安倍晋三元首相(69)が7月、奈良市の駅前で撃たれ死亡した事件で、狙撃した山上徹也容疑者(41)の母親が旧統一教会にのめり込み、容疑者の不遇な半生を過ごした生い立ちが明らかになるにつれて、報道の一部では擁護するような風潮に思えました。
旧統一教会と政治家の関わりを問題視する報道は、政教分離の原則が守られていないような錯覚に陥りそうです。旧統一教会の信教の自由の問題ではなく、霊感商法による「過度な資金を集める行為」や「2世信者への教義の強制」などであって、消費者被害、人権侵害の問題だと思うのです。
宗教事件の底には、信教の自由、精神の自由の問題が横たわっていて、自由の範囲を拡大することが問題で、生命、家族、財産など人の命の自由を脅かす宗教事件は、どこに課題があるかと言えば、「出家」や「高額のお布施」「献金」など、すべてが崇高な宗教行為として語ることは可能で、殺人ですら「正当化」しかねないのです。
政教分離、信教の自由へ権力が干渉する問題なら、裁判所も判断を下すのは容易でしょうが、信じる宗教の自由、精神の自由は、どこまでが限界なのか、判断が難しく公序良俗に委ねるしかないと思うのです。
写真:晴天山・順正寺・本堂にて 2022年10月15日撮影
10月15日(土)、真宗大谷派岡崎教区第2組では、晴天山・順正寺で、所属寺院20か寺の僧侶が集まって、秋季大祠堂法要が行われ、久しぶりに「寺参り」をしてきました。
20名の僧侶が一同に会する法要に出掛けたのは久しく、マスクをしているとは言え、本堂に響き渡る読経は、それは、それは、心に響き渡るものでした。
法話では、「末法の時代」、「正信偈」を上げる意義を説かれました。