企業や政治家・タレントなど、不祥事や問題を起こすと謝罪会見をテレビで見ますが、責任の取り方が気になることがあります。
記者の質問が、謝罪させる内容であっても退職すること、また自殺することなどは、ただの手段であり、その手段が責任を果たすということではないと思うのです。
よく勘違いしがちな「責任の取り方」ですが、面汚しは命を断つことによって償うという武士道精神の切腹などで、失敗を全て「自分が身を捨てることにより解決する」という取り方は古く、今では実際のところなんの責任も果たしていないわけです。
近ごろでは、「責任」という概念が、本来のresponsibility(業務遂行責任)という意味とはかけ離れてしまって、義務と混同してしまう、義務に違反した場合に罰を負う、という意味で誤ってしまう人も多いのではないでしょうか。
世の中、残念ながら失敗に寛容な人はいません。仮に責任を果たしたとしても、たたく人はたたきますので、謝罪会見が気になるのです。
例えば仕事の失敗は、その失敗で損失した各々の時間やお金をどう取り戻すかが重要であって、どうしてもその座などを退かなければ解決しない問題であったとしても、それで初めて職を辞す事が責任を果たすことになるわけで、はじめから謝罪や責任をとって辞めるなど、全く無意味で無価値だと思うのです。
しかしながら責任をとるというのは、それぞれの状況に応じて、解決方法やタイミングが難しいものだと思います。