shetland'A blog

スキーでの靱帯断裂の闘病記から始まって介護問題。今は趣味や日常での楽しみを記録。

掛軸

2015年04月29日 | 介護
2015/04/29(水)
現在かけている掛軸。



母がなくなる2日前だったろうか、すっかり暖かくなってきたので、川合玉堂のジョウビタキからこちらの「夢」に掛け替えた。

宮本武蔵の師である沢庵和尚の遺偈(ゆいげ)は 「夢」 の一字。
これも遺偈とはっきり知らずにかけているので皮肉なものだ。

百年三万六千日   百年三万六千日
弥勒観音幾是非   弥勒観音、幾ばくの是非 
是亦夢非亦夢    是(ぜ)も亦た夢、非(ひ)もまた夢
弥勒観音亦夢    弥勒も夢、観音も亦夢
佛云応作如是観矣  佛云く、応(まさ)に是の如きの観を作(な)すべし、と
沢庵野老卒援筆   沢庵老、卒(にわ)かに筆を援(も)つ


人生そのものが夢ということだろうか?

そう思っていたら宮柊二の掛け軸も思い出されたので、これは母の祭壇の部屋に掛けている。



限られた時間は大切にせねば。

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介護の終わり

2015年04月29日 | 介護
2015/04/29(水)
私の介護生活は4月22日をもって終了した。
老親(母)が体調を崩し始めてから5年。
骨折、脳梗塞、骨折と続き、入院、老健施設、特別養護老人ホームと手続に追われる日々だった。

いつも思っていた。
介護から解放されるときは母の死を迎える時だと。
そのとき、自分は「解放された!」と感じるのだろうか?と。

介護は終了した。
「解放された」という感じよりも「遊びに行くところがなくなった。」という感じに近い。
いろいろあったが、この気持ちからすると、介護をしている時間は根本的には苦痛ではなかったのだろう。

私の日々を見ていた方たちからは
「無理をしないで。あなたが倒れたらいけないから。」と随分心配していただいた。
自分では無理をしているつもりもなかったが、それでも時間や気持ちが押されることは多かったと思う。

しかし、あの時間があったからこそ、今自分が平静でいられるのだと思う。
親孝行ができる時間を持てたことを幸せに思う。
母はこの辺で娘も満足できただろうし、そろそろ逝かねば娘が疲れてくるぞと頃合いを見てくれたのだろう。

父のときは事故であり急逝だったため、今回の時間は母が私にプレゼントしてくれた時間とも思う。
私は、両親との縁が深かったのだろう。
最後まで、息を引き取る瞬間まで体を温めていることができた環境に感謝する。
子の務めとして親をきちんと見送れたこともよかったと思う。

忌引きの1週間と今日の祭日で1日長く心を休めることができた。
明日からはまた平常の生活にもどる。

前十字断裂・側副靭帯損傷から北海道へスキーへ行けるまでにもってこれたし、介護も終了した。
ブログも閉じようと思ったのだが、閉じないでほしいという意見もあり、だれかの参考になることがあれば続けて行こうかと思う。

母の死は悲しいことだけど、生きているものは必ず迎える死。
一日一日を笑って暮らして、楽しい土産話をもって、自分も遠い将来、彼岸へ旅立ちたいと思う。

これから数十年分の笑える話をたくさん土産話として持っていたい!


私を支えてくださった皆様に感謝申し上げます。
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