2015/04/29(水)
現在かけている掛軸。
母がなくなる2日前だったろうか、すっかり暖かくなってきたので、川合玉堂のジョウビタキからこちらの「夢」に掛け替えた。
宮本武蔵の師である沢庵和尚の遺偈(ゆいげ)は 「夢」 の一字。
これも遺偈とはっきり知らずにかけているので皮肉なものだ。
百年三万六千日 百年三万六千日
弥勒観音幾是非 弥勒観音、幾ばくの是非
是亦夢非亦夢 是(ぜ)も亦た夢、非(ひ)もまた夢
弥勒観音亦夢 弥勒も夢、観音も亦夢
佛云応作如是観矣 佛云く、応(まさ)に是の如きの観を作(な)すべし、と
沢庵野老卒援筆 沢庵老、卒(にわ)かに筆を援(も)つ
人生そのものが夢ということだろうか?
そう思っていたら宮柊二の掛け軸も思い出されたので、これは母の祭壇の部屋に掛けている。
限られた時間は大切にせねば。
現在かけている掛軸。
母がなくなる2日前だったろうか、すっかり暖かくなってきたので、川合玉堂のジョウビタキからこちらの「夢」に掛け替えた。
宮本武蔵の師である沢庵和尚の遺偈(ゆいげ)は 「夢」 の一字。
これも遺偈とはっきり知らずにかけているので皮肉なものだ。
百年三万六千日 百年三万六千日
弥勒観音幾是非 弥勒観音、幾ばくの是非
是亦夢非亦夢 是(ぜ)も亦た夢、非(ひ)もまた夢
弥勒観音亦夢 弥勒も夢、観音も亦夢
佛云応作如是観矣 佛云く、応(まさ)に是の如きの観を作(な)すべし、と
沢庵野老卒援筆 沢庵老、卒(にわ)かに筆を援(も)つ
人生そのものが夢ということだろうか?
そう思っていたら宮柊二の掛け軸も思い出されたので、これは母の祭壇の部屋に掛けている。
限られた時間は大切にせねば。