あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(3)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
大浜の海水浴場にある公園で、地元のおじいさんから、大浜や御手洗の昔の生活の事を伺ったあとは、教えていただいた神社に行き、もう数十年使われていないという櫂伝馬を見せていただいた。
(今回私は、浜で偶然出会ったおじいさんに教えられて倉庫に保管されている櫂伝馬を見に行ったのだが、家に帰ってから先行事例をネットで調べてみると、この大浜に保存されている櫂伝馬の写真は、シール0000さんのブログにも記載されている様子)
 
『うーん、これは確かにかなり劣化しているなあ』 一目見れば分かるひどい朽ち方。 長期間、海に出す事もなく、手入れもされず、ここに放置されていた事が見てとれる。 これではとてもじゃないが、海に浮かべる事はできないだろう。
***
写真を撮り、神社から駐車場まで戻る途中、ふと見ると家の窓を開けて座り、外を眺めているおじいさんが居られた。
『こんにちは。 今、あそこの神社の横にある倉庫を見せていただいたんですが、櫂伝馬があるんですね』 『おお、そうよ。 もう何十年も使ってないけどなあ』

『昔は、この前の海で櫂伝馬を漕いでいたそうですね』 『祭りの時には、この前で漕ぎよったもんよ。 あの櫂伝馬はな、競漕用じゃないんよ。 どっちかというと、今で言う救助艇みたいな役割の船が元じゃ。 じゃけえ、船が大きいじゃろう。 大崎上島のような競漕用の船とは違う』  『なるほど。 競漕用じゃないんですね。 道理で、あの櫂伝馬は大きいと思いました』

『あの神社は、海の方を向いて、鳥居も海側にありますが、やっぱり海の神様なんですか?』 『いやあの、あれは氏神様よ。 海の神様は、向こうにある。 昔の祭りの時は、向こうの神社とこっちの神社の間を、櫂伝馬で行き来したんじゃ』

私とおじいちゃんが話していると、奥からおばあちゃんも出てこられた。
『昔はねえ、祭りの時にはほんとうに賑やかじゃったよお。 向こうの神社とこっちの神社の間で、櫂伝馬を漕ぎよった。 二艘の櫂伝馬を並べて、その間に木の柱を組んで繋げよったよ』

『あれはいつ頃まで使いよったんですか』 『戦後、何回か祭りに使うて、それからは若いもんも居らんようになって、もう数十年使うとらんよ。 もう、釘も錆びて、朽ちて、ぜんぜん駄目じゃね』 『ええ、私も見たら分かりました。 もったいないですねえ』
***
『ところで、この辺はみかん農家の人が多くて、漁師さんは少なかった言う事ですが、漁をやりよっちゃったんですか?』
『ほうよ。 うちは漁師じゃった』 『漁師じゃ言うても、豊島の人らが遠くに行くじゃろう。 壱岐や五島、対馬、長崎、大分』 『ええ、聞いとります。 前は、長崎や対馬、和歌山の方まで行かれよったいうことですね』
『ほうよ。 私らも主人と一緒に豊島の船に乗って行きよった。 でもあまり遠くまでじゃのうて、せいぜい壱岐までじゃったけどね』 『豊島の人らはいろいろと商売をされるが、私らは釣るだけよ。 あの人らは半年、一年いうて居られるが、私らは3ヶ月して仕事に区切りがついたら戻ってきよった。 そして、次の仕事が入ったらそこに行くんよ』

『3ヶ月言うけど、子供を残して行くんじゃけえ、そりゃあ寂しいもんよ。 早う帰りたい思いよったねえ』 『四国沖にも行きよったよ。 地名を言われてもよう分からんかったけど、あそこの方へ行ったら船があるけえ分かる、いうて、自分らの船で四国まで行って、烏賊を釣る仕事をしよったねえ』

『台風。 そりゃあ、大西が吹いたときは大変よ。 神社の所に波が上がるじゃろう。 そうしたら逃げる所がないけえ、この前の道を流れて行くんよ。 もう、川のようじゃったよ』
***
話しを聞かせて下さるおじいさんの椅子の下には、双眼鏡が置かれていた。 おそらく毎日、海を眺めながら、気になるものがあれば双眼鏡で確認しておられるのだろう。 さすが、元漁師さんである。 また、お話しを聞かせていただいたおばあちゃんも、明るくてしっかり者で、いかにも漁師の女将さんといった風情。

そうこうしているうちに、ワンボックスカーがやってきた。 『あれ、来たよう』 どうやら、デイサービスの送迎をするクルマが、おじいちゃんを迎えにきたようだ。 『すみません、お忙しいのにいろいろ話しを聞かせていただいて』 『なに、ぜんぜん忙しい事なんかないんじゃけん』
『ありがとうございました!』
***
大浜地区では少ないという、元漁師さんご夫婦に昔の漁のお話を伺うことができた。 それも、隣にある家船で有名な豊島の漁師さんと一緒に仕事をされていたという、貴重な話。 『あるくみるきく_旅するシーカヤック』 じゃあ、そろそろクルマに戻るとするか。

地元在住のお二人の方から、貴重なお話を伺うことができ、最高の気分で歩いていると、ある光景が目に入ってきた。
『えー、なんじゃこりゃあ!』
***

* 大崎下島の大浜で、櫂作りの職人さんに出会う *

***

目に入ってきた光景は、なんと『櫂』を作っておられる作業場。
 
震えるようなうれしさを感じながら、『こんにちは。 これは櫂ですよね。 ちょっと拝見していいですか?』と伺うと、『ええですよ』と快諾していただいた。

『先日、大崎上島に行って、櫂伝馬を漕がせてもろうた事があるんです。 いやあ、ここで櫂を作っておられるとは驚きました。 さっきも、あそこにある神社で、昔使っとったという櫂伝馬を見てきたんです』 『そうね。 ここらじゃあ、もう当分舟は出しよらんねえ。 大崎上島で漕いだ』 『はい。 でもあそこの櫂伝馬は競漕用なんで、ここにある櫂に比べると、幅が広かったです』

『そうよ。 場所場所によって櫂伝馬の形も大きさも違うけえ、櫂の長さも幅も違うんよ。 これは、豊島の人に頼まれて作りよる分。 大崎上島のは、これより幅は広うて短いな』 『はい、そうです』
『こっちのは大櫂ですよね』 『そう』 『大崎上島のは、もっと大きかったですね』

『この、一番、二番いうて番号が書いてありますが』 『そりゃあのう、櫂伝馬は漕ぐ場所によって舟の幅も、海面までの距離も違おう。 じゃけえ、長さが変えてあるんよ』 『なるほど、じゃけえ、あの番号には意味があるんですね』
***
あまりに興味深いので、『すみません。 上がらせてもろうてええですか?』と聞くと、『ええよ』との事。
じゃあというので、サンダルを脱ごうとすると、『ええ、ええ。 ここは作業場じゃけえ、そのまま上がりんさい』

『こりゃあ、いつからやられよるんですか?』 『わしは二代目じゃ。 わしももう、50年くらいになるかのう』
 
『昔はな、押し舟もあったし、舵もステンレスじゃなかったから忙しかったが、今はだめよ』 『押し舟ってなんですか?』
『押し舟言うたら、櫓漕ぎ舟よ。 櫂伝馬なんかは、一番後ろの大櫂が船頭みたいなもんじゃが、押し舟じゃあ、一番前の人が船頭なんで』 『え、そうなんですか! それは知らんかったです』
『前は梶も木で作りよったが、ステンレスが出てきてからは、強度も上がって錆びんようになって、もう木の梶は駄目になってしもうた。 あの頃から、どんどん仕事が減ったよの』

『これだけじゃのうて、大工仕事もしよったよ。 天井を張り替えてくれ言われたらしよったし。 でも今思うたら、宮大工の仕事を覚えりゃあ良かった思いよる』

『昔はなあ、広島県だけでもこういう仕事をしようんが、十何人おったよ。 今じゃあ、わしと尾道の人くらいじゃなかろうか』 『今でも、九州に材を買い付けに行きよるんで。 ここの櫂の注文があったけえ、3月に九州に行ってきたんよ』
『その頃はなあ、順番に当番が回ってきて、材を買い付けに行きよった。 一度行ったら、向こうに一週間くらい。 あの頃は、ええ材も入りよったし、良かったよ』

『でもなあ、最近はええ材も少ないし、材を買うても、挽いてくれる所がない。 この材も、山口で挽いてもろうたんじゃ』 『材もな、種類によって堅さや重さが違う。 樫、椎、桧。 それぞれ特徴があるんよ。』
 
『この材を見てみ。 昔はこがあな風に、断面を三角に挽いてもらいよったんよ。 こんな三角に挽いたら、材は曲がったり歪んだりせんのじゃが、最近はコンピューターで制御するけえ言うて、儲けにならん三角の挽き方はしてくれん。 じゃけえ、平たい板に挽くんじゃが、見てみい、櫂に削って置いといたら、こんなに歪むんじゃけえ』 『こんなに歪んだらよ、買うてくれいうて渡す訳にもいかんし、大損よ。 そんなけえ、最近は商売も難しいよのう』

『鉋? うん、今は電動鉋ができてだいぶ楽になったよ。 昔はこれで削り出しよったんじゃけのう。 前は、一日に二本くらい作りよったが、今は日に一本くらいかのう。』
 
『櫓ものう、修理してくれいうて、毎年くるんよ。 ここが結わえてあるじゃろう。 使いよったらここが緩んで駄目になる。 そうじゃけえ、前はボルトを通して絞めるようにしたんじゃが、そうしたら櫓を引き揚げる時に舟に引っ掛かるいうんよ。 じゃあいうて、ボルトを埋め込むように穴を空けて出っ張らんようにしたら、そこが弱くなって、折れてしもうた』 『なるほど、やっぱり紐で結わえるんが引っ掛からんし、応力も集中せんし、一番ええ言う事なんですね。』 『そうなんよ』

『またの、前はFRPがはやってから、櫓もこげにFRPを巻いた事があるんじゃが、これは駄目じゃいうて、すぐにやめた』 『これは、FRPで巻くと硬すぎるんでしょう。 私もシーカヤックを漕ぐんですが、パドルは硬すぎると漕ぎにくい。 少しひわるくらいが、長時間漕いでも疲れんですよ』 『それそれ、それと一緒よ』
『でも舵の方は、FRPで巻くのがえかったねえ』 『そうですね。 舵は、硬くても問題ないですもんね』
***
『あんたは、カヌーを漕ぎよるんか?』 『はい、カヌーにキャンプ道具を積んで、島に渡る旅をするんが好きなんです』
『昨日も、蒲刈から出て、御手洗まで漕いで行ってキャンプしたんですよ。 年に50日位は海に出よりますし、これまでも、兵庫県の家島から下関まで瀬戸内横断したり、下関から日御碕まで日本海を北上したりしとるんです』
『おー、そりゃあすごいのう。 恐ろしゅうないんか?』 『ええ、風が吹いたりしたら、泣きそうになりながら漕ぐ事もあるんですが、やっぱり海を旅するのは楽しいですよ』
『人と一緒に行くんか?』 『いやあ、ほとんど一人ですね。 一人が気楽でええです。 行きたい時にフラリと出られるし、自分が出とうない天気じゃ思うたら出んでもええ。 ええ所がありゃあ、好きに上がって休んだり、早めに切り上げてキャンプしたり。 ホンマ、一人じゃったら全部自分の思うように決められるんじゃけえ、そりゃあ楽しいですよ』
『ほうかいの。 それにしてもすごいのお。 まあ、命あってのものだねじゃけえね。 気をつけんさいよ』 『はい、ありがとうございます』

『ここは、いつもやっとられるんですか?』 『いやあ、最近はあまり開けとらんのよ。 今日はたまたま、あの頼まれとる櫂がほぼ終わって、櫓の修理が入って来る準備をしよるけえ、開けとった』 『じゃあ、ええ時に来たんですね』

『今日は、ほんまにええものを見せてもろうて、ええ話しを聞かせてもろうて、うれしかったです。 ほんまにありがとうございました』 『あんたあ、どこの人かいのお』 『はい、呉の阿賀です』 『ほうか。 まあほんま、海では気をつけんさいよ』 『ありがとうございます!』
***
櫂作りをされているおじいさんに見送られ、豊島へと向かった。 時間が余ったので、偶然立ち寄った大崎下島の大浜。
話しを聞いた方からの偶然の縁で、想いもかけぬ次の出合いが生まれ、2時間弱の間に3組/4人の方の貴重なお話を伺うことができた。
これも、いつもと違うOne Wayの旅にしたおかげだなあ。 まさに、『あるくみるきく_旅するシーカヤック』の醍醐味。 今でも心が奮えている。

家船が今でも現役の島、豊島。 弓祈祷の祭りが残る岡村島(豊島、大崎下島にも残っている)。 風待ち潮待ちの御手洗や、櫂を制作する現役の職人さんが残る大崎下島。 日本の櫂伝馬の1/3が現存するという大崎上島。
いやはや、地元『とびしま海道』はこんなにも奥が深いのか。 感涙!

さあ、豊島へおいしいお好み焼きを食べに行くか。

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瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(2)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
2009年6月27日(土) 初夏には珍しく、涼しい朝。 テントの中での寝起きも快適だ。
今日は豊島で『よりんさい屋』をやっておられ、いつも島ではお世話になっているKさんを久し振りに訪ね、お昼ごはんに豊島の『マリちゃん』でおいしいお好み焼きを食べて帰る予定。 ゆったりと余裕のある一日。
 
朝日が昇る頃にゆっくりとテントから這い出し、ストームクッカーでお湯を沸かしてコーヒーを飲む。 薄い長袖Tシャツでちょうどよい位の気温だ。 iPodでお気に入りの落語を聞きながらコーヒーを飲む。 静かな島の朝。
再びお湯を沸かし、スープとパンの簡単な朝食。

8時、少し早いが出発するか。 せっかく時間があるのだから、数年前に海水浴場ができた大浜に行ってみよう。
この、『大崎下島の大浜』には、2008年2月にキャンプツーリングをするつもりで蒲刈から漕いで訪れたのだが、残念ながらキャンプ禁止と言う事で断られ、急遽岡村島に変更した苦い想い出のある土地である。
ただあの時も、翌日行われるという『弓祈祷』の準備中だったということで、ここには何かありそうな気がしているのだ。
***
海水浴場の駐車場にクルマを停め、浜を歩いてみる。 シーズン前の海水浴場は、釣りをしている人が居るくらいで、静かなもの。 それにしても広くてきれいな浜である。 キャンプ禁止と言うのは残念だ。

グルリと回って駐車場に戻ると、近くのベンチにひとりのおじいさんが座って居られた。 『おはようございます』と挨拶すると、『ああ、おはよう。 あのフネはあんたのかね?』と返ってきた。
『ええ、昨日は県民の浜を出て、御手洗まで漕いだんですよ。 いつもなら漕いで戻るんですけど、橋が架かってバスが走るようになったから、昨日のうちにクルマを取りに戻って。 そして御手洗でキャンプして、今から豊島の知り合いの所に行く途中です』 『ほう、御手洗まで。 えらいもんじゃなあ。 どれくらいかかる?』 『はい、だいたい北回りで2時間くらいですかねえ』 『そりゃあ早い』と驚いた様子。

それからしばしお話を聞かせていただいた。
『このあたりは、漁師さんなんですか、それとも農家が多いんですか?』 『ここらはほとんど農家よ。 漁師はほとんどおらん』 『みかんですか?』 『そうよ。 ほれ、あそこにも見えらあ。 こっちも。 あんな高い所の急斜面で作るんじゃけえ、年寄りになったらなかなかできんようになって放っとる畑も増えとる。 (笑いながら、)なんせ、傾斜が45度もあるんじゃ』

『このあたりは遠浅で、潮が引いたら大けな干潟が出よったよ。 貝もいっぱい採れよったなあ』 『この公園ができる前は、家の目の前が海じゃったろう。 台風が来たらな、もう波がもろよ。 波のしぶきが家の屋根を越えて、そりゃあもうひどかった。 この辺りの家は、ほとんど屋根をやりかえとるよ』
『なるほど、それでそこの家の海側は、おおきな石垣にしとるんですね』

***
『ここらは、昔はどがあなかったんですか?』
『戦争が終わって、軍隊上がりがようけ帰ってきた。 気が荒いんも多いじゃろう。 そいつらは江田島の弾薬庫にダイナマイトを盗みに行って、それを爆発させて魚を獲ったりしよったよ』 『ダイナマイト漁にはわしも行ったことがある。 火を点けて海に投げ込んだら、「ほれ、逃げい」言うて一生懸命漕ぐんじゃ。 戦後すぐじゃけえ、当時はエンジン付きの船なんかありゃせん。 それじゃけえ、一生懸命漕いで逃げて、少しして戻ったら、おおけな鯛やチヌなんか、ようけ浮いとったもんよ』

『そりゃあ、命がけですね!』 『ほうよ、ダイナマイトが爆発したら、船がギシギシ、ミシミシ、いうて音をたてるんじゃ』
『浮いた魚を拾うんも、バケツよ。 タモ網なんかないんじゃけん』
***
 
『御手洗ものう、昔は賑やかじゃったんで。 わしらが22歳の頃まで遊郭があったんじゃ』 『行ったか? そりゃあ行ったよ。 べっぴんさんがようけ居ったよのう。 あの頃は旅館も食堂も何軒もあった。 九州からの機帆船も潮待ちで寄りよったし、ほんま賑やかじゃったよ』 『バスなんかない。 あの頃は船よ。 今とは違うて、定期船の便数も多かったし。 みんな船で行きよった』 『木江にも遊郭があって、それは御手洗の何倍も大きな街じゃった。 でも木江は恐あて、あまりいかだった』

『九州から石炭を積んだ機帆船が来よった頃はの、関前灘の方で、石炭を横流ししてもらうやつらも居ったよ』 『走りよる船の横に、自分らの船を横付けして、船に積んである石炭を、こがあな大けなシャベルですくって下の船にそのまま投げ下ろすんよ。 まあ、血の気の多い、怖いもん知らずの若いもんがようけおったけえの』

『あんたはどっから来た?』 『はい、呉の阿賀です』 『ほうか、阿賀か! 阿賀いうたら、「阿賀のボンクウ」いうて、わしらも言いよった(笑)』 『ボンクウってなんですか?』 『ボンクウいうたら、○○○の事よ』
『へえ、そうなんですか! あの「仁義なき戦い」で有名な阿賀です。 やっぱり、そういう方面で有名なんですねえ』
***
『前にここの浜にシーカヤック漕いできたときは、弓祈祷の準備をされよりました』 『ほうか。 今じゃあ若い人も減って大変なんじゃが、昔は賑やかじゃったよ』
『わし? わしは出よらんかったよ。 あれはなあ、変な所に飛んで見に来た人に怪我をさせてもいけんけえ、腕のええ選ばれた人が出よった。 何週間も前から練習して、冬なんじゃが海で水垢離して体を清める』 『夜に水垢離するんじゃが、その時に女の人に見られたら穢れたいうことで、もう一回水垢離して清め直しじゃあ』
***
『この前、大崎上島に行って櫂伝馬を漕がせてもろうたんですよ。 ここには櫂伝馬はないんでしょうか?』
『櫂伝馬。 今はないけど昔はあったのう。 ここの前の海でも祭りの時に出しよった』 『今でも、あそこの神社の横の倉庫に置いてあるじゃろう』
『え、そうなんですか! じゃあ、見に行ってみます。 いろいろ面白い話しを聞かせていただいて、楽しかったです。 ありがとうございました』

という訳で、長い間倉庫に仕舞ってあるという櫂伝馬を見に行く事にした。 やはり睨んだ通り、ここ大浜には何かあると思っていた。 来て良かったなあ。
 
『あるくみるきく_旅するシーカヤック』

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瀬戸内シーカヤック日記: あるくみるきく_とびしま海道キャンプツーリング(1)

2009年06月27日 | 旅するシーカヤック
2009年6月26日(金) 久し振りに、蒲刈にある県民の浜へと向かう。 蒲刈の県民の浜から岡村島や大崎下島の御手洗まで往復するキャンプツーリングは、以前の私のお気に入りコースの一つであり、年に何度も通っていた。
しかし、昨年の秋に豊島大橋が開通した後は、島の道に渋滞が発生するほど観光客が訪れるようになり、静かな島の雰囲気が好きな私は、このルートを漕ぐのを避けていた。

しかしそろそろブームも落ち着いたとの事であり、金曜日ならさすがに人も少ないだろうと言う事で、久し振りに出かけてみる事にしたのである。
***
キャンプ道具をパッキングしたシーカヤックを海に浮かべて乗り込み、スプレースカートを装着して漕ぎ出した。
今日は、途中で立ち寄る所があるので、北回りルート。 追い潮に乗って北上し、昨年開通した豊島大橋の下を漕ぎ抜ける。
 
豊島では、今でも現役の家船が残る小さな漁港に入り、しばし上陸。 昨年、豊島で知り合いになった方を通じて、夏に行っている子供達のカヌークラブの活動を、2回ほどではあるが、お手伝いさせていただくことができた。
『シーカヤックが結ぶ縁』

施設に行ってみると、ちょうどお世話になった先生が居られた。 『今日は、蒲刈から御手洗までツーリングなんで、ちょっと寄ってみました。 ご無沙汰してます。 今年もカヌークラブの活動をやられるのなら、お手伝いをさせていただければと思って来てみました』 『いやあ、今年も梅雨明けくらいからやろうと思ってるんですよ。 また手伝って下さい。 今年はショートツーリングができると良いなあと思ってるんです』
『はい。 安全確保くらいしかできませんが、ぜひお手伝いさせていただきます。 また決まったら連絡ください』 『ええ、また近くに来たら気軽に寄って下さい』 『ありがとうございます』
うん、今年も子供達と一緒に漕げると好いなあ。 楽しみだ!
***
再び漕ぎ出し、梅雨時期らしい穏やかな海を漕ぎ進み、御手洗へ。
 
雁木の所にシーカヤックを浮かべた状態で荷物を下し、空荷になったシーカヤックを揚げる。 ツルツルと滑り易い雁木での上陸では、フェルトソール仕様に改造したサンダルが大活躍。
***
荷物を片付け、テントを張り、着替えるとお昼過ぎ。 途中で買ってきたお弁当を広げる。 いつもなら、ここでプシュッと缶ビールのプルタブを開けるのだが、今日はまだ予定があるのでそうはいかない。 我慢我慢。
しばし御手洗の町を散策し、観光案内所で『みかんジュース』をゴクリ。 地元産みかん100%で一杯100円。 良く冷えていて美味い。
 
午後2時過ぎにバス停へ。
今回のツーリングは、One Way。 下関から日御碕までの日本海北上_古代人ツアーで実践してきた私の好きな旅のスタイル。 出発地点から漕ぎ進み、ゴールした浜にシーカヤックと荷物を置いたまま、バスや汽車でクルマを取りに戻るのだ。
出発地点まで漕ぎ戻る必要がない、自由気侭な『行きっぱなしの旅』

豊島大橋が開通して、大崎下島や岡村島が離島でなくなったことは、静かな島好きの私にとっては寂しい事ではあるのだが、せっかく橋が架かってバスで行き来できるようになったのだから、その便利さを旅に活かさない手はない。
変化は変化。 実際、瀬戸内の島々は、これまで北前船が行き来するようになって、また地乗り航路が沖乗り航路に変化する事によって、あるいは帆船が機帆船、そして動力船に変わる事によって、その後はクルマや列車など陸上交通が主流になる事によって、時代時代で大きく変わってきたのである。
島を取り巻く状況が変わってしまう事は、自分にはどうしようもない。 変わった状況を受け入れ、そのなかで、いかに旅を楽しむか。 そして、そこに住む人々からかつての暮らしや漁の話しを聞き、記録する事。 それに尽きる。
***

バスに乗り込み、恋が浜で降りると徒歩で県民の浜へ。 温泉にまったりと浸かって潮抜きをし、疲れを癒す。

クルマで御手洗に戻ると、今回の目的である『みはらし食堂』へ。
 
これまでは、何度かお昼に立ち寄って『中華そば』や『鍋焼きうどん』を食べていたのだが、せっかくなのでこの食堂でゆっくりとビールを飲んでみたいと思っていたのである。
『ビールください。 あと、冷や奴あります?』 『はい、あるよ』 暑かった一日。 ビールが旨い。
 
『今日は県民の浜からカヌー漕いできたんですよ。 いつもは昼に来てラーメン食べるんじゃけど、今日はゆっくりビールが飲みたい思うて』 『ほうねえ、カヌーでね』とおばあちゃん。
『ここには、カヌーやっとる人が前に来たでしょう』 『そうよ、そんときは十何人泊めてくれいうて』 『ええ、私もその人を知っとるんです。 その時には私も岡村島で手伝いよったんですよ』
『あんたも小豆島まで行くん?』 『あ、そうか、最初はあの人たちが小豆島に行く途中に寄ったんですね。 私らも、それとは別ですが、毎年小豆島の方から山口の島まで漕ぐのをやりよるんです』

残念ながら夏なので、楽しみにしていた『おでん』はなかったが、その後も四方山話をつまみにビールを飲み、飯を食い、島の食堂での夕食を堪能した。 ええ雰囲気やなあ、ストライクゾーンど真ん中。 『ごちそうさまでした』
***

夏の日は長く、テントに戻ってもまだ明るい。 蚊取り線香に火を点け、雁木に座って、夕焼けを眺めながらカップ酒。
ああ、ええ一日やった。 さて、明日は、豊島に寄ってから帰ろうか。 『おやすみなさい』

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