一年ほど前、私が勤務する職場の近くにイスラム寺院であるモスクが建った。寺院といってもイスラムは偶像崇拝ではないので、ただ集団で礼拝する場所があるだけである。日本人はイスラムに対して嫌悪感を抱く人が多く、特にアメリカで起きた9.11テロ以来、一段と厳しくなっている。モスク建設にあたっても、地元住人との軋轢は相当あったに違いない。イスラム教徒も、日本人に理解してもらおうと努力している。そのための交流会が開催されるというので、参加してみた。当日は、いろいろな国のイスラム教徒がいた。中国人も日本人もいた。どこの国の人であるか、どんな宗教を信じているかは、その人が信頼できる人かということとは無関係である。しかし私は、どうしてもイスラムを理解することができなかった。アラーがそのように決めたからというだけで、なぜ従うのか?女性に対する様々な制約は、女性差別ではないといいながらも、納得するわけにはいかなかった。一口に異文化交流と言っても、違う文化、宗教観を持った人たちとつきあっていくことは難しい。
中国語の先生に「草食系男子」の説明をしていて、言葉につまった。仕事やお金に執着せず、女性に対してもそれほど積極的ではないが、結婚願望がないわけではない。と、これは私が「草食系男子」に持つイメージだ。しかし、周りを見渡せば、確かに多いぞ。若者のほとんどがこのタイプだ。とすると、これからは「肉食系男子」の説明をしなければならないのか!?
中国人を台湾人と区別するために大陸人ということがある。所かまわず、大声でしゃべったり、電話をしているのが大陸人である。とりわけ列車の中で、となりに腰掛けようものなら、すぐに話しかける習性がある。どうも話しかけるのが礼儀らしい。私の中国語の先生は、日本で初めて新幹線に乗ったとき、となりの人に話しかけて、とても恥ずかしい思いをしたと言っていた。日本人は、話をするのがきらいなのかと聞かれた。現代人は新幹線に乗っている時間を有効に利用するため、睡眠を取ったり本を読んだりするので、話しかけられると迷惑に感じてしまう人が多いのだと答えた。かつて日本でも、となりあわせた人とおしゃべりしながら旅行するのは普通だった。いつの頃から、変わってきたのだろうか。
新型インフルエンザの日本での感染は今のところ確認されていない。しかし、国と国への行き来が頻繁になった現代社会において、国内への感染を止めることは容易ではない。警戒レベルが「フェーズ5」に引き上げられたが、我々にはどうすることもできない。驕りきった人間に対するウィルスの反撃なのかもしれない。
北京人にとって、外地人は自分たちより下の階級、
上海人にとって、外地人は、すべて田舎者。広州人にとって、外地人は労働者。
中国人の地域性気質をよく表している。