~~上野の城下町に残る素敵な建物の紹介~~
【伊賀上野城は外堀の大きさで言うと東西約1000m、南北約700mの堂々たる広さの城郭でした。しかし、明治中頃には外堀は埋め立てられて城内の多くは開発され、約4分の1の広さの内堀の部分を残すだけの現在の姿になりました。 開発された土地は官舎や学校等の公共建物の用地等となり今に引き継がれています。
今回は城内の丸之内に残る明治・大正・昭和を語る建物のいくつかを紹介します。】
町家みらいセンターHPより『伊賀上野の町並みと建築』のページNo.2
現伊賀市役所(旧上野市庁舎)等の設計は、「坂倉順三」氏。
彼の1960年から1964年にかけて手がけた建築物は↓
(これらの中で、伊賀市に関わったものは・・・)
1964 枚岡市庁舎
三重県上野総合庁舎
上野市庁舎
池袋副都心地区再開発計画
岩手放送会館
渋谷再開発計画
塩野義製薬名古屋分室
大阪薬品伊丹営業所
芦屋市民会館(1期)
ホテル三愛(札幌パークホテル)
天童木工東京支店
1963 中産連ビル
佐賀県体育館
上野市立崇広中学校(1・2期)
大阪府立阪南高等学校(1~5期)
大よし本店
上野市白鳳公園レストハウス
羽島市勤労青少年ホーム
赤羽駅西口再開発計画
銀座再開発計画
松下幸之助邸
1962 渋谷金属産業本社
呉市庁舎・市民会館
などです。(見慣れた上野の建造物は、彼のおかげだったのですね。)
「町家みらいセンター」(7/27)の会議にて、教えていただきました・・・
おまけ
「『三重県立美術館 増改築』や『みえこどもの城』」も、「坂倉建築研究所」でした。
【伊賀上野城は外堀の大きさで言うと東西約1000m、南北約700mの堂々たる広さの城郭でした。しかし、明治中頃には外堀は埋め立てられて城内の多くは開発され、約4分の1の広さの内堀の部分を残すだけの現在の姿になりました。 開発された土地は官舎や学校等の公共建物の用地等となり今に引き継がれています。
今回は城内の丸之内に残る明治・大正・昭和を語る建物のいくつかを紹介します。】
町家みらいセンターHPより『伊賀上野の町並みと建築』のページNo.2
現伊賀市役所(旧上野市庁舎)等の設計は、「坂倉順三」氏。
彼の1960年から1964年にかけて手がけた建築物は↓
(これらの中で、伊賀市に関わったものは・・・)
1964 枚岡市庁舎
三重県上野総合庁舎
上野市庁舎
池袋副都心地区再開発計画
岩手放送会館
渋谷再開発計画
塩野義製薬名古屋分室
大阪薬品伊丹営業所
芦屋市民会館(1期)
ホテル三愛(札幌パークホテル)
天童木工東京支店
1963 中産連ビル
佐賀県体育館
上野市立崇広中学校(1・2期)
大阪府立阪南高等学校(1~5期)
大よし本店
上野市白鳳公園レストハウス
羽島市勤労青少年ホーム
赤羽駅西口再開発計画
銀座再開発計画
松下幸之助邸
1962 渋谷金属産業本社
呉市庁舎・市民会館
などです。(見慣れた上野の建造物は、彼のおかげだったのですね。)
「町家みらいセンター」(7/27)の会議にて、教えていただきました・・・
おまけ
「『三重県立美術館 増改築』や『みえこどもの城』」も、「坂倉建築研究所」でした。