おまえは私の家族となりました。
「冬の散歩道は限られていますので、レンズを向けるところが見つからなくなってしまいました。しばらくの間思い出のマルの日々を投稿することにしました。」
やまいが重くなってきてじじいと一緒に寝ていたエリーはトイレに行くといって立ち上がって夜の自分のサークルへ歩んでいって帰ってきませんでした。12年間住みなれた自分のサークルのイヌツゲの下で眠るように安らかに旅立っていたのです。
エリーが逝く1ヶ月前の写真です。一日一日衰えていくエリーにじじいもばばちゃんも、そしてエリの恋犬レオのお父さんお母さんも心を痛めておりました。
亡くなった日の朝歩みなれたエリーとの散歩道をじじいは声をあげて泣きながら独りで散歩しました。
じじもばばちゃんも悲しみうちひしがれ闇の中の虚しいうつろのような日々を送っていました。そして一ヶ月ほど過ぎた頃ついに悲しみに耐えられなくなってエリーのあとをつぐワンちゃんを求めようと二人でペットショップを訪れました。
でもお店には当時流行のシーズーなどの小型の愛玩犬しかいませんでした。エリーはシベリアンハスキーの大型犬に近い中型犬でした。だから小型の愛玩犬はエリーの跡継ぎにはならないのです。やむなくお店を出ようとしました。
そのとき、店の片隅に打ち捨てられたようにゲージのなかにしょんぼりとしているわんちゃんが目に入りじじいの心を強く引きつけました。運命ですね。
聞けば、ペット屋さんの親戚の家で外飼いしていたラブラドールレトリバーがいつのまにか妊娠してしまい3頭の小犬を産んでしまった。雄の子犬の2頭は貰い手があったけれども雌犬のこの小犬は貰い手がなくてこうしているとのことでした。
(当時は小さな愛玩犬は別として一般のワンコは外飼いが普通でした)
小犬は立ち上がってじじいの顔をみつめました。じじいは小犬をゲージから出してもらってだきしめました。そしてもうこの小犬はもう私の家族だとしっかりと思いました。
ペットショップのご主人はお代はいらない、もらって頂けるだけで有り難いとおっしゃいました。私は捨て犬のような扱いに不満でしたけど、もうこの小犬はもう私の家族でした。 小犬に必要なゲージや、マットや、リードや、首輪や、おやつや、フードやらを頂いてばばちゃんと小犬とじじいと3人で家に帰りました。
次の日の朝、小犬は始めてゲージではない外の自然の姿をみました。赤い小さな首輪が可愛かったです。「どうすればいいの爺ちゃん」小犬は戸惑いながらじじいを見つめて問いかけながら立ちすくんでおりました。まるまるとしていましたので「マル」と名前をつけてあげました。 マルの初めての自分の家での朝でした。