「忘れな草」は不信。「忘れ草」は信頼。つまり、相手が忘れてしまうのではという不信から「忘れないで」ということで「忘れな草」。反対に、相手はいつまでも自分のことをきっと忘れないと信じているから、どうか忘れてくださいと「忘れ草」となるわけです。
痴呆症になれば覚えていられなくなるのでしょうが、大概は忘れられないことです。済んでしまったお芝居はすぐ忘れるのですが…。うちのように、年4回も5回も公演があると、終わったお芝居はすぐ忘れます。次(の台詞)を入れなければなりませんから。しかし、思い出はそうはいきません。いつまでもこの胸に居続けます。
亡くした友、元恋人、文鳥…。繰り返し自分の人生の中に登場し続けるのです。私が死んで思い出せなくなるまで。それは終わった恋ですら同じかと。私が命尽きるまで、彼らは生き続けるのです。忘れられない映画や芝居のように。その人の中で、その人の人生と共に生き続けていくのです。
「忘れ草」が欲しくもあり、欲しくもなし。
さて、私を覚えていてくれる人がどれくらいいてくれるのかしら。 …それはまた別の話、やね。