お芝居は、人間のいろんな面を映し出します。狂気、苦悩、喜び、悲しみ、怒り、希望、失望…。そんなものをどうして表現できるのか、不思議に思われはしませんでしょうか?
それは…作家も俳優も、それを作る人たち皆、少し「おかしい」からなのです。初めは、自分はまともだと思っているんですがね、段々とわかってくるんですよ。少し「おかしい」ってね。ええ、耳をいきなり切って人にあげたりなんかしません。日常生活を何とか送れる程度に、です。
ちょっち、おかしいのです私らは。無意識の行動を意識し、あらかじめ書かれている内容を、反射的に、自然に、初々しくやるなんておかしい(変)でしょう?もちろんそのための訓練を積んでいるのですが、場合によっては自分の日常を捨ててまでこんなことに興じているなど、変人以外の何ものでもないと思います。「普通」の人は早いうちにやめます。だからよく聞くじゃないですか「まだ演劇やってるの?」って。頃合いにやめるのが当たり前だというような言い方ですよね。これが「普通」の意見です。こうはならないのが俳優(役者)です。やめることが悪いわけではありません。「やめられない」だけです。やめられないのは、我々にとって不幸であり幸福なのです。
サイコパスとは、別に異常犯罪者のことではありません。サイコパスの中にそんな人間もいるということです。スマホの時代ですから、詳しくはお調べください。ここで言うと長くなりますので。ただ言いたいことは、みんな少しずつ、ズレていたり、パーソナルな問題を抱えていたりしながらも表現しなければいられないという衝動だけは持っているということです。人を見つめ、深め、表すことがお芝居の大事なところです。それをしなくてはいられないという「おかしさ」は素晴らしいのです。
演劇の懐は深い。演劇とは、サイコちゃんを含むすべての「おかしな人」が自己肯定できるフィールドを与えてくれる稀有なジャンルなのです。
㊟演劇人が皆サイコパスであるという意味ではありません。どうぞ誤解のなきようにm(__)m