろ、「読売新聞読者センターはとうとう人間録音機集団になってしまった」というタイトルの記事を投稿した後、すぐこの記事の原本(私はブログ記事をワードで書いて、ブログページに貼り付け投稿することにしている)を別紙表書きをつけて読者センターにFAXした。その後、何回か同センターに電話をしたが、なかなかつながらず、やっと6時半過ぎに代表番号に電話して読者センターにつないでもらった。どういう仕組みになっているのかさっぱりわからないが、代表番号にかけると大体すぐつながることは何回か経験している。
 やっと電話に出てくれた方は私の記憶にはない声の方で、「小林です」と名乗ると、先方も私の声に聞き覚えがないようで、「しょっちゅう電話をしてくる小林さんですか」と聞いてきたので「そうです」と答えると「ねつ造した方ですね」と私に対する非難のボルテージをさらに上げた言い方をした。私は当然「何を根拠にそう言えるのですか」と尋ねたところ「録音があるから」と断言した。「本当ですか」と聞くと「当たり前だ」とすごんだ。「録音があるなら聞かせてください」と言ったところ、「そんなことできるわけがない」と拒否し、さらに「裁判が……(後半がぼそぼそした声になって聞き取れなかった)」と続けた。私は一瞬恐怖におののいた。
 最初に私に抗議した人は「内部調査で当人に確認したところ、そんなことは言っていないと言ってました。だから事実ではないことを書かないでくださいと言ったんです」と主張した。そこで私は「内部調査で当人が本当のことを言うわけないではないか」と反論してきたのである。
 たまたま今日(25日)大津市立皇子山中学校2年の男子生徒が自宅マンションから飛び降り自殺した件の本格的調査を行うために設けられた第3者委員会の初会合が開かれた。この委員会には遺族が推薦した3人の委員候補(教育評論家として有名な尾木氏も含まれている)も委員に任命されている。自殺といじめとの因果関係がわからなかったという大津市教育委員会と学校の調査は身内意識によって左右されているという遺族の訴えに大津市の市長が理解を示し、フェアな調査を行う必要があると判断、第3者委員会の設置に至ったのである。そういう事実は常識として熟知していたはずのジャーナリスト出身者の集団である読者センターが身内による内部調査の結果を「事実」と断定し、私に「事実でないことをブログに書くな」と要求したこと自体、不当な圧力と言わざるを得ない。
 それでも私は誠意を尽くし、3日間かけて読者センターへの反論と批判の記事を書くと同時に、私自身にも反省すべき点があったことを認めた。そして以下の表書きをつけて読売新聞読者センターにFAXしたのである。
  たった今投稿したブログ記事の原本です。
  この記事は22日に電話したとき、私のブログ記事『緊急告発‼! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』に書いた読者センターの方との会話の内容について「事実でないことはブログに書いたりしないでください」「読者センターは読者の意見を聞き、担当者に伝えることが仕事で、読者と意見を交わしたりするセクションではありません」と宣告された読者センターへの反論と批判をまとめた記事です。この宣言は読者センターの全員が共通認識として持たれているようなので、このブログ記事も読者センターの皆さん全員が読んでください。反論はブログ記事へのコメントでなされても結構ですし、FAXしていただいても構いません。FAXの場合、ご要望があれば私のブログに転載します。いずれにしてもフェアに対応してください。私自身がそうしていますので。
 この表書きをつけてFAXした後、読者センターに電話したのだが、いきなり「ねつ造したかたですね」とどうかつされ、さらに「証拠は録音がある」と言われ、「録音があるなら聞かせてください」と言ったところ「そんなことできるわけがない。裁判が……(後半はぼそぼそした声になって聞き取れなかった)」と脅かされ、冒頭で書いたように私は恐怖におののきながら、ほとんど一睡もできず一夜を過ごした。
 そうした一夜を過ごしている中で、いろいろな想いが頭をよぎり、右から左へと消えていく。そしてやっと明け方になってうとうとできたが、その間に不眠状態にあったときにいろいろ考えをめぐらしたことはほとんど忘れてしまった。が、完全に目覚めて洗顔し、茶漬けで朝食を済ませた(田舎育ちの私は子供のころから我が家の畑で栽培した野菜、ダイコンやカブ、キュウリなどの糠漬けで茶漬けを食べるのが朝食の習慣だった)。いまの若い人はまったくご存じないだろうが、スイカの実を食べた後の皮の部分の食べ残した実をスプーンできれいに削り取り、皮の表面は堅いので包丁で切り剝がし、残った白いところだけ塩もみして一晩寝かし食前に余分な塩を洗い流すと、最高の漬物になる。いまは「浅漬けの素」といった手頃で簡単に浅漬けができるものがスーパーで売っているので、お試しいただいたらと思う。
 スイカの漬物の話は余談でしかないが、私を恐怖のどん底に追い込んだ読者センターの方の言ったことは本当に「事実」なのか、を冷静に考えてみた。まず最初に抗議してきた方は「当人から聞いたところ『そんなことは言っていない』と言ったので小林さんが書かれたブログの内容は事実でないことが明らかになった。今後事実でないことはブログに書いたりしないでください」との趣旨だった。
 この抗議の内容について私は「内部調査で当人が本当のことを言うわけがない」「内部調査は要するに身内の調査だから甘くなるのは当たり前だ」「読売新聞の記者は取材相手の言い分をそのまま鵜呑みにするのか」「仮に私が事実無根のことを書いたとして、私にどんなメリットがあるのか。嘘をつく(あるいは嘘を書く)場合、それなりのメリットが得られる(あるいは期待できる)ケースで、私の場合はそのような動機がまったくない」(このブログ記事ではより正確を期すため表記を追加したり、よりふさわしい表記に変えた個所もある)の四つの視点から、当人の申告を真に受けて私が事実無根の記事を書いたと非難する方がおかしいと反論したことはすでに昨日投稿したブログ記事『読売新聞読者センターはとうとう人間録音機集団になってしまった!!』で明らかにした。
 さらに昨夜、なかなか寝付けない中でふっと思いついたのは読者センターが行った内部調査は警察が行う捜査活動と類似した行為だったのではないか、という疑問である。警察の基本的捜査方法は、まず犯罪が行われたと考えられる場所の付近の捜索(犯行に使用された可能性がある凶器などを発見することが目的)と、近隣住民への徹底的な聞き込み調査で、ある程度犯人像を絞り込んでいく。その結果、証拠らしき物品の発見と近隣住民の「あの人が怪しいと思う」といった(冷静に考えればかなり不確実性が高いのだが)「証言」に飛びついてしまい、犯人である可能性が高いと思い込んでしまう。あとはその「犯人」(この段階では容疑者)を逮捕し(容疑が固まっていない場合、しばしば行われるのが万引きなどの些細な犯罪を口実にした別件逮捕である。なおこの段階から容疑者は被疑者になる)、起訴に追い込むための証拠固めを行うのだが、その後犯人ではありえないと思える証拠や情報が得られても、すでに先入観にとらわれてしまっている警察は何が何でも「犯人」と思い込んでいる容疑者の自白を取ることに必死になっており、取り調べの時「禁じ手」を使ってしまうことがままある。この禁じ手の中でも最悪の行為は誘導尋問によって「秘密の暴露」を強要することである。「秘密の暴露」とは犯人しか知りえない、犯行と結びつく行為や凶器を処分した場所、犯行時に来ていた衣類の処分方法、どうやって犯行現場に侵入したかなどで、実は警察がそれらの情報をすでにつかんでいながら外部に漏れないよう極秘扱いしたうえで、「こういうことはなかったかね?」「こうしたんじゃない?」などと被疑者が疲れ果てて思考力が極端に低下しだした微妙なタイミングを探りながら極秘情報を小出しにして「秘密の暴露」を被疑者の脳メモリーに埋め込んでいく。そうやってついには被疑者自身が「秘密の暴露」をしたかのような錯覚に陥らせることに巧みな警官が「落としの名人」と言われるのだ。つまり「落としの名人とは「マインド・コントロールの達人」にすぎないのである。が、その後検察の事情聴取があり、起訴されて公判に持ち込まれるまでにかなりの日数が経過し、その間に弁護士もついてマインド・コントロールから脱出できた被告(起訴されるまでは被疑者)が、公判で自白をひっくり返すことがままある。しかし肝心の裁判官が警察や検察による取り調べが被疑者をマインド・コントロール下に追い込んで「秘密の暴露」を「自白」させている実態をまったく知らないため、「自白」を必要以上に重視し、有罪判決を下すといった誤審が後を絶たないのである。もちろんすべてがそうだと言っているわけではない。物的証拠があやふや(あるいは乏しい)ときに警察や検察が事件の早期解決をあせった結果、しばしば生じうるケースである。だから物的証拠が確実な場合は容疑者(逮捕前)を逮捕して(逮捕された時点で被疑者になる)取調べは被疑者が否認しても、否認した状況のまま検察庁に送ってしまう。検察も無理に被疑者から自白を取ろうとせず(もちろん取り調べで手抜きをするという意味ではない)、被疑者否認のまま起訴してしまう。そういうケースは裁判官も被告の「無罪主張」あるいは「警察のでっち上げ」といった最後のあがきを無視して有罪判決を言い渡す。この場合、被告があがけばあがくほど、そうした被告の態度に反比例するかのように「被告には全く反省の色が見えない」と宣告して量刑も重くする。
 警察・検察・裁判での「容疑者」→「被疑者」→「被告」に対する事件の発端から警察の取り調べ、検察の事情聴取、裁判での判決に至るプロセスを詳細に書いたのは、これら一連のプロセスを、読売新聞読者センターの場合は誰か(多分責任者だと思う)の指示によって同センターの全社員がマインド・コントロールに陥ってしまった結果だと思えるからである。
 でもこの段階(少なくとも8月24日)まではまだいちおう読売新聞読者センターの方は紳士的姿勢を保ってくれていた、たとえば23or24日にきな臭くなってきた「日韓関係」について言いたいことがあって読者センターに電話をしたところ、「もうお聞きになったと思いますが、読者センターは読者の意見をお聞きして担当部門にお伝えするだけですから、ご承知の上でご意見をおっしゃってください。ではどうぞ」と、固い口調ではあったが、いちおう紳士的に対応してくれた。そのときは「どうして急に韓国が日本に対して敵対的行動をとるようになったのか」といったテーマについて意見を申し上げたかったのだが、そういった国難とも言える問題には読者センターの方は最低でも30分くらいは議論に応じてくれたのだが(この問題についての私の見解は8月22日に投稿したブログ記事『緊急提言!! 日本はフェアな歴史認識を世界に向かって発信せよ』で明らかにしている)、この時はいかにも迷惑そうな感じを受けたので、「昔だったら『国交断絶』→『宣戦布告』が必至のような危機的状況ですよね」とだけ言って早々に電話を切った。
 主題に戻ろう。
 「記者としては失格だということですね」という私の挑発(言っておくが、取材時にこうした挑発をして相手の本音を引きずり出すといった行為はジャーナリスト(かなり広義な意味での)にとって常識的な常套手段である)。私が取材ではなく読者センターの方に意見をうかがうときにこうした挑発的行為を取ったことについては反省していることをすでに述べたが、ご当人が私に対しては無警戒に本音を漏らしてしまったことは私の責任ではない。なおこの問題がこれほどの大騒動になるとは私は思いもしていなかったし、この大騒動が起きるまでは読者センターのほとんどの方が私に対しては(私だけではないかもしれないが)きわめて好意的かつフランクに話し合ってくれていた。それが突然私に対しては人間録音機集団になってしまった。それも電話をかけるたびに電話口に出る全員が、である。そうなると、先ほど書いたように読売新聞読者センター全体が誰かのマインド・コントロール下で一枚岩になってしまったとしか考えようがない。
 まして「ブログで事実と違うことは書かないでください」という苦情までは許せるギリギリの誤解発言として、私もこれまでは紳士的に対応してきたが、ジャーナリスト(ブログでも立派なジャーナリストの活動場所である)に対して「ねつ造したかたですね」とのどうかつを私は絶対に許すことができない。さらに「証拠は録音がある」とまで言って私を恐怖のどん底に陥れ「録音があるなら聞かせてください」との要請に「そんなことできるわけがない」といっかつされた。それもまるでやくざのような口調だった。読売新聞読者センターはとうとうやくざ集団に転落してしまったのか、とすら私には感じられた。
 問題は私を恐怖のどん底に追い込んだ彼の発言内容に、読売新聞読者センターにとって致命的な発言が含まれていたことだ。その致命的な発言内容の問題点を読者の皆さんにはお教えしたいのだが、今私は天下の読売新聞を相手取って法的手段に出ることも考えているので、残念ながらこのブログで明らかにしてしまうわけにはいかないのだ。お許しいただきたい。
 とりあえず、私としてはこれで読売新聞読者センターとの対立についての報告はいったん終え、書きかけの原発問題に全力を挙げて取り組みたい。もう半分くらいは書き終えているので近いうちに投稿できるだろう。
 





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